第82話:完璧な秘書と、手作りのシチュー
古代遺跡の技術がもたらした革新は、聖獣の郷の風景を一変させた。
けれど、僕の執務室の風景も別の意味で大きく変わろうとしていた。
「マスター。午前10時になりました。15分間の休憩と、視力維持のための遠景注視を推奨します。窓の外をご覧ください」
僕が書類の山に没頭していると、背後から凛とした声が響く。
声の主は、僕の新しい秘書となったセブンだ。
彼女は僕の執務机の横にぴたりと控え、その名の通り僕の身体の一部であるかのように、あらゆることを管理しようとしていた。
「あ、ああ。もうそんな時間か。ありがとう、セブン」
僕が窓の外に目をやると、セブンは手にしたタブレット型の端末に何かを記録している。
「心拍数、正常。ストレスレベル、許容範囲内。……しかし、若干の睡眠不足が見られます。本日の昼食は、脳機能の回復を促進するDHAを豊富に含んだ青魚のグリルと、ビタミンB群を補給するための温野菜サラダにメニューを変更します」
「え、今日の昼食はカカンとココンが育てた芋の煮っ転がしだって聞い――」
「却下します。栄養バランスがマスターの要求値に達していません」
僕のささやかな楽しみは、無機質な声によって一刀両断された。
その完璧すぎる管理能力は聖獣の郷の運営において絶大な効果を発揮していたが、私生活にまで及ぶ献身ぶりには、正直なところ少しだけ息が詰まる思いだった。
その様子を、僕の向かいの席で同じく書類作業をしていたミリアが、面白くなさそうに見ていた。
彼女はペンを置くとすっくと立ち上がり、僕とセブンの間に割って入る。
「セブンさん。少し管理が過ぎるのではないでしょうか。リオさんには、リオさんのペースというものがあります」
「ペースの最適化も私の任務です。非効率な要素は排除しなければなりません」
「食事は、栄養を摂取するだけの作業ではありません! 心を満たすためのものでもあるんです!」
ミリアが頬を膨らませて反論する。その手には、いつの間に用意したのか湯気の立つポットが握られていた。
彼女はポットの中身を器に注ぐと、こん、と僕の机に置く。
ふわりと立ち上る魚介の豊かな香りと、クリームの優しい匂い。僕が一番好きな、ミリア特製のシチューだった。
「わあ、すごい! いい匂いだ! ミリア、僕のために?」
「はい! こういう日も必要かと思いまして。さ、どうぞ。冷めないうちに」
僕がスプーンを手に取って大喜びすると、ミリアは「えっへん」と得意げに胸を張った。
その光景を、セブンがじっと見つめている。
僕は早速、温かいシチューを一口運んだ。
魚介の旨味が溶け込んだ濃厚なクリームが口の中に広がる。ごろっと入った野菜の優しい甘みも健在だ。
長時間のデスクワークで疲れた身体に、その温かさがじんわりと染み渡っていく。
「おいしい……! やっぱりミリアのシチューは最高だ!」
「ふふ、お口に合ってよかったです」
僕の絶賛に、ミリアは花が咲いたような笑顔を見せた。
しかし、その和やかな雰囲気を切り裂くようにセブンの声が響いた。
「――解析、完了」
セブンはいつの間にかシチューの匂いを分析していたらしく、そのアメジストの瞳を僕の持つ器に向けていた。
「主成分、クリーム、白身魚、エビ、アサリ、ニンジン、ジャガイモ……。栄養価は高いと判断。しかし、塩分濃度がマスターの健康維持における推奨値より、0.2%高い数値を検出しました」
「なっ……!?」
ミリアの笑顔が凍り付く。
匂いを嗅いだだけで塩分濃度まで分かるというのか。
セブンは構わず、淡々と分析結果を続ける。
「過剰な塩分摂取は、将来的な生活習慣病のリスクを増大させます。本来であれば、このシチューの摂取は推奨されません。……しかし」
彼女は一度言葉を切ると、僕とミリアの顔を交互に見てこう結論付けた。
「マスターの脳内から、幸福感を司る神経伝達物質、セロトニンの分泌を確認。また、ミリア個体からも同様の反応を検知。これらの精神的充足がもたらすプラス効果を鑑み、今回の特例としてこのシチューの摂取を『許容』します」
そのあまりにも謎の上から目線の許可に、数秒の沈黙が流れた。
そして、最初に沈黙を破ったのはミリアの怒りの声だった。
「だっ、誰の許可が要るんですかーっ!!」
執務室に響き渡るミリアの叫び声。
僕は美味しいシチューを前に、ただただ苦笑いを浮かべることしかできなかった。




