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第2話:嘆きの荒野へ


 アークライト侯爵家の屋敷を追放されてから三日が過ぎた。

 舗装された街道を外れ、獣道とも呼べないような荒れた道をとぼとぼと歩き続ける。


 目指す先は地図上でさえも曖昧に記されている『嘆きの荒野』だ。


 道中、誰と会うこともなかった。

 すれ違う商人や旅人は僕の粗末な身なりと背負った荷物の貧弱さを見て、関わる価値なしと判断しているようだった。


 それでいい。同情も憐れみも今の僕には必要なかった。


「……それにしても、一人というのも気楽なものだな」


 誰に言うでもなくそう呟いてみる。

 あの家では常に誰かの侮蔑の視線に晒されていた。

 それに比べればこの静かな孤独はよほど心が安らぐ。


 ふと脳裏に、懐かしい顔が浮かんだ。

 それは僕が幼い頃、屋敷の庭師として働いていた兎獣人の老婆マーサさんの姿だった。

 彼女は武力至上主義の家の中で唯一僕に優しく接してくれた人だった。


 僕が【土地鑑定】のスキルの片鱗を見せ始めた幼少の頃、その力を侮るだけの家族の中で、彼女だけは『素敵な力じゃありませんか』と微笑んでくれたのだ。


『リオ坊ちゃまのその力は土の声を聞く力。わしら獣人族が月の声を聞くのと同じですよ。優しい坊ちゃまにぴったりの優しい力です』


 彼女は僕のスキルをそう言ってくれた。

 それから、土の匂いの嗅ぎ分け方や植物の育て方、ほかにも様々なことを教えてくれた。

 彼女と過ごす庭の隅の時間が僕にとって、唯一の安らぎの場所だった。


「マーサさん、元気でいるだろうか……」


 彼女がくれた土人形のお守りを、僕はポケットの中でそっと握りしめた。温かい土の感触がささくれだった心を少しだけ癒してくれる。

 しかし、その穏やかな時間も長くは続かなかった。僕が彼女と親しくしていることを快く思わなかった父が、些細な理由をつけて彼女を解雇してしまったのだ。

 それ以来、僕の周りから僕に優しくしてくれる者はいなくなった。


 そんな感傷に浸りながら歩き続けていると、やがて目の前の景色が一変した。

 緑豊かだった木々が途絶え、代わりに赤茶けた大地とごつごつとした岩肌がどこまでも広がっている。

 生命の気配がぷっつりと途絶えたかのような荒涼とした風景。

 ここが僕の新たな領地――『嘆きの荒野』だった。


 吹き抜ける風は乾ききっており、微かに瘴気の匂いが混じっている。

 ……なるほど、これでは作物も育たないわけだ。


 僕は荷物を下ろすと大きく深呼吸をした。

 追放された貴族の三男。十八歳。財産も仲間も帰る場所もない。

 客観的に見れば絶望的な状況なのだろう。


 しかし、僕の心は不思議なほど穏やかだった。

 なぜなら僕だけが知っていたからだ。このスキルの本当の価値を。

 ゆえにこの見捨てられた土地が、どれほどの可能性を秘めているのかを。


「――【土地鑑定】」


 僕は静かにそう呟いた。

 その瞬間、僕の世界は塗り替えられる。


 目の前に広がる現実の荒野の風景に、半透明の膨大な情報がオーバーラップしていく。

 まるで神の視点から世界を覗き込んでいるかのように、土地の内部構造が色分けされた立体的な地図となって僕の脳内に鮮明に映し出されたのだ。


「……すごい。何度見てもこの光景は圧巻だ」


 表層を覆う瘴気を含んだ痩せた赤土。その厚さはわずか数十センチ。

 その下にはどうだ。古代の森が長い年月をかけて堆積した、肥沃な黒土地帯が広大な範囲にわたって眠っている。


「水脈も……あった。地下数十メートル、まるで巨大な龍みたいだ。水質も極めて良好。これだけの水量があったら五百……いや、千人規模の村だって」


 僕の心は静かに昂っていた。

 この土地にはかなりの水量が眠っている。生活用水を賄うにはあまりあるほどに。


 いや、それだけじゃない。

 東側の岩盤地帯には鉄鉱石と銅鉱石の鉱脈が地表近くにまで達している。これなら大掛かりな設備がなくても露天掘りが可能だ。

 南の断層の奥深く……これはなんだ?

 微かだが極めて純度の高い魔力の反応。まさか……ミスリル鉱脈か!?


 次から次へと明らかになる大地に秘められた財宝の数々。

 人々が『嘆きの荒野』と呼ぶこの場所は、その実、手つかずの資源が眠る『祝福の大地』のように思えた。


 僕は興奮で高鳴る胸を抑えながらゆっくりと目を開けた。


 目の前には、相変わらず荒涼とした風景が広がっている。

 しかし、今の僕にはこの土地が輝く宝の山にしか見えなかった。


「ここなら……やれるかもしれない」


 誰に言うでもなく、呟いた言葉が乾いた風に溶けていく。

 その瞳に追放されてから初めて、確かな希望の光が宿っていた。


 僕の――僕だけの国づくりが、今この瞬間から始まるのだ。


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