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第47話:引き返せない道


 三日後。

 アークライト城の謁見の間は張り詰めた緊張感に包まれていた。


 玉座に座る当主ガレンと、その傍らに立つ長男バルド。

 ずらりと並んだ家臣たちの前に、聖獣の郷から戻った使者が青ざめた顔でひざまずいている。


「――それで、返答は」


 ガレンの低い声が広間に響いた。


「は、はい……。そ、それが……」


 使者の文官は、おずおずと懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

 それは彼がリオに渡した正式な巻物ではなく、ただの何の飾り気もない一枚の羊皮紙だった。


 バルドはその羊皮紙をひったくるように奪い取ると、忌々しげにその中身に目を通した。


 そこに書かれていたのは彼らが期待していた服従の言葉でも、あるいは命乞いの言葉でもなかった。


「……なんだ、これは」


 バルドの眉がみるみるうちに吊り上がっていく。

 彼はそこに書かれた言葉を、怒りに震える声で読み上げ始めた。


「『――父上、兄上へ。この手紙を以て、僕、リオ・アークライトはアークライト家との全ての縁をここに断絶します』……だと?」


 謁見の間にどよめきが走った。

 縁の断絶。

 それはただ要求を拒否するという次元の話ではない。

 貴族社会において、それは完全な決別と敵対を意味する宣言だった。


 しかし、手紙はまだ続いていた。


「『……僕は聖獣の郷の領主として、ここに住まう全ての民の命と暮らしを守る責任があります。彼らは僕の家族です。その家族に対し、飢えと死を強いるような理不尽な要求を僕は断じて受け入れることはできません』」


 バルドの声が怒気によってどんどん大きくなっていく。


「『――民を顧みぬ者に、土地を治める資格はない。民を愛さぬ者に、領主を名乗る資格はない。それが僕がこの土地で学んだ、唯一の真実です。僕は僕の信じる道を行きます。どうか、もう僕たちを放っておいてください。さようなら』」


 最後の一文を読み終えた瞬間、バルドの怒りは頂点に達した。


「ふざけるなあああああっ!」


 絶叫と共に、彼は手の中の羊皮紙をずたずたに引き裂いた。

 紙の破片が雪のようにひらひらと舞い落ちる。


「反逆者め……! あの出来損ないが、この俺に偉そうに説教だと!? 許さん……絶対に許さんぞ!」


 バルドは怒りで我を忘れ、わなわなと震えていた。

 家臣たちはそのあまりの剣幕に、恐怖の色を浮かべている。


 しかし、一人だけその怒りとは質の違う感情に支配されている者がいた。父ガレンだ。


(――民を顧みぬ者に、土地を治める資格はない)


 リオが書いたその一文がまるで呪いのように、ガレンの頭の中で何度も何度も反響していた。

 それは彼がこれまで築き上げてきた、力こそが全てという価値観を根底から揺るがす言葉だった。


 一瞬、彼の脳裏に領民たちの疲弊しきった顔が浮かんだ。

 痩せた土地、枯れた井戸。領主に向ける諦めと不信の眼差し。


(……私が、間違っているとでも言うのか。この私を育ててやった恩も忘れ、あの小僧が断罪するとでも言うのか……!)


 ガレンの心に激しい動揺と、自らの権威を否定されたことに対する烈火の如き怒りが込み上げてきた。

 彼は自らの弱さを認め、息子の言葉に耳を傾けるという選択肢を選ぶことができなかった。

 選ぶことを彼のプライドが許さなかったのだ。


 ガレンは玉座からゆっくりと立ち上がった。

 その顔にはもはや何の迷いもなかった。


「――討伐軍を編成する」


 その冷徹な一言に、謁見の間がしんと静まり返った。


「リオ・アークライトは我がアークライト家、ひいては王国に対し反旗を翻した。これは断じて許されざる反逆行為である。よって、アークライト家の全兵力を以て、反逆者リオ、及びそれに与する者共を一人残らず討ち滅ぼす」


 それはアークライト家が破滅へと続く、引き返すことのできない道へと、その第一歩を完全に踏み出した瞬間だった。


 その父の決定にバルドは狂喜した。


「お待ちしておりました、父上! そのお言葉を!」


 彼は父の前に進み出ると、恭しく片膝をついた。


「父上! この『反逆者リオ討伐』の総大将、どうかこの私、バルド・アークライトにお命じください! この手で、あの忌まわしき弟に逆らうことの愚かさを、骨の髄まで叩き込んでやります!」


 その姿は手柄を求める子供のようだった。

 ガレンはそんな息子を、冷たい目で見下ろした。


「……また敗北を喫するつもりか、バルド。一度あやつの小細工に、不覚を取ったことを忘れたわけではあるまい」


 父の刺すような言葉に、バルドは屈辱に顔を歪ませたが、すぐに自信に満ちた不遜な笑みを浮かべた。


「あれは戦ではございません。単なる油断です。三百という少数であったが故に、奴らの姑息な罠に足をすくわれたに過ぎません。ですが父上、今度は違います」


 バルドは立ち上がり、狂信的な光をその瞳に宿らせた。


「三千です。アークライト家の全兵力、三千の大軍勢。これほどの圧倒的な物量の前には、いかなる小細工も罠も意味を成しません。我々は森ごと、村ごと、奴らを力で完全に踏み潰すのです。それこそがアークライト家の戦い方ではありませんか!」


 その狂気すら感じさせる息子の言葉に、ガレンは満足げに頷いた。

 そうだ。力こそが全て。それこそがアークライト家の、絶対の真理だったはずだ。


「……よかろう。好きにせよ。しかし、二度目の失敗は許さんぞ」


 その言葉が引き金となった。


「全軍に通達! これより聖獣の郷への遠征を開始する! 目標は反逆者リオ・アークライトの首! 一人残らず準備にかかれ!」


 バルドの号令が城中に響き渡る。


 アークライト家が誇る王国最強と謳われた騎士団が、その全ての牙を辺境の小さな村へと向けて、今動き始めた。


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