第59話:未来への胎動
リアムが王都の権力闘争という新たな脅威の存在を示唆した、まさにその翌日のことだった。
僕たちの村に再び、王都からの使者が訪れた。
その一報を聞いた時、村には一瞬、緊張が走った。
先日のアークライト家の使者がもたらした不快な記憶が、まだ生々しく残っていたからだ。
しかし、今回村の入り口に現れた一団は、以前の彼らとは全く様子が違っていた。
彼らは村の入り口できちんと馬から降りると、代表者である壮年の文官が一人で僕たちの前に進み出た。
その態度は尊大さとは無縁の、礼節をわきまえたものだった。
「――こちらが聖獣の郷の領主、リオ・アークライト様でいらっしゃいますかな?」
彼は僕の姿を認めると、深々と頭を下げた。
その振る舞いは僕を、対等な一人の領主として扱っている証拠だった。
このあまりにも丁寧な態度に、僕もミリアも少し戸惑ってしまった。
「は、はい。僕がリオ・アークライトですが……。王都の方が一体、何のご用でしょうか?」
僕がそう尋ねると、文官は穏やかな笑みを浮かべ、懐から一通の封蝋された手紙を取り出した。
「私は国王陛下の名代として参りました。リオ・アークライト殿に、陛下からの正式な招待状をお届けに上がった次第です」
「……国王陛下からの、招待状?」
僕はにわかには、信じられなかった。
この国の頂点に立つ人物が、僕のような辺境の取るに足らない領主に、一体何の用だというのだろう。
文官はその手紙を、恭しく僕に差し出した。
僕はおそるおそる、それを受け取った。
封蝋にはアークライト神聖王国の国章が、鮮やかに刻まれている。
僕は封を切り、中の羊皮紙に目を通した。
そこに流麗な筆致で書かれていたのは、僕の想像を遥かに超える内容だった。
『――聖獣の郷の領主、リオ・アークライト殿へ。
この度のアークライト家の騒乱における、其の方の見事な対応、聞き及んでいる。其の方の民を想う心と、土地を治めるその類稀なる才覚に、深く感銘を受けた。
ついては近々、王城にて其の方と直接、会見の場を持ちたいと考えている。
議題は二つ。一つは旧アークライト伯爵領の今後の再編について。もう一つは、其の方の聖獣の郷が今後、王国にどのような貢献をもたらしてくれるかについて、である。
これは命令ではない。余からの、心からの願いである。
アークライト神聖王国国王、アルフォンス・フォン・アークライト』
手紙を読み終えた僕はしばらく、言葉を失っていた。
これはただの、招待状ではない。
僕たち聖獣の郷が、王国から公式に一つの独立した勢力として認められた、何よりの証だった。
同時に僕たちの未来の立ち位置を決定づける、極めて重要な意味を持つ会談への誘いだった。
◇
その日の夜、再び緊急の幹部会が開かれた。
テーブルの中央には国王陛下からの招待状が、置かれている。
「……どう、思う?」
僕の問いに最初に口を開いたのは、リアムだった。
「行くべきです。いや、行かねばなりません」
彼はきっぱりと、言い切った。
「これは我々にとって千載一遇の好機です。国王陛下と直接対話する機会が与えられた。この場で我々の価値と有用性を明確に示すことができれば、聖獣の郷の王国における地位は盤石なものとなるでしょう」
「しかし、危険すぎる!」
そのリアムの言葉に強く反論したのは、ミリアだった。
「昨日のあなたの話を忘れたのですか!? 王都には私たちを敵視する保守派の貴族たちがいるのでしょう!? そんな敵の本拠地にリオさんを一人で行かせるなんて、絶対に反対です!」
ミリアの言うことも、もっともだった。
王都は僕たちにとって、アークライト軍以上に危険な場所かもしれない。
グルドさんも難しい顔で、腕を組んでいる。
「うむ……。ワシも嬢ちゃんの意見に賛成だ。政治の駆け引きなんぞ、ワシらの最も苦手とするところよ。下手に王都なんぞに出向けば、どんな罠にはめられるか分かったもんじゃねえ」
仲間たちの心配は、痛いほど分かった。
僕自身、不安がないわけではない。
しかし、僕の心はもう決まっていた。
「……ううん。僕は行くよ」
僕は皆の顔を見渡し、静かに、しかし力強く言った。
「ミリアの、グルドさんの心配はよく分かる。けれど、リアムの言う通りこれは僕たちが避けては通れない道なんだ」
僕は立ち上がり、窓の外に広がる僕たちの村を見つめた。
「いつまでもこの郷に閉じこもっているわけにはいかない。僕たちがこの先もここで平和に暮らしていくためには、僕たちの存在を王国に認めさせなければならないんだ。僕たちの未来は、僕たち自身の手で掴み取るんだ」
僕のその決意の言葉に、ミリアは俯き、唇を噛み締めた。
彼女が僕のことを心から、心配してくれているのが伝わってくる。
僕はそんな彼女の前に、歩み寄った。
「……大丈夫だよ、ミリア。僕はもう昔の僕じゃない。僕には君たちがいる。この村がある。守るべきものがある人間は強くなれるんだ。君がそれを、教えてくれたじゃないか」
僕がそう言うと、ミリアはゆっくりと顔を上げた。
その赤い瞳には涙が浮かんでいたが、その奥には僕への信頼の光が宿っていた。
「……分かりました。リオさんがそこまで言うなら……。私はもう止めません。ですが、約束してください。必ず無事にこの村に帰ってくると」
「ああ。約束するよ」
僕が力強く頷くと、彼女はようやく小さく微笑んでくれた。
僕の王都行きは、こうして決まった。
その時の僕の瞳にはもはや、辺境の心優しい領主の面影はなかったのかもしれない。
そこに宿っていたのは、一つの共同体の未来をその双肩に背負い、新たな戦いの舞台へと赴く、一国の主としての覚悟の光だった。