やられる前にやるしかない~騎士団長の息子~
侯爵家の長男であり、既に騎士見習いをしているケント・ポール・ダイセン。
脳筋で筋肉命の彼は、時間さえあれば剣を振るい、隙間時間を使ってストレッチや筋トレをしている。
そんな状態なので、ヒロインであるポメリアともなかなか距離が縮まらない。
そこでゲームが用意した仕掛けがあった。
ケントと共に体育祭実行委員をしていた子爵令嬢が風邪をひき、委員としての活動ができなくなる。子爵令嬢に代わり、体育祭実行委員に名乗りを上げるのがポメリアだった。
私はこれを利用することにした。
「シュルエツ子爵令嬢は私の友人の一人です。彼女が体調不良で学校を休み、体育祭実行委員として役目を果たせないのなら、その代わりは私が務めたいと思います」
ポメリアより先に、代打を申し出たのだ。
「まあ、ベヴァリッジ公爵令嬢、素晴らしい心掛けです。あなたは副委員長もしていて忙しい身なのに。生徒の鑑ですわ」
担任教師が絶賛し、他の生徒も異論を挟むことはない。これでまんまと私はケントと話す時間を作ることが出来た。
とはいえ。
いきなり二人きりになる状況を、カッセルの時のように簡単に作り出すことはできない。ケントはそもそもヒロインや悪役令嬢を含めた他のクラスメイトともあまり接点がないのだから。
そこでこうすることにした。
「ケント卿」
まずは彼が喜ぶ呼称で呼びかけるところからスタートだ。
クラスメイトは彼のことを「ダイセン侯爵令息」とは呼ぶが、「騎士」を示す「卿」で呼ぶことはない。でもそれは当然のこと。既に騎士見習いをしているが、ケントはまだ正式な騎士に任命されていなかった。だがケント自身は「卿」で呼ばれることに憧れがある。
実際、ゲームではヒロインであるポメリアから「私だけの騎士になってください。ケント卿」と言われた結果。彼の中でポメリアへの好感度は爆上がりしているのだ。
ということで他の生徒に聞こえないようにしつつ、「ケント卿」と呼びかけると、彼はシルバーブロンドの短髪をかきあげ、濃紺の瞳を細め、日焼けした肌を赤くする。
「ベヴァリッジ公爵令嬢、自分はまだ正式に騎士に任命されていません。卿で呼ばれるような身分ではないですよ」
「そうよね、本来は。でもケント卿はその見た目から、もう騎士と変わらないように思えるわ。それに騎士と同じぐらい、日々修練をなさっているから」
私の言葉に、制服姿のケントは耳まで赤くなっている。
「でも確かにあなたの言うことは一理あります。だからケント卿と呼ぶのはあなたと二人だけ、もしくは他の人に聞こえないよう、小声にします」
この二人だけの秘密の共有は、一気に相手との親密感を生む。これをきっかけに体育祭の準備に必要なこと以外の会話も、ケントとすることができるようになった。
(でもまだまだ足りないわ。ここは筋肉馬鹿のケントが喜ぶネタを提供し、一気に距離を縮めるわよ!)
こうして私は体育祭の準備ということで放課後、共に過ごすようになったケントにある物を渡すことにした。
「これは……」
「エッグノッグ風ドリンクです」
エッグノッグは卵酒のことであり、この世界ではミルクに砂糖と卵黄を加え、そこにラム酒やブランデーを注いで作られる。未成年の私とケントは、エッグノッグが飲めない。しかしノンアルコールで仕上げたエッグノッグ風ドリンクなら、飲むことができるのだ。
「脂肪分がたっぷりのミルクに、卵黄、砂糖を入れ、ナツメグを振りかけたものです。さっき、出来立てを侍女に届けてもらったから、まだ温かいわ。冷めないうちに飲むといいと思います」
「なるほど。秋に入り、気温が低い日も増えてきた。体を温めるのに丁度いい!」
「ふふ。それだけではないんですよ」
そこでケントにエッグノッグ風ドリンクを飲んでもらいながら説明する。
「卵黄とミルクから、たんぱく質を補給できるでしょう。このたんぱく質が、筋肉作りと疲れた筋肉の回復にいいと言われているのよ」
「そうなんですか!」
「それにミルクの脂質と砂糖の糖質は、いいエネルギー源になるわ。今日一日、頭と体を酷使したケント卿にはまさにぴったり」
私の言葉を聞いたケントは、深く考えることになく、「頭と体を酷使」の部分に反応し「なるほど!」となっている。まさに単細胞で何事も素直に受け入れてくれるケントは……一度親しくなれれば、御しやすい存在だった。
「それだけではないのよ。まだ温かいうちに飲めば、血流が良くなって、冷え予防になるわ。さらに細かいことを言えば、日常的に不足しがちなビタミンAやDが卵黄から補えるし、ミルクからカルシムとビタミンB群も摂取できるでしょう。おやつ代わりになる満足度の高い味わいで、間食防止にもなる」
ビタミンAやDなどの栄養素については目が点になっているが、「血流が良くなる」や「満足度の高い味わい」は実感しているので、納得顔である。
何よりも……。
「筋肉作りと疲れた筋肉の回復に効くというのは、たまらないです! 素晴らしいドリンクをありがとうございます、ベヴァリッジ公爵令嬢!」
ケントの瞳がキラキラと輝いていた。
その様子を見た私は確信する。
(いける。今のケントなら、簡単にやれるわ!)
翌日の放課後。
ケントがすっかりお気に入りになったエッグノッグ風ドリンクには、カッセルを沈めたクスリを加えてある。そうとは知らずにケントは嬉しそうにドリンクを飲み干す。
ケントはしっかり筋肉もついているので、クスリの量は多めにしてある。それでも効果が出るまで、まだ時間がかかるだろう。
「ケント卿。体育祭の綱引きのロープ、去年以来で使うので、カビなど生えていないか、確認しておきませんか」
「! そうしましょう。玉入れの玉はいくつかカビていたので、確認した方がいいと思います。体育倉庫へ行きましょうか」
「ええ、そうしましょう。必要になるかと思い、鍵は先生から借りてあります」
鍵が既に手元にあると知り、何も知らないケントは「さすがベヴァリッジ公爵令嬢。気が利きます」と喜んでいる。体育倉庫でケントは私からやられることになるのに。そんなこと露知らずで、嬉々として体育倉庫に向かっている。
校舎から離れた、グランドの隅にある体育倉庫。
体育祭など、一年に一度しか使わない物が沢山しまわれている。そしてカビが生えてしまうのは、気密性の高いレンガ造りになっているから。
(それでも防音性は完璧ではないわ。でも大丈夫よ。クスリが一度効いてしまえば、さしもの偉丈夫もどうにもならないのだから……)
こうして体育倉庫に着くと、私は後ろ手に倉庫の鍵をカチリとかける。
そしてケントは実にいい場所でクラッとしてくれた。
「……何だろう、急に……眠気が」
そう呟くケントの肩を軽く押すと、彼はそのまま白い体操マットに転がるようにして大の字になる。
(まさか自分よりひ弱な公爵令嬢にやられるなんて。ケントは想像だにしていなかったわよね)
思わず微笑んだ私はゆっくり手を伸ばす。
「あああああ……」
騎士を目指しているとは思えない声をケントはあげたが――。
強烈な睡魔との狭間で、その声は次第に弱々しくなっていく。
お読みいただきありがとうございます!
着々と行動するわたし。次は……?
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