第11話:一方その頃、アークライト家では
聖獣の郷でリオたちが、ささやかながらも確かな希望を育んでいた頃――。
彼らを追放したアークライト侯爵家は、静かな混乱の渦中にあった。
「……またか! これで今月に入って、三つ目の村だぞ!」
アークライト侯爵家の当主、ガレン・アークライトの怒声が、重苦しい空気が支配する執務室に響き渡った。
玉座の前に並ぶ家臣たちは皆、青ざめた顔で頭を垂れている。
「申し訳ございません、侯爵様! しかし、これほど広範囲で井戸が枯れるなど、前代未聞でして……」
「言い訳は聞けん! 水は農業の命ぞ! このままでは、今年の冬は領民どもを飢えさせることになる!」
報告の内容は、惨憺たるものだった。
領内を流れる主要な河川の水位が、この数ヶ月で急激に低下。
それに伴い、領地各地の井戸が次々と枯れ始めているという。
王国でも有数の穀倉地帯であるという誇りが、今、根底から揺らいでいた。
「原因は何だ! 領地の魔術師たちは、何をしておる!」
ガレンの叱責に、家臣の一人がおずおずと口を開いた。
「はっ。それが、領内の魔術師たちを総動員して調査にあたらせておりますが、原因は一向に……。ただ、彼らが言うには、領地全体の土地そのものの魔力循環に、何らかの異常が発生していると……」
「魔力循環の異常だと? そんな曖昧な報告が、通用するとでも思っているのか!」
ガレンは怒りのあまり、執務机を拳で強く叩きつけた。
領主としての彼の焦りは、頂点に達していた。
その父の姿を、長男であり跡取りであるバルド・アークライトは、冷静な目で見つめていた。
「父上、ご安心ください。このバルドが、必ずや原因を突き止め、解決してみせます」
バルドは、自信に満ちた表情で父に進言した。
彼はこの領地の危機を、自らの有能さを示す好機と捉えていたのだ。
しかし、現実は彼の自信を容赦なく打ち砕いていく。
バルドは自ら騎士団の一部を率いて領内の調査に乗り出したが、事態は悪化の一途をたどるばかりだった。
水源の枯渇は、農業だけでなく様々な場所に影響を及ぼし始めていた。
地盤が緩み、街道のあちこちで小規模な土砂崩れが発生し、物流が滞り、商業にも深刻な打撃を与え始めていたのだ。
彼らは、知る由もなかった。
この全ての災厄の原因が、彼らが「無能」と断じ、追放した一人の少年の不在にあるということを。
これまでリオの【土地鑑定】スキルは、無意識のうちにこの広大な領地の魔力循環を安定させる、調律師の役割を果たしていた。
彼が毎日屋敷の庭で土いじりをしながら、スキルを通して領地全体の土地の声を「聞いて」いたことなど、誰も知らなかった。
どこかの水脈が滞ればその流れを良くするように無意識に魔力を流し、地盤が緩んでいる場所があればそれを補強するように魔力を注いでいたことなど、想像さえしていなかったのだ。
そのあまりにも地味で、誰にも評価されることのなかった「管理」こそが、この領地の豊かさを根底から支えていた。
その調律師を、アークライト家は自らの手で追放した。
大地は主を失い、今、静かに、しかし確実に悲鳴を上げ始めていたのである。
「くそっ、なぜだ! なぜ、何もかもうまくいかん!」
調査から戻ったバルドは、自室で荒々しくテーブルを蹴りつけた。
彼のプライドは、ズタズタに引き裂かれていた。
領民たちからは「跡取り様は口先ばかりだ」と陰口を叩かれ、父ガレンからの信頼も日に日に失われつつある。
彼は、この原因不明の災厄を誰かのせいにしたくて仕方がなかった。
そうしなければ、彼自身の脆い自尊心が崩れ落ちてしまいそうだったからだ。
そんな苛立ちを募らせるバルドの元に、一人の家臣がある報告を持って駆け込んできた。
「バルド様! 北の辺境から、奇妙な噂が……」
「辺境だと? どうでもいい、下がれ!」
「は、はい! ですが、その噂というのが……なんでも、あの『嘆きの荒野』に、聖獣を従えた豊かな村があると……」
「……何だと?」
バルドの動きが、ぴたりと止まった。
「その村では温泉が湧き、鉱石が採れ、不毛の地のはずが、見渡す限りの農地になっていると。そして、その村を治めているのが……」
家臣は、恐る恐るその名を口にした。
「……追放したはずの、リオ様であると……」
その瞬間、バルドの顔から表情が消えた。
次の瞬間には、嫉妬と憎悪と屈辱に、その整った顔が醜く歪んでいた。
「……リオだと……?」
あの出来損ないの、無能なはずの弟が。
自分がこれほどまでに苦しんでいる時に、辺境の地でぬくぬくと豊かな暮らしを送っているというのか。
許せない。
断じて、許すわけにはいかない。
バルドの心に、黒い炎が燃え上がった。
その炎は、やがて聖獣の郷を焼き尽くす破滅の業火となって、リオたちの元へと迫ってくることになる。