騎士団長の息子視点(2)
ベヴァリッジ公爵令嬢が用意してくれたエッグノッグ風ドリンクは、深まる秋の寒さから体を温めるための飲み物というだけではなかった。彼女が自分に語ったことは……。
『卵黄とミルクから、たんぱく質を補給できるでしょう。このたんぱく質が、筋肉作りと疲れた筋肉の回復にいいと言われているのよ』
『それにミルクの脂質と砂糖の糖質は、いいエネルギー源になるわ。今日一日、頭と体を酷使したケント卿にはまさにぴったり』
『それだけではないのよ。まだ温かいうちに飲めば、血流が良くなって、冷え予防になるわ。さらに細かいことを言えば、日常的に不足しがちなビタミンAやDが卵黄から補えるし、ミルクからカルシムとビタミンB群も摂取できるでしょう。おやつ代わりになる満足度の高い味わいで、間食防止にもなる』
一部、あまりにもベヴァリッジ公爵令嬢が聡明過ぎて、何を言っているのか理解できない部分もあった。だがトータルで彼女が用意してくれたエッグノッグ風ドリンクは、自分の筋肉作りに非常に役立ちそうであるということだった。
(まるで体力と筋力作りに励む自分のために考案してくれたドリンクに思える)
そうなるといつもの自分らしからぬテンションの高さで、こう伝えることになる。
『筋肉作りと疲れた筋肉の回復に効くというのは、たまらないです! 素晴らしいドリンクをありがとうございます、ベヴァリッジ公爵令嬢!』
自分のこの返事を聞いたベヴァリッジ公爵令嬢は……。
『ケント卿に喜んでいただけて良かったです。レシピもお渡しするので、ご自宅でもお試しください。きっと現状の体型維持に役立つと思います。もしかするとさらによくなるかもしれません』
そんなふうに言ってくれたのだ。
勘違いしてはならないと、何度も自分自身に言い聞かせるが……。
ベヴァリッジ公爵令嬢に対する好感度はどうしたって上がってしまう。
(立派な騎士になれるまで、余計なことを考えるなよ、自分)
何とか自分に言い聞かせていたその日。
自分とベヴァリッジ公爵令嬢は、既に日課になっているエッグノッグ風ドリンクを飲み、そして体育倉庫に向かうことになった。綱引きのロープがカビていないか、確認するためだ。
エッグノッグ風ドリンクを飲み、体はぽかぽかだった。しかも体育倉庫の鍵はベヴァリッジ公爵令嬢があらかじめ手配してくれていた。
(そういう気配り、根回しができるところも……ベヴァリッジ公爵令嬢は素晴らしいな)
体がぽかぽかするだけではなく、心もぽかぽかしていた。
まさに心身共に満たされた状態で、校舎から離れたグランドの隅にある体育倉庫へ、ベヴァリッジ公爵令嬢と向かうと……。
ふわっと欠伸が漏れた。
(……なぜこんなに眠いんだ……?)
全身の筋肉も弛緩しているように思える。
カチリと音が聞こえ、体育倉庫の入口をベヴァリッジ公爵令嬢が閉じたようだ。
「ケント卿。綱引きロープは奥の棚にあるようです」
「……奥の……あ、はい」
猛烈な眠気は治まる気配がない。歩きながらも、なんだか自分の体に力が入らず、ぐにゃりと倒れそうになる。
たまらず、呟くことになる。
「……何だろう、急に……眠気が」
自分の言葉を聞いたベヴァリッジ公爵令嬢は、支えてくれようとしたのだと思う。でも自分の方が彼女より格段に体格がいいから……。
そのまま白い体操マットに転がるようにして大の字になってしまった。
(なんてことだ! ベヴァリッジ公爵令嬢にとんだ情けない姿を披露しているではないか)
だが親切な彼女は自分を助け起こそうと懸命に押してくれる。しかし鍛えている自分は筋肉質で並の令息より重い。結局、仰向けからうつ伏せの姿勢になっただけだった。
ところが!
ベヴァリッジ公爵令嬢の手が腰の辺りに触れたと思ったら……。
「あああああ……」
猛烈な眠気に襲われながらも、腰回りの筋肉に与えられる刺激で、目が醒めそうになる。
「うっ、うっ、うっ……!」
痛みと快感の狭間のような感覚の波が繰り返され、悶絶してしまう。のたうち回りたいのに体が動かず、やめてくれ!とやめないで欲しい!の二つの感情が荒れ狂った。
「あああーーーっ!」
ついに耐え切れず体全体がビクンと大きく反応した後、ベヴァリッジ公爵令嬢が落ち着いた声で告げる。
「やはりケント卿は大剣を使われるので、腰に負荷が相当かかっていますね。この背骨に沿った両脇のあたり。ここは脊柱起立筋で、姿勢の維持に欠かせない筋肉ですが……。大剣を構え、踏ん張る時、この筋肉を相当酷使しているのでしょうね」
(せきちゅうきりつきん……? 眠くて頭が回らない……)
腰回りへの波のように押し寄せる刺激がひと段落し、優しい動きが繰り返された。そうなると眠気がピークとなる。
「ケント卿、そのままリラックスしてお休みいただくので大丈夫ですよ。ここからは睡眠を妨げないマッサージを行いますから」
(ベヴァリッジ公爵令嬢……)
もう声も出せないまま、眠りに落ちる。
そして目覚めた時の爽快感と言ったら……。
体に羽根が生えたかのように軽く感じた。
存分に伸びをして、満足感を覚える。
そんな自分にグラスに入った水を差し出してくれたのは、ベヴァリッジ公爵令嬢!
「す、すみません! 急に倒れ込んだ挙句、眠り込んでしまい……!」
「いつも騎士の訓練に没頭されているので、お疲れだったのですよ。そんな卿へいくつかアドバイスをしてもいいですか?」
「もちろんです!」
慌てて白い体操マットから起き上がろうとすると、「そのままでいいですよ」と言い、ベヴァリッジ公爵令嬢が僕の隣に腰を下ろす。
「現状、体力と筋力をつけるために、毎日毎日、訓練をされていますよね」
「ええ、そうです」
「その方法では筋肉はつかず、体力も向上しません」
ベヴァリッジ公爵令嬢のこの言葉には驚き「それはどういうことですか!?」と尋ねることになる。
「そもそも筋肉のトレーニングは、筋肉を軽く傷め、その修復の過程で筋肉を強くしてきます。毎日毎日同じ部位の筋肉を傷め続けてしまうと、修復を行う時間が足りなくなってしまうのです」
「な……そうなんですか!? 初耳でした」
「そうですね。筋肉に関する分析をした本はまだまだ少ないですから……。何より、筋肉について気にされている人も少数でしょうし」
これには「なるほど」と唸ることになる。
「急に訓練をしないことに不安を感じるかもしれません。でもそこは我慢なさってください」
「と申しますと……」
「訓練は二日に一度で、訓練の翌日は休息日にしてください。休息日には、軽いストレッチ、もしくは一時間程度のウォーキングで我慢です。そして週に一日は完全な休養日を設けることが重要になります」
これには「それは……!」と言いたくなってしまう。しかしベヴァリッジ公爵令嬢の横顔を見るに、彼女が適当なことを言っているようには思えない。
(なんというか自分のことをしっかり考えてくれた上でのアドバイスに思える……)
「今回、お休みになっているケント卿に行ったマッサージ。これはまさに訓練をされた直後、一~二時間以内に行うといい、筋肉の回復を促すマッサージでした。ちなみに休息日に行うといいマッサージは、最初にやったような痛いけれど気持ちがいいものです。こちらは筋肉痛と疲労回復に向いています」
「ベヴァリッジ公爵令嬢は、マッサージにとても詳しいのですね。何より医師が治療の一環で行うマッサージを筋トレに組み込む発想に驚きました」
「ありがとうございます」と微笑んだベヴァリッジ公爵令嬢だったが、すぐに真摯な表情となり、尋ねる。
「筋肉を育てるためにも、休息日をもうけた訓練を行い、定期的なマッサージを受けた方がいいこと。それはご理解いただけたと思います」
「はい。理解できています。ただマッサージをできる人材は限られていると思います。自分としては……できればベヴァリッジ公爵令嬢にこれからも見ていただきたいのですが」
そう言った直後に気が付く。
彼女は「公爵令嬢」なのだ。
侯爵家の令息にしか過ぎない自分にマッサージをする筋合いがない。
(だが……ベヴァリッジ公爵令嬢のマッサージでこんなに楽になったのだ。彼女以外にマッサージされても……ここまで回復できない気がする)
意を決した自分は真摯な気持ちでベヴァリッジ公爵令嬢に尋ねる。
「月に一度でいいので、その……ベヴァリッジ公爵令嬢にマッサージいただくことは……可能……だったりしますか」
「月に一度では効果が出にくくなります。週に一度、つまりは毎週、私がマッサージしましょう」
「本当ですか!」
思わず隣に腰掛けているベヴァリッジ公爵令嬢を見てしまった。すると彼女はニッコリ笑顔になり「ただし一つだけ、条件がございます」と言う。
「……? 条件?」
「はい」
一体ベヴァリッジ公爵令嬢は、何を言い出すのかと思ったら……。
「ケント卿がこれからもずっと、クラスメイトとして私と仲良くしてくれれば、週に一度のマッサージはお任せください!」
「そんな条件でいいのですか!?」
「はい。それでケント卿が笑顔になれたら、それで満足です」
まるで幼子のような、はにかんだ笑みを見せるヴァリッジ公爵令嬢。騎士になるため、異性に目を向けている場合ではないと分かっているが……。
自分の心がヴァリッジ公爵令嬢に向いてしまうのは……どうにもできなかった。
お読みいただきありがとうございます!
騎士団長の息子視点はこれにて完結です。
次は王太子視点(5話ぐらい予定・鋭意執筆中)になります〜
明日からは仕事ですが、引き続き頑張ります!
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