第38話:敗者の弁
村中に、歓喜の声がこだましている。
皆が互いの健闘を称え合い、手を取り合って勝利の喜びを分かち合っていた。
その温かい光景を見下ろしながら、僕はゆっくりと丘の上へと歩を進めた。
そこには、二人の男が立ち尽くしている。
一人は、僕の兄上バルド。
もう一人は、この悲劇の仕掛け人、ヴァイス・フォン・ゲルハルトだ。
兄上は目の前で起こったことが信じられないといった顔で、ただ呆然と立ち尽くしている。
一方のヴァイスは、その完璧に整えられた顔を怒りと屈辱に醜く歪ませていた。
その紫色の瞳は、僕を殺さんばかりの憎悪の炎で燃え上がっている。
「……ご覧になりましたか、ヴァイス様」
僕は静かに、彼に語りかけた。
「これが、僕の村の力です。一人一人の力は弱いかもしれない。けれど僕たちは互いを信じ、それぞれの役割を果たし、力を合わせることで、あなたのような絶対的な力にも打ち勝つことができる。これこそが、僕が見つけたこの土地の本当の価値なんです」
僕の言葉は、彼の最後のプライドを粉々に打ち砕いたようだった。
「……黙れ、出来損ないがっ!」
ヴァイスはそれまでの冷静な仮面を完全にかなぐり捨て、獣のような憎悪を剥き出しにして叫んだ。
「貴様らのような、亜人どもと泥にまみれたクズどもが束になったところで、この私が認める価値などあるものか! これは何かの間違いだ! まぐれだ! そうだ、そうでなければおかしい!」
彼はもはや、論理的な思考を失っていた。
ただ己の敗北という事実を受け入れられず、子供のように喚き散らしているだけだ。
「……お見苦しいですよ、ヴァイス様。潔く負けを、お認めになったらいかがですか」
「黙れ、黙れ、黙れぇっ! 覚えていろ、リオ・アークライト! この屈辱、必ず十倍にして返してやる! 次こそは貴様も、その忌まわしい村も、跡形もなく消し去ってくれるわ!」
彼はそう吐き捨てると騎士たちに撤収を命じ、嵐のように去っていく。
その去り際まで、実に見苦しい敗者の姿だった。
後に残されたのは、僕と、未だ呆然と立ち尽くしている兄上だけだった。
気まずい沈黙が流れる。
先に口を開いたのは、兄上の方だった。
「……リオ」
その声はいつものような傲慢な響きではなく、どこかか細く、震えているようだった。
「……お前は一体、何をしたんだ……? あの軍事用のゴーレムを、なぜあんな……。それに、あの亜人どもはなぜ、お前のために命を懸ける……?」
彼の問いに、僕は静かに答えた。
「僕は何も、特別なことはしていませんよ、兄上。ただ、彼らを信じただけです。彼らの力を、彼らの心を。そして彼らもまた、僕を信じてくれた。ただ、それだけのことです」
「……信じる、だと……?」
兄上は、その言葉をまるで初めて聞く外国語のように繰り返した。
彼の生きてきた世界には、存在しない概念だったのだろう。
力こそが全てで、他者は支配するか、されるかだけの存在。それが、アークライト家の教えだったから。
僕はそんな兄上を、少しだけ可哀想に思った。
彼はきっと、今まで誰のことも心から信じたことがないのだろう。
そして、誰からも心から信じられたこともないのだろう。
「……兄上。僕はあなたと、争うつもりはありません。僕はただこの場所で、僕の大切な仲間たちと静かに暮らしていきたいだけなんです」
僕のその偽らざる言葉に、兄上ははっとしたように顔を上げる。
彼は僕の目をじっと見つめた後、何かを振り切るように大きく息を吐き出した。
「……見事だった」
それは僕が生まれて初めて、兄上から聞いた称賛の言葉だった。
「……お前のやり方は、俺には理解できん。だが……お前がここで築き上げたものが本物であるということは、認めよう。……悪かったな、リオ。俺は、お前のことを見くびっていたようだ」
それは不器用で、ぎこちない謝罪の言葉だった。
しかし僕には、その言葉が兄上の心からの本心であることが、痛いほど伝わってきた。
「……兄上……」
「今日のこのことは、俺が責任を持って父上と国王陛下にありのまま報告する。ヴァイスの卑劣なやり口も、お前がそれを見事に退けたということもな。お前たちのその特区の地位が、安泰なものになるよう、俺も力を尽くそう」
兄上はそれだけ言うと、僕に背を向けた。
その背中は来た時よりも少しだけ小さく、どこか晴れやかに見えた。
「……達者でな、リオ」
最後にぽつりとそう呟くと、兄上は一人静かに丘を下りていった。
僕はその後ろ姿が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。
僕たちの長くて冷たい冬の時代は、ようやく終わりを告げようとしていた。
雪解けはまだ始まったばかりだ。けれど、僕の心には確かな春の兆しが感じられた。