第57話:過去との決別
リアムがもたらしたのは、アークライト家のその後の顛末に関する報告だった。
場所を村の集会所に移し、僕とミリアはリアムの静かな報告に耳を傾けていた。
「――『霧中の惨敗』。王都では今や、この度の戦はそう呼ばれているそうです。アークライト家の権威は完全に失墜。同盟を結んでいた貴族は全て離反。領地は破綻状態にある、と」
リアムは淡々と、事実だけを告げていく。
「先日、ついに王家からの正式な裁定が下されました」
彼は一呼吸置くと、その決定的な内容を僕たちに伝えた。
「アークライト家は爵位を侯爵から伯爵へと降格。領地は三分の一を王家に没収。また、ガレン・アークライトは王国騎士団総帥の任を解かれた、とのことです」
その言葉にミリアが、息をのんだ。
それは事実上の、アークライト家の没落を意味していた。
「……そうですか」
僕はただ、それだけを呟いた。
その報告を聞いて、僕の心にどんな感情が湧き上がってくるのか自分でもよく分からなかった。
ざまあみろ、という喜びか。
血の繋がった家族に対する憐憫か。
あるいはそのどちらでもない、空虚な何かか。
リアムはそんな僕の複雑な表情を、静かに見つめていた。
「――もう一つ。聖獣の郷、及びその周辺地域はアークライト家の支配を正式に離れ、王家直轄の特別自治区として認められることになりました。……リオ殿。我々は名実ともに、独立を果たしたのです」
その最後の報告だけが、僕の心に確かな一つの感情をもたらした。
安堵。そうだ。
僕たちは勝ったのだ。僕たちの故郷を守り抜いたのだ。
報告を終えたリアムは「では、私は今後の対策を練りますので」と、静かに部屋を去っていった。
残された僕とミリアはしばらく、何も話すことができなかった。
◇
僕は一人、再びあの丘の上に立っていた。
アークライト家の没落。
その事実を僕の心が、まだうまく受け止めきれていないようだった。
僕は目を閉じ、追放されたあの日のことを思い出す。
父ガレンの、冷え切った失望の眼差し。
兄バルドの、歪んだ嘲笑。
――『我がアークライトの血に無能は不要』
――『これが貴様にはお似合いだ、寄生虫が!』
あの時の言葉は確かに、僕の心を深く、深く傷つけた。
僕の存在価値の全てを、否定されたあの日。
しかし、不思議なことに今、その記憶を思い出しても以前のような、胸を締め付けられるような痛みは感じなかった。
あるのはただ、遠い過去の出来事に対するかすかな感傷だけ。
なぜだろう。
僕はゆっくりと、目を開けた。
眼下には僕の愛する村が、広がっている。
畑を耕す人々の姿。市場で元気に声を張り上げる商人たちの姿。新しくできた学校から聞こえてくる子供たちの、楽しげな笑い声。
そうだ。僕はもう、一人じゃない。
僕にはこの村がある。
ここに住むかけがえのない、家族たちがいる。
彼らとの出会いが、彼らと過ごした時間が僕の凍てついていた心を、少しずつ溶かしてくれたのだ。
アークライト家の呪縛から、僕を解放してくれたのだ。
僕は過去に、生きているのではない。
今、ここに生きているのだ。
そう思った、その時だった。
「――リオお兄ちゃん!」
背後から聞き慣れた、愛らしい声がした。
振り返ると、そこにカカンとココンが息を切らしながら立っていた。
その後ろからミリアが、少し困ったような、されど優しい笑顔でこちらに歩いてくる。
「もう、二人とも走っちゃだめだって言ったでしょ。リオさん、驚いちゃうから」
「だってミリアお姉ちゃん! リオお兄ちゃんが一人で、どこかに行っちゃうかと思ったんだもん!」
「ココンも、心配だったの!」
双子はそう言うと、僕の足にぎゅっと抱きついてきた。
その小さな体温が、僕の心に温かく染み渡っていく。
僕は彼女たちの前に、ゆっくりとしゃがみこんだ。
そしてそのもこもこの頭を、優しく撫でてやった。
「……ありがとう、二人とも。心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫だよ。僕はどこにも行かないから」
僕のその言葉に双子は、顔を上げ満面の笑みを浮かべた。
その時、ミリアが僕の隣にそっと寄り添った。
まるで僕の心の中を全て見透かしたかのように、優しく微笑んだ。
「――おかえりなさい、リオさん。私たちの場所に」
その言葉に僕の目から、一筋の温かい涙がこぼれ落ちた。
それは悲しみの涙では、なかった。
僕は過去と、決別できたのだ。
今ここにいる、僕の本当の家族の元へ、帰ってくることができたのだ。
僕は涙を拭うと、最高の笑顔で答えた。
「――うん。ただいま」
僕は双子を、強く抱きしめた。
その向こう側でミリアが、幸せそうに微笑んでいる。
僕の守るべきもの。僕の生きる場所。
その全てが今、ここにある。
僕は未来を見据え、改めて心に誓った。
この幸せを何があっても、守り抜いてみせると。
聖獣の郷は名実ともに、独立した一つの勢力となった。
しかし、それは僕たちが否応なく、王国という大きな政治の舞台に立たされることをも、意味していた。
僕たちの本当の戦いは、まだ始まったばかりなのかもしれない。