第42話:村の特産品と、育まれる絆
アークライト侯爵領の不穏な知らせは、僕たちの心に小さな影を落とした。
けれど、僕たちの村の日常は、その力強い歩みを止めることはない。
むしろその知らせは、僕たちに自分たちの足元をより一層固めることの重要性を、再認識させた。
そんなある日、僕はミリアと共にグルドさんの工房を訪れていた。
工房の中は、カンカンと響く槌の音とむっとするような熱気、鉱石と油の混じった独特の匂いで満ちている。
けれど、今日に限っては、そのいつもの光景に少しだけ違う要素が加わっていた。
工房の一角で、ドワーフの長であるグルドさんと、兎獣人族の薬草師の長である老婆サラさんが、一つの小さな金属製の瓶を囲んで、何やら熱心に議論を交わしていたのだ。
「だから言っとるじゃろ! この合金の熱伝導率なら、もっと均一に保温できるはずなんじゃ!」
「いいや、グルドの旦那。問題はそこじゃない。薬草ってのは繊細なもんでね。ただ温めりゃいいってもんじゃないんだよ。この『ネムリ草』のエキスは、人肌より少し高いくらいの温度を保ってやらんと、一番大事な安眠効果が薄れちまうんだ」
一見すれば、頑固な職人と気難しい学者の口論だ。
しかし、その声色には相手を論破しようという敵意はなく、互いの専門知識への敬意と、より良いものを作り上げようという共通の熱意が感じられた。
僕とミリアがそばに寄ると、二人はようやく僕たちに気づいた。
「おお、リオ様。ちょうどいいところに来なすった」
「フン、小僧。てめえに見せてやろうと思ってたもんがあるんだ」
グルドさんはそう言うと、件の金属瓶を自慢げに掲げてみせた。
一見すると、ただの少し装飾が凝った水筒のようだ。
けれど、その表面にはドワーフのルーン文字がびっしりと刻まれ、側面には小さな魔導石が埋め込まれている。
「これは……?」
「見てな」
グルドさんはそう言うと瓶の蓋を開け、サラさんが用意した熱い薬草茶を中に注いだ。
蓋を閉めると、側面の魔導石に軽く指で触れる。
すると、魔導石が淡い光を放ち、瓶に刻まれたルーン文字が連鎖するように明滅した。
「こいつはワシらドワーフの金属加工技術と、嬢ちゃんたち兎獣人族の薬草学の知恵を組み合わせた、この村の新たな特産品、『自動保温ポーション瓶』の試作品だ」
「自動保温……ポーション瓶?」
ミリアが不思議そうに繰り返す。
「ああ。この瓶はな、中に注がれた液体の温度を、設定した範囲で長時間維持することができる。例えばこの薬草茶なら、サラの婆さんが言う『人肌より少し高い』温度を、半日以上保ち続けることが可能だ」
グルドさんの説明に、ミリアがはっと息をのんだ。
彼女は薬草師でもある。その発明がどれほど画期的なものか、誰よりも早く理解したのだ。
「そ、それってつまり……!」
「うむ。これさえあれば、冬の寒い日でも薬の効果を一切落とさずに、村の隅々まで温かい薬湯を届けることができる。病気の子供やお年寄りを、もう寒い思いをさせずに済むんじゃよ」
サラさんが、皺の刻まれた顔をほころばせて言った。
その言葉の意味を理解した瞬間、僕の胸にも熱いものがこみ上げてきた。
辺境の冬は厳しい。特に体の弱い者にとっては、薬の効果が最大限に発揮されるかどうかは、文字通り死活問題だ。
この小さな瓶は、ただの道具ではない。
それは、種族を超えた知恵と技術の結晶であり、何よりも、仲間を想う優しい心の結晶だった。
◇
数日後。
ついに『自動保温ポーション瓶』の完成品が、僕とミリアの前で披露された。
試作品よりもさらに洗練されたデザインは、機能美の極致と言えた。
ドワーフの力強さと、エルフの繊細さをどこか彷彿とさせる意匠が施されている。
グルドさんが熱いお茶を注ぎ、魔導石を起動させる。
僕たちは固唾を飲んでその様子を見守った。
一時間経っても、二時間経っても、瓶はほんのりと温かいままだった。
ミリアがおそるおそる瓶を受け取り、蓋を開けて中の香りを確かめる。
「……すごい。すごい、です! お茶の香りが、淹れたてのまま……!」
彼女は一口飲むと、その赤い瞳を驚きに見開いた。
「美味しい……! それに、ちゃんと温かいです! これなら、冬でも薬の効果を落とさずに村中に配れます! 風邪をひいたカカンやココンにも、すぐに温かい薬を届けてあげられる……!」
ミリアは瓶を胸に抱きしめ、まるで自分の子供のように愛おしそうに見つめた。
その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
彼女がどれだけ村の皆のことを想っているかが伝わってきて、僕の胸も熱くなった。
「やったな、グルドさん、サラさん」
「「うむ!」」
二人の老練な職人は、満足げに頷き合った。
その顔には、種族の違いなど微塵も感じさせない、確かな絆が刻まれていた。
この村の豊かさは、金や物だけではない。
こうして仲間たちが互いを尊重し、助け合い、新しいものを生み出していく、その過程そのものが、僕たちの何よりの財産なのだ。
僕は、この温かい光景を、この村の絆が生み出した奇跡の産物を、ただ誇らしく思った。
――しかし、この時の僕たちはまだ知らなかった。
この小さな瓶がもたらす光が強ければ強いほど、その光が届かぬ場所では、より深く、暗い影が生まれるということを。
その影が、僕たちの村に対する歪んだ嫉妬と憎悪を、さらに燃え上がらせる一因となることを、まだ誰も知る由はなかった。




