第94話:王の器
僕の登場に、広場の喧騒が嘘のように静まり返った。
民衆は安堵と期待の眼差しを僕に向け、王国騎士たちは面倒なのが出てきた、と言いたげな侮蔑の視線を向けてくる。
「なんだ、貴様は。こいつらの主か? ちょうどいい。こいつらが王命に従わぬようであれば、主である貴様の責任問題になるぞ」
若者の腕を掴んだままの騎士が、僕を値踏みするように顎をしゃくった。
その瞳には僕に対する敬意など微塵もない。ただの「辺境の若造」としか見ていないのだろう。
「僕はリオ・アークライト。この聖獣の郷領主だ。勅令については、現在こちらで検討している。回答の期限は今日の日没のはず。それ以前の、いかなる実力行使も許可した覚えはない」
僕は努めて冷静に、しかしはっきりと告げた。
「その若者を、放していただきたい」
僕の言葉に、騎士は鼻で笑った。
「放せだと? 笑わせるな。我々は王命を執行しているのだ。領主ごときが口を挟む権利はない。それに、どうせ貴様らも最後は尻尾を巻いて要求を呑むのだろう? ならば、今ここで一人二人、連行したところで同じことだ」
騎士はそう言うと、僕に見せつけるように掴んでいた若者の身体を乱暴に突き飛ばそうとした。
その瞬間。
僕の瞳から、穏やかさが消えた。
「――ハク」
僕が静かにその名を呼ぶ。
それは命令ではなかった。ただ、僕の怒りに共鳴した相棒への合図。
次の瞬間、世界から音が消えた。
いや、正確には僕の足元、その影の中から凄まじいまでの『何か』が溢れ出したのだ。
それは殺気でも、魔力でもない。
もっと根源的で、抗うことのできない絶対的な存在感。
聖獣ハクが、その身に宿す『神威』のほんの一端を解放したのだった。
「「「――ッ!?」」」
神威のプレッシャーを真っ向から受けた二人の騎士は、悲鳴を上げることすらできなかった。
まるで目に見えない巨大な龍に睨みつけられた蛙のように、その場で金縛りにあったかのように硬直する。顔からは血の気が引き、その瞳は見開かれたまま恐怖に染まっていた。
若者の腕を掴んでいた力は、自然と緩む。
僕は自由になった若者の肩を抱き、自分の後ろに庇った。
広場の民衆もハクの神威の余波に当てられ、息をすることも忘れて僕たちの姿を見守っている。
僕は硬直する騎士たちを一瞥すると、彼らの向こう、騒ぎを聞きつけて駆けつけてきたマルクス殿の姿を捉えた。
僕はマルクス殿に向かって、ゆっくりと、しかし一歩一歩、大地を踏みしめるように歩いていく。
僕の歩みに合わせ、ハクの神威がさらにその濃度を増していく。
やがて、マルクス殿の目の前で僕は足を止めた。
「マルクス殿。先ほどの非礼、謝罪は求めない。しかし、これ以上の横暴は断じて許さない」
僕の声は、自分でも驚くほど低く、そして冷たく響いた。
それはもはや心優しき領主の声ではなかった。自らの民を、自らの郷を、何者にも傷つけさせないと誓う、王の声だった。
「……リオ、殿……」
マルクス殿が、僕の変貌ぶりに息を呑む。
僕は彼の瞳をまっすぐに見据え、聖獣の郷の総意を、そして僕自身の決意を明確な言葉にして告げた。
「三日間の猶予、感謝する。そして、今、ここで我々の答えを聞かせよう」
僕は一度言葉を切り、広場に集まった全ての民に聞こえるよう、高らかに宣言した。
「我々聖獣の郷は、王国が提示した二つの要求を、断固として拒否する。そして、今後、我らの尊厳を脅かすいかなる勢力に対しても――実力をもって、これを排除する!」
その言葉は、事実上の王国に対する宣戦布告だった。
心優しき領主は、死んだ。
民の想いをその一身に受け、国を守るためならば神の力すら振るうことを躊躇しない、非情な王が生まれた瞬間だった。
僕の佇まいと、その背後で神威を放ち続ける聖獣の姿に、マルクス殿は、そしてその場にいた全ての者が、これから始まろうとしている新しい時代の幕開けを肌で感じていた。




