1-2 聖女と呼ばれたその人は
午後5時、ようやく王都行きの馬車が来たので乗り込んで王都に戻ることにした。
窓の外を流れていく田園風景をぼんやり眺めながら、セラフィナは膝の上で手を組んだ。収穫前の稲が夕日に照らされ、黄金色にきらきらと輝いている。旅の途中、村の人々が笑いながら田んぼの話をしていたのを思い出す。
──ファルマは、いい村だったな。
あの静けさと穏やかさは、魔王を倒したあとに目指した「平和」というものそのものだった。ヴァルトがそこにしばらく根を下ろしたのも、分からなくはない。
けれど今はもう、彼もどこかへ行ってしまった。
「……次は、ミリエルか」
王都には、彼女が所属する大教会がある。平民の出でありながら、その癒しの力と誠実さで信頼を勝ち得た才女。きっと、話をすればわかってくれる──そう思いたいが、セラフィナの胸には一抹の不安があった。
“教会”という場所にいる以上、彼女ひとりの意思でどうにかなる話ではないかもしれない。
馬車が王都の城門をくぐる頃には、すっかり陽は落ちていた。街灯が灯りはじめ、行き交う人々の顔も赤らんで見える。あちこちで店じまいの声や、夕飯を求める人々の声が響く中、セラフィナは深くフードを被って馬車を降りた。
目指すのは、王都の中心部、聖王広場の北にそびえる白亜の教会――神の名のもと、すべての癒しを司る場所。
そこに、かつての仲間、ミリエルがいる。
今日はもう遅いし、会えないかもしれない。それでもセラフィナは一度会いに行こうと決意した。
◇ ◇ ◇
白亜の教会は、夜の静けさに包まれていた。建物の周囲には信者と思しき人々の姿もまばらで、広場の噴水が小さく水音を立てている。
セラフィナは階段をゆっくり上り、大きな扉の前で一度深呼吸した。鉄製のノッカーを打ち鳴らすと、しばらくして中からローブ姿の若い神官が顔を覗かせた。
「ご用件をお伺いします。夜分に訪ねてこられるとは……」
「すみません、私はセラフィナ。ミリエルに会いたくて来ました。元勇者パーティの──」
神官の目が見開かれた。
「……少々、お待ちください」
扉が閉まり、再び開いたのは五分ほど経ってからだった。現れたのは、変わらぬ清らかさと静けさを纏った女性――ミリエルだった。
銀色の髪をゆるく後ろで結び、水色の瞳は夜でも曇りなく澄んでいる。神官服の白がよく映えていた。
「セラフィナ……久しぶり。元気そうで、なにより」
「うん、久しぶり。すごく、久しぶり。……会えてよかった」
二人は、言葉少なに微笑みを交わした。ミリエルが手を差し出し、セラフィナを中へと招く。
礼拝堂の隅にある控室に通されると、ミリエルは静かにお茶を差し出した。カモミールの優しい香りが鼻腔をくすぐる。
「今日は……どうしてここへ?」
「うん……話したいことがあって。いや、頼みたいこと、かな」
カップを置き、セラフィナはまっすぐ彼女を見た。
「噂を聞いたの。黒い霧が出る、魔王の残党がいる、呪われた土地があるって。あたしたちで、なんとかしてあげたい。ミリエルならわかってくれるよね?」
「なるほど、そうだったんだね。でも、セラフィナ」
彼女の声は変わらず穏やかだったが、その表情には微かな迷いが見えた。
「今、僕はこの教会でたくさんの人を癒やしている。子どもたち、怪我人、戦災で家を失った人たち……みんな僕の力を必要としている。それに、ここを離れることは上層部が許さない」
「そんな……」
「セラフィナが言ってることが嘘だとは思っていない。でも、僕がここを離れれば多くの人を見捨てることになる」
セラフィナは何か言いかけて、言葉に詰まった。
「本当にごめん。でも、僕は行けないよ」
俯いて唇を噛みしめるセラフィナ。
苦い顔でセラフィナを見るミリエル。
そこには重い空気が漂っていた、次に口を開いたのはセラフィナだった。
「そう、わかったわ。それは仕方ないもの、あまり言えないわね。あたしひとりで行くわ」
「ひとりで……途中で前衛を仲間にしないと危ないよ。彼らもいないんでしょ?危険だよ」
そう、勇者リオネルも、剣士ヴァルトもいない。
魔法使いセラフィナを守るための戦力がないのだ。
「大丈夫よ、前より魔物はいないし……本当に危なかったら仲間にするわ。ありがとう」
セラフィナはお茶を飲み干すと立ち上がり、扉に手をかける。
「ミリエル、もし本当に危なくなったら、そのときは助けてね」
「……もちろんだよ」
ミリエルは即答しなかった。
それが答えなのだろう。ここから出られないという、答え。
「じゃあね、ミリエル。また会いましょう」
セラフィナは微笑んで手を振った。だがその笑みは、どこか寂しげだった。
ミリエルは何も言えず、ただその背を見送ることしかできなかった。
静かに閉じられる扉の音が、まるで決別のように耳に残った。
◇ ◇ ◇
外はもう夜の帳に包まれていた。
セラフィナはトボトボと自宅へと戻った。
倒れ込むようにベッドに寝転がり、ネックレスをいじる。
「誰もついてきてくれないなんて……まあ1人は会えてもいないんだけど」
これから1人で旅に出なければならない。
魔法使いとはいえ、前衛がいないと戦えないわけではない。
準備を、しなければ。
部屋の窓を開け放すと、夜風が頬を撫でた。
昼間とは打って変わって静かな夜の王都。
昼の顔も夜の顔もセラフィナは大好きだ。その全てが、かつて自分が守った"日常"だ。
(魔王がいなくなった今も、世界には掃除しなきゃいけないものがあるわね。穢れた土地、魔王の残党……)
独り言のような決意が胸に宿る。
小さなランタンの灯りに照らされて、セラフィナは一冊のノートを開いた。
そこには書き溜めていた旅の記録がある。
そこに新たに書き加えていく。
「魔王討伐後、世界の”お掃除係"になりました」
セラフィナ・メモ
そう、これはもう1つの冒険。
自分の意志で始める旅。
明日、再び世界を歩く。
この汚れた世界を掃除するために。




