第24話:信頼への道は、胃袋から
聖獣の郷に戻った僕はすぐにグルドさんを訪ね、例の鍛冶師……ギムガーとのやり取りを報告した。
「――というわけで、まともに話も聞いてもらえませんでした」
「ふん、いかにもドワーフらしい頑固者よ。特に人間嫌いの奴なら、なおさらだろうな」
グルドさんは僕の話を聞くと、長い髭を扱きながら唸った。
彼の反応は意外にも悪くない。むしろどこか面白がっているようにさえ見えた。
「ですが、どうすれば……。あれほど頑なだと交渉の席に着いてもらうことすら難しいです」
僕が弱音を吐くとグルドさんはニヤリと笑った。
「小僧、お主は一つ勘違いをしておる。ドワーフという種族はな、確かに頑固で一度決めたことはなかなか曲げん。だが同時に、正直な仕事と心のこもったもてなしには、種族を問わず敬意を払う生き物なのだ」
「正直な仕事と、もてなし……」
「うむ。奴がお主の持っていった鉱石に目を見開いたのだろう? それはお主がその価値を正しく理解していたからだ。そしてお主が置いてきたという酒と食い物。もし奴がそれを口にしたのなら、話は変わってくるやもしれんぞ」
グルドさんの言葉に僕はハッとした。
そうだ、僕はまだ諦める必要はない。ギムガーの心の壁を壊す方法はきっとあるはずだ。
「ドワーフは、どんな料理が好きなんでしょうか?」
「決まっておる。腹にガツンとたまる心のこもった煮込み料理と、それに合う強い酒だ。見栄えだけの気取った料理なんぞ反吐が出るわ」
グルドさんのアドバイスは僕の心に、新たな作戦の火を灯した。料理なら僕にもできる。サバイバル生活で培った僕の料理スキルがここで活きるときかもしれない。
僕はその足で村の厨房へと向かった。
「ミリア、手伝ってくれるかい? 最高の煮込み料理を作るんだ」
僕の頼みにミリアは「はい、リオさん!」と元気よく頷いてくれた。
僕が選んだ食材は村で採れたものばかりだ。
まずは先日仕留めたばかりの猪の、骨つきのすね肉。これを村特産のハーブと岩塩で丁寧に下処理する。
野菜は畑で採れたばかりの、甘みの強い人参と玉ねぎ、そしてほっくりとした食感の芋を、大きく乱切りにした。
そして味の決め手となるのが、水だ。
僕はハクの力で浄化された、聖獣の郷の湧き水を使った。
この水はただ清らかなだけじゃない。食材の旨味を最大限に引き出してくれる不思議な力があるのだ。
大鍋に猪のすね肉と野菜を放り込み、たっぷりの湧き水と隠し味にドワーフたちが好むという黒ビールを少し加えて、あとはひたすら弱火で煮込んでいく。ことこと、ことこと……。
厨房に食欲をそそる、たまらなく良い匂いが立ち込めてきた。
――半日ほど煮込んだだろうか。
肉は骨からほろりと外れるほど柔らかくなり、野菜は形を保ちながらも旨味をたっぷりと吸い込んでいる。仕上げに村で作った濃厚な味噌を少しだけ溶かし、味に深みを加えた。
「すごい……。なんて美味しそうなんでしょう……」
ミリアが鍋を覗き込みながら、ゴクリと喉を鳴らす。僕自身もその出来栄えに満足していた。
これならきっと、あの頑固な鍛冶師の心も少しは溶かせるはずだ。
僕は出来上がった特製のシチューを、保温機能のある魔法の壺に入れ、前回と同じように村の果実酒と、今度は焼きたての黒パンも一緒に大きな背負い袋に詰めた。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「はい、リオさん! お気をつけて!」
ミリアに見送られ、僕は再び一人で北の山を目指した。
◇
ギムガーの工房の前に着いた僕は深呼吸を一つして、声をかけた。
「ごめんください! 先日、お伺いしたリオです!」
しばらくすると洞窟の奥から、ギムガーが忌々しげな顔で出てきた。その手には前回僕が置いていった、空になった酒樽が握られている。
「……また来たのか、人間の小僧。懲りない奴め。何の用だ」
彼の声は相変わらず不機嫌だったが、前回のような有無を言わせぬ敵意は少しだけ薄れているように感じられた。
「前回のお礼とご挨拶に。それと僕の作った料理を、ぜひ一度味わってみてほしくて」
僕は背負っていた袋から、まだ湯気の立つシチューの入った壺と黒パンを取り出した。
途端に肉と野菜の旨味が凝縮された、芳醇な香りがあたりにふわりと広がる。
ギムガーの鼻がぴくりと動いた。彼の喉がゴクリと鳴るのを、僕は見逃さなかった。
「……ふん。そんなものでワシが釣られるとでも思ったか。馬鹿にするな」
彼はそう吐き捨てながらも、その視線は僕が差し出した壺に釘付けになっている。
「もちろん、ただでとは言いません。物々交換です。この料理と引き換えに、少しだけお話を聞かせてはもらえませんか?」
「……話だと?」
「はい。あなたのこと、そしてあなたのその素晴らしい技術のこと。僕はただ、それが知りたいんです」
僕の真剣な眼差しに、ギムガーはしばらく何かを値踏みするように黙り込んでいた。
やがて彼は大きなため息をつくと、僕の手からひったくるようにシチューの壺を受け取った。
「……五分だけだ。それ以上は付き合わん」
彼はぶっきらぼうにそう言うと、工房の中へと戻っていく。その背中が僕に入ってこいと、そう言っているように見えた。
僕は心の中でガッツポーズをしながら、彼の後に続いた。
工房の中はむっとするような熱気と、鉄の匂いで満ちていた。
壁にはありとあらゆる種類の槌やタガネが、整然と並べられている。そのどれもが長年使い込まれ、彼の体の一部となっていることが分かった。
ギムガーは無言でシチューを器によそい、黒パンをちぎって無骨な手つきで口に運んだ。
そして次の瞬間、彼の動きがぴたりと止まった。
「……なんだ、これは……」
彼の目が驚きに見開かれている。
「肉は骨の髄まで味が染み込んでいるのに、少しも煮崩れていない。野菜もそれぞれの味がしっかり残っている。そしてこのスープの深いコク……。ただの田舎料理ではないな。小僧、お前何者だ?」
「僕はリオ・アークライト。ただの開拓者です」
僕がそう答えるとギムガーは、ふん、と鼻を鳴らした。
「……腕は確かだな。料理の、だが」
彼はそう言うと、今度は酒を一口呷り、そして初めて僕の方をまっすぐに見つめた。
「……で、話というのは、何だ?」
その声にはまだ警戒の色が残っていたが、それでも確かな変化が感じられた。
彼の心の扉がほんの少しだけ、開いた瞬間だった。