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第7話:最初の来訪者


 丘の向こうからやってきたのは、一人の行商人だった。

 年の頃は四十代ほどだろうか。日に焼けた顔と、抜け目のない瞳つきが彼の人生経験の豊富さを物語っている。


「こ、これは……驚きましたな。まさか、こんな荒野のど真ん中で湯けむりにお目にかかれるとは」


 行商人は僕の粗末な身なりと、その背後にある立派な丸太小屋、そして、もうもうと湯気を上げる巨大な温泉を交互に見比べ、目を丸くしていた。やがて僕の肩の上にいる子猫サイズのハクに気づくと、その目をさらに大きく見開いた。


「そ、その白虎は……ま、まさか……聖獣様……?」


 彼の驚愕も、無理はない。伝説の聖獣が子猫の姿で、人間の肩に乗っているのだ。信じろという方が無理な話だろう。


「ようこそ、嘆きの荒野へ。僕はリオ・アークライト。ここの領主を任されている」

「ご、ご丁寧にどうも。私はしがない行商人でして……。しかし領主様とは、これは驚きました」


 僕は当たり障りのない対応に終始した。この温泉は偶然掘り当てたものであること。そしてハクは、気まぐれで僕に懐いているただの珍しい魔獣であること、と。


 行商人は半信半疑といった様子だったが、僕が採掘した鉄鉱石をいくつか見せると、その目の色を変えた。商人の本能が、この土地の価値を嗅ぎ取ったのだろう。


「旦那様! もしよろしければその鉄鉱石、いくつか私に買い取らせてはいただけませんか? もちろん、相場より高く買わせていただきます!」


 僕に断る理由はなかった。

 こうして僕は、初めての収入となる数枚の銀貨を手にすることができた。

 行商人は手に入れた鉄鉱石と温泉の情報を土産に、ほくほく顔で去っていった。


 この出会いが僕の運命を、そしてこの土地の運命を大きく動かすことになるとは、この時の僕はまだ知る由もなかった。


 行商人が去ってから、一月ほどが過ぎた頃だった。

 僕たちの生活は、すっかり安定していた。丸太小屋の周りには小さな畑を作り、鑑定で見つけた食べられる植物を育てている。温泉のおかげで、毎日の疲れを癒すこともできた。


 そんな穏やかな昼下がりのことだった。

 丘の向こうから、人の集団がこちらへ向かってくるのが見えた。

 その数、およそ三十人ほど。だが、その足取りは重く、誰もが疲れ果てた様子だった。


『リオ、人間だ。多数……』

「うん、わかってる。でも、なんだか様子が……」


 僕が警戒しながら見守っていると、やがてその一団の姿がはっきりと見えてきた。


「……獣人族?」


 彼らは長い耳と、ふわふわの尻尾を持つ兎の獣人族だった。

 だが、その誰もがボロボロの衣服を身にまとい、その顔には深い疲労と絶望の色が浮かんでいる。中には、怪我をしている者や幼い子供の姿もあった。


 彼らは僕と僕の建てた丸太小屋を見つけると、安堵と、そして強い警戒心が入り混じった表情で足を止めた。


 一団の中から、一人の少女が代表として僕の前に進み出てくる。

 歳は僕と、同じくらいだろうか。亜麻色のショートボブを揺らし、大きな赤い瞳がまっすぐに僕を射抜いていた。

 彼女もまた他の者たちと同じように疲れ切ってはいたが、その瞳の奥には、一族を率いるリーダーとしての強い意志の光が宿っている。


「……あなたが、ここの領主ですか?」


 凛とした、鈴の鳴るような声だった。


「そうだけど……君たちは?」

「私たちは、旅の者です。あなた様がこの荒野に温泉を掘り当て、聖獣様を従えているという噂を人づてに聞きました」


 どうやら、あの行商人が広めた噂が彼らをここまで導いたらしい。

 少女は僕の肩の上にいるハクを一瞥すると、ごくりと息をのんだ。聖獣の存在は、彼女たちにとって特別な意味を持つようだった。


 彼女はミリアと名乗った。

 そして、自分たちが帝国で奴隷同然の扱いを受け、迫害から逃れるために故郷を捨てて旅を続けてきたことを、淡々と、しかしその声に怒りと悲しみを滲ませながら語ってくれた。


 僕はただ黙って、彼女の話に耳を傾けた。

 アークライト家で僕が受けてきた扱いなど、彼らの苦しみに比べれば些細なものに思えた。


 一通り話し終えると、ミリアは唇を噛みしめた。

 その視線は、僕と、僕の背後にあるささやかながらも平和な生活の象徴である丸太小屋との間を不安げに揺れ動く。

 彼女の後ろでは、幼い子供が力なく咳き込み、母親がその背をさすっていた。もう、一刻の猶予もない。


 意を決したように、ミリアは一歩前に進み出た。


「……領主様」


 それは、絞り出すような声だった。


「どうか……どうか、私たちを……ここに住まわせてはいただけないでしょうか」


 彼女は深々と頭を下げた。その肩は、抑えきれない不安に小さく震えている。


「私たちは、どんな仕事でもします。たとえ、奴隷の身となろうとも……もう、子供たちが飢えたり、夜の寒さに凍えたりするのを見ているのは、耐えられないのです。どうか、この子たちが雨風をしのげる場所を……!」


 その声は悲痛な祈りとなって、荒野に響いた。

 彼女は顔を上げられない。信じたい、でも信じられない。その葛藤が、深く下げられた頭に込められているようだった。


 彼女の悲痛な願いと、言葉にならない不信感。その両方を受け止めた僕は、静かに彼女を見つめていた。

 どうすれば、この絶望の淵にいる少女とその民に、信じてもらえるのだろうか。


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