第10話:村の息吹
兎獣人族が育てた、奇跡のような作物の噂は、行商人たちの口を通して瞬く間に各地へと広まっていった。
『嘆きの荒野に、聖獣に守られた豊かな村がある』
『そこでは、どんな不毛の地でも緑に変える、不思議な力を持つ若き領主がいる』
そんなおとぎ話のような噂は、虐げられ、安住の地を求める者たちにとって一縷の希望の光となった。
僕たちの村――いつしか旅人たちから『聖獣の郷』と呼ばれるようになったその場所には、様々な事情を抱えた者たちが次々と集い始めたのだ。
最初にやってきたのは、西の山岳地帯から来たドワーフの一団だった。
彼らのリーダーはグルド・ハンマーフォールと名乗る、見事な銀髭を蓄えた、いかにも頑固そうな老人だ。
「フン、ここが噂の村か。見たところ、ただの泥と木の家ばかりではないか」
グルドは、僕たちの建てた日干しレンガの家を鼻で笑った。
その態度は、とても友好的とは言えない。
彼らは、僕が掘り当てたという鉄鉱石の鉱脈に興味を惹かれてやってきた、腕利きの鍛冶師の一族だった。
「人間の小僧が、我らに何の用だ。冷やかしなら、その槌で叩き潰すぞ」
「僕はリオ。ここの領主だ。君たちの力を借りたいと思って、来訪を歓迎する」
僕が臆することなくそう言うと、グルドは少しだけ目を見開いた。
僕は彼らに、村で採掘した鉄鉱石の現物を見せた。
その一点の曇りもない、極めて純度の高い鉱石を目にした瞬間、グルドをはじめとするドワーフたちの目の色が変わった。
「……ほう。これは、なかなかの逸品じゃわい」
頑固な職人の顔が、ほんの少しだけ緩む。
僕は彼らに、鍛冶場の提供と鉱石の優先的な使用権を条件に、この村に住み、その技術を貸してほしいと提案した。
グルドはしばらく腕を組んで唸っていた。
けれど、僕がハクを従えていること、そして何より、僕の目が鉱石を金儲けの道具としてではなく、純粋な素材として敬意を払っていることを見抜いたのだろう。
最終的には、「仕方ない、話だけは聞いてやる」とぶっきらぼうに、しかし確かに頷いてくれたのだ。
次にやってきたのは、東の森から来たという一人のエルフの青年だった。
リアム・シルバーリーフと名乗った彼は、月光のような銀髪と、どこか憂いを帯びた碧眼を持つ絵画のように美しいエルフだった。
「おやおや、これはまた……随分と人の良いお貴族様だ。こんな辺鄙な場所で多種族を集めて、一体、何をおっぱじめるおつもりで?」
彼は、皮肉な笑みを浮かべながら僕にそう言った。
リアムはかつて王都で名を馳せた商人だったらしい。しかし、人間の商売敵の罠にはまり、全てを失った過去が、彼を人間不信の皮肉屋に変えてしまったのだろう。
彼は、この村で採れるという珍しい薬草や作物を安く買い叩いて儲けようと、そう考えてやってきたのだ。
しかし、僕は彼の足元を見るような提案には乗らなかった。
「僕は君と、フェアな取引がしたい。この村の産物を正当な価格で外部の街に卸してほしいんだ。その代わり、利益の何割かを君に渡すことを約束しよう」
僕のあまりにも真っ当な提案に、リアムはきょとんとした顔で拍子抜けしていた。
彼は、僕が利益を度外視してただ領民の幸せを願っている姿に、かつて自分が抱いていた商いへの理想を思い出したのかもしれない。
「……馬鹿な人だ、あなたは。ですが、その馬鹿げた理想に、もう一度賭けてみたくなりましたよ」
リアムはそう言って、僕の村の専属の商人となることを承諾してくれた。
こうして僕の村には、兎獣人族の農業技術、ドワーフの建築・鍛冶技術、そしてエルフの商業知識が、一堂に会することになった。
それは、村の発展を爆発的に加速させることになる。
ドワーフたちが、その卓越した技術で日干しレンガの家を頑丈な石造りの家へと改築していく。
彼らが設計した水路は、畑の隅々まで効率よく水を供給した。
兎獣人たちが丹精込めて育てた作物は、リアムが切り開いた交易路を通って近隣の街へと運ばれ、村に安定した収入をもたらした。
村には活気のある市場が生まれ、物々交換ではなく貨幣による経済が、少しずつ回り始めたのだ。
何よりも素晴らしい変化は、村人たちの間に生まれた交流だった。
ドワーフの子供が、獣人の子供に石積みのコツを教える。
獣人の母親が、ドワーフの親方に栄養満点のスープを差し入れる。
エルフのリアムが、子供たちに文字の読み書きを教える教室を開く。
そこには、種族の垣根などどこにも存在しなかった。
誰もが互いの違いを尊重し、助け合い、笑い合っている。
僕が、あの孤独な屋敷でずっと夢見ていた「共生の場所」が、今、確かにこの地に形作られようとしていた。
僕はその光景を、胸がいっぱいになりながら眺めていた。
しかし、そんな穏やかな日々が永遠に続くわけではないことを、僕はまだ知らなかった。
その頃、遠く離れた王都のアークライト侯爵領では、深刻な事態が進行していた。
原因不明の水源の枯渇と、それに伴う大規模な不作。
領民たちの不満は日増しに高まり、その矛先は領主であるアークライト家へと、静かに、しかし確実に向けられ始めていたのだ。
それは、僕という名の土地の調律師を失った大地が上げる、静かな悲鳴だった。




