1-5 リュカスの街
村を出て数日。セラフィナは舗装もされていない街道を歩き、次なる目的地、リュカスの街にたどり着いた。交易が盛んなこの街は、村とは違って人の声も馬の蹄もひっきりなしに響いている。
雑多で、にぎやかで、けれどどこか落ち着かない。人が集まる場所には、人の不安もまた、自然と集まってくるのかもしれない。
(妙にぴりついてるわね……)
そう感じながらも、彼女は宿の看板を探して歩き出す。
◇ ◇ ◇
「……あんた、外から来た人かい?それなら、遺跡のほうには近づかないほうがいい」
宿の女将がぽつりと漏らした。
「遺跡?」
「あぁ、街から少し離れた丘に、古代の石の建物があるんだよ。前はただの観光地だったんだけどね、最近は近づいた人が⸺帰ってこないのさ」
「……それって、魔獣でも出るの?」
「魔獣ならまだマシさ。見た人がいるって話でね……“動く石像に襲われた”って、震えながら言ってたよ」
女将は腕を組み、落ち着きなく窓の外に目をやった。
「像が、人を……?そんな馬鹿な話⸺」
セラフィナの中に、かすかに冷たいものが差し込んだ。
あり得ないと否定するのは簡単だ。でも、魔王を倒した身としてセラフィナは知っている。
“この世界には、理屈だけでは測れないものが、確かに存在する”ということを。
セラフィナは自分の目で確かめてみることにした。
宿に荷物を置き、一息つく。
「動く石像ねぇ……まあ、そんな魔物がいてもおかしくはないけど」
明るいうちに動いたほうが良いだろうと考え、セラフィナは立ち上がったのだが……。
ぐぅぅ〜
「……その前に腹ごしらえね」
空腹を訴えるお腹をなだめつつ、セラフィナは宿の食堂へと足を運んだ。夕食にはまだ早い時間だったが、旅人の多いこの宿では、簡単な食事ならいつでも用意してくれるらしい。
「すみません、何か軽く食べられるものってあるかしら?」
「ちょうど焼き立てのパンがあるよ。あとはスープと、干し肉の煮込みでよければ」
「十分よ。それでお願い」
席に着いて間もなく、木の皿に盛られた食事が運ばれてきた。香ばしいパンの香りが空腹をさらに刺激する。熱いスープを一口飲めば、冷えていた体の奥がじんわりと温まった。
「ふぅ……生き返る……」
旅の疲れがじわじわとほどけていく。けれど心のどこかでは、あの女将の言葉が引っかかったままだ。
(“動く石像”……単なる噂だとしても、放ってはおけないわ)
食事を終えた頃には、空はすでに茜色に染まりかけていた。セラフィナは立ち上がり、腰に杖を収める。
「さて、行きましょうか。日が沈みきる前に、遺跡に着けるといいけど」
そうつぶやいて、セラフィナは街の外れにある丘へと足を向けた。
◇ ◇ ◇
街から見える大きな丘の中腹に、それはひっそりと佇んでいた。
風雨に晒され、苔むした石壁。崩れかけた柱の影には、小動物すら寄りつかない。
その遺跡は、長い年月の果てに、忘れ去られた場所だった。
「これはまた……なかなか雰囲気があるわね」
遺跡の入り口に立ち止まり、ぐるりと周囲を見渡した。風が吹き抜ける音と、遠くで鳥が鳴く声。
これといって変なところはないが、動く石像の噂がある以上、油断は禁物だ。
セラフィナは、覚悟を決めるとゆっくりと足を踏み入れた。
足元に広がるのは、ひんやりとした石の床。外とは打って変わって、空気は重く湿っていた。入り口から漏れる光もすぐに届かなくなり、セラフィナは杖を掲げ、先に光を灯す。
「ふぅん、結構広いのね」
天井の低い通路が奥へと続いている。壁には、風化した装飾らしき模様がかすかに残り、古代の建造物であることを物語っていた。
足音がやけに響く。
静かだ。あまりに静かで、何かを踏むたびに心音までもが強くなる気がした。
曲がり角をひとつ曲がったところで、セラフィナは足を止めた。
何かが、落ちている。
「これは……?」
しゃがみこみ、拾い上げる。それは革で作られた手袋だった。
ところどころ擦り切れ、血が付着している。
(誰かが、ここで……)
考えるより先に、足が動いた。
「急がないといけないわね……無事だといいけれど」
セラフィナは通路の先へと歩を進めた。なるべく早く、けれど油断はせずに。空気は重く、肌にまとわりつくようだった。
静寂の中、遠くで石が落ちるような音が一つ⸺コツン、と響いた。