第21話:王家が差し伸べた手
静まり返った集会所に、調査団長マルクス・アウレリウスの落ち着いた声が響く。
しかしその内容は、僕たちの度肝を抜くには十分すぎるものだった。
「――ご提案とは、貴殿が築いたこの『聖獣の郷』を、王家の直轄地である『聖獣特別区』として正式に認定するというものだ」
「……え?」
思わず素っ頓狂な声が漏れた。僕だけではない。
隣に立つミリアも、後ろに控えるグルドさんも、皆が皆信じられないといった表情で目を丸くしている。
「せ、聖獣……特別区、ですか?」
かろうじて言葉を紡いだ僕に、マルクス殿は表情を崩さずに頷いた。
「うむ。いかなる貴族の干渉も受け付けない、王家が直接その自治を認める特別な土地。それが聖獣特区だ。貴殿、リオ・アークライト殿をその初代領主として正式に叙任する、と。これが国王陛下からのお言葉だ」
にわかには信じられなかった。追放された出来損ないの三男である僕が、領主?
それも、父上や兄上ですら手出しができない、王家直轄の?
まるで出来の悪い夢を見ているかのようだ。
だが、目の前のマルクス殿の真剣な眼差しが、これが現実であることを告げている。
『ほう、人間たちの王も、なかなか面白いことを考えるではないか』
僕の肩の上で丸くなっていたハクが、感心したようにテレパシーを送ってくる。
その声色には、わずかながらの面白がるような響きがあった。
「……ありがたき幸せ、と申し上げるべきなのでしょう。ですがマルクス殿、王家がこれほどの破格の条件を提示されるからには、相応の見返りをお求めのはず。僕たちに、何を望まれるのですか?」
僕は浮つきそうになる頭を必死に抑えつけ、冷静に問いかけた。
うまい話には裏がある。父や兄との関係の中で、僕が嫌というほど学んだ教訓だった。
僕の問いに、マルクス殿は初めてその唇にかすかな笑みの形を浮かべた。
それは、まるで幼い生徒の正しい答えを褒める教師のような笑みだった。
「話が早くて助かる、リオ殿。いかにも、王家は貴殿とこの土地に期待しておられる。我々が求めるのは、この特区で産出される類稀なる産物の、王家による独占的な買い上げ権だ」
「独占……買い上げ権、ですか」
「そうだ。この村が産する回復ポーションの原料となる薬草、聖獣の魔力で浄化された清らかな水、そして……」
マルクス殿の視線が、グルドさんが査問のために持ち込んだ見事な鉄製の武具へと注がれる。
「ドワーフ族の技術によって精錬される高品質な金属。これら全てを、王家が指定する価格で優先的に買い上げる権利。それが我々の求めるものだ」
彼の言葉に、集会所がざわついた。
それは、聞こえの良い「買い上げ」という言葉で糊塗された、事実上の「献上」要求だったからだ。
価格を決めるのが王家である以上、僕たちに拒否権はない。
彼らが不当に安い価格を提示すれば、僕たちは汗水流して得た富をただ搾取されるだけになってしまう。
やはりこれが狙いだったのか。アークライト家の干渉を排除する代わりに、王家自身が僕たちを支配する。
結局、やることは父上たちと変わらないじゃないか。
失望と怒りが胸の奥からこみ上げてくる。
だが、ここで感情的になってはならない。相手は国王の名代として来た、百戦錬磨の政治家だ。
僕は一度ゆっくりと息を吸い、そして吐き出した。
頭を冷やせ。考えるんだ。この状況を逆手に取る方法は、必ずあるはずだ。
「……マルクス殿。一つ、よろしいでしょうか」
「何かな?」
「僕たちは王家のご提案を謹んでお受けいたします。ですが、それにはいくつか条件を提示させていただきたい」
僕の言葉に、マルクス殿の眉がわずかに動いた。彼の背後に控えていた騎士たちの間にも緊張が走る。
一介の、それも追放された貴族の倅が国王の提案に条件を付けるなど、前代未聞のことだったからだ。
「面白い。言ってみるがいい」
マルクス殿は僕の無礼を咎めることなく、むしろ興味深そうに先を促した。
「まず買い上げの価格ですが、これは一方的に王家が決定するのではなく、我々特区側と王家の代表者との『交渉』によって市場価格を参考に毎年決定するものとさせていただきたい。我々は王家の臣下であると同時に、独立した領主として対等な『交易』を望みます」
「……ほう。交易、か」
「はい。そして第二に、我々には『聖獣特区』の完全な自治権を要求します。これには王家からの不当な要求……例えば、我々の生産能力を超える量の納品や、我々の理念に反する命令を明確に拒否する権利も含まれます」
そこまで一気に言い切ると、僕はマルクス殿の目をまっすぐに見つめ返した。
もう、後には引けない。
「我々は誰かの富のために搾取される存在ではありません。この土地に住む全ての民が、手を取り合って豊かになる。そのための『聖獣特区』です。この理念が保証されないのであれば、僕たちは王家からのご提案そのものをお断りするしかありません」
僕の宣言に、集会所は水を打ったように静まり返った。
ミリアが固唾を飲んで僕の横顔を見つめている。グルドさんがゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。
マルクス殿はしばらくの間、無言で僕の顔を見つめていた。
その切れ長の瞳の奥で高速で思考が回転しているのが分かる。
僕という人間の価値を、そして僕が提示した条件の重さを天秤にかけているのだ。
やがて彼はふっと、まるで憑き物が落ちたかのように息を漏らした。
「……は、ははは。はっはっはっは!」
マルクス殿はそれまでの冷徹な仮面を脱ぎ捨て、腹の底から愉快そうに笑い出した。
そのあまりの変貌ぶりに僕たちはただ呆然とするばかりだ。
「見事だ、リオ・アークライト殿! いや、リオ領主! 貴殿はまこと見事な為政者だ! ただ言いなりになるのでもなく、かといって感情的に反発するのでもない。相手の要求を呑みつつその上で自らの利を最大化し、未来の危険さえも取り除く。その交渉術、王都の凡百の貴族どもも見習わせたいわ!」
彼は心から僕を称賛していた。その瞳にもはや僕を試すような色はなかった。
「よかろう! その条件、このマルクス・アウレリウスが責任を持って国王陛下にご報告し、必ずや認めさせてみせよう。貴殿のような男が治める土地だ。一方的な搾取などという愚策でその活力を削いでしまっては、それこそ王家の損失となるだろうからな」
マルクス殿は立ち上がると僕に向かって深々と頭を下げた。
「聖獣特区の誕生を心から祝福する。リオ領主。貴殿の活躍、王都から見守らせていただくぞ」
こうして僕たちの村は、正式に『聖獣特区』としてアークライト神聖王国に認められた。それは追放された僕が初めて自らの力で勝ち取った、確かな未来への第一歩だった。
調査団が王都へと帰還していく。その荘厳な後ろ姿を見送りながら僕の胸には、安堵とそしてそれ以上に大きな責任感がずしりとのしかかっていた。
王家という巨大すぎるパトロン。
それは父や兄から僕たちを守ってくれる盾であると同時に、僕たちの自由をいつでも奪いかねない諸刃の剣でもあった。
これから、僕たちはどうすべきか。何をすべきか。
僕は隣で同じように調査団を見送っていたミリアとグルドさんに顔を向けた。
「……皆さん。今夜、村の皆を集めてください。僕たちの新しい未来について話をします」
僕の声は自分でも驚くほど落ち着いて、そして力強かった。領主としての本当の戦いはまだ始まったばかりなのだから。