表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

42/79

第42話:村の特産品と、育まれる絆


 アークライト侯爵領の不穏な知らせは、僕たちの心に小さな影を落とした。

 けれど、僕たちの村の日常は、その力強い歩みを止めることはない。

 むしろその知らせは、僕たちに自分たちの足元をより一層固めることの重要性を、再認識させた。


 そんなある日、僕はミリアと共にグルドさんの工房を訪れていた。

 工房の中は、カンカンと響く槌の音とむっとするような熱気、鉱石と油の混じった独特の匂いで満ちている。


 けれど、今日に限っては、そのいつもの光景に少しだけ違う要素が加わっていた。

 工房の一角で、ドワーフの長であるグルドさんと、兎獣人族の薬草師の長である老婆サラさんが、一つの小さな金属製の瓶を囲んで、何やら熱心に議論を交わしていたのだ。


「だから言っとるじゃろ! この合金の熱伝導率なら、もっと均一に保温できるはずなんじゃ!」

「いいや、グルドの旦那。問題はそこじゃない。薬草ってのは繊細なもんでね。ただ温めりゃいいってもんじゃないんだよ。この『ネムリ草』のエキスは、人肌より少し高いくらいの温度を保ってやらんと、一番大事な安眠効果が薄れちまうんだ」


 一見すれば、頑固な職人と気難しい学者の口論だ。

 しかし、その声色には相手を論破しようという敵意はなく、互いの専門知識への敬意と、より良いものを作り上げようという共通の熱意が感じられた。


 僕とミリアがそばに寄ると、二人はようやく僕たちに気づいた。


「おお、リオ様。ちょうどいいところに来なすった」

「フン、小僧。てめえに見せてやろうと思ってたもんがあるんだ」


 グルドさんはそう言うと、件の金属瓶を自慢げに掲げてみせた。

 一見すると、ただの少し装飾が凝った水筒のようだ。

 けれど、その表面にはドワーフのルーン文字がびっしりと刻まれ、側面には小さな魔導石が埋め込まれている。


「これは……?」

「見てな」


 グルドさんはそう言うと瓶の蓋を開け、サラさんが用意した熱い薬草茶を中に注いだ。

 蓋を閉めると、側面の魔導石に軽く指で触れる。

 すると、魔導石が淡い光を放ち、瓶に刻まれたルーン文字が連鎖するように明滅した。


「こいつはワシらドワーフの金属加工技術と、嬢ちゃんたち兎獣人族の薬草学の知恵を組み合わせた、この村の新たな特産品、『自動保温ポーション瓶』の試作品だ」

「自動保温……ポーション瓶?」


 ミリアが不思議そうに繰り返す。


「ああ。この瓶はな、中に注がれた液体の温度を、設定した範囲で長時間維持することができる。例えばこの薬草茶なら、サラの婆さんが言う『人肌より少し高い』温度を、半日以上保ち続けることが可能だ」


 グルドさんの説明に、ミリアがはっと息をのんだ。

 彼女は薬草師でもある。その発明がどれほど画期的なものか、誰よりも早く理解したのだ。


「そ、それってつまり……!」

「うむ。これさえあれば、冬の寒い日でも薬の効果を一切落とさずに、村の隅々まで温かい薬湯を届けることができる。病気の子供やお年寄りを、もう寒い思いをさせずに済むんじゃよ」


 サラさんが、皺の刻まれた顔をほころばせて言った。


 その言葉の意味を理解した瞬間、僕の胸にも熱いものがこみ上げてきた。

 辺境の冬は厳しい。特に体の弱い者にとっては、薬の効果が最大限に発揮されるかどうかは、文字通り死活問題だ。


 この小さな瓶は、ただの道具ではない。

 それは、種族を超えた知恵と技術の結晶であり、何よりも、仲間を想う優しい心の結晶だった。


          ◇


 数日後。

 ついに『自動保温ポーション瓶』の完成品が、僕とミリアの前で披露された。


 試作品よりもさらに洗練されたデザインは、機能美の極致と言えた。

 ドワーフの力強さと、エルフの繊細さをどこか彷彿とさせる意匠が施されている。


 グルドさんが熱いお茶を注ぎ、魔導石を起動させる。

 僕たちは固唾を飲んでその様子を見守った。

 一時間経っても、二時間経っても、瓶はほんのりと温かいままだった。


 ミリアがおそるおそる瓶を受け取り、蓋を開けて中の香りを確かめる。


「……すごい。すごい、です! お茶の香りが、淹れたてのまま……!」


 彼女は一口飲むと、その赤い瞳を驚きに見開いた。


「美味しい……! それに、ちゃんと温かいです! これなら、冬でも薬の効果を落とさずに村中に配れます! 風邪をひいたカカンやココンにも、すぐに温かい薬を届けてあげられる……!」


 ミリアは瓶を胸に抱きしめ、まるで自分の子供のように愛おしそうに見つめた。

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 彼女がどれだけ村の皆のことを想っているかが伝わってきて、僕の胸も熱くなった。


「やったな、グルドさん、サラさん」

「「うむ!」」


 二人の老練な職人は、満足げに頷き合った。

 その顔には、種族の違いなど微塵も感じさせない、確かな絆が刻まれていた。


 この村の豊かさは、金や物だけではない。

 こうして仲間たちが互いを尊重し、助け合い、新しいものを生み出していく、その過程そのものが、僕たちの何よりの財産なのだ。


 僕は、この温かい光景を、この村の絆が生み出した奇跡の産物を、ただ誇らしく思った。


 ――しかし、この時の僕たちはまだ知らなかった。

 この小さな瓶がもたらす光が強ければ強いほど、その光が届かぬ場所では、より深く、暗い影が生まれるということを。


 その影が、僕たちの村に対する歪んだ嫉妬と憎悪を、さらに燃え上がらせる一因となることを、まだ誰も知る由はなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ