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第50話:森を知り尽くした者たち


 ドワーフたちが森を巨大な罠の展示場へと変貌させている頃、別の場所でも僕たちの計画のもう一つの要が着々とその牙を研いでいた。


 鬱蒼と木々が茂る森の深部。

 そこはドワーフたちが仕掛けた罠のエリアよりもさらに奥、地図にも載っていない獣道が無数に走る領域だ。


 その森の中を、風のように駆け抜ける一団がいた。

 ミリア率いる兎獣人族の精鋭たちだ。


「――散開! 三十分後に、あそこの大岩で合流します!」


 ミリアの凛とした、しかし囁くような声が飛ぶ。

 その指示に、十数名の兎獣人たちが音も立てずに森の闇へと溶けていく。

 彼らの動きには一切の無駄がない。

 長い耳で周囲の音を拾い、優れた嗅覚で風の匂いを読み、森の地形を完全に把握した足捌きで縦横無尽に駆け巡る。


 彼らは生まれながらの森の狩人。

 この森を知り尽くした、真の支配者だった。


 ミリアは一本の巨大な木の枝に軽やかに飛び乗ると、そこから部隊の動きを冷静に観察していた。

 彼女の赤い瞳はもはや、ただの心優しい村娘のものではなかった。

 仲間たちの命を預かり、作戦の成否をその双肩に担う指揮官の瞳だ。


 彼女たちが今行っているのは、僕が立案したゲリラ戦術の最終確認訓練だった。


 彼らの標的は、アークライト軍の兵士ではない。

 その兵士たちの胃袋を満たす、補給部隊ただ一つ。


 訓練用の的として置かれた、食料の麻袋を積んだ荷馬車。

 それを兎獣人たちが四方八方から、電光石火の速さで襲撃する。


 ある者は音もなく背後から忍び寄り、荷馬車の車輪に蔓を絡ませて動きを止める。

 またある者は陽動として、わざと遠くで物音を立てて護衛の注意を引きつける。

 その一瞬の隙を突き、別の部隊が荷台に躍り込み、麻袋を担いで森の奥へと消えていく。


 その間、わずか数十秒。

 あまりにも鮮やかな連携プレーだった。


「――よし、そこまで!」


 ミリアの合図で訓練は終了した。

 森の各地から、息一つ乱していない兎獣人たちが再び彼女の元へと集まってくる。


「見事です、皆さん。これなら本番も問題ありません」


 ミリアがそう言うと、部隊の一人が誇らしげに胸を張った。


「当たり前ですよ、ミリア様! 俺たちの庭で好き勝手させるわけにはいきませんからね!」

「ああ! リオ様とこの村のためなら、俺たちは何だってやってやりますよ!」


 彼らの瞳には、領主と故郷を守るという確固たる決意が満ち溢れていた。

 ミリアはそんな頼もしい仲間たちの顔を見渡し、力強く頷いた。


(見ていてください、リオさん。私たちも必ず、あなたの力になってみせます)


 彼女は森の向こう、僕がいるであろう村の中心部へと視線を向け、静かに、されど熱く心に誓うのだった。


          ◇


 また、僕たちの「無血の防衛計画」を支えるもう一つの重要な柱がリアムの情報網だった。


 村の商業ギルドの執務室。

 そこは僕たちの作戦司令部と化していた。


 リアムは机に広げられた王国全土の地図を、冷徹な瞳で見つめている。

 その彼の元へ、彼が各地に放った配下たちからひっきりなしに情報が届けられていた。


 配下たちは行商人や吟遊詩人、あるいはただの旅人など、様々な姿に身をやつし、アークライト軍の内部やその周辺の街々に巧みに紛れ込んでいた。


「――リアム様、最新の報告です」


 一人のエルフの青年が、息を切らしながら執務室に駆け込んできた。


「アークライト軍の兵士たちの間で、今回の遠征に対する不満が高まっている模様。『なぜ、我らが辺境の村一つに全兵力を以て当たらねばならんのだ』と」

「ふむ。士気は低い、と。予想通りですね」


 リアムは地図の上に駒を一つ置いた。


 また別の配下が、新たな報告をもたらす。


「敵軍の編成が判明しました。その半数以上が実戦経験の乏しい新米兵士です。おそらく、数合わせのために無理やり徴兵された者たちかと」

「なるほど。練度も低い、ですか。好都合です」


 リアムはさらに駒を一つ進めた。


 届けられる情報の全てが、僕たちにとって有利なものばかりだった。

 敵の士気、練度、兵站の状況。

 総大将であるバルドの傲慢で短気な性格。

 その全てがリアムの頭脳の中で分析され、僕たちの作戦の精度を刻一刻と高めていく。


 全ての報告を聞き終えたリアムは静かに立ち上がると、僕がいる集会所へと向かった。


 彼は僕の前に立つと、一枚の羊皮紙を差し出した。

 そこには彼が得た情報に基づき、最適化された罠の発動タイミングやゲリラ部隊の襲撃ポイントが詳細に記されていた。


「リオ殿。ドワーフたちが仕掛けた罠は確かに素晴らしい。ですが、それだけでは不十分です。重要なのは、いつ、どこで、どの罠を発動させるか。そのタイミングです」


 リアムはその切れ長の瞳で、まっすぐに僕を見つめて言った。


「最新の情報によれば、敵の先鋒部隊は最も士気が低く、経験の浅い兵士たちで構成されています。最初の罠は彼らが森に入って一時間後、精神的に最も疲弊したタイミングで発動させましょう。物理的なダメージよりも、心理的なダメージを最大限に与えるのです」


 その提案は僕の計画を、より狡猾で、より残忍なものへと昇華させるものだった。

 けれど、僕は迷わずに頷いた。


「……分かりました。その提案、採用します」


 僕たちの目的は、誰一人死なせないこと。

 そのためには非情に徹する必要があるのだ。


 リアムは僕の返答に満足そうに頷くと、静かに告げた。


「――完璧な勝利を目指しましょう、リオ殿」

「彼らが戦う前に、戦意そのものを喪失するような、完全なる勝利を」


 その声にはかつての皮肉屋な商人の面影はなく、一人の領主を勝利へと導く冷徹な軍師としての覚悟が宿っていた。


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