第31話:証拠を掴め
ダミアンへの燃えるような怒りを胸に、僕はその足でロックベルクへと向かった。
もちろん目的は、僕の唯一のビジネスパートナーであるセリナさんに会うためだ。
リコリス商会の小さな店。僕が先日手に入れた、バルト商会の紋章が刻まれた荷馬車の残骸と、魔物誘導薬の痕跡が残る飼料のサンプルをテーブルに並べると、セリナさんはその理知的な青い瞳を、悲しげに細く眇めた。
「……ここまでやりますか、あの男は……」
彼女の声は静かだったが、その奥に氷のような怒りがこもっているのが、僕には分かった。
「ただの商売上の嫌がらせではありません。これは人の命を、なんとも思わない悪魔の所業です。絶対に許すことはできません」
「ええ、僕も同感です。だから僕は、彼を法の下に、裁きを受けさせたい。そのためには彼が直接、この事件に関与したという動かぬ証拠が必要です。この残骸だけではまだ、言い逃れをされてしまうかもしれない」
「……そうですね。きっと『部下が勝手にやったことだ』と、トカゲの尻尾切りのように切り捨ててくるでしょう」
セリナさんは悔しそうに唇を噛んだ。
しかしすぐに、商人の顔に戻ると僕の目を、まっすぐに見つめた。
「分かりました、リオ様。この件、私にも協力させてください。私にも商人としての、意地と誇りがあります。あのような男がギルドの名を汚すのを、これ以上見過ごすわけにはいきません」
「ありがとう、セリナさん。心強いよ」
「私の方こそ。あなたのような方と共に戦えることを、誇りに思います」
僕とセリナさんの間には、単なるビジネスパートナーとしてではない、共通の敵と戦う『戦友』としての固い絆が、確かに生まれていた。
「私にはささやかですが、この町での情報網があります。バルト商会に不満を持つ、他の小さな商会の仲間たちや不当に解雇された、元従業員たちとの繋がりが」
「何か掴めそうですか?」
「はい。バルト商会の最近の、不審な動きについていくつか、探ってみます。少しだけお時間をいただけますか?」
僕は彼女の言葉に、力強く頷いた。
◇
それから三日後。
セリナさんからもたらされた情報は僕たちの予想を、遥かに超えるものだった。
「……やはり裏で、動いていました。ダミアンは最近、裏社会で『獣使い』として知られる、素性の知れない男と頻繁に接触していたようです」
「獣使い……」
「はい。特殊な薬や笛の音を使って、魔物を意のままに操る外道の魔術師です。おそらくロックリザードを誘導したのも、その男の仕業でしょう」
セリナさんの情報はそれだけではなかった。
「さらにダミアンの側近の一人が、最近ロックベルクの街の外れで、その獣使いと密会しているという目撃情報も、複数寄せられています」
これで役者は、揃った。
ダミアン、その側近、獣使い。この三本の線が一つに繋がった時、僕たちはダミアンの首に、縄をかけることができる。
「……セリナさん。ありがとう。おかげで完璧な作戦が、立てられそうです」
僕はセリナさんが用意してくれた地図の上に、駒を並べるように指を置いていく。
「……おとり作戦、ですか?」
僕の計画を聞いたセリナさんが息をのんだ。
「ええ。ダミアンがもう一度、僕たちの街道を襲わざるを得ないような、そんな魅力的な『餌』を、用意するんです」
◇
作戦の準備は秘密裏に、かつ迅速に進められた。
まず僕たちは、セリナさんの情報網を通じてロックベルクの街に、ある噂を流した。
『聖獣特区とロックベルクを結ぶ街道が、ついに完成したらしい』
『完成を祝い、近々特区から、王家へ献上される最高級の産品を積んだ、第一号の荷馬車が通るそうだ』
『その荷馬車には聖獣の郷でしか採れない、不老不死の薬草やギムガー様が打った、ミスリル製の武具が積まれているとか……』
噂は尾ひれがついて、あっという間に街中に広まっていった。
もちろんその噂は、ダミアンの耳にも届いているはずだ。
作戦決行の前夜。僕は自警団の若者たちと、ミリア、この作戦のために特別に協力を仰いだギムガーさんと共に街道の、とある地点に身を潜めていた。
「……本当に、来るのかね、そんな、間抜けな獲物が」
ギムガーさんが退屈そうに、そう呟いた。
「ええ、必ず来ますよ。ダミアンのような強欲な人間は、目の前にこれ以上ないほどの『ご馳走』をぶら下げられれば、それが罠かもしれないと微塵も疑うことはありませんから」
僕たちが待ち伏せしているのは街道の中でも、特に見通しの悪い、切り立った崖に囲まれた場所だ。ここなら、獲物を袋のネズミにできる。
やがて月が、空高く昇り、辺りが不気味な静寂に包まれた頃。それは現れた。
二つの人影。一人はフードを目深に被った、痩せた男。おそらくあれが、噂の『獣使い』だろう。
もう一人は、見覚えのある顔だった。ダミアンの腹心の部下の一人だ。
「……おい、本当にここを通るんだろうな? 話が違うじゃねえか」
「間違いありません。今頃ちょうど、この辺りを通過するはずです。そうしたら、例の奴らを呼び出し荷馬車ごと、谷底へ突き落としてください。報酬はその後、きっちりお支払いします、と。ダミアン様からです」
腹心の男が獣使いに、小さな革袋を手渡す。中には金貨が、ぎっしりと詰まっているようだった。
ほどなく、腹心の男は懐から一枚の羊皮紙を取り出す。
「これがダミアン様からの、正式な指示書です。万が一の時のために、お渡ししておきます」
……かかった。
僕は静かに、合図を送った。
「なっ……!?」
次の瞬間、男たちの周りを音もなく、僕の仲間たちが完全に取り囲んでいた。
ミリアの俊敏な動き。自警団の若者たちの連携の取れた包囲網。そして背後には、巨大な岩のようにギムガーさんが、そびえ立っている。
「ひ、ひいいっ! な、なんだ、てめえら!」
腹心の男は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
獣使いの男も何か術を使おうとしたようだが、その前にギムガーさんの、岩のような拳がその鳩尾に、めり込んでいた。
「……さて、ダミアン様からの大事な『指示書』。少し拝見させてもらいましょうか」
僕は男の手から、羊皮紙をひったくるように、取り上げた。
そこにはダミアンの、特徴的な署名と共に今回の襲撃計画の全てが、詳細に記されていた。
それはもはや、いかなる言い訳も通用しない完璧な、そして動かぬ証拠だった。
「……チェックメイト、ですね。ダミアンさん」
僕は夜空に浮かぶ、二つの月を見上げながら静かに、そう呟いた。反撃の準備は全て、整った。