第12話:嫉妬の炎
「……リオが聖獣を従え、豊かな村を……?」
バルド・アークライトは、家臣からの報告をすぐには信じることができなかった。
あの何の役にも立たない、出来損ないの弟が?
……冗談ではない。
しかし、報告はあまりにも具体的だった。
温泉、鉱石、豊かな農地、そして多種族が集う活気ある村。
それは、今の自分が喉から手が出るほど欲しいものばかりだった。
バルドの脳裏に、忌まわしい記憶が不意に蘇る。
あれはまだ、彼が十歳、リオが三歳の頃のことだ。
兄弟で領内の山へピクニックに出かけたことがあった。
その帰り道、突然リオが「兄様、危ない!」と叫び、バルドの服の裾を必死に引っ張ったのだ。
『何をす……』
バルドがその無礼を叱責しようとした、その瞬間。
彼らがほんの数秒前まで立っていた場所に、山の上から巨大な岩が轟音と共に落下してきた。
もしリオが止めてくれなければ、自分は今頃、あの岩の下敷きになっていたかもしれない。
後でわかったことだが、それは長雨による地盤の緩みが原因の、小規模な土砂崩れだった。
リオは、その予兆を彼の地味なスキルで事前に察知していたのだ。
しかし、バルドはリオに礼を言うことはなかった。
それどころか、彼は恐怖と得体の知れない能力への畏怖から、リオを突き飛ばしてしまったのだ。
『気味の悪い奴め!』
そう吐き捨てた時の、リオの悲しそうな、傷ついた瞳を、バルドは今でも時折夢に見ることがあった。
そうだ。
自分は、ずっと知っていたのだ。
リオのスキルが、ただのハズレスキルではないことを。
そして、自分がその得体の知れない力に命を救われたという、「借り」があることを。
その事実を認めたくないが故に、彼はリオを必要以上に見下し、虐げてきた。
そうすることでしか、彼は自分のちっぽけなプライドを保つことができなかったのだ。
「……許さん」
バルドの口から、低い声が漏れた。
「あの男は昔からそうだ。いつも、私のものを奪っていく……!」
それは、完全な責任転嫁だった。
しかし、嫉妬と憎悪に心を支配された彼には、もう正常な判断力は残っていなかった。
無能なはずの弟が、自分よりも先に富と名声を手に入れた。
その事実が、彼の心を黒い炎で焼き尽くしていた。
あの村の富も、聖獣も、亜人たちも、元はと言えば我がアークライト家の土地から生まれたものだ。
ならば、それはこの自分が正当に受け継ぐべきものに他ならない。
歪んだ理屈で自らを正当化したバルドは、すぐに行動を開始した。
彼は父であるガレン侯爵の執務室へと向かうと、こう進言したのだ。
「父上。嘆きの荒野にリオが築いたという村のこと、お聞き及びかと存じます」
「……うむ。忌々しいことにな」
ガレンもまた、息子の成功を苦々しく思っているようだった。
「父上、これは好機です。あの村は今や、王国の法にも従わぬ亜人どもが巣食う無法地帯。放置すれば、いずれ王国全体に対する反乱の芽となりかねません」
バルドは、言葉巧みに危機感を煽る。
「このバルドに兵をお与えください。私が侯爵家の名代としてあの村を『平定』し、秩序を取り戻してご覧にいれます。村の富は侯爵家の財産として接収し、亜人どもは労働力として『保護』すれば、領地の立て直しにも大いに役立つことでしょう」
その言葉は、領地の窮状に喘ぐガレンにとって、悪魔の囁きのように甘く響いた。
彼は息子の浅ましい本心に気づきながらも、その提案に乗ることを選んだ。
いや、彼自身もまた、リオの成功を心の底から妬んでいたのだ。
「……よかろう。兵三百を、お前に預ける。好きにせよ」
「ははっ! ありがたき幸せ!」
父の許可を得たバルドは、ほくそ笑んだ。
これで、大義名分は手に入れた。
彼はすぐさま、自らが率いる私兵団と侯爵家の騎士団の一部を招集した。
その数、およそ三百。
武装していない村を蹂躙するには、十分すぎるほどの戦力だった。
「目標は北の辺境、『聖獣の郷』だ!」
バルドは馬にまたがり、高らかに号令をかける。
「逆賊リオを討ち、村の財産を根こそぎ奪い尽くせ! 抵抗する者は、亜人であろうと女子供であろうと、容赦は無用だ!」
「「「オオオオオッ!!」」」
騎士たちの雄叫びが、空に響き渡る。
こうして、アークライト家の紋章を掲げた軍勢が、リオたちのささやかで平和な村へと、その牙を剥いて進軍を開始した。
嫉妬の炎に焼かれた兄が、その黒い野望を遂げるため、すぐそこまで迫ってきている。
リオたちの穏やかな日常は、今まさに終わりを告げようとしていた。