第5話:主と認められし者
聖獣が僕の差し出した薬草を食べてくれた。
その事実に、僕は心の底から安堵した。
しかしまだ油断はできない。毒が完全に中和されるまでは予断を許さない状況だ。
僕は聖獣から数メートルほどの距離を保ち、その場に座り込んだ。下手に刺激してまた警戒心を煽るわけにはいかない。
幸い、薬草の効果はてきめんだったようだ。聖獣の苦しげだった呼吸が、少しずつ穏やかなものへと変わっていくのが見て取れる。
それから数日間、僕と聖獣の奇妙な共同生活が続いた。
僕は毎日、泉から新鮮な水を汲んできては聖獣のそばに置いた。
ほかにも、解毒作用のある薬草を摘み、食事となる木の実やキノコを鑑定してはそっと差し出した。それ以上のことはしない。ただ静かに、聖獣の回復を祈っていた。
聖獣は相変わらず、僕に対して完全に心を許したわけではないようだった。
僕が近づくと、まだ少し身構えるような素振りを見せる。
けれど、初日に感じたような殺気にも似た敵意だけは消え失せていた。僕が何をしているのか、じっと観察しているようだった。
僕が泉の水を汚さないように細心の注意を払う姿を。
僕が薬草を摘む際に根こそぎ採るのではなく、また生えてくるように配慮する姿を。
僕が何をするでもなく、ただ大地に座り込み、その土の感触を確かめるように撫でている姿を。
その金色の瞳は、まるで僕という人間を値踏みしているかのようだった。
看病を始めてから五日目の朝、変化は訪れた。
僕が森を訪れると聖獣はすっくとその巨体で立ち上がっていた。
あれほど深かった脇腹の傷はほとんど塞がっている。
純白の毛並みには艶が戻り、その立ち姿には伝説の聖獣にふさわしい圧倒的な生命力が満ち溢れていた。
「……元気になって、よかった」
僕は自分のことのように嬉しく思った。
同時に、一抹の寂しさが胸をよぎる。この聖獣はもう僕の助けを必要とはしない。きっとこのまま森の奥へと姿を消してしまうのだろう。
僕が背を向けてその場を立ち去ろうとした、その時だった。
僕の脳内に直接声が響いたのだ。
『……待て』
それは男とも女とも、老若ともつかない不思議な響きを持つ声だった。
驚いて振り返ると、聖獣が僕の目の前に移動していた。あろうことかその巨大な体を折り曲げ、僕の前に恭しく頭を垂れている。
『……感謝する、人の子よ。我が名はハク。この地の守り神だ』
ハクと名乗った聖獣は、頭の中に直接語りかけてきているようだった。
あまりの出来事に、僕はただ呆然と立ち尽くす。
『我はかつて、人間に裏切られその全てを信じられなくなった。故にお主のことも初めは疑っておった。だが、お主は違った』
聖獣・ハクはゆっくりと顔を上げた。
その金色の瞳にはもう敵意の色はない。
ただ深く、澄んだ光が宿っていた。
『お主は土地を支配しようとしない。土地を傷つけようとしない。ただ大地に寄り添いその声を聞こうとする。……お主のような人間は、初めてだ』
その言葉に、僕は胸が熱くなるのを感じた。
僕が当たり前だと思ってしてきたことを、この聖獣はきちんと見ていてくれたのだ。
『お主の魂の清らかさ、我は確かに見届けた。故に誓おう。このハク、今日この時よりお主を主と認め、その剣となり盾となることを』
厳かな誓いの言葉と共に、ハクは再び深く頭を垂れた。
「僕が……君の主に?」
にわかには信じがたい申し出。
けれど、ハクの瞳は真剣そのものだ。
「でも、僕にその資格なんて……」
僕が戸惑っていると、ハクはふっとその表情を和らげた。
次の瞬間、その山のように巨大だった体がまばゆい光に包まれる。
「うわっ!?」
思わず目をつぶって腕で顔を覆う。
光が収まった後、おそるおそる目を開けると、そこに巨大な白虎の姿はなかった。
代わりに、僕の足元にいたのは、一匹の子猫ほどの小さな白虎だった。
額にはちゃんと小さな角が生えている。金色の瞳もそのままだ。
「……ハク?」
僕が名前を呼ぶと、小さな白虎――ハクは「にゃあ」とでも言うかのように可愛らしく一声鳴いた。
そして、トテトテと僕の足元に駆け寄ると、慣れた仕草で僕のズボンを伝ってひょいと肩の上に乗っかってきたのだ。
『この姿の方が、何かと便利であろう』
脳内にどこか得意げな声が響く。
肩の上でふわふわの毛玉が僕の頬にすり寄ってきた。くすぐったくて温かい。
「はは……本当だ。これなら一緒に行動できるね」
さっきまでの荘厳な雰囲気はどこへやら。
このあまりの可愛らしさに、僕の心は一瞬で鷲掴みにされてしまった。
こうして、僕はおよそ最強で最高に可愛い相棒を手に入れた。
一人と一匹の、奇妙で温かい主従関係の始まりだった。
「さてと……」
僕は肩の上のハクを見やり、にっこりと笑いかけた。
「まずは安心して眠れる家を作ろうか、ハク」
『うむ。任せるがよい。それより腹が減ったぞ、主』
「あ、はい……。すぐに何か探してきます……」
心強い相棒を得て、僕の胸には新たな希望が満ち溢れていた。
僕の国づくりが今、本格的に始まろうとしていた。