第26話:商業ギルドの影
ギムガーさんが僕たちの仲間になってから、数週間が過ぎた。
聖獣の郷は目に見えて活気づいていた。その中心にいるのはもちろんギムガーさんだ。
「おい、そこの兎人族の姉ちゃん! 鋤の角度が甘いわ! そんなんじゃ土の力が半減するだろうが!」
「ひゃ、ひゃい!」
「そっちのドワーフの若造! 槌の振り方がなってない! 腰を入れろ、腰を!」
「も、申し訳ありません、親方!」
僕が【土地鑑定】で見つけたあの巨大な天然の洞窟。
そこは今、グルドさんの一族も総出で手伝い急ピッチで『大工房』へと姿を変えつつあった。ギムガーさんはその建設現場を、まさに鬼のような形相で監督している。
口は悪いし、要求する仕事のレベルもとてつもなく高い。
だが彼の指導を受けた者たちの顔は、不思議と晴れやかだった。
彼の言葉には一切の私情がなく、ただより良いものを作りたいという、職人としての純粋な情熱しかないことを皆が理解しているからだ。
そして彼は口先だけではなかった。
建設作業の合間を縫っては、既存の小さな工房で村の農具や武器を、次々と打ち直してくれていたのだ。
「す、すごい……。リオさん、これを見てください! 今までの半分の力で倍も深く耕せます!」
ミリアが目を輝かせながら、ギムガーさん作の新しい鋤を手に僕の元へ駆け寄ってくる。
彼が打ち直した鋤は刃の角度や重さのバランスが絶妙で、使う者の負担を極限まで減らしつつ最高の性能を発揮できるように設計されていた。
農具だけではない。村の自警団が使う剣や槍も彼の手に掛かれば、見違えるような逸品に生まれ変わった。
切れ味、耐久性、すべてが以前とは比べ物にならない。
「これで村の食料生産量も、防衛力も飛躍的に上がるはずです」
ミリアの言葉に僕は力強く頷いた。
ギムガーさんという仲間を得たことは僕たちの村にとって、まさに百万の兵を得たに等しい。
彼の存在は聖獣特区の未来を照らす、大きな希望の光だった。
だが光が強くなれば、その影もまた濃くなる。僕たちがその単純な真理に気づくのに、そう時間はかからなかった。
その男が聖獣の郷にやってきたのは、そんなある日の昼下がりのことだった。
村の入り口がにわかに騒がしくなる。
何事かと見に行くと、そこには僕たちの村には、あまりにも不釣り合いな豪奢な一行がいた。
先頭に立つのは見るからに高価な、紫色の絹の服をまとった肥満体型の男。
その指にはこれみよがしに、いくつもの宝石が輝く指輪がはめられている。脂ぎった顔には常に他人を見下しているような、傲慢な笑みが張り付いていた。
彼の後ろには揃いの革鎧を身につけた、屈強な傭兵たちが十数名も控えている。
その誰もが歴戦の傭兵らしい、荒んだ目をしていた。
「――ここが、噂の聖獣特区か。ふん、思ったよりもしけた場所だな」
男は僕たちの村を見渡すと、侮蔑を隠そうともせずにそう吐き捨てた。
「あなたが、ここの領主代行、リオ・アークライト殿ですかな?」
僕の姿を認めると、男は値踏みするようなねっとりとした視線を、僕の頭のてっぺんから足の爪先まで這わせた。
「いかにも僕がリオです。失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「これは、ご丁寧にどうも。私は商業ギルドに籍を置く、バルト商会の当主、ダミアンと申します。以後お見知りおきを」
ダミアンと名乗った男は口先だけの丁寧さで、そう言った。商業ギルド……。
この辺りの商業を牛耳っているという、あの組織か。
「して、ダミアン殿。僕たちの村に何か御用でしょうか?」
「もちろん、ビジネスのお話ですよ、リオ殿。あなたのこの村には素晴らしい『商品』が眠っていると、もっぱらの噂でしてねえ」
彼はそう言うと、僕の返事も待たずにずかずかと村の中へと入ってきた。
そしてミリアが管理している畑を見るなり、目を細めた。
「ほう……これは見事な野菜だ。王都の貴族様が好むのも頷ける。それに、あちらの温泉から採れるという湯の花も美容に良いと、ご婦人方に人気だとか」
彼の目は畑の野菜を、作物としてではなく金貨として見ている。
その卑しい視線に僕は、強い不快感を覚えた。
一通り村を見て回った後、ダミアンは満足げに頷いた。
「いや、素晴らしい。この村は金のなる木だ。そこでご提案なのだがね、リオ殿。この村で採れる産品、その全てを我がバルト商会が、独占的に買い取らせてはいただけないだろうか?」
「……独占、ですか?」
「いかにも。あなた方も販路がなくては、宝の持ち腐れでしょう? 我々が責任を持って、あなた方の産品を王国中に流通させてやろうという、ありがたいお話ですよ」
彼は恩着せがましく、そう言った。
だが僕は、彼の言葉の裏にある本当の狙いを見抜いていた。
「ちなみにその際の、買い取り価格は?」
「市場価格の三割、といったところかな」
その言葉に隣にいたミリアが、息をのんだ。
市場価格の三割。それは奴隷契約と何ら変わらない、暴利にもほどがあるふざけた数字だった。
「……ダミアン殿。それはいくらなんでも、あんまりじゃないでしょうか」
「あんまり? 何を言っているのかね。あなた方のような辺境の田舎者に、販路と安定した収入を与えてやろうというのだ。感謝こそされど、文句を言われる筋合いはない。それとも何か? 王家に認められたからといって少し、調子に乗っておられるのかな?」
ダミアンの目がすう、と細められる。その瞳の奥に脅迫の色が浮かんだ。
僕は静かに息を吸い込んだ。怒りで頭に血が上りそうになるのを、必死でこらえる。
こいつは、ギムガーさんを裏切った、あの領主と同じ種類の人間だ。力ずくで他人から全てを奪おうとする、強欲なだけの卑しい人間だ。
だが今の僕は、もうただ搾取されるだけの、無力な少年ではない。
僕には守るべき仲間と、領主としての誇りがある。
「――お断りします」
僕はきっぱりと、そう言った。
「……なんだと?」
「あなたのそのご提案は到底、受け入れられません。僕たちは僕たちの作ったものを、不当に安く買い叩かれるつもりは一切ありませんので」
僕の予想外の返答に、ダミアンの顔がみるみるうちに怒りで赤く染まっていく。
「……貴様、この私を誰だか分かっているのか! 商業ギルドに逆らうということが、どういうことか……!」
「あなたが誰であろうと関係ありません。ここは聖獣特区です。僕たちのやり方は僕たちが決めます。お引き取りください、ダミアン殿。あなたのような方とお話しすることなど、もう何もありません」
僕が冷たくそう言い放つと、ダミアンはわなわなと、屈辱に震えた。
「……いいだろう。覚えておれよ、クソガキが……。王家に認められたからといい気になるな。お前は必ず、今日のことを後悔することになる……!」
ダミアンはそう捨て台詞を残すと、護衛の傭兵たちを従え荒々しい足取りで去っていった。
彼の後ろ姿を見送りながら僕は、新たな戦いの始まりを予感していた。
それは剣や魔法による戦いではない。金と、権力と、そして人間の底知れない欲望との戦いだ。