第30話:陰謀の匂い
その日の夜、僕は村の集会所に、ミリアとギムガーさん、そしてグルドさんを始めとする村の主だった者たちを集めていた。
昼間の戦闘の興奮はもう、どこにもない。そこにあるのは静かで、けれど重い怒りの空気だった。
「――以上が僕が【土地鑑定】で調べた結果です。あのロックリザードは自然発生したものではない。何者かが魔物誘導薬を混ぜた餌を使い、意図的に僕たちの街道建設現場までおびき寄せてきた、と考えるのが最も自然です」
僕の報告にその場にいた全員が、息をのんだ。
ミリアは悔しそうに唇を噛み締め、グルドさんはその銀色の髭を、わなわなと震わせている。
「……やりやがったな、あのクソ商人め……」
ギムガーさんが地を這うような、低い声で呟いた。
彼の脳裏に浮かんでいるのは僕と同じ、あの脂ぎった傲慢な男の顔だろう。
「ダミアン・バルト……。奴が一番怪しい。だが今のところ、まだ奴がやったという決定的な証拠はありません」
「証拠なんぞ、いるもんか! あんな人の道を外れた真似をする奴は、このワシが自慢の槌で、脳天から叩き潰してくれるわ!」
激昂するギムガーさんを僕は、静かに手で制した。
「気持ちは分かります。僕だって同じ気持ちだ。でもギムガーさん。僕たちはもう、ただの開拓民じゃない。王家に認められた聖獣特区の民です。感情に任せて、商業ギルドの人間を叩きのめせば僕たちの方が、悪者にされてしまう。そうなればダミアンの思う壺だ」
「……ぐっ……。だがこのまま、やられっぱなしでいろと、言うのか」
「いいえ。やられたらやり返す。それも相手が二度と立ち上がれないくらい、徹底的に合法的に、叩き潰すんです」
僕のその言葉に、ギムガーさんははっとしたように、目を見開いた。
僕の瞳の奥に彼と同じ、冷たい怒りの炎が燃えているのを、見て取ったのだろう。
「そのためにはまず、動かぬ証拠が必要です。誰にも言い逃れをさせない、完璧な証拠を」
僕は地図を広げ、ロックリザードが現れた地点を指し示した。
「明日、僕はもう一度この場所を調査します。魔物が、どこからやって来たのか。その足跡を辿ればきっと、何かが見つかるはずです」
「リオさん、私も行きます!」
ミリアが即座に名乗りを上げた。
彼女の兎獣人としての優れた五感と追跡能力は、こういう時には何よりも頼りになる。
「ああ、頼むよ、ミリア。君の力が必要だ」
こうして僕とミリア、それから護衛として自警団の若者数名からなる、小さな調査隊が結成された。
◇
翌朝僕たちは、まだ薄暗い中、村を出発した。
ロックリザードが現れた街道の建設現場。そこは昨日の戦闘の痕跡が、まだ生々しく残っていた。
「……ひどい匂いですね。血と魔物の匂いに混じって……何か家畜の餌のような、甘ったるい匂いがします」
ミリアが鼻をくんくんとさせながら、顔をしかめた。
彼女の優れた嗅覚は僕の【土地鑑定】が見つけ出した、微量の飼料の匂いを正確に捉えているようだった。
「この匂いを辿っていけるかい?」
「はい、任せてください!」
ミリアはまるで猟犬のように、地面の匂いを嗅ぎながら迷いのない足取りで、街道から外れた荒れ地の中へと入っていく。僕たちもその後を、慎重に追った。
道なき道を進むこと、一時間ほど。僕の【土地鑑定】にも明確な反応が現れ始めた。
『土壌情報:ロックリザードの足跡を多数確認。進行方向は北西。土壌に魔物誘導薬の成分が、広範囲に渡って残留』
間違いない。
魔物の群れはこのルートを通って、僕たちの元へやってきたんだ。
「……リオさん、見てください。あそこに轍の跡が……」
ミリアが地面の、かすかな窪みを指差した。
それは荷馬車が通った後、無理やり土や草で隠そうとしたような、不自然な跡だった。
「巧妙に隠したつもりだろうけど、僕の目はごまかせない」
僕はその轍の跡に、意識を集中させる。
するとその道が、どこへ続いているのかが僕の頭の中に、一本の光の線となって描き出された。
「……こっちだ。行こう」
僕たちはその光の線を頼りに、さらに荒野の奥深くへと、足を踏み入れていった。
やがて僕たちの目の前に、切り立った崖に囲まれた小さな谷間が現れた。
「この奥です……。匂いがここから、一番強くします」
ミリアの言葉に僕たちは、ゴクリと喉を鳴らす。
この先に僕たちが求める『答え』がある。だが同時に、危険な罠が待ち構えている可能性も、十分に考えられた。
僕たちは武器を構え、慎重に谷間の中へと、一歩足を踏み入れた。
そして僕たちは、それを見つけた。
「……これは……」
谷間の最奥。
そこに無残に破壊された、一台の荷馬車が打ち捨てられていたのだ。
車輪は砕け、荷台は見るも無惨に、ひっくり返っている。まるで巨大な力で、無理やり破壊されたかのようだった。
「おそらく魔物を誘導し終えた後、証拠を隠滅するために自分たちで、壊していったんでしょう。ですが……詰めが甘かったようですね」
僕は荷馬車の残骸に近づき、その側面にはっきりと刻まれている『紋章』を、指でなぞった。
それは天秤と、金貨を組み合わせた見間違いようのない、あの男の商会の紋章。
「……バルト商会……」
ミリアが悔しそうに、その名を呟いた。
荷馬車の周りには空になった、飼料の袋がいくつも散らばっている。
そのうちの一つを拾い上げ、【土地鑑定】を使うと昨日と同じ、『魔物誘導薬』の成分がはっきりと検出された。
これで決まりだ。
動かぬ証拠。あのダミアン・バルトが僕たちの街道建設を妨害し、あわよくば僕たちの命さえも奪おうとしていた、何よりの証拠だ。
僕の心の中に静かで、底なしに冷たい怒りが、込み上げてくるのを感じた。
これまではただの、商売上の対立だと思っていた。
だが違う。これは戦争だ。
僕たちの村の存亡をかけた、戦いだ。
「……絶対に、許さない」
僕の口から自分でも、驚くほど低い声が漏れた。
「ダミアン・バルト……。あなたは手を出してはいけない相手に、手を出してしまった。そのことを骨の髄まで、後悔させてやる」
僕はバルト商会の紋章が刻まれた残骸を、強く、強く握りしめた。