第16話:決着、そして
自慢の魔法剣をいともたやすく砕かれた兄バルドは、目の前で起きている現実を受け入れられずにいた。
「……ばかな……。この私の剣が……」
呆然と、折れた剣の柄を見つめている。
そのあまりにも無防備な姿に、ハクは容赦をしなかった。
「グルァッ!」
短い、しかし威圧的な咆哮と共に、ハクの巨大な前足が薙ぎ払うようにバルドを襲った。
もちろん、手加減はしている。
本気で叩けば、バルドの体など一瞬で肉塊と化してしまうだろう。
しかし、それでも聖獣の一撃は凄まじかった。
「ぐはっ……!?」
バルドは、まるで木の葉のように吹き飛ばされ、地面を無様に転がった。
全身を強かに打ち付け、しばらくは起き上がることもできない。
ハクは、その倒れたバルドの体にゆっくりと歩み寄ると、巨大な前足で身動きが取れないように地面に縫い付けた。
絶対的な力の差。
もはや、勝敗は誰の目にも明らかだった。
バルドは、生まれて初めて完全な敗北を味わっていた。
それは剣でも魔法でもない、ただ純粋な生命としての格の違いがもたらした、敗北だった。
ハクの金色の瞳が、バルドを冷たく見下ろしている。
その瞳には、殺意さえ浮かんでいた。
主である僕を本気で殺そうとしたのだ。ハクが怒るのも、無理はなかった。
このままでは、兄はハクに殺されてしまう。
「……ハク、もういい」
僕は、ハクの巨大な体にそっと手を触れて制止した。
ハクは不満そうな唸り声を上げた。
けれど、僕の静かながらも強い意志を感じ取ってくれたのだろう。ゆっくりと、バルドからその前足を離した。
僕は、地面に蹲り、ぜえぜえと苦しげな息をついている兄の前に立った。
「……なぜ、とどめを刺さない……。情けか……? この私に、情けをかけるというのか……!」
バルドは、屈辱に顔を歪ませながら僕を睨みつけた。
「……殺しはしない。でも、二度とこの村に近づかないでください」
僕は、静かにそう告げた。
「兵をまとめて、すぐに領地へお帰りください。それが、僕の唯一の条件です」
僕の言葉に、バルドは何も言い返せなかった。
彼はよろよろと立ち上がると、僕に背を向け、霧の中へと消えていく。
その背中は、今まで僕が見てきたどんな時の彼よりも、小さく、そして惨めに見えた。
この僕の判断が、領主として正しかったのかどうかはわからない。
しかし、これで良かったのだと僕は信じたかった。
バルドが撤退の指示を出したのだろう。
森の奥から、騎士たちが次々と敗走していくのが見えた。
僕がハクと共に丘の上からその様子を見守っていると、やがて霧がゆっくりと晴れていった。
僕たちの村の姿が、再び現れる。
その瞬間、村中から割れんばかりの歓声が上がったのだ。
「「「うおおおおおっ!! 勝ったぞー!!」」」
兎獣人たちもドワーフたちも皆、抱き合い、肩を叩き合い、種族の垣根を越えて勝利を喜び合っていた。
その中には、避難していたはずの女子供たちの姿も混じっている。
僕たちの初めての防衛戦は、一人の死傷者を出すこともなく、完全な勝利に終わったのだ。
その光景を見て、僕の胸に熱いものがこみ上げてきた。
ああ、僕はこの皆の笑顔を守りたかったんだと、自分が守りたかったものの大きさと温かさを、改めて実感した瞬間だった。
その日の夜は、もちろん盛大な勝利の宴が開かれた。
昼間の緊張感が嘘のように、村は陽気な笑い声と歌声に包まれている。
僕も皆に何度も胴上げされ、グルドさんには樽ごと酒を飲まされそうになり、てんてこ舞いだった。
宴が少し落ち着いた頃、僕は一人、広場の隅で夜空を見上げていた。
これからのことを考えていたのだ。
兄は、このまま引き下がるだろうか。
父は、どう動くか。
王家が介入してくる可能性は……。
考えるべきことは、山積みだった。
そんな僕の隣に、ミリアがそっとやってきて腰を下ろした。
彼女は何も言わずに、僕と同じように夜空を見上げている。
しばらく、心地よい沈黙が続いた。
やがて、彼女はぽつりと呟いた。
「……ありがとうございました、リオさん」
その声は、いつものリーダーとしての凛としたものではなく、一人の少女としての、優しくて温かい響きを持っていた。
「あなたがいなければ、私たちは今頃……」
「僕一人の力じゃない。ミリアやグルドさん、リアム、村の皆が力を合わせてくれたからだよ」
僕がそう言って笑いかけると、彼女はふふっとはにかんだ。
そして、僕の手をそっと両手で包み込む。
「……それでも、あなたが私たちの光です」
そう言って僕を見つめる彼女の赤い瞳は、焚き火の光を反射して潤んでいた。
そのあまりにもまっすぐな好意に、僕の心臓は今まで感じたことのないくらい、大きく高鳴る。
僕たちの間には、もう領主と領民という関係だけではない、何か特別な空気が流れ始めていた。