第99話:王都の激震
ミズガルズが建国の喜びに沸いていた、まさにその時。
その報せは、リアムが張り巡らせた情報網によって、驚くべき速さで王都アークライトにもたらされていた。
王城の一室。宰相ダリウスは、執務机で静かに羽ペンを走らせていた。
そこに、一人の密偵が駆け込み、息を切らしながら跪く。
「ご報告します! 宰相閣下! 嘆きの荒野の開拓民たちが、本日正午、王国からの独立を宣言! 指導者リオ・アークライトを王とし、新国家『ミズガルズ』の建国を宣言したとの報せが入りました!」
その報告に、部屋の空気が凍り付いた。
同席していた他の文官たちが、信じられないといった表情で顔を見合わせる。
「馬鹿な……! あの蛮族どもが、国を興すだと!?」
「王国に弓を引くというのか! 身の程を知らぬにもほどがある!」
しかし、ダリウスだけは、表情一つ変えなかった。
彼は、ゆっくりと羽ペンを置くと、冷たい光を宿した瞳で、窓の外に広がる王都の景色を見やった。
「……愚かな。自ら、滅びの道を選ぶとはな」
その声には、怒りも、驚きも含まれていない。
ただ、自らの予測通りに事が運んだことに対する、冷え切った満足感だけが漂っていた。
彼は、最初から、ミズガルズが要求を呑むなどとは思っていなかったのだ。
あの理不尽な要求は、彼らを追い詰め、反逆の旗を揚げさせるための、ただの口実に過ぎなかった。
「伝令!」
ダリウスの鋭い声が、部屋に響く。
「直ちに、王国騎士団第一、第二、第三部隊に出撃準備を命ぜよ! 目標は、嘆きの荒野の反逆者、ミズガルズ! 一週間以内に、かの地を更地にして参れ!」
「はっ! ……しかし、閣下。第一から第三部隊までを、ですか? それは、我が王国騎士団の主力の半数に相当します。辺境の蛮族相手に、そこまでの戦力は……」
伝令役の騎士が、恐る恐る問い返す。
その言葉に、ダリウスは、初めて侮蔑の表情を浮かべた。
「侮るな。奴らは、もはや単なる蛮族ではない。我々の知らぬ技術を持ち、聖獣を従える、れっきとした『敵国』だ。アークライト家の愚息が率いた私兵ごときとは、訳が違う」
彼は、敵を決して侮らない。叩くのであれば、再起不能になるまで、徹底的に叩く。
それこそが、ダリウスという男の、冷徹な現実主義者としての恐ろしさだった。
「これは、戦争だ。国の存亡をかけたな。……分かったら、すぐに行け」
「は、はいっ!」
伝令が慌てて部屋を飛び出していく。
その非情な決定が下される様を、部屋の隅で、一人の男が青ざめた顔で聞いていた。
ミズガルズから失意のうちに帰還した、マルクスだった。
「お待ちください、宰相閣下!」
マルクスは、意を決してダリウスの前に進み出た。
「どうか、ご再考を! 彼らは、まだ話し合いの余地があるはずです! 彼らの技術は、王国にとっても有益なものとなる可能性が……!」
「黙れ、マルクス」
ダリウスは、マルクスの言葉を、冷たく一蹴した。
「貴殿の報告書は読んだ。情に流され、敵の潜在能力を見誤った、愚かな報告書だった。……貴殿は、少し頭を冷やす必要があるようだ。この件から、手を引け。これは、決定だ」
「そ、そんな……!」
マルクスは、その場に崩れ落ちそうになるのを、必死に堪えた。
ダリウスの瞳は、もはや彼を映してはいなかった。
自室に戻ったマルクスは、力なく椅子に座り込んだ。
窓の外では、王国軍出撃の報せを告げる鐘の音が、けたたましく鳴り響いている。
彼の脳裏に、ミズガルズで見た光景が蘇る。
活気に満ちた街並み。希望に満ちた民の笑顔。
そして、指導者として、民を守るために苦悩していた、若き領主の顔。
「私は……また、過ちを……」
かつて、アークライト家の暴走を止められなかったように。
今また、宰相の非情な決断を、覆すことができなかった。
自らの無力さを噛みしめながら、マルクスは、ただ、ミズガルズの民の無事を、神に祈ることしかできなかった。
王都が、戦いの色に染まっていく。
ミズガルズの、あまりにも短く、そして輝かしい平和は、今、国家という名の圧倒的な暴力によって、踏み潰されようとしていた。




