第13話:迫りくる脅威
聖獣の郷は収穫祭を終え、冬を迎える準備に追われながらも、穏やかで活気に満ちた日々を送っていた。
ドワーフたちが建設した石造りの家々は、冬の厳しい寒さをものともしないだろう。
備蓄倉庫には、秋に収穫した穀物や保存食が天井まで高く積み上げられている。
もう誰も、飢えや寒さに怯える必要はない。
子供たちの笑い声が、村のあちこちから聞こえてくる。
僕はそんな日常の風景を、領主として、また一人の村人として、心から愛おしく思っていた。
しかし、そんな平和な時間は突如として終わりを告げることになる。
その報せをもたらしたのは、エルフの商人リアムだった。
彼は近隣の街との交易から戻るなり、血相を変えて僕の家へと駆け込んできたのだ。
「リオ殿! 大変なことになりました!」
「リアム? どうしたんだ、そんなに慌てて」
彼の普段の皮肉屋な態度からは、想像もつかないほどの切迫した表情だった。
「アークライト侯爵家が……! バルド・アークライトが、三百もの兵を率いてこの村へと向かっているとの情報が!」
「……なんだって?」
リアムの言葉に、僕は耳を疑った。
兄さんが、兵を率いてこの村へ? 何のために?
リアムが街で仕入れてきた情報は、絶望的なものだった。
バルドは僕たちの村を「反乱の芽」と断じ、その平定を口実に、この村の富を根こそぎ奪い去るつもりだという。
その報せは、あっという間に村中に広まった。
平和な村は、一瞬にして緊張と恐怖に包まれる。
「……人間たちが、また……」
「私たちを、また奴隷にする気なんだわ……」
特に、兎獣人たちの動揺は激しかった。
彼らにとって武装した人間の軍隊は、過去の迫害の記憶を呼び覚ます恐怖の象徴そのものだったのだ。
女たちは子供を抱きしめて震え、男たちは青ざめた顔でなすすべもなく立ち尽くしている。
その光景に、僕の胸はナイフで抉られるように痛んだ。
僕がこの村を、安心して暮らせる場所にすると約束したのに。
その約束が、今、兄の身勝手な嫉妬によって踏みにじられようとしていた。
その夜、村の広場に僕とミリア、ドワーフの長老グルド、そしてリアムが集まり、緊急の会議を開いた。
「こうなったら、やるしかあるまい!」
最初に口火を切ったのは、グルドだった。
彼は自慢の髭を逆立て、怒りを露わにしている。
「ワシらドワーフの槌は、ただ家を建てるためだけにあるのではないわい! 敵を打ち砕くための戦槌でもある! 返り討ちにしてくれるわ!」
「私も戦います!」
ミリアもまた、強い決意を秘めた瞳でそう言った。
「ここは、もう私たちの故郷です。それを理不尽な暴力で奪おうというのなら、命に代えても守り抜きます!」
二人の断固たる、徹底抗戦の意志。
しかし、僕は素直に頷くことができなかった。
三百の、正規の訓練を受けた騎士たち。
対する僕たちは、女子供が大半を占める非戦闘員の集団だ。
まともに戦えば、結果は火を見るより明らかだった。
何より、僕は血が流れるのが嫌だった。この村の誰一人として、傷つけたくないし、死なせたくなかった。
僕が苦悩の表情で黙り込んでいると、リアムが冷静な声で言った。
「……逃げるという選択肢もあります。幸い、まだ時間はある。東の森へ抜ける隠し通路を、私は知っていますが」
しかし、その提案に首を縦に振る者はいなかった。
この村は、皆でゼロから築き上げてきた大切な場所だ。
それを戦わずして明け渡すことなど、できるはずがなかった。
戦うか、逃げるか。
どちらを選んでも、待っているのは過酷な未来だ。
領主として、僕は初めて大きな決断を迫られていた。
僕のたった一つの決断に、この村の皆の未来がかかっている。
その重圧に押しつぶされそうになりながら、僕は必死に思考を巡らせた。
血を流さずに、村を守る方法はないのか。
僕のこの力で、できることはないのか。
僕は目を閉じ、意識を集中させる。
【土地鑑定】のスキルを、村の周辺一帯に最大限まで広げた。
脳内に、広大な3Dマップが浮かび上がる。
地形、地盤の強度、森の木々の配置、風の流れ、そして兄の軍勢がどのルートを通ってこの村にやってくるのか。
その全てが、僕の頭の中に手に取るように見えていた。
……これだ。
僕は、目を開けた。
その瞳には、もう迷いの色はなかった。
領主としての、覚悟の光が宿っていた。
「……戦おう。だが、僕たちのやり方で」
僕は皆に、僕が考えた迎撃計画を話し始めた。
それは正面からぶつかるのではなく、この土地の地形を最大限に利用した、罠と奇襲による防衛戦だった。
「グルドさんには、僕が指定する場所に非殺傷の罠を仕掛けてほしい。落とし穴や、投石網のようなものだ」
「ほう……。面白い」
「ミリアには、足の速い者たちを集めてゲリラ部隊を編成してほしい。森の中で敵を撹乱するのが、君たちの役目だ」
「……承知しました!」
「リアムは、村の女子供たちを安全な洞窟へ避難させてくれ」
「お任せを」
僕の的確な指示に、皆の顔に少しずつ希望の色が戻ってくる。
「仕上げは、ハクと僕がやる」
僕は、肩の上のハクを見つめた。
ハクもまた僕の覚悟を察したのか、力強く頷き返してくれた。
僕たちの、初めての防衛戦。
それは、この村の真価が問われる戦いの始まりだった。
翌日、リアムの報告通り、村の東にある丘の上から進軍してくるバルド軍の姿が、はっきりと見えた。
掲げられたアークライト家の紋章が、まるで僕たちを嘲笑っているかのように、冬の空にはためいていた。