第39話:未来への種まき
ヴァイスと兄上が立て続けに丘を去っていった後、広場には一瞬の静寂が訪れた。
しかし、それも束の間だった。
「――やったぞ! 俺たちの勝ちだ!」
誰かのその一声を皮切りに、先ほどよりもさらに大きな歓声が爆発する。
それは、ただゴーレムを打ち破っただけの勝利ではない。
僕たちが、僕たちの誇りと尊厳を守り抜いた証だったからだ。
中断されていた収穫祭は再開された。
いや、再開というよりも、むしろここからが本当の始まりだった。
皆、先ほどまでの緊張と恐怖から解放され、心の底から笑い、飲み、語り合っている。
僕も仲間たちの輪の中心で、何度も何度も祝いの杯を受けた。
しかし、僕の頭の片隅では、先ほどの戦いが繰り返し再生されていた。
(……勝てた。けれど、それは多くの幸運が重なった結果だ)
僕の【土地鑑定】スキルがゴーレムの弱点を見抜けたこと。
ギムガーさんの神業的な技術があったこと。
ミリアの正確な魔法の腕前。
そして何よりも、村の皆が僕を信じて、命懸けで戦ってくれたこと。
その歯車が一つでも欠けていたら、僕たちは負けていたかもしれない。
そう思うと、背筋に冷たい汗が流れた。
ヴァイスのような悪意は、これからもきっと僕たちに向けられるだろう。
その度に、こんな綱渡りのような戦いを続けていくわけにはいかない。
力だけではない。僕たちの村には、もっと根本的な何かが必要だ。
未来を生き抜くための、確かな力が。
僕の視線の先で、カカンとココンが他の亜人の子供たちと一緒になってはしゃいでいる。
彼らは文字の読み書きも、簡単な計算も知らない。
彼らの親たちもそうだったからだ。日々の暮らしに追われ、学ぶ機会などなかったのだろう。
その光景を見た瞬間、僕の中で次にやるべきことが、はっきりと定まった。
◇
翌日、僕は村の主要メンバーを再び集会所に集めた。
ミリア、ギムガーさん、グルドさん、そして祭りのために村に滞在してくれていたセリナさんの四人だ。
僕の真剣な面持ちに、皆は何事かと固唾を飲んで僕の言葉を待っている。
「――皆に提案があります。僕たちの村に、『学校』を作りたい」
「……がっこう?」
ミリアが不思議そうな顔で、首を傾げる。
この世界では、教育は貴族や一部の富裕層だけの特権。平民や亜人にとっては、縁のない言葉だったからだ。
「ええ。子供たちが文字の読み書きや計算、この世界の歴史や地理を学べる場所です。種族も身分も関係なく、誰もが平等に学ぶことができる、そんな学び舎を」
僕は皆の顔を見渡して、続けた。
「昨日の戦いを通じて、僕は痛感しました。力だけでは、僕たちの未来は守れない。僕たちには知恵が、知識が必要です。自分たちの頭で考え、判断し、より良い未来を選択していく力。それこそが、どんな武器にも勝る、僕たちの希望になるはずです」
僕のその言葉に、集会所は静まり返った。
しかし、それは反対の静寂ではなかった。皆が僕の言葉の意味を、必死に理解しようとしてくれているのが分かった。
「……面白い。面白いじゃねえか、小僧」
沈黙を破ったのは、意外にもギムガーさんだった。
「ワシら職人は、腕が全てだ。だが、その腕をどう使うか、何のために使うか。それを決めるのは頭だ。……いいだろう。その『がっこう』とやらに、ワシも一枚噛ませてもらうぜ」
「素晴らしいご提案です、リオ様」
セリナさんも、その青い瞳を輝かせた。
「知識は力です。それは、商業の世界でも同じこと。読み書きや計算は、人を豊かにするための第一歩。私にできることがあれば、何でも協力させてください」
皆の温かい賛同の言葉に胸が熱くなった僕は、この計画の最も重要な人物に向き直った。
「――ミリア。君にお願いがあるんだ」
「……私に、ですか?」
「うん。この学校の、最初の先生になってほしい」
僕のその言葉に、ミリアは息をのんだ。
「そ、そんな……! 私なんて、とんでもないです! 確かに昔、父に少しだけ文字を習いましたけど……。人に教えるなんて、そんな大役……!」
「君しかいないんだ」
僕は彼女の手を、固く握った。
「君は誰よりも、子供たちのことを想っている。そして、誰よりもこの村の未来を真剣に考えている。君ならきっと、素晴らしい先生になれる。僕はそう信じているよ」
僕のまっすぐな視線に、ミリアの大きな瞳がみるみるうちに潤んでいく。
彼女はしばらく俯いて何かを考えていたが、やがて顔を上げると、涙を拭い決意の表情で頷いた。
「……分かりました。私でよければ……。いえ、私にやらせてください、リオさん! この村の子供たちの未来のために、全力で頑張ります!」
その力強い返事に、集会所は温かい拍手に包まれた。
計画は、すぐに実行に移された。
村の集会所だった一番大きな建物を、教室として改装する。
セリナさんは早速、ロックベルクの彼女の取引先を通じて、紙やインク、子供でも分かりやすい歴史や算術の教科書を手配してくれると約束してくれた。
ギムガーさんは宣言通り工房にこもり、子供たちの小さな体に合わせた机と椅子を作り始めてくれた。
その槌の音は武器を作る時とは違う、どこか優しく、楽しげな音色を奏でているようだった。
僕たちの村に、また一つ、新たな希望の種が蒔かれた。
それはまだ、小さな小さな種かもしれない。
しかし、この種がやがて芽を出し、大きな大樹となって僕たちの未来を力強く支えてくれるに違いない。
僕はそんな希望に胸を膨らませながら、仲間たちと共に新たな一歩を踏み出したのだった。




