第3話:最初の一歩は水探しから
僕の国づくりの最初の目標は、生命線である『水』の確保だ。
幸いこの土地には巨大な地下水脈が眠っている。問題はそれをどうやって掘り当てるかだ。
「さてと。まずは一番効率のいい場所を探さないと」
僕は再び【土地鑑定】を発動させ、脳内の地図を詳細に分析する。
ただ闇雲に掘っても体力を消耗するだけだ。最も効率よく、安全に水を得られる場所を見つけ出す必要がある。
「……よし、ここだ」
数時間に及ぶ分析の末、僕は一つのポイントに狙いを定めた。
そこは、いくつかの小さな水脈が合流する地点で、地表から最も浅い場所ではわずか五メートルほどで水脈に到達できる。
地層も硬い岩盤ではなく比較的柔らかい粘土質の層が続いているため、僕が持つ貧弱なシャベル一本でもなんとかなりそうだった。
「水質も……うん、やっぱり素晴らしい。瘴気の汚染は全くなくてミネラルも豊富。これ以上の場所はないな」
場所が決まればあとは行動あるのみだ。
僕は父から押し付けられた……もとい与えられた粗末なシャベルを手に取った。貴族として生まれこれまで土木作業など一度もしたことがない。
しかし、不思議と戸惑いはなかった。
幼い頃からスキルを通して大地の構造を『視て』きた僕にとって、地面を掘るという行為はごく自然なことに感じられたのだ。
「よっ、と……!」
地面に印をつけるとシャベルの先にぐっと力を込める。
ザクリと乾いた土が削れる感触が手のひらに伝わってきた。記念すべき第一歩だ。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
初めこそ順調に掘り進められたものの、すぐに体力の限界が訪れた。
「はぁ……っ、はぁ……! きつい……!」
普段使わない筋肉が悲鳴を上げ、豆が潰れた手のひらはジンジンと熱を持っている。全身から吹き出す汗は乾いた土に吸い込まれていった。
アークライト家では魔法の訓練も剣術の稽古も僕にはほとんどさせてもらえなかった。
兄たちに比べて魔力も身体能力も劣っていたからだ。今そのツケが回ってきているのを痛いほど実感する。
日が暮れる頃には掘り進められたのは、わずか一メートルほど。
深さもさることながら、直径二メートルほどの穴を掘るのは想像を絶する重労働だった。
その夜は岩陰で火を焚き、持参した干し肉をかじりながら満身創痍の体を休めた。
空を見上げれば二つの月、セレネとヘカテが煌々と僕を照らしている。王都で見る月よりもずっと大きく、近く感じられた。
「……孤独か。でも絶望はしていない。自分の力で何かを成し遂げようとしている。今、僕は確かに生きてる」
自分に言い聞かせるように呟き、僕は固い地面の上で浅い眠りについた。
翌日もまたその次の日も、僕はひたすら穴を掘り続けた。
筋肉痛はさらにひどくなり、手のひらの豆は潰れては固まりまた潰れるのを繰り返した。
食事は最低限の干し肉と、その辺に生えている食用植物を鑑定して口にするだけ。日に日に体力は削られていく。
それでも僕はシャベルを振るうのをやめなかった。
穴が深くなるにつれて土の色が変わり、湿り気を帯びてくるのがわかった。鑑定するまでもなく水脈が近い証拠だ。
「もう少しだ……! あと、少し……!」
その小さな変化だけが僕の唯一の希望だった。
そして――作業を始めてから五日目の昼過ぎ。
ついにその瞬間は訪れた。
ザクリとシャベルを突き立てた瞬間、いつもとは違うぐにゃりとした手応えがあった。
粘土質の層を突き破ったのだ。
次の瞬間、シャベルの先端からじわりと水が滲み出してきた。
「……っ! きた!」
僕は息をのんだ。
滲み出した水はあっという間にその範囲を広げ、やがて穴の底からコポコポと音を立てて湧き出し始めた。最初は泥水だったものが、次第にその透明度を増していく。
僕は夢中で穴から這い上がり、目の前で起きている光景をただ呆然と見つめていた。
僕が掘った穴はみるみるうちに清らかな水で満たされていき、やがて小さな泉となったのだ。太陽の光を浴びて水面がキラキラと輝いている。
僕はおそるおそるその泉に近づくと両手で水をすくった。
ひんやりとした感触が火照った体に心地よい。ゆっくりとその水を口に含む。
「……美味しい……」
体に染み渡るような優しくて清らかな味。
今まで飲んだどんな高級なワインよりも、どんな甘い蜜よりも、それは僕の心を潤してくれた。
その瞬間、僕の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
安堵、達成感、そして喜び。
様々な感情がごちゃ混ぜになって溢れ出してきたのだ。
「やった……やったぞ……!」
追放されてから初めて流す涙だった。それは決して悲しみの涙ではなかった。
僕は自分の力でこの不毛の大地に最初の命を灯したのだ。
この小さな泉は僕の国づくりの輝かしい第一歩の証だった。
しばらくその場で感動に浸っていた僕だったが、ふと泉のほとりにあるものを見つけて我に返った。
「……これは?」
それは、まだ新しい巨大な獣の血痕だった。
点々と続く血痕の周りの土壌を、僕はとっさに鑑定する。
――検出:『ワイバーンの神経毒』。極めて強力。成体でも数時間で死に至る。
脳内に表示された鑑定結果に背筋が凍るのを感じた。
「ワイバーンの毒……!? この近くに毒に侵された巨大な獣がいる。それにワイバーンも……」
せっかく手に入れた安息の地は、どうやらまだ本当の牙を隠しているようだった。