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一話

大学一年生の高咲茜は念願の天文部に入部して星を追い求めるのだ、みんなでワイワイ楽しむのだ──。

そう思っていたが……。

待ち受けていたのは二人の美女。

そして二人に好意を持たれてしまい──。

いったい茜の学校生活はどうなる?

 私が一番好きなのは、愛しているのは、あなたです──。


   §


 私、高咲茜は十八歳にして人生で初めてのモテ期に突入しているのかもしれない。


「茜ちゃん。講義終わったんならご飯に行かない? あたしと二人で──」

「茜さん。エリとじゃなくて私と行きませんか? 勿論二人きりで──」

「あはは──じゃあ、三人で……」


 問題はそれが同時に二人で、なおかつもっと大きな問題は相手が女性だという事だ。


   §


 これは、私が二人の女性から告白されて、どちらか一人を選ぶ物語。

 これは、私が恋を知る物語。

 これは、私が愛を知る物語。


   §


 高咲茜は平凡を絵に描いたような少女だった──のだろう。認めたくはないが──。

 中学、高校の頃も目立たない子だったと思う。

 目立つことはなく。

 しかして目立たなすぎることもなく。

 平凡な女子だった。

 クラスのカーストも中間くらいでなんとなくぼんやりと生きていた。

 一つ、興味があるとするならば星が好きだった。

 小さなころにお父さんに天体観測に連れて行ってもらったことがある。

 車で山奥まで行って、銀マットの上で寝袋にくるまれて見た星空は今でも覚えている。

 世界が広がった気がした。

 お父さんが星と星を結んで星座を描いて見せたがそんなのは頭に入らなかった。

 ただ、何処までも広がる無数の星空が綺麗すぎて涙が出そうだった。

 鼻水はダラダラと出た。

 思いっきり風邪をひいてお父さんはお母さんに怒られていた。

 でも、私は満足していた。

 そんな感じで星空を見上げるのが趣味になった。

 我ながら小さな世界で生きてきたと思う。

 だからだろうか、大学進学は思い切って地元を離れようと思った。

 まあ、小心者の私は隣の県にある国立大学を選ぶくらいしか出来なかったけれど──それでも一大決心だった。

 そこはとある世界的な雑誌で絶対に行くべき場所に選ばれた都市──盛岡市。

 親はあっさりと賛成してくれた。

 過保護だと思ったけどそうではなくて、親離れできていないだけだったのに気が付いてしまい、少しだけ気恥ずかしくなった。

 物理と地学が得意だったのもあって理学部に進んだ。

 受験は無事に合格して、新居も決めて、新生活が始まった。

 晴れて大学生になったのだった。

 大学生の最初の夜、一人で近所のスーパーに買い物に言った帰り道に見た満月を私は今でも覚えている。

 ああ、綺麗だ──。

 それだけで、私は大丈夫だと思った。

 高咲茜はこれから、この土地で、一人でやっていける。

 そう、強く感じた。


   §


 入学式を終えて、新入生のオリエンテーションも済ませて、私はあることに気が付いた。

 男子しかいない──。

 理学部の地質学系なんてマニアックだなーとか我ながら思いつつ受験したけれど、理学部は男比率が高いなんて聴いていたけれど、それにしてもあんまりじゃない?

 これがカースト上位の女子なら上手くやるんだろうけど、私には荷が重い。

 モテる前に仲間が、友達が欲しいと強く願った。

 女子は群れる生き物である。

 孤高を貫くのは気高き一握りの人たちだけである。

 こうなったら部活だ──。

 ちなみに中学、高校は卓球部だった。そこそこ強くて、でもチームで三番手。県大会には行けるけど団体も、個人もブロック大会には進めないくらいの中途半端な強さだった。

 ラケットは処分してきた。大切に、大切に、お炊き上げしてきた。

 行きたい部活があった。

 中学にはなくて。

 高校にはあるかも? と思ったけど無くて。

 大学にならあるだろうと思った部活。

 そう、天文部!!

 星を眺めてみんなでワイワイするんだ。

 アウトドアでドキドキするイベントもいっぱいあったり。ふふふ──。


 そんなこんなでサークルオリエンテーションの日。私は天文部を探したのだった。


   §


「ここ──でいいのかな?」

 案内のマップから探し当てた天文部の場所は北棟のひっそりとした場所だった。

 なんだかじめっとしているし、人気がないし、本当にここで合っているんだろうか?

 でも、いつまでもこうしてはいられない。

 意を決して入ることにした。

「失礼しまーす──」

 ひっそりとした室内には二人の女性が座っていた。

「あっ、エリ。お客さん」

「本当だね、千夏」

 読みかけの本を閉じてこちらを見つめてくる。

 二人ともタイプは違えどハッとするほどの美人だった。

「いらっしゃい? 新入生だよね? ようこそ天文部へ!」

「いらっしゃいませ」

 少し見惚れて反応が遅れるが慌てて言葉を返そうとする。

「はいっ! 新入生の高咲茜です。よろしくお願いします!」

「茜ちゃんだね。うんうん、初々しくて可愛いねー。あたし、吉村エリ。工学部の二年生でここの副部長」

「私は坂本千夏。法学部の二年生。ここの部長をしているわ」

 副部長の吉村エリ先輩は茶髪に染めたショートカットでアクティブな見た目をしている。メイクも少し明るめで細身のパンツにグレーのパーカーを着ていた。

 部長の坂本千夏先輩は対照的に艶めいた黒髪のロングヘアーを靡かせていてアースカラーのロングスカートに白いブラウスとどこか大人びた女性といった印象だった。

 さすが大学生。美人さんが多いんだなーと思い。自分のメイク技術の拙さを少し恥じるのだった。

 そして違和感を覚える。

「お二人とも二年生で部長と副部長さんなんですね? 他の部員の方は?」

 大学は四年生までいるはずだ。

 なのになんで?

 エリ先輩が苦笑いを浮かべる。

「あー、その、なんだ。部員はあたしと千夏の二人だけなんだわこの部活」

「えっ、そうなんですか!?」

「はい。四年生が三月に卒業して残ったのが私達二人だけなんです。お恥ずかしい」

「だから、茜ちゃん。よかったら入ってくれない? 掛け持ちでもいいからさー。活動は夜がメインだから昼間は普通の部活も入れるよ?」

「えーっと──」

 もっとみんなでわーって楽しめる方がよかったかなーとか思ってしまった。

 そのほうが友達できそうだし。

 でも──。

「茜さんは星に興味が?」

「はい。昔、お父さんに連れて行ってもらって星見をしたんですけど、すっごく綺麗で──星をぼーっと眺めるのが好きになりました。でも中学にも高校にも天文部はなかったので入りたいなーと思いました」

「うん、いいね! 茜ちゃん入部決定〜。やったね、千夏」

「こら、まだ決まってないでしょ。茜さん、エリの言う通り掛け持ちでもいいから入部してくれない? この通り人数が少なくてさみしい部活だけど、星が好きならきっと楽しめると思うわ」

 少し悩んでみる。

 いや、心は決まっていたので悩む事なんてないのかもしれない。

「入ります! 星は好きだけど詳しくはありません。それでもよければよろしくお願いします」

 エリ先輩と千夏先輩の二人に軽く頭を下げる。

「今度こそ決まり! よろしくね茜ちゃん」

「よろしくお願いします。茜さん」

 エリ先輩は握手を求めてきて、千夏先輩は軽く会釈をしてくれる。

 エリ先輩と握手しながら千夏先輩に問いかける。

「他に入部希望者は来なかったんですか? 天文部ってまあまあメジャーなイメージがあったんですけど──同好会じゃなくて部ですし」

 お昼過ぎと言うのにこの近辺は静寂に包まれていた。他の入部希望者の姿はなかった。

「四年生の方々が結構ストロングスタイルの方々でして──私達が一年生の頃から既に部員の方は少なくなっていたのですがつい先日三年生の方も辞めてしまって私達だけが残ったのです。来年までに部員が四名を超えなければ同好会になってしまいますね。残念ですが」

 千夏さんが顔を俯かせる。

「でも、部員全然集んなくてさー。何人か声かけて今夜の天体観測に誘ったんだけど反応わるくてね」

「星見するんですか!? 行きたいです!」

「ええ、夜にグラウンドで星見をするつもりです。茜さんもぜひ来てくださいね」

「はい!」

「じゃあ、連絡先交換しようよ。茜ちゃん」

「そうね。入部希望書にもサイン願います」

「はい!」

 いそいそと二人と連絡先を交換して、入部届にサインした。


   §


「それじゃあねー」

「夜七時にグラウンドでお待ちしております」

 そんな言葉で送り出されて私は夜までの間に大学をブラブラして時間を潰した。

 吹奏楽部やロック研究会の演奏を聞いて、料理研究会でお菓子を食べて、演劇部の舞台を観劇して──。

 あっという間に夕方になり、学生達は夜の街に出て行って大学構内は静まり返っていった。

 学食で夕食を食べて腹ごしらえをする。

 今日はサバの味噌煮定食にした。

 我が家の味付けより少ししょっぱくて生姜の香りが強くて、美味しいけれどお母さんの味が逆に恋しくなってしまった。

 お母さん元気にしてるかな?

 元気にしてるんだろうな。

 少し郷愁を感じながら夕食を終えて、グラウンドに向かった。


   §


「こんばんは! 茜ちゃん!」

「こんばんは。茜さん」

「こんばんは。エリ先輩。千夏先輩」

 大学のグラウンドの入口で二人が待っていたけれど──。

「あの、他の方は?」

「あはー、収穫だめでした……」

「頑張って声をかけたんですけどね。残念だわ」

「そうですか──」

 少し残念。

 そんなに星って魅力ないかなあ?

 綺麗なのに。

 ロマンチックなのに。

「まあ、残念がっても始まらないし。今日は茜ちゃんが入部してくれた記念日だし、明日は日曜日で休みだし、予定を変更してグラウンドじゃなくて山に行こうと思います!」

「山ですか!」

「明日は日曜日だけど、茜さんは予定大丈夫? 帰ってくるのは日を跨ぐと思うけど」

「はい。私は大丈夫です! 全然オーケーです」

 夜更かしは得意だ。

「じゃあ、悪いけど私の車でいったん茜ちゃんの家に行くから冬服に着替えてきてくれない?」

「四月だけど夜の山は冷えるからね」

「はい、分かりました」

「じゃあ行こうか、望遠鏡とかはもう積んでるからいつでもいけるよ」

「はい!」

 久々の星見にワクワクして、私は駐車場に向かって歩いていった。


   §


 車でアパートまで送ってもらってスカートから厚手のジーンズに着替えてブラウスにカーディガンを羽織り、ダウンジャケットを小脇に抱えて外に出る。

「こんな感じで大丈夫ですか?」

「バッチリ!」

「銀マットに冬用の寝袋もあるからそれだけあれば大丈夫なはずよ」

「それじゃあ行きますか」

「安全運転でお願いね」

「オーケー」

 そしてエリ先輩の軽四駆自動車が発車する。

 運転席にはエリ先輩。

 助手席には千夏先輩。

 後部座席には私と──。

「後ろ狭くてごめんね」

「いいえ。大丈夫です」

 トランクにシュラフと銀マット、後部座席に天体望遠鏡、赤道儀、カウンターウェイトと荷物がたくさんあって少し狭いけど、なんだか非日常でワクワクしてきた。

 山で星見!

 どこに行くんだろう?

「今日はどこに行くんですか?」

「今日は奥中山高原ってところに行くよ」

「車で一時間から一時間半ってところかしら。今日はいい天気だし月も低い位置にいるからいい星空のはずよ」

「いいスポットだけど遠いのが難点だよなー。周りに何もないし」

「だからこそ星空が綺麗なんだけどね」

「へー、楽しみです」

 エリ先輩の運転は上手で優しいものだった。

「千夏、曲適当にかけて」

「はいはい」

 千夏先輩がスマホを操作してしばらくすると車内のスピーカーから小気味よいガールズロックのサウンドが鳴り響く。

「うんうん、いい感じ」

「曲に乗って飛ばし過ぎないでね」

「分かってるよ」

 車内に音楽が響く中、夜の街を走り抜けていく。

 まだ大学周辺しか地理が分からないから、車だとあっという間に知らない土地になっていくのを感じる。

「茜さんは星見をするのは久しぶり?」

 千夏先輩が聞いてくる。

「はい。受験勉強とかもあったので本当に久しぶりですね」

「そう。じゃあ、楽しい星見になるといいわね」

「はい!」

「茜ちゃんは望遠鏡で星を見たことはあるの?」

 エリ先輩が鼻歌混じりに聞いてくる。

「お父さんが望遠鏡を持っていました。まあ、そんなに高いやつじゃないって言っていましたけど、月とかは綺麗に見えましたね」

「まあ月は定番だよね。私も好きだよ。分かりやすく大きいし。綺麗だし。ずっと眺めてられるよね」

「はい、月は私も大好きです。ボケーっと眺めると元気をもらえます。ちょっと明るすぎるのが難点ですが」

「そうなのよね。月は明るすぎるのよね。それがいいところでもあるんだけど、星見するには眩しすぎて他の星達が陰ってしまうのよ」

 千夏先輩がアンニュイなニュアンスで喋る。

「月は魅力的よ。月の光は狂気を呼ぶと言われるほどに美しいの。でも大きすぎる光は太陽同様に他の光を多い被してしまう。難しいものね」

「この時間は月が低いからほどほどに楽しめるはずだよ」

 エリ先輩のフォローに星見へのワクワクが高まる。

「はい。楽しみです」

「そういえば茜さんって実家はこっちなのかしら? それとも県外?」

「実家は宮城です」

「あら、お隣なのね」

「はい。大学は一人暮らしをしてみたかったのと、星に興味があったので岩手に来ました」

「なるほどね水沢には国立天文台もあるしね。将来はそっち系に進みたいの?」

「まだ、そこまで固まってはないですけどね。でも星には関わりたいなあって思います」

「素敵ね。私はまだ将来の夢なんて全然ね」

「でもここの大学の法学部、結構難関じゃないですか。千夏先輩は頭がいいんですね!」

「あはは、ありがとう。でも上には上がいるしね。そんなに大したことはないわよ」

 うちの大学は理学部、工学部、文学部、法学部、獣医学部、農学部と多岐に渡っている。

 法学部は獣医学部と並んで偏差値がずば抜けて高かった記憶がある。

 ちなみに理学部は下の方だ。それでも私の学力だと気を抜けないくらいには高い壁だったのだけれど──。

「千夏先輩はどこの出身なんですか?」

「私は埼玉よ。埼玉の田舎の方ね。宮沢賢治が小さな頃から好きだったから縁のある大学で学んでみたいと思ったの」

「あー、確か農学部ですものね」

「まあ、偏差値的に法学部を狙えたのと、虫が大嫌いだから農学部はやめておいたの」

「千夏は虫、本当に嫌いだからな。夏の星見の時は虫除けスプレー完全装備だし」

「虫は必要な存在だと言うことは分かっているんだけど苦手なものは苦手なのよね。まあ黒いアイツがほとんどいないのは岩手の良いところだけどね。実家の方だと山が近かったから玄関先でお出迎えしてくるから入れないことがしょっちゅうあったし」

「千夏先輩はゴキブリ苦手なんですね」

「やめて頂戴──名前も聞きたくない。見た目がフラッシュバックしてきちゃうから」

「すっ、すみません!」

「あはは。千夏は本当にGがだめだよな」

「山の近くってことは千夏先輩の実家は星がよく見えたんですか?」

「ええ、街明かりが遠かったし川沿いの土手が合ったから開けていて星見するにはよかったわね。盛岡は市内だとあまり見えないから、便利だけど残念ね」

「意外と街ですよね盛岡。でも自然もあるから良い感じだなーって思いました」

「仙台よりは寒いけどね。桜が咲くのもゴールデンウィーク前くらいだし」

「桜が咲いたら高松の池でお花見しましょうか。大学から近いし桜が綺麗よ。夜もお月見くらいならできるし」

「じゃあ、お花見&新歓コンパは高松の池で決定だな」

「はい! 楽しみですー」

「花見をしながら飲む酒は最高だからなー」

「エリは本当にお酒が好きよね。飲みすぎて酔い潰れないでね。家まで送るの大変なんだから」

「分かってるよ。あー早く来年にならないかなー。そうすれば茜ちゃんもお酒飲めるのになー」

「エリ先輩はお酒が好きなんですね。かっこいいです」

「うーん。秋田生まれだからなー。関係あるかは分からないけどお酒はまあまあ強いし好きだよ。日本酒とかワインが好きかな。秋田も良いお酒あるんだけど、岩手も良いお酒あるんだよ。二十歳になったら三人でお祝いしようね」

「はい。お酒は強いのか分かりませんがお供します! その時はよろしくお願いしますね。先輩」

「いやー。良いなあ先輩呼び。なあ千夏」

「ふふふっ、なんだかくすぐったいわね。先輩と言っても体育会系の部活じゃないからフレンドリーで良いからね。茜さん」

「はい、ありがとうございます。千夏先輩。エリ先輩もよろしくお願いします」

「うん。よろしくね、茜ちゃん」


 そうして小一時間ほど車に揺られて、一軒のコンビニに停車する。


「ここから先はコンビニ無いからトイレ行くんなら行っておいで。飲み物も買うなら買っておいた方が良いよ」

「はい。分かりました」

 トイレを済ませてコンビニを出ると入口でエリ先輩がタバコを吸っていた。

 コンビニの灯りに照らされて紫煙が揺らいでいる。

「あっ、ごめん。茜ちゃんはタバコの煙苦手なタイプ?」

「うーん、あんまり得意では無いですかねー」

「りょうかーい。千夏もダメなんだよね。あいつ喘息持ちだから目の前ではタバコ吸わないようにしてるんだよね」

 千夏さんは車内でスマホを弄っているようだ。

「茜ちゃんの前でも吸わない様にするよ」

 エリ先輩がそう言うと携帯灰皿にタバコを捨てる。

 タバコの匂いは苦手だけど、タバコを吸うエリ先輩の姿はとても様になっていて、もう少しだけ見ていたかったなーなんて思った。細長い指に、爪先に塗られた赤いマニキュアがいろめかしいと思った。

「エリ先輩ってカッコいいですね。なんか大人の女性って感じがします」

 少なくとも私はまだ高校生気分が抜けていない。

「──あはは。実はさあ、あたし達浪人してるから今年二十一なの。だからかな」

「あっ、そう言う意味じゃなくて──なんかすみません」

「ううん。いいんだ。あたしあんまり頭良くなかった高校でさあ。でも大学に行きたいなあって思って浪人してきたんだ。もちろん千夏は知ってるよ。千夏はさっき謙遜してみせたけどメチャクチャ頭がいいんだよね。だから一般教養の講義はかなりお世話になった。茜ちゃんもノートと過去問は千夏を頼ればかなり楽になると思うよ」

「そうなんですね。一般教養の授業何取るかまだ決めかねてるので相談に乗ってもらいます」

「理学部と工学部の共通講義で必修のやつはあたしも相談に乗れるから後でシラバス見て作戦会議しよう」

「はい。ありがとうございます」

「じゃあ、戻ろうか。千夏を待たせてもあれだし」

「そうですね──わあ、ここからでも結構星見えますよ!」

 実家よりも、アパート周辺よりも星空が広くなっていた。

「高原はもっと綺麗だよ。ほら、行こう」

「はい!」

 先を歩くエリ先輩の後をついていく。


   §


 コンビニを出てすぐに細い道に入ると傾斜のある道路を登り続けた。

 あのコンビニは山の麓にあったんだなー。

 三十分くらい山を登っていくと開けた高原にでる。

 街灯は全く無いけど登る感覚がなくなったから高原なんだろう。

 そこから数分ほど走ると車が停車する。

「お疲れ様。エリ」

「いえいえ。これくらいどうってことないよ」

「じゃあ、外に出ましょうか。茜さん、寒いからダウンジャケットは着てからの方がいいわよ」

「はい」

 ダウンジャケットを着て外に出る──。

「うわあ──」

 そこは一面の星空が広がっていて、プラネタリウムなんて目じゃないくらいだった。

 星座なんて全然分からないくらいに星空が多すぎて──息を飲むくらいに美しかった。

 涙が出そうだった。

 空にフワフワと吸い込まれて、飛んでいけそう。そんなことを空想する。

 ああ、お父さんに連れていってもらった時もこうだった気がする。

 それだけ感動するくらいに素敵な星空だった。

「今日は星空指数が百だったけど本当に当たりね。いい星空だわ」

 厚手のコートを着た千夏先輩が赤色灯の灯りで照らしながら銀マットと寝袋を準備する。

「茜ちゃん。これ持ってもらっていい?」

「はい」

 エリ先輩の手伝いをしながら望遠鏡を組み立ていく。

 さすが天文部。家にあった望遠鏡よりもしっかりしてるしちゃんと赤道儀を使うタイプの望遠鏡だった。

「三脚を広げてもらってもいい?」

「分かりました」

 三脚の脚を伸ばす。

 赤道儀を載せるタイプだから三脚もがっしりしていて重い。

「じゃあ赤道儀つけるね。茜ちゃん赤道儀は知ってる?」

「はい。北極星に合わせて位置を調節することでハンドル一本で天球の移動に合わせられるんですよね」

 普通のカメラに使うタイプの三脚だと上下と左右、二つのハンドルを調整しなくちゃいけないけど、赤道儀を使うタイプの三脚は極軸さえ合わせてしまえばハンドル一本で星空を追いかけることが出来る。凄いや人って。私はこんなの思いつかない──先人に感謝をしておく。

「うん。大正解。じゃあちょっと極軸合わせるから待ってね」

 エリ先輩が北極星に目星をつけて位置を合わせていく。

 あっちが北極星ってことは──あれが北斗七星か。

 エリ先輩が合わせる方向から逆算して星の位置を紐解いていく。

 まあ、星座殆ど知らないんだけど。

 でもエリ先輩凄いなあ。こんなに星があるのにすぐに北極星が見つけられるなんて。

「茜さん。ホッカイロです。ポケットに入れておくといいですよ」

「ありがとうございます。千夏先輩」

 千夏先輩からホッカイロをもらう。

 ポカポカしていて暖かい。

「千夏。ウェイトつけて」

「うん」

 そこからはテキパキと望遠鏡が組み上がっていった。

 ファインダーで千夏先輩が月を捉える。

「はい、茜さん。今日は半月だからクレーターが綺麗よ」

「ありがとうございます」

 望遠鏡の接眼レンズを覗き込む。

「わー!!」

 そこには大きくて黄金色に輝いている月が見えた。

 半分の月は影を大きく落としながらもクレーターをくっきりと覗かせてくれた。

 見惚れていると半月が逃げていってしまう。

「ここのハンドルをこっちの向きに回すの。そうすれば月を追いかけてくれるから」

「はっ、はい──」

 千夏先輩が手を握ってハンドルを持たせながら耳元で囁く。

 そのウィスパーボイスに私は少しだけドキドキしてしまった。

 気がつけば半月はもう中程まで見えなくなっている。

 追いかけねば。

 ハンドルを回して月を追いかける。

「おー、すごい。お父さんの持っていた望遠鏡よりめちゃくちゃ使いやすいし綺麗に見える!」

 月の表面ってこんなにくっきり見えるんだ。

 大気の揺らぎもくっきり分かるほどにクリアな視界だった。

「うちの部の望遠鏡は結構いいやつなんだよね。蛍石を使ったフローライトレンズでさ」

「へー!! そうなんですね! 凄いです。こんなにくっきりした月なんて初めてです!」

 興奮が止まらない。

 いつまでもハンドルを回して月を追いかけそうだ。

「ねえ、茜さん。月の写真を撮ってあげましょうか?」

「えっ!? 写真撮れるんですか?」

「ちょっとスマホを貸して頂戴」

「はい」

 スマホをダウンジャケットから取り出してカメラを起動して千夏先輩に渡す。

「ちょっと待ってね」

 千夏先輩がカメラを接眼レンズに向けて少しスワイプしてズームする。

「わー、月だ」

 私のカメラに月が映っている。

 ピントを合わせてそのままシャッタを押す。

 カシャリという軽い音が響く。

「ほら、月よ」

 千夏先輩からスマホを手渡される。

 私の手のひらに月が輝いていた。

 綺麗なヘミソフィアの中にクレーターがくっきりと影を落としている。

「わー、月だ──」

 さっきと同じ事しか言えなかった。

 自分のボキャブラリーのなさにビックリした。

「凄いです! こんなに綺麗に月が撮れるんですね」

「最初はビックリするよねー」

「そうね。私も最初、先輩に見せてもらった時は綺麗さに驚いたもの。月の光は本当に魅力的よね」

「よーし。じゃあ次はあたしが木星見せてあげるよ」

 エリ先輩が望遠鏡をいじり始める。

「木星ってどの辺ですか?」

 千夏先輩に問いかける。

「木星はあっちよ」

 千夏先輩が私の後ろに立って手を握り、人差し指を夜空に向ける。

「月から少しズレてこっちの方──あの輝いている星よ」

 後ろから抱きしめられるようにして星の位置を教えてもらう。

 千夏先輩のサラサラの髪が鼻先をくすぐる。

 甘くていい匂いがする。

 なんの香りだろう? バラの香りかな? それともカサブランカ?

 花の匂いがする。

 落ち着いて、でもドキドキする香り。

 私、臭くないかな?

 汗かいてないかな?

 お風呂入ってから来ればよかったかな?

 私のうなじ付近に千夏先輩の顔があると思うと変な緊張感が走る。

 正直木星の位置はよく分からなかった。

 あの光ってるやつかな?

「捉えたよ。茜ちゃんおいでー」

「は、はーい」

 指先を離してくれたおかげで千夏先輩から脱出することが出来た。

 なんだろう。千夏先輩。美人なのもあって同性なのにドキドキしちゃう。

 エリ先輩の操作する望遠鏡を覗き込む。

 そこには木星の縞模様がハッキリと確認することが出来た。

「わー、木星だ!」

 相変わらずボキャブラリーが貧弱だった。

「凄いです。シマシマがハッキリ分かりますね」

「木星もいいよねー。あたしは木星見るの好きなんだよね。縞模様が綺麗でさー」

「はい。すごく綺麗です」

「木星もカメラで撮る?」

「はい! お願いします」

 同じように千夏先輩に写真を撮ってもらった。

「じゃあ、次はメシエ天体にしようか」

「メシエ天体?」

「有名な星雲とか星団の事よ。有名なのはオリオン大星雲かしらね」

 今度は千夏先輩が望遠鏡を操作する。

「オリオン大星雲はね。オリオン座の腰くらいにあるんだ」

「あっ、オリオン座は私も知ってます!」

 西天を仰ぎ見る。

 棍棒を振り上げたオリオンの姿を想像しながら腰元の三つ星を探す。

 特徴的な姿を捉えてふふっと笑う。

「あれですよね!」

 指差す私の方を見て千夏先輩が微笑む。

「うん。正解 オリオンの三つ星の下にある小三つ星にオリオン大星雲はあるの。ほら、おいで、茜さん」

「はい」

 千夏先輩の方に行って望遠鏡を覗き込む。

「おー、おー? なんかモヤッとしてますね」

「そう、これがオリオン大星雲。肉眼で確認できる星雲の中でも特に明るいものの一つなのよ」

「メシエナンバー42、オリオン大星雲は大きいから初心者でも観測に適している星雲なんだよ。あたしも最初に自分で望遠鏡使っていれたメシエ天体だよ」

「へー、モヤッとしていて不思議ですけど綺麗ですね」

 視界から逃げていくオリオン大星雲をハンドルを回して追尾していく。

 月の時もそうだったけど、星って不思議だ。

 ずっと追いかけたくなる。

 しばらく追いかけて、オリオン大星雲の揺らぎを眺め続けていた。


「じゃあ、あとは寝そべって流れ星観察とかしましょうか」

 千夏先輩の声でようやく望遠鏡から視界を外す。

「流れ星! 見れるんですか?」

「運がよければね。でも今日は空気が澄んでるし。月ももう見えなくなったから十分見るチャンスはあると思うわ」

「やったー!!」

「じゃあ、寝袋入ろうか。足元にホッカイロ入れといたからあったかいはずだよ」

「そうね」

「はい!」

 三人で靴を脱いで銀マットの上の寝袋に入る。

「あったかいー」

「だろー」

「気持ちいいわね──」

 厚着をしていても足元は冷えがちなので足先にあるホッカイロが心地よい。

「わー、本当に綺麗な星空ですね」

「今日は大気の状態も良いからね。茜さんを連れてこれてよかったわ」

「そうだなー。本当にいい星空日和だ」

 澄んだ空の下で、満天の星空を眺める。

 まるで空に自分が吸い込まれそうな、クラクラするほどに綺麗な星空だ。

「茜さん。さっきのオリオン大星雲よりもっと上の方、あそこにボヤッと見えるのがM45、プレアデス星団──すばるよ」

「あー、それも聞いたことある星です。あそこのモヤッとしたやつですか?」

「そう。神話だとプレアデス姉妹の名を冠している星団ね」

「オリオン大星雲と違って星雲じゃなくて星団だから望遠鏡で見ると星の集まりなんだよ」

「へー。肉眼だとどっちもモヤッとしてるけど違うんですね」

「そうねどちらも星に変わりないけど集まり方とかガスの出方で名前は変わるわね」

「まあ、綺麗なのに変わりはしないけどね」

「そうですね。どっちも綺麗です。星は素敵ですね」

「うん、星はとっても素敵──茜さんは星に詳しくないとの事なので簡単に説明を──西に落ちていくのが主に冬の星座たち、オリオン座のベテルギウスとおおいぬ座のシリウスとこいぬ座のプロキオンを結んだのが冬の大三角。そしてそれら三つの星座にもう少し北のおうし座のアルデバラン、ぎょしゃ座のカペラ、ふたご座のポルックスを結んだ六角形が冬のダイアモンド」

「はい。冬の星座は印象的なので所々覚えています。有名だし明るい星が多くて華やかですよねー、冬の星座大好きです」

「うん、私も好きかな。自分が双子座ってのもあって小さい頃からお気に入りなの」

「千夏先輩双子座なんですか?」

「ええ、六月一日よ」

「へー」

「ちなみにあたしは八月十五日の獅子座だよ」

「私は九月四日の乙女座です!」

「乙女座といえばもう見えてるわね」

「えっ、そうなんですか? どこです?」

「北斗七星があそこにあるでしょ」

「はい」

「その柄杓の取手部分の先端からグーッと伸びていって明るい星にぶつかるの。それがうしかい座のアークトゥルス。そしてそのままさらに曲線状に伸ばしていってぶつかる明るい星がおとめ座のスピカよ。この北斗七星からアークトゥルス、スピカまでの一連の流れを春の大曲線と言うの」

「なるほどーおとめ座のスピカかー。うん、覚えました!」

 おとめ座のスピカ──忘れないようにしよう。

 そうやっておとめ座の方を眺めていると一条の光が流れ落ちていった。

「あっ! 流れた! 流れましたよ! 先輩」

「そうね」

「結構大きかったな」

「わー、綺麗だったなあ──」

「もう少し粘ればもっとたくさん見れるはずよ。茜さんは夜ふかししても明日大丈夫?」

「はい。私は大丈夫です」

「そういや茜ちゃん、まだ講義何とるか決まってないんだってさ。明日部室で茜ちゃんの講義決めるのやらない?」

「良いですね」

「良いんですか!?」

「もちろん良いですよ。一般教養なら私が相談に乗れますし、理系科目の講義ならエリが頼りになるでしょう」

「うちらにまかせなー」

「じゃあ、お願いします!」

 やったー!! 助かるー。

 それから私達は星空を眺めながらなんでもない話をした。

 地元での話、趣味の話、バイトの話、大学の話──。

 私は趣味と呼べるものはあんまりなくて、強いて言うなら料理が好きなことかなーと話をしたらどうやら千夏先輩は料理が苦手らしい。

 なんだか意外だ。

 なんとなく千夏先輩はなんでもそつなくこなせそうな感じなのに。

 千夏先輩は基本的に学食でご飯を済ませているらしい。

 エリ先輩は自炊できるらしい。昼食はお弁当を作ってきているみたいだ。

 それも少し意外だった。

 バイトの事も少しおしゃべりした。

 千夏先輩は親の仕送りと奨学金。

 エリ先輩は短期バイトを色々とやっているらしい。遊園地、動物園、テレビ局、ライブ会場。

 私はバイトをしたことがないのでいつかやってみたいけど、少し怖いなーとも思った。

「じゃあ、あたしと今度一緒にやってみようよ。それなら怖くないよ」

 確かに──。そう思ったので有り難かった。

 流れ星の数は途中から数えるのをやめた。

 何個も、何個も、流星が私たちの頭上を駆け抜けていった──。


   §


「じゃあ、そろそろ帰ろうか。帰る頃には日付跨ぐくらいかな」

 エリ先輩がモゾモゾと寝袋から抜け出して言う。

「うひゃー、寒い寒い──ほら、二人ともお片付けするよ」

「はい」

「寒い──」

 寝袋を抜け出すと突き刺すような寒さが襲ってくる。

 もう四月なのに夜も更けてくるとこんなに寒くなるんだ──。

 寝袋から渋々といった様子で出た千夏先輩を追いかける──千夏先輩。寒がりなのかな?

 千夏先輩とエリ先輩がテキパキと片付けていく中で私は寝袋を収納袋にしまっていた。

「忘れ物ないよね」

「大丈夫──なはず」

 千夏先輩がスマホのライトで辺りを照らす。

「よし、じゃあ車内に戻りましょう」

「オーケー」

「はい」

 望遠鏡セット、寝袋、銀マットを車内にしまって私たちも中に入る。

 エリ先輩が車のエンジンをかけると静寂に包まれた高原の中にエンジンの暖機音が響く。

「茜さん。手を出して」

「はい?」

 言われるがままに手を出すと千夏先輩がごそごそした後に私の手を包み込むように握りしめる。

「ひゃっ──」

 驚いてつい声をあげてしまう。

「ごめんね。でも乾燥すると手荒れの原因になっちゃうからクリーム塗らないと」

 どうやらハンドクリームを塗ってくれているのだった。

 手の甲から手のひら、指先まで絡めるように塗ってくれて、なんだかくすぐったくて、なんだか照れてしまうのだった。

「はい。おしまい、あとは自分で伸ばしてね」

「はっ、はい──」

 ドキドキと胸が高鳴ってしまう。

 こんなの初めて。

「千夏、あたしにもー」

「はいはい」

 千夏先輩がハンドクリームのチューブをぶちゅーっとエリ先輩の手の甲に乗せる。

「なんか雑じゃないー?」

「エリはエリだから良いのよ」

「はーい」

 エリ先輩がハンドクリームを両手で擦るつけるように塗り終える。やっぱりマニキュアが目に入る。

「エリ先輩。マニキュアとっても似合ってますね」

「そう? ふふっ、ありがとうー。茜ちゃんに褒めてもらえるの嬉しいな。茜ちゃんもマニキュア塗ってみれば?」

「えー、私なんて似合わないですよ」

「そんなことはない。茜さんならきっと似合うと思う。明日私のマニキュア何本か持ってくるから塗ってみましょう」

「いいね。あたしも何本か持ってくるよ」

「じゃあ、その──お願いします」

「はーい。じゃあ、出発するよー」

「あっ、ちょっと待って。コーヒー持ってきたの」

 千夏先輩が水筒を取り出して紙コップにトクトクと注ぐ。

 暖かな湯気と共にコーヒーの良い香りが車内に広がる。

「はい、茜さん」

「ありがとうございます」

「エリ」

「サンキュー」

 コーヒーを受け取ると紙コップの暖かさが手のひらにじんわりと伝わってくる。

 一口コーヒーを飲むとキリリとした苦味とコク深い味わいが広がる。

「美味しい──」

「ありがとう。私、コーヒーとか紅茶を淹れるのが好きだから気に入ってもらえたのなら嬉しいわ」

「寒かったからってのもあるけど、本当に美味しいコーヒーです」

「千夏はコーヒーとか紅茶淹れるの本当に美味しいからなー。星見のお供に欠かせないんだよね」

 まったりとした時間が流れる。

 本当に美味しいコーヒーだった。

「じゃあそろそろ出発するよ」

「はい」

「お願いね」

「じゃあ帰りまーす」

 エリ先輩の運転する車が静かに発進した。


 こうして私の天文部としての初めての星見は終わっていくのだった。


   §


 帰り道は雑談のトーンは少し控えめだった。

 と言うのも私が少し眠かったからだった。

 今日は一日フル稼働だったのと先輩たちと仲良くなれそうなのにホッとして気が抜けてしまった。

 私からは話題を振る事はなく、静かに車内から窓の外の宵闇を眺めていた。

 今日、星を見れた。

 綺麗だったなあ。

 お父さんと初めて見た星空よりも感動したかもしれない。

 世界が広がった気がした。

 実際に広がったのだろう。

 大学に入って、初めてまともに人と繋がることが出来た。

 一人では行けないくらい遠い所に行く事が出来た。

 大学生ってすごい。

 こんなに世界って広いんだ。

 ちっぽけな世界に住んでる自覚はあったけど──世界の広さを少しだけ知ることが出来た。

 それがなんだかとても嬉しかった──。


   §


「じゃあ気をつけて帰ってくださいね。茜さん」

「じゃあねー。茜ちゃん」

「はい。今日は本当にありがとうございました。楽しかったです。また明日よろしくお願いしますね!」

 サークル棟の入口で二人に軽くお辞儀する。

「じゃあね〜」

「また明日。帰り道に気をつけてね」

「はい。本当にありがとうございました!」

 自転車を漕いでアパートに向かう。

 ダウンジャケットが少し暑かった。

 ボタンを開けて風を感じる。

 今日、星見をした──。

 今はもう街明かりに照らされて殆ど見えない夜空には確かに星が瞬いていたんだ。

 星は光り輝いて、星は流れ落ちて、確かにそこにあったんだ。

 自転車を漕ぐ足に力が入る。

 なんだか眠気が醒めてきた。

 天文部に入っちゃった。

 憧れの天文部。

 優しそうね先輩に出会えた。

 なんだか自分の中の歯車が大きく回り始めた気がする。

 何かいいことが起こりそう。

 何か新しいことがはじまりそう。

 そんな予感がする。

 明日が楽しみだな──。

 家まであと少し。

 ワクワクを胸に秘めて私は力強く漕ぎ続けた。


   §


 翌日。シラバスと手帳をカバンに入れてサークル棟にやってきた。

 サークル棟の一階の一番奥の右手側、そこに古びた字で天文部と書かれた看板が掛けられている。

 コンコン──。

 ノックして入る。

「こんにちはー」

 窓辺に置かれた椅子に千夏先輩が腰掛けて本を読んでいた。

 淡く漏れる太陽の光を浴びて黒髪が艶めいて光っているように見えた。

 絵になるなあ──。

 本当に美人さんだ。

 そんなことを思い、思わず立ち尽くす。

「こんにちは。茜さん、ようこそ天文部へ。ほら、立ってないでこっちにどうぞ。今、紅茶を淹れるから──」

「はい、失礼します」

「いいのよ。畏まらなくて」

「あはは。少しづつ慣れていきます──あの、エリ先輩は?」

「エリは少し遅れてくるわ。茜さんに塗るマニキュア選びに苦戦してるみたい」

「あはは──大丈夫かなー、マニキュア似合うかなー」

「大丈夫よ。茜さん。手を見せて」

 千夏先輩が椅子から立ち上がる。

「はい、こうですか?」

 私の指先に千夏先輩が触れる。

 なんだかむず痒い。

「うん──茜さん、指先長いし爪も綺麗だから大丈夫。もっと綺麗になれるわ」

「そう──ですかね?」

「ええ、私を信じて。私、人を見る目はあるから。あなたは綺麗よ。好きになっちゃうかも──なんてね」

 吸い込まれそうな琥珀色の瞳に見つめられる。

 わー、まつ毛すっごい長い。

 メイクも綺麗。

 好きになっちゃうって、そんな、まさか、あはは──。

 ドキドキしてしまう。

 千夏先輩が手を離す。

「紅茶を淹れるわ。座って待っていてちょうだい」

「はい。ありがとうございます」

 千夏先輩に見つめられた余韻がまだ消えない。

 少しだけ、消えて欲しくない──そんな事を思う。

 千夏先輩が腰かけていた椅子の隣の椅子に座る。

 少しでも千夏先輩を感じたいのかな?

 なんだかあまり冷静でなかった。深呼吸をする。ふー、はー──。

 幾分落ち着いて、部室をくるりと見渡すと椅子と机、本棚、そして望遠鏡や三脚などが置かれている。

 本棚には星の図鑑に星座や星座にまつわる神話の本がずらりと並んでいた。

 わー、天文部っぽい。

「好きなの読んでいいいわよ」

「はい」

 星の図鑑を手に取る。

 パラパラとめくると昨日見た冬のダイアモンドのページを見つける。

 綺麗だったなあ、昨日の星空。本当に綺麗だった──。

 オリオン座、おおいぬ座、こいぬ座、ぎょしゃ座、おうし座、ふたご座──。

 昨日の星空を思い出す。そこに星座を描いていく。

 こんな形の星座なんだ──。

 オリオン座は分かりやすいけど、そのほかの星座の詳細は知らなかったので勉強になる。

「はい。紅茶よ」

 目の前の机にティーカップが置かれる。

「ありがとうございます」

 ふーふーと息を吐いて少し冷ましながら紅茶に口をつける。

「あっ、美味しい──この紅茶とっても美味しいです!」

 華やかな香りと穏やかな渋みが口の中に広がっていく。

 家で飲むティーバッグとは大違いだ。

「それはね、ヌワラエリヤという茶葉よ。私のお気に入りの農園の茶葉なの」

「へー、千夏先輩は本当にコーヒーとか紅茶を淹れるのが上手なんですね!」

「ふふふ、ありがとう。料理は出来ないけどコーヒーとか紅茶を淹れるのは得意なのよね」

「私は反対ですかね。料理とかお菓子作りは得意だけどお茶とかは無頓着でティーバッグで済ませているんですよね」

「茜さんは料理が得意なのね。羨ましいわ。なんだか苦手なのよね」

「お母さんが料理上手でお手伝いしていたからですかね。お料理は好きですね。今度、紅茶に合わせたお菓子を焼いてきますよ」

「本当? 嬉しいわ。ふふっ、楽しみね」

 千夏先輩が柔らかく笑う。

「えへへ、がんばります!」

 何がいいかな。クッキー? フィナンシェ? マドレーヌ? ちょっと難しいけどシュークリームに挑戦するのもアリかな?

「エリが来る前にネイルを塗る下準備をしましょうか」

「下準備?」

「ええ」

「ネイルってマニキュアを塗るだけじゃないんですか?」

「綺麗に塗るためにはやることがあるのよ。指先を見せてもらってもいいかしら?」

「はい」

 両手を千夏先輩に差し出す。

 先輩が指先をじっと見つめる。

「茜さんの爪、ささくれがないし甘皮も処理しなくて大丈夫そう。とっても綺麗な指先ね」

「えへへ。そうですか?」

「マニキュアを塗る前にささくれや甘皮を処理すると綺麗に塗れるんだけど大丈夫そう。少しだけ爪先を整えましょうか」

 千夏先輩がカバンからセットを取り出してやすりをかけ始める。

 人に爪を弄ってもらうなんて中々ないからむず痒い。

 何本かやすりを交換しながら千夏先輩が爪先を整えていく。

 なんだか部屋には紅茶に交じってカサブランカみたいな、花の匂いが広まってる気がした。千夏先輩の香水? なんだか落ち着く。

 でも、ドキドキする。

「千夏先輩。こうやって誰かにネイルすることが多いんですか?」

 なんだか手慣れている。

「まあ、たまにね。昔、やってあげたりしたことがあるわね。でも、そんなに経験があるわけじゃないわよ」

「へえ、なんだか凄く手慣れているんでいつも友達にやってあげたりしてるのかと」

「そんなことないわ。友達少ないしね。自分でやり慣れているからよ──こんなものかしら」

「おー、綺麗になっている」

「エリが来る前に保湿してベースコートを塗っておきましょう」

 千夏先輩がオイルを指先に塗っていく。

 やはりくすぐったい。

「ふふ、なんだかくすぐったいです」

「少し我慢してね」

 ティッシュで余分なオイルをふき取るとベースコート? と言うものを塗っていく。

「そのままマニキュアを塗るんじゃないんですね」

「ええ、ベースコートを塗った方が爪を守ってくれるし、綺麗に塗れるのよ。ベースコート、マニキュア、トップコートの順番で塗るのよ」

「へー、なるほどー」

「マニキュアのコツは良く乾かすこと、そして乾くまで触らない事ね。覚えておいてね」

「はい。分かりました」

 ベースコートを塗り終えて乾かす段階になってエリ先輩が部室にやってきた。

「やっほー。ごめんー遅れちゃったわ」

「エリ先輩こんにちは!」

「遅いわよ、エリ。取り敢えずベースコートは塗っておいたから」

「サンキュー、千夏。茜ちゃん、こんにちは。昨日は夜更かし大丈夫だった?」

「あはは。少し眠かったけど大丈夫です」

「そう、ならよかった。えっとねえ、取り敢えず厳選して三本持ってきたよ。千夏は?」

「私は二本」

「じゃあ、茜ちゃんに選んでもらおうか」

「私が選ぶんですか!?」

「うん。やっぱり自分で好きだなあって思ったやつを塗った方が気分も上がるよ」

「たぶん似合うと思うのを私もエリも選んできたからそんなに変な事にはならないはずよ」

 二人がマニキュアを私の前に並べる。

 ダークチェリーからパールピンクまでグラデーションのようになっている。

「エリ。結構暗めのも持ってきたのね」

「いや、意外とギャップがあっていいんじゃないかなーって」

「私は春先だから明るめの二本ね」

「うん、そっちも茜ちゃんに合ってそう」

 どれにしよう。

「うーん、悩みますねー」

「直感で選んじゃえばいいんだよ」

 エリ先輩の言葉に私の直感さんへ耳を傾けてみる。

 直感さん返事をしてくださいー。

 ──うんともすんとも言わない。

 私の直感さんは沈黙を携えるばかりだ。

 諦めて考える。

 ダークチェリーはちょっと勇気がいるなあ。

 でも明るすぎるのも派手じゃないかなー。

 なんか調子に乗ってるって思われたら嫌だなー。

 でも、パールピンクは良いなあ。

 気になるなあ。

 ──うん。

 これにしてみよう。

「じゃあ、千夏先輩の持ってきてくれたマニキュアの落ち着いている方で」

「分かったわ」

「うーん選ばれなかったかー。残念。でも千夏の方も似合うと思うよ」

「エリ先輩のは今度試させてください」

「うん!」

「じゃあ。ベースコートも乾いてるし塗るわね」

「はい。お願いします」

 千夏先輩がマニキュアのボトルを開ける。

「マニキュアを塗るときはね付け過ぎるといけないからボトルのフチで量をこうやって調節するの。そして爪先のサイドから塗っていくの。ここが一番剥がれやすいから綺麗に塗るのよ」

「なるほどー」

「まずはここで乾かします」

「一気に塗らないんですか?」

「塗ってもいいけどこの方が綺麗に塗れるの」

「へー」

「まー、毎日塗ってると面倒になって一気に塗るようになるけどな。あたしはそうしてるし」

「ふむふむ」

「乾いたら爪の中央から端に向かって塗るの。慣れないうちは一回で全部塗れなくてもいいから少しずつ塗っていくといいわ」

「わー、マニキュアだー」

 爪先がグンと明るくなっていくようだ。

「そう、これがマニキュアよ。茜さんとっても綺麗な指先だから指先もオシャレしないとね」

「えへへ、照れます──」

 本当に、ドキドキしてしまう。

「はい──これで塗り終わり。あとは乾いたらトップコートを塗れば完成よ」

「おー。凄い、なんだか私の指じゃないみたい」

「慣れてきたらラメで彩ったり、ワンポイントを入れてみるのも面白いわよ」

「へー、そんなことも出来るんですね」

「ネイルサロンに行けばもっと凝ったものも出来るけどね」

「ネイルチップとかで遊んでみるのもありだと思うよ」

「ネイルチップ?」

「付け爪よ。普段料理とかで爪先を短くしたいんならネイルチップを用意してオシャレする時につけるの」

「なるほどー。色々あるんですね!」

 マニキュアが乾いたのでトップコートを塗ってもらう。

 ツヤツヤしたパールピンクの桜色が私の指先を彩っている。

 何だか気分が上がってくる。

「良かったらあげるわ。そのマニキュアとコートセット。使いかけで良ければだけど」

「えっ、そんな悪いですよ。もらえませんよ」

「良いのよ。私からの入部記念のプレゼント」

「じゃああたしも使いかけだけど一本マニキュアあげるよ」

「えー、そんな──本当にいいんですか?」

「勿論よ。初めてできた可愛い後輩ですもの」

「えーっと──じゃあ、いただきます。今度お礼させてくださいね」

「そんなに気にしなくてもいいのに──まあ、楽しみにしとくわ。じゃああとは茜さんの取る講義についてね」

「うん、千夏とあたしが一年の時に取ったオススメを教えちゃうよー」

「ありがとうございます!」


 そうして午後のひと時、紅茶を飲みながら千夏先輩とエリ先輩に教わりながら一般教養と専門科目の講義を選んでいったのだった。


   §


 そうして私の大学一年生が始まった──。


 朝起きて、歯磨きをして、パンとスープを食べて、お化粧を軽く済ませて講義に行く──。

 マニキュアを塗るのは習慣になっていた。

 初めて先輩にもらったプレゼントを大切に、大切に塗っていった。

 大学の講義は無理なく取れるように千夏先輩とエリ先輩が組んでくれた。

 星見に行っても朝が辛くない様に一限の講義は少な目にしてくれた。

 必修科目も漏れなく組まれて、これなら大丈夫そうだなーと思った。

 一般教養の英語や第二外国語、数学系の科目、自然科学系の科目で隣になった人と仲良くなって顔見知りや友達も徐々に増え始めた──。


「えー!! 茜、あの法学部の姫と知り合いなんだー!!」

「法学部の姫?」

「そうそう、メチャメチャ頭よくて全科目S評定って噂だし、とっても美人だから学年外でも有名なんだよ」

「へー、そうなんだね。琴葉物知りね」

 如月琴葉──私が一般教養の英語で仲良くなってよく一緒にお昼ご飯を食べている法学部の一年生。部活はテニス部に入っている。

「大学の図書館で本を読んでいるのを眺めるために図書館で勉強する人が増えたって噂だよ」

「あはは、それはちょっとストーカーっぽいね」

「でも高嶺の花としても有名なんだよね。何十人もフラれて玉砕したみたいだし」

 まあ、息を飲むような美人だし。千夏先輩ならモテモテなんだろうな。

 エリ先輩も美人だけど。アクティブな印象だからなんとなくとっつきやすそうなイメージがあるけど千夏先輩は深窓の令嬢みたいな外見だから近寄りがたいイメージかなー。それでも告白してくる人がいっぱいいるんだ。凄いなー。

「みんなフラれるし、いつも一人で難しい本を読んでいるから今では姫呼ばわりされてあんまりお近づきになれないような感じなんだよね」

「へー、そうなんだ」

 確かに大学ではお昼ご飯を食べる時に千夏先輩はエリ先輩と一緒に食べるって聞いたしな。

 千夏先輩は学食のメニューを、エリ先輩はお手製のお弁当を食べるらしい。

 毎日お弁当を作ってくるなんてエリ先輩マメだなーと思う。

 そんなことを思いながら学食名物の焼きカレーを琴葉と一緒に食べる。

「美味しいね、茜」

「うん、美味しい。流石名物だね」

「学食によって味が違うらしいよ」

「へー、そうなんだね」

 大学には全部で三つの学食がある。


 工学部と理学部の敷地内にある学食──通称工食。

 文学部と法学部の敷地内にある学食──通称中食。

 農学部と獣医学部の敷地内にある学食──通称農食。


 私と琴葉は一般教養の講義を終えて中食で昼ご飯を食べてる最中だった。

「ねえねえ、千夏先輩ってどんな人?」

 琴葉が興味津々に聞いてくる。

「えっとねえ、めちゃくちゃ美人」

「それはみんな知ってるー」

「それでね。優しくて、気さくで、星に詳しくて、オシャレで──マニキュアの塗り方教えてくれたりプレゼントしてくれたの」

「わー!! 千夏先輩からのプレゼントなんてファンが聞いたら黙ってないよ。いいなあ。私もマニキュアもらいたいー」

「あはは、琴葉も天文部に入ってみれば。絶賛募集中だよ」

「うーん──アタシは星はいいかな? テニス部ガチ体育会系で厳しいし」

 琴葉はみんなでワイワイするテニスサークルではなくガチで勝ちに行くタイプのゴリゴリの体育会系部活に入っているので朝練、夕方の練習、土日は練習試合に大会と忙しいのだ。

「そっかー残念。来年までに部員が増えないと部から同好会になって補助費が減らされちゃうんだよねー」

「まあ、最悪名前だけならいいよ。どうにもならなくなったらまた声かけてちょうだい」

「うん。ありがとう」

「でも千夏先輩のいる部は恐れ多いなー。オーラが違うんだもの」

「でもおしゃべりしやすいよ。コーヒーとか紅茶を淹れるのは得意だけど料理は苦手とか可愛いくない?」

「なにそれギャップ萌えだわー」

「でしょー。それに意外とボディタッチが多いんだよね。ハンドクリームとか見つめながらぬりぬりされるし。ちょっと女同士なのにドキドキしちゃうんだよねー」

「あー!! もしかして好きなんじゃない? 千夏先輩、茜ちゃんの事が。男フリまくってるからレズなんじゃないかって噂もあるよ。千夏先輩」

「きゃー!! そうだったらどうしよう──ってないよそれは。私、そんなに可愛くないし」

「えー、そんなことないって。茜、子犬系で絶対年上に可愛がられるタイプだもん。モテモテだよ。きっと」

「でも、いままでモテたことないよ?」

「それは男が見る目なかったか、茜がアクティブじゃなかっただけだよー」

「まあ、あんまり積極的じゃなかった気はするけれど──」

 バレンタインデーとかも華麗にスルーして友チョコくらいしか渡してなかった。

 誰かに告白したことも、誰かを好きになった事もなかった──。

 この年にしてまだ恋を知らない。

 まだ愛を知らない。

 自分でも遅いとは思うけれども──なんだか縁がなかったのだ。誰かにトキメクことも、誰かに焦がれるような気持を持つことも、今までなかったのだ。感情を大きく動かされるような、そんな恋愛をしてみたいけれども──。

「まあ、そのうち彼氏出来るよ。それか千夏先輩か」

「あはは、ないない」

 でも、そういえば──千夏先輩にはときめいたかも。

 そんな事を自問自答する。

 むー。どうなんでしょ?

 直感さん。直感さん。答えてくださいよ。

 琴葉と雑談をしながら食事を終えて、午後の講義を終えて、部室に行く。


   §


 部室の鍵は開いていた。

「お疲れ様でーす」

「お疲れ様。茜さん」

 千夏先輩が一人で本を読んでいた。

「今、紅茶を淹れるわね」

「ありがとうございます」

 紅茶の準備をする千夏先輩の姿を見つめる。

 本当に美人だ。

 ツヤツヤの黒髪が腰近くまで伸ばされていて、まつ毛は上品なくらいに長くて、顔立ちはお人形さんみたいに整っている。

 服もシンプルな白いブラウスに深い青色のロングスカートが上品さを醸し出している。

 爪先もネイルで綺麗に彩られており、全身からオーラが出ているようだ。

 確かに──何も知らずに遠めから見たら、ちょっと距離を置いちゃうかもしれない。

 でも──。

 私には気さくで優しい。


『レズなんじゃないかって噂だよ──』


 レズビアン。女の子が好きな女の子──千夏先輩が?


「どうしたの? 茜さん」

「あっ、いえ──」

 レズなんですか? とは聞けなかった。

「千夏先輩って法学部でお姫さまって呼ばれてるんですね」

「──誰? そんなことを茜さんに吹き込んだのは」

 ニコリと笑ってるけど、あんまり目が笑ってなくて、何だか初めて千夏先輩を怖いと思った。

「あはは、一般教養で仲良くなった友達が法学部の一年生なんですけど、千夏先輩の噂を色々教えてくれて」

「もう、好き勝手言ってたんじゃない? みんな遠巻きに眺めるだけなんだから。ちょっと男をフリまくっただけなのに──」

「男の人──苦手なんですか?」

 女の人が好きなんですかとは聞けなかった。

「別に苦手ってわけじゃないわよ。でも身体とかステータス目当てで言い寄る人はノーだっただけ。フリまくってたら後半は誰が落とせるかゲーム感覚で告白してきたし。なんか嫌なのよね。そう言う恋愛は」

 疲れたようにため息を吐く。

「はい。この話おしまい。せっかくの紅茶が美味しくなくなるわ」

 千夏先輩が紅茶の入ったティーカップを机に置いてくれる。

「あはは、ありがとうございます。でも、その法学部の友達、どうにもならなくなったら掛け持ちでも入部してくれそうでしたよ。テニス部だからあんまり参加出来ないと思いますが」

「あー、テニス部ね。じゃあ、厳しいかも。でも部員が増えるのは嬉しいわね」

「ですよねー。新歓の時期も終わっちゃいましたし」

 四月も後半になったので新歓モードも落ち着いてきている。

「そうなのよね。まあ、外向けのイベントとか文化祭で人が増えるのを祈るのみね」

「ですねー」

「取り敢えずは明日のお花見を楽しみにしましょう」

「はい! 美味しい料理たくさん作ってきますね」

「ふふふ、ありがとう。エリの料理もだけど茜さんの料理も楽しみにしてるわね。材料費は後でレシートちょうだいね。ちゃんと部費から出すので」

「いいんですか?」

「もちろん」

「分かりました」

「私はその代わり飲み物を選んで持ってくるから。茜さん、飲みたいジュースある?」

「炭酸よりはオレンジジュースとかりんごジュースの方が好きですね。あとは千夏先輩の淹れてくれたコーヒーか紅茶が飲みたいです」

「ええ、分かったわ。とっておきの茶葉を淹れるから楽しみにしててね」

「はい!」


 ブブブ──と振動音が聴こえる。


「あら、エリは今日来れないみたいだわ」

「そうなんですか──残念です」

「今日は曇りで星空指数も良くないですから、紅茶を飲んだら私達も帰りましょうか」

「そうですね。明日の準備もありますし」

「楽しみね」

「はい。楽しみです!」

 そのまま千夏先輩とたわいのない話をして、紅茶を飲み終えるとスーパーに寄りながら帰った。明日の買いこみはバッチリ。


   §


 翌日、お昼過ぎに部室の前に集合して高松の池に向かって歩き始める。


「晴れて良かったですねー」

「うんうん、いいお花見日和だよ」

「ええ、暖かくて気持ちいいわね」

 大学から歩いて十五分ほど、高松の池に辿り着く。

 大学のグラウンドよりも大きいのでは? というほど大きな池の周りにはずらりと桜の樹が並んでいて、それを囲むように花見客がにぎわっている。

「あそこなんていいんじゃないですか?」

 花見がてらに散策しながら腰を落ち着ける場所を探す。

「いいわね」

「じゃあ、決定ー、あそこにしよう」

 少し出店からは離れているけれど静かで落ち着いてお話出来そうだ。

 星見の時に使う銀マットを広げて三人で座り荷物を広げる。

「茜ちゃんの料理美味しそうだね」

「エリ先輩の料理も美味しそうです!」

「二人とも本当にお料理上手ね」

「えへへ、それほどでも──」

 私はバジルソース味の海老アボカド、スモークサーモンと玉ねぎのイタリアンサラダ、ローストチキンのバゲットサンドを作ってきた。

 エリ先輩は豚の角煮に煮卵、筑前煮、卵焼き、おにぎりを作ってきた。

 事前にエリ先輩と相談して私が洋風、エリ先輩が和風の料理を作ってくるように調整した。

「乾杯は何にする? エリは日本酒? ビール?」

 千夏先輩が担いでいたクーラーボックスから日本酒の瓶と缶ビールを取り出してエリ先輩に見せる。

「うーん、缶ビールで」

「じゃあ、私も最初はビールにしようかしら。茜さんは? オレンジジュース? 紅茶? それともコーヒー?」

「じゃあ紅茶でお願いします」

「分かったわ」

 千夏先輩が水筒から紙コップに紅茶を注いで渡してくれる。

「ありがとうございます」

「ほら、千夏。ビール」

「ありがとう、エリ」

 先輩たちもビールを手に持つ。

「じゃあ、千夏。挨拶お願い。短めで」

「はいはい──今年は先輩たちが卒業して私たち二人だけになっちゃって部の存続の危機だったけど茜さんが入ってくれて本当に嬉しいわ。至らない私達だけどこれからよろしくね。じゃあ今日は楽しく飲んで食べましょう──乾杯」

 千夏先輩がビールの缶を空に掲げる。

「乾杯!」

「かんぱーい!」

 みんなで空に掲げた後に缶と紙コップを触れ合わせて乾杯する。

 コクリと紅茶を飲む。

 いつも美味しいけれどいつも以上に華やいだ香りが口に広がる。

「おいしい!」

「今日はダージリンのセカンドフラッシュを淹れてみたの。美味しくなーれって気持ちを込めながら淹れたのよ」

 千夏先輩がウィンクしてみせる。

 おもわず口元がにやける。

 ウィンクする千夏先輩なんて初めて見た。

 レアだー!!

 琴葉に教えたら羨ましがられるだろうなーなんて思いながら料理に手をつける。

 先輩たちも箸をつける。

「うん、茜ちゃんの手料理美味しー。海老アボカドいい感じだね」

「イタリアンサラダも美味しいわ。スモークサーモン好きなのよね」

「良かったです! 私も美味しくなーれって気持ちを込めました。えへへ──」

 恥ずかしくてウィンクは出来なかった。

 でも気持ちを込めたのは本当。

 料理は愛情が大事──お母さんの大切な教えだ。

 料理を食べる人を思って料理をするのが大事なのだ。

「エリ先輩の豚の角煮も美味しいです! トロトロに煮込まれているし煮卵は半熟だし! おにぎりとの相性抜群ですね」

 豚肉の旨味がギュッと詰まっていて甘じょっぱくて本当に美味しい。

「昨日三時間くらい煮込んだからねー。自信作だよ」

「本当に美味しいです」

「エリの豚の角煮は本当に美味しいのよね。私もたまにおすそ分けしてもらうけど本当にお酒にもご飯にも合うのよ」

「えへへ、嬉しいなー褒められるの。うんうん、我ながらよくできたよ。ビールにバッチリ!」

 エリ先輩がビールをあっという間に飲み干す。

「エリ。ペース早くしすぎないでね」

「分かってるよ。酔いつぶれないようにする。でもお酒飲んで花見してそのままゴロンと横になるにはいい天気過ぎるんだよなー。酒飲んだから運転できないけど、きっと絶好の星見日和だよ?」

「このまま夕方にお月見するのはいいかもね」

「いいですね。お月見」

「じゃあ、決まりー」

 エリ先輩が日本酒に手をつける。

「酔って寝ても夕方には起きるだろうしオーケーオーケー。今日は美味しい日本酒を持ってきたんだよねー。千夏も飲むでしょ?」

「──そうね。私にもちょうだい」

「はーい」

 エリ先輩がプラコップに日本酒を注いでいく。

「今日は青森のお酒を持ってきたんだよ。これが食中酒にうってつけでさー」

 コクコクと日本酒を飲んでいく。

「あー、豚の角煮と日本酒がいい」

「確かにこの日本酒飲みやすくていいわね。筑前煮にも合うわ──エリの筑前煮はおふくろの味って感じでいいのよねー。普段学食か外食だからこの手の味には飢えてるから、染みるわ」

「千夏は本当に料理苦手だからなー。まず包丁が危ういし」

「なんか怖いのよね。ケガするから包丁使わない料理ならいけると思うけど、もう料理自体が面倒くさいって思っちゃう」

「慣れれば簡単だし面白いですよ。ねっ、エリ先輩」

「うん。そうなんだけどねー」

「たまにエリからおすそ分けしてもらうので十分よ。もしくは茜さんにお金渡して作ってもらうか──」

「私にもお金払ってよ──」

「エリは、まあいいのよ。いつもありがとう、とっても美味しいわ」

「感謝の言葉は嬉しいけど!」

「だって一般教養のノートとテスト対策全部私任せじゃない?」

「うっ、これからも美味しい料理を献上します──」

「よろしい」

「あのっ、私も料理とお菓子献上するので試験対策お世話になってもいいですか?」

「茜さんならそんなことしなくてもノートも過去問も見せるわよ。任せなさい」

「えっ、いいんですか!?」

「もちろん。エリも茜さんに協力するわよね」

「勿論いいけどさー」

「ねっ、安心してちょうだい」

「ありがとうございます!」

 めちゃくちゃ助かる。

 本当に助かる。

「それにしても本当に茜さんの料理美味しいわね。うちに欲しいくらい」

「あたしも茜ちゃんうちに欲しい!」

「あはは、料理くらいしかできませんよ。私なんて」

「それだけでも十分よ──」

 千夏先輩にじっと見つめられる。

 やっぱり吸い込まれそう──。

 本当に綺麗だ──。


『レズなんじゃないかって噂だよ──』


 琴葉の言葉が昨日から時折リフレインする。

 私にその気はないはずなのに、千夏先輩に見つめられると、触れられると、ドキドキしてしまう。


「茜さん──?」

 千夏先輩の言葉にハッとする。

「どうしたのボーっとして」

「お酒混じってた? んなわけないかー」

「そんな悪戯するとしたらエリでしょ」

「流石に茜ちゃんにはしないさ」

「あはは、すみません──もうちょっとバジルきかせた方が良かったかなーって思ったりしてました」

「そうかしら? 十分美味しいわよ」

「そうそう」

 誤魔化せたかな?

 イタリアンサラダを食べながら愛想笑いを浮かべる。

「そういえば入学してもう半月も過ぎたけど、大学は慣れてきた?」

 千夏先輩が日本酒に手を付けながら聞いてくる。

「んー、まだまだですね。まず大学の広さに慣れません。理学部棟から中央棟に行くのに信号渡って自転車で行くのがまずビックリです」

「あー、最初はビビるよね。遠くて講義に間に合わないんじゃないかって思っちゃうくらい」

「農学部方面はもう未知の領域ですね。大通りに行くときに自転車で通過するくらいで何があるかは分からないし、食堂にも入った事ないです」

「農学部の方の食堂ではジンギスカン定食が限定で食べられるわよ。今度行きましょうか」

「へー、そんなのあるんですね。工食にはそういうメニューはないですね」

「焼きカレーの発祥は工食のはずだよー。売れ行きよくて中食でも売るようになったの。昔、工食でアルバイトした時にパートのおばちゃんに教えてもらったから間違いない」

「そうだったんですね! 知りませんでした」

 確かに理学部と工学部には男子が多いからガッツリ目の焼きカレーは受けがよさそうだ。

 中食には小盛り、普通盛り、大盛りしかないが、工食には追加で特盛りがある。

「焼きカレーって美味しいですよねー。アツアツのカレーに半熟卵にチーズがトロトロしていて──こっち来て初めて食べました」

「家でも似たようなの出来るけどあのカレーが再現難しいんだよね」

「ですよねー。シンプルっぽいのに奥深くて」

「食堂ごとにカレー作ってる人が違うから味も微妙に違うのよね。私は工学部のカレーが好きだからたまに食べに行ってるわよ」

「千夏は中央だと目立つからってのもあるよね」

「別に視線なんて慣れたわ」

「工食で食べるんですか!? 今度一緒に食べましょうよ!」

「ええ、いいわよ」

「あたしもお弁当持ってついていくー」

「はい、三人で食べましょうね!」

 三人でのランチ楽しみだなー。

「講義も順調そう? 法学部の友達が出来たって聞いたけど」

「んー、難しそうですけど何とかなりそうです。テスト対策はお世話になるかもしれませんが」

「勿論任せなさい。教えてあげるわ」

「私にも教えてー」

「エリはもう一般教養殆ど被ってないじゃない。今年は専門多く取るって言ったのはあなたよ」

「だって専門科目多く取っておいた方が三年の時に安心なんだもん。流石に留年はしたくないしさ。浪人に留年は笑えない」

「お茶くらいしか淹れられないけどがんばりなさい」

「その分数少ない一般教養は千夏にべったり甘えるー」

「はいはい。よしよし──」

 千夏先輩が抱きついてきたエリ先輩の頭を撫でる──。

「いいなあ──」

「えっ?」

 心の中の声が小声となって漏れ出ていた。

 いけない。

「いや、なんていうか──その、あの、仲がいい友達っていいなあって思っただけでして、その──撫でられてるの見て羨ましいなあなんてそんな事思ってないです!」

 ダメだ! テンパって墓穴掘ってる──。

「ふふふ、茜さんならいつでも良いのよ──」

「ぎゃふ──」

 撫でていたエリ先輩の頭をサッと落として千夏先輩が私を優しく抱きしめてくれた。

 暖かい──。

 それに柔らかい──。

 お花みたいに良い匂い──。

 全身の力が抜けていきそうだ──。

「あはは、茜さん。実家の猫みたい。ぐんにゃりしてる」

 その言葉に我に返る。

 私、今朝シャワー浴びてから来た!

 ナイス判断!

「千夏先輩!? その、もう──大丈夫なので」

 声が小さくなっていく。

「よしよし、可愛いなあ茜さんは」

「私の扱い酷くない? 落とすのは無いでしょ?」

「エリだから良いのよ」

 エリ先輩が起き上がる。

 私は少し名残惜しさを覚えながら千夏先輩の身体から離れる。

「千夏先輩、香水って何使ってるんですか?」

 めちゃくちゃ良い匂い──。

「うーん、内緒」

「えー、そんなあ」

「ふふふ、いつか教えてあげるわ」

 千夏先輩がクスクスと笑う。

「さあ、気を取り直してお酒を飲みましょう。エリ、コップが空いてるわよ」

「おっ、サンキュー」

 それから何事もなかったかのようにお花見が再開された。

 私は胸のドキドキを密かに抱えたままだった──。


   §


『うーん、ちょっと寝る──』

 そう言ってエリ先輩がカバンを枕に寝てしまった。

 時刻は十六時。

 花見を初めて先輩たちが四合瓶を一本空けた頃合い。

「おやすみなさい。エリ」

「うんー」

 暫くすると静かな寝息が微かに聴こえた。

「エリは酔うと眠くなっちゃうのよね。まあ、今日は朝から料理の支度があっただろうしね。それにしてもこんなに早く酔って眠くなっちゃうエリは久々ね。きっと楽しかったんでしょう。いつもよりはしゃいでいたし」

「確かに今日は少しテンション高かったですね」

「茜さんのおかげよ。本当にありがとう」

「私、何もしてませんよ」

 料理を作ったくらいだ。

「あなたが部に入ってくれて私たち本当に嬉しいのよ。先輩たちが居なくなって部屋が広くなって──寂しかったなーって思うもの」

 千夏先輩が遠い目で空を見上げる。

「何人か声をかけたり勧誘したけど反応は悪くて──でも、茜さんが入ってくれた。本当に嬉しいの。初めての後輩だもの、可愛がりたくもなるのよ。私も、エリもね」

「ふふふ、なんだかむず痒いです。私、先輩が千夏先輩とエリ先輩で本当に良かったなあって思います」

「これからもよろしくね。天文部はイベントいっぱいあるから楽しみにしておいて」

「まずは春の星を見る会ですよね」

「ええ、六月一日の土曜日にやる外部向けのイベント。親子連れも来るから忙しいわよ。茜さんもそれまでには望遠鏡を使えるようにならなきゃね」

「はい。がんばります!」

「あとは夏合宿、夏の星を見る会、学園祭、秋の星を見る会、ふたご座流星群観測会、冬合宿──イベントがいっぱいよ。楽しみにしててね」

「はい!」

「楽しみだわ。茜さんと一緒ならきっと楽しいに違いない」

「はい! 千夏先輩とエリ先輩とならきっと楽しいです」

「ふふふ──」

 千夏先輩が日本酒の瓶を新しく開ける。

「つぎますよ」

「あら、じゃあお願いしようかしら」

 日本酒の瓶を傾けてトクトクと千夏先輩のプラコップへと注ぐ。

 中ほどまで注ぐと千夏先輩が手でストップの合図をする。

「ありがとう」

「いえいえ」

 そして静かに飲み続ける。

 絵になるなあ──。

 私に絵か写真の才能があればモデルにしたいくらいだった。

 そういうの声かけられたりしないのかな?

「千夏先輩はモデルとかの声かけされたりしないんですか?」

「たまにされるわよ。断ってるけど。だって目立つのは嫌いなんだもん」

「やっぱり声かけられるんですね。エリ先輩もですけど千夏先輩ってめちゃくちゃ美人さんですもん」

「ふふふ、茜さんに褒められるのは嬉しいわね──うん、とっても嬉しいわ」

 千夏先輩がじりりと距離を詰めてくる。

 そして私の顔に手を添える。

 近い近い近い──。

「茜さんもとっても可愛いわよ。本当に可愛いわ」

「あっ、ありがとうございます──」

 千夏先輩に見つめられる。

 吸い込まれそうで──いや、実際に千夏先輩の距離が近づいてきて、あの、その、これはいわゆるキスの距離では? えっ、いやいや、その、まさか、あれ? いやいや待って──。

「茜さん。法学部のお友達に私の噂──どこまで聞いた?」

 耳元で千夏先輩が囁く。

 首筋がぞわりとした。

「えっ、そんな大したことは──」

「私が女の子しか愛せないって噂──聞いてない?」

 胸がドキドキする。

「き、聞きました──」

「どう思ったかしら?」

「べ、別に、そうなんだーってしか」

「そう──ならよかった」

 千夏先輩が離れる。

 ざわざわと夜風が聴こえた気がした。

「私──女の子の事しか好きになれない。これは本当──でも、誰でも良いって訳じゃないのよ。ちゃんと好きになる瞬間があって、誰かを好きになるの。そこは普通の人と変わらない」

 日本酒をコクコクと飲み続けながら千夏先輩が話を続ける。

「茜さんは今、彼氏とかいる?」

「いえ、居ません。と言うか付き合った経験もゼロです」

「そう──。よかった」

「えっ?」

「私、あなたが好きかもしれない」

 目線は下げたまま、何処を見ているか分からない視線のまま、千夏先輩がさらりと言った。

「えっ? ええええええええええええええ!?」

「そんなに驚くこと?」

「いや、だって──ビックリしますよ。そんな事急に言われたら」

「だって言うタイミング無かったんだもん」

「それにしても──」

「好きになったんだもん。仕方がないじゃない?」

「じゃない? って言われましても。その──分かりません。私、誰かを好きになった事がないから、そう言うの分からないです」

「じゃあ。一緒に知っていきましょう──」

 千夏先輩が再び近づいてくる。

 あれっ? やっぱりこれってキスの距離? 私、ファーストキスをこうやってしちゃうの?

 近づいてくる千夏先輩に何も言えず、黙って目を瞑るしかなかった──。


「ちょっと待ったー!!」


「ひゃっ──!?」

 びくりと飛ぶように身体が動く。

 ビックリして目を開けるとエリ先輩が飛び上がって起き上がり立っていた。

「千夏ずるい! 私も茜ちゃんのこと好きだもん! 独り占めはずーるーいー!!」

「ずるくない。恋愛は先に告白した方が勝ちだもん」

「寝込みを襲うのは卑怯だよ!」

「寝たエリが悪い」

「でも起きたもん! ノーカン。ノーカンですよ! ノーカン! 茜ちゃん、千夏にキスされなかった? 大丈夫? こんな純真な茜ちゃんを襲うなんて悪い先輩ですねー千夏は」

 エリ先輩に抱きしめられる。

 千夏先輩がフローラルなお花の香りなのに対してエリ先輩は白檀のお香みたいな香りで意外だった──。

 っていうかエリ先輩も私を好き?

「エリ、抱きつくのは反則」

「先に私の寝込みに乗じて茜ちゃんを襲おうとした千夏が悪い!」

「別に襲おうとしたわけじゃないし──流れでキスしようとしただけだもん」

「それが襲う以外の何者でもないでしょ!」

「エリ、私は告白したわ。エリは告白してない。つまり部外者、無関係な人間。オーケー?」

「ノットオーケー!! ええい、茜ちゃん!」

「ひゃいっ──!!」

「私も茜ちゃんが好き! だから千夏とじゃなくて私と付き合って──」

「えっ、ええええええええええええ!?」


 こうして私は千夏先輩とエリ先輩の二人から告白されたのだった──。


   §


 そしてこの日を境に二人は私に積極的なアプローチをするようになった──。


   §


 それは大学の講義棟で──。


「茜ちゃんおはよー!! 今日も可愛いねー。うんうん眼福眼福」

「おっ、おはようございます。エリ先輩」

 理学部と工学部の共通講義で一緒になる。

 当たり前のように隣に座る。

 私の右隣。

 そこがエリ先輩の定位置。

「茜ちゃん。今日朝何食べた?」

「パンと昨日作ったポトフの残りですね」

「あー、ポトフ良いなあ」

「手軽でいいですよね」

「あり合わせをぶち込んでコンソメで纏めれば済むしねー。私はご飯に味噌汁にサケフレーク」

「和食もいいですよねー」

「茜ちゃんは味噌汁何が好き?」

「大根と油揚げが好きですね。味噌汁くくりに入れていいか謎ですけど豚汁も好きですね」

「茜ちゃんはお味噌買ってる? 実家から送ってもらってる?」

「私は地元の麹味噌を送ってもらっていますね。味噌が違うと家の味にならないんですよねー」

「分かるー。私も実家から味噌送ってもらってるよ」

「やっぱりそうなんですね」

「茜ちゃんちに遊びに行ってお料理とかしたいなあー。二人きりで──」

「えっと、その──千夏先輩も呼びましょうよ」

「むー。相変わらず茜ちゃんはガードが固いなあ。そこも好きだけど──」

「わー、恥ずかしいですから講義室で好きとか言わないで下さい!」

「ふふふっ、可愛いんだからもー」

「ほら、そろそろ講義始まりますよ! 真面目に講義受けましょう!」

「はいはいー」


 それは部室で──。


「お疲れ様です。千夏先輩」

「お疲れ、茜さん」

 講義が終わって部室にやってくると千夏先輩が一人で本を読んでいた。

「エリ先輩はまだみたいですね」

「エリは今日来ないわよ。バイト入ったから。また学食でバイト始めたみたい」

「そうなんですか」

「二人っきりね」

「そ、そうですね」

「さっき紅茶を淹れたばかりなの。茜さんも飲む?」

「はい、いただきます」

 淹れたてであろう紅茶が湯気をともなってカップに注がれる。

「相変わらず千夏先輩の淹れる紅茶は美味しいですね」

「茜さんが飲むかもと思っていつも魔法をかけてるの。美味しくなーれってね」

 ウィンクをされる。

「あはは──ありがとうございます」

「ふふふ、つれないわね。そこも好きだけど」

「私なんて好きになってもしょうがないですよ?」

「そんなことないわ。あなたはとても魅力的よ。誇りなさい」

「そんなに自尊心高くないですよ」

「いいから自信もちなさい。あなたは私と──エリにも好かれてるのよ。自分で言うのもあれだけど私もエリも顔立ちは整ってる自信はあるわ。そんな二人にアプローチされているのよ」

「どうしてこうなったんですかねー」

 本当に不思議──。

「あなた。可愛いもの。そのままでもいいけど、磨けばもっと光るわ」

「そんなこと──だって高校までモテたことないですよ」

「見る目がなかったか相手が勇気を出さなかっただけよ。あなたは可愛い。だって私──一目惚れだったもの。サークルオリエンテーションの日、あなたがきてくれた時に風を感じたわ。何かが変わる。この子は私の運命を変えてくれる子だって思えたもの。だから一目惚れ」

「うー、照れます──」

「私はエリに譲るつもりはないけど、でもいつか──どちらかを選んでね。私、いつまでも待つから。あなたが自分の気持ちに名前をつけて、私の気持ちに追いつく日を待っているから」

「──はい。私、恋なんて全然知りません。でもお二人とも本気なのはなんとなく分かります。だから決めます。もう少し時間がかかるかもしれませんが、待っていてくれると嬉しいです」

「うん。待ってる。大好きよ、茜さん──」

 千夏先輩は私をじっと見つめて朗らかに微笑んでくれた。

 胸のトキメキがステップを軽やかに踏んでいくのを感じた──。


   §


 そして大学生活にも慣れ親しんでいく中で、春の星を見る会の準備がはじまった。

 春の星を見る会は六月一日。

 土曜日に行われる。

 夕方の六時から大学のグラウンドで一般客向けに月や木星、春の星座を中心に解説していく。

 私も望遠鏡を使えるようになるために講義が終わった夜に月や木星を入れる特訓をしていた。

「まずは望遠鏡の組み立てから」

「はい」

 エリ先輩が三脚を広げる。

「まずは三脚を広げて水平を確認する。その後は赤道儀を乗っけてカウンターウェイトをこうやって取り付ける。千夏、手伝って」

「ええ」

 千夏先輩がサポートする。

「赤道儀を取り付けたら極軸を合わせる。北極星はカシオペア座か北斗七星から見つける。茜ちゃん。北極星の見つけ方覚えてる?」

「はい。大丈夫です。あそこですよね」

 北極星の辺りを指さす。

「正解。そこに合わせないと望遠鏡を動かすときにズレていっちゃうからね」

「はい」

「後は望遠鏡を乗せて固定して完成」

 私の片腕より長い屈折式望遠鏡が完成した。

「じゃあ、まずは月を入れて見ようか。ファインダーっていう小型の望遠鏡で当たりをつけてもいいけどいけそうなら直接月を入れてもオーケーだよ」

「やってみます!」

 光り輝く月の光めがけて望遠鏡を向ける。

 ──入った!

 レンズの縁に月が入ったので望遠鏡を固定してハンドルで月を追いかける。

 すぐに追いついてまん丸のお月様がくっきりと見える。

 おー、月だ──。

 月はいつ見ても綺麗だなあ──。

「ばっちり入りました!」

「うん。流石茜ちゃん! じゃあ、次は木星入れてみようか」

「えーと──あっちの明るい星ですかね」

「うーん、多分それ。じゃあ入れて見よう。今度はファインダーで入れた方がやりやすいと思うよ」

「分かりました」

 ちょっと難しい。

 狙いを定めてファインダーの中央に明るい星を入れる。

 まだ木星のシマシマ模様は見えない。

 光り輝く点が見えるだけだ。

 望遠鏡を固定してハンドルを握りレンズを覗き込む──。

「あった──」

 特徴的なシマシマ模様。

 太陽系最大の惑星──木星の姿を目に映す。

 点のように小さいけれど衛星も見える。

「先輩、木星です。木星が見えます!」

「見せてちょうだい」

「はい」

 千夏先輩が横から近づく。

 仄かに甘い香りがする。

「うん──木星だね。凄いわ、茜さん」

「あたしにも見せてー」

 エリ先輩も望遠鏡を覗き込む。

「うんうん、やるじゃん茜ちゃん。これで望遠鏡はバッチリだね。よしよし、いい子だねー」

 エリ先輩に頭を撫でられる。

「エリ、ずるい」

 千夏先輩も頭を撫で始めた。

「うわっ、エリ先輩に千夏先輩。恥ずかしいですよー」

「よく出来たから撫でてるだけよ」

「そうそう。偉いねー」

 しばらく撫でられ続けた。

 入れたはずの木星は望遠鏡の視界から流れていった──。


 こうして天文部の部員として最低限望遠鏡を使えるようにはなったのだった。


   §


 今度は星のお勉強だ。

 星を見せるだけでは場が持たない。

 小粋なトークを披露したいところだけど残念ながら惑星の知識はあっても星座の知識は無かった。地学では星座や神話はやらなかったし──。

 という事で部室で春の星座にまつわる神話をレクチャーしてもらうのだった。

 先生は千夏先輩。

 エリ先輩は学生実験から直接学食のバイトに向かうので今日は来れない。


 部室で二人きり、紅茶を片手に千夏先輩の講義を聞く。


「まずは茜さんの星座でもあるおとめ座についてです」

「はい」

「おとめ座の乙女って誰だと思う?」

「えーっと、分かりません──神話の誰か?」

「そう、神話の誰かよ。おとめ座の乙女には諸説あるの。正義の女神アストレイアがまずは挙げられるわ。彼女は黄金の時代から鉄の時代になって戦に明け暮れるようになった人々を最後まで見守った神様なの。清廉潔白な乙女のイメージが持たれているわ」

「なるほどー」

「もう一つは農業の神様デメテル。もしくはその娘ペルセポネの事を示すとされているわ。デメテルとペルセポネには春に関わる逸話があるの──ある日シチリア島の草原で花摘みをしていたペルセポネは地の底から現れた四頭立ての馬車に乗った王様に攫われてしまいます。ペルセポネの母、デメテルは寝食を忘れて探しますが娘を攫ったのが冥府の王様ハデスであることを知り絶望してしまいます。その絶望は想像を絶するほどに深く洞窟に閉じこもってしまうのでした。デメテルは大地を司る農業の女神ですから彼女が閉じこもってしまうと地上は冬枯れの景色になってしまいます。それを見た神々の王様ゼウスは伝令の神様ヘルメスを冥府へ行かせてハデスを説き伏せペルセポネを返すように求めました。長い説得の末にハデスはペルセポネを解放します。ようやく戻ってきたペルセポネの姿を見たデメテルは歓喜して、草木は見る見るうちに育っていきます──が、しかしペルセポネは冥府のザクロを四粒食べていたのです。母、デメテルは再び絶望します。何故なら冥府の食べ物を口にしたものは地上へは帰れなかったのです。デメテルはゼウスに懇願しますが食べた分の月だけ冥府で過ごすことに話がまとまり、八カ月は地上で、四カ月は冥府で過ごすことになりました。天上でペルセポネの帰りを待ちわびているデメテルの姿を描いたのがおとめ座なのでした──以上」

 千夏先輩の長台詞が終わった。

 なるほど、こうやって説明するのかー。

「凄いです。長いのに飽きない言い回しでした。それに分かりやすいです」

「ふふふ、先輩ですから」

 千夏先輩が軽くドヤ顔する。

 めっちゃレアだ~。

 写真撮っておきたかったかも。

「茜さん?」

「あはは、何でもないです」

 あぶない。ぼーっとしていた。

 千夏先輩ってクールな印象だけど意外と表情豊かだよなー。

 なんて言ったら怒られちゃうかな?

 いけない、いけない。

 今はお勉強中。

「あんな感じで説明すればいいんですね」

「ええ、春の星座、月、木星について簡単に説明できれば大丈夫だと思うわ。神話じゃなくても軽い雑談レベルでも大丈夫よ。たまに星に詳しい方がいらっしゃるけど、そういう時は開き直って教わる意気込みで大丈夫よ。私もそうしたし」

「はい!」

「グラウンドだと見える星座に限りがあるから、春の星座はおおぐま座の北斗七星、うしかい座のアークトゥルス、おとめ座のスピカ、あとはしし座のレグルス辺りかしらそれにまつわる星座を少しずつ覚えていきましょう」

「そうですね。がんばります」

「気負わなくてもいいのよ。大丈夫、私にエリがついてるわ。サポートするから安心して」

「はい、ありがとうございます」

「後で近くの学校にビラを貼りに行かないとね。宣伝は大事だから」

「へー、そういうのもするんですね」

「それだけじゃないわよ。ローカル情報番組に出演もあるんだからね」

「えっ! テレビですか!?」

「本当にちょっと──十五秒くらいだけどね。毎年お願いしてるの」

 テレビに出るなんて初めてだ。

 どうしよう、ちょっと緊張してきた。

「テレビとか初めてです──大丈夫かなー」

「時間がないから喋るのは私ひとりだけどね。でも、とびっきりオシャレするのよ」

 千夏先輩がウィンクする。

「あー、なんかワクワクしてきたかも! 晴れるといいですねー」

「そうなのよねー。雨ならお客さんも最初から来ないんだけど、曇りだともしかしたら見れるかもってお客さんが来る場合があるからどうやって楽しませるかが悩みどころなのよね」

「曇ったらどうするんですか?」

「去年は星座にまつわる神話の影絵劇とかやったけど、三人だと厳しいかもね」

「むう、難しいですねー」

「一応プラネタリウムがあるのよね」

 えっ、プラネタリウム!?

「あるんですか?」

「うん、ちょっと待ってね」

 千夏先輩が寝袋や銀マットをどけてロッカーの中からサッカーボールくらいの大きさの球体に台座がついた物体を取り出す。

「これ」

「わー、ちゃんとしたプラネタリウムだ!」

「つけてみる?」

「はい!」

「ちょっと待ってね。目を瞑っててちょうだい」

「はい」

 目を瞑って待つ。

 ゴソゴソと音が聴こえて、パチンと部屋の灯りを落とした気配を感じる。

「いいわよ」

 目を開ける。

 そこには一面の星空が──?

「なんか、綺麗だけどゆがんでる?」

「そうなの。天井がドーム型じゃないからこうなっちゃうの。それに体育館だと広すぎて見れないしね」

「うーん、でも勿体ないですねー」

「そうなのよね。何か活かせればと思うのだけれど──」

「うーん、いっそ作っちゃいます? ドームとか」

「作るの!?」

 おお、初めて千夏先輩の驚いた顔を見たかもしれない。

「いや、全然具体的には思いついてないんですけど、なんかこう、作れたら有効活用出来るのになーって思って」

 千夏先輩は真剣な顔をして頷く。

「うん。いいかもしれない。エリにも相談してみましょう」

 そうやって微笑む姿はプラネタリウムに照らされて普段よりもキラキラしていた。


   §


 部室を出て千夏先輩と食堂で夕飯を食べる事にした。

 エリ先輩がバイトしている工学部の食堂に自転車で行く。


「あれ、千夏に茜ちゃんじゃん。ご飯?」

「そう。いいでしょ」

 千夏先輩が不敵に笑う。

「ぐぬぬ──いいもん。茜ちゃん、今度講義終わったら一緒にご飯食べようね!」

「はい!」

「ずるい──」

「ズルいのは千夏でしょ。抜け駆けだなんて。それよりも何にするの?」

「私はバンバンジー定食でお願い」

「はい、四百八十円」

「五百円で」

「はい、二十円のお釣り」

「私は焼きカレーとサラダでお願いします」

「はい、五百五十円」

「じゃあ、六百円でお願いします」

「いいわ。ここは私が出すから」

 財布から小銭を出そうとする手を止められる。

「いいんですか?」

「いいわよ」

「じゃあ、千夏。お金ちょうだい」

「はい。五百五十円」

「はい、ちょうど。焼きカレーは少し時間かかるから。番号呼ばれるまで座って待ってな」

 番号の書かれた札をもらう。

「分かりました」

 千夏先輩と一緒に席を探す。

「ここでいいんじゃない」

「はい」

 隣の席に荷物を置いて座る。

「焼きカレー、好きなの?」

「はい。どこの食堂も美味しいですけど工食の焼きカレーは一番おいしいと思います。千夏先輩はヘルシー目なメニューでしたね」

「外食が多いから意識して野菜取るようにしないとね。それに太るし」

 うっ、耳が痛い──。

 体重計買ってないから分からないけど、太ってるかな?

 どうかな?

 そんな考えを千夏先輩は表情から読み取ったようだ。

「茜さんは今のままで全然問題ないわよ。もう少し食べても大丈夫じゃないかしら?」

「うー、そう言って食べ過ぎるとあっという間に太っちゃうんですよー」

「例え太っても茜さんの事が好きよ。もちろん太ってない方が好みではあるけれど」

 じっと目を見つめられる。

 さっきのプラネタリウムの名残だろうか、瞳が普段よりもキラキラしている気がする。

「うー、ズルいです。恥ずかしいです──」

「だって好きなんだもの。仕方がないじゃない」

 さらりと言われる。

 そういう所がズルいなーと思う。

「場所をわきまえてくださいよ」

「だってさっきエリとランチの約束をしたから──」

「もしかして、拗ねてるんですか?」

「拗ねてませんよー。私は講義が被ってないから一緒に講義が受けられていいなーなんてこれっぽっちも思ってないですよーだ」

 拗ねてる。

 完全に拗ねてるじゃないか。

「じゃあ、今度またご飯食べましょうよ」

「二人っきり?」

 今度は上目遣いでじーっと見つめられる。

「うっ──、はい。二人きりで」

「うん。じゃあそれで許しましょう」

 ニコニコとした様子で機嫌が良くなった。

「十六番のお客様──」

 千夏先輩が立ち上がる。

「私のだわ」

「いってらっしゃいー」

 千夏先輩が受け取りに行く。

 千夏先輩って意外と嫉妬深いのかな?

 でも上目遣いは反則だなー。

 思わずドキドキしてしまった。

 ズルいなー。

「お待たせ」

「いえいえ」

 千夏先輩がバンバンジー定食をテーブルに置いて座り──ニコニコとこっちを見つめる。

「あの──食べてていいですよ」

「ううん。茜さんのが来るのを待つわ。一緒に食べたいもの」

 そうやって無言で見つめられる。

「あの、見つめられると、照れます」

「そう? だって茜さんの顔を見つめるの飽きないんだもの」

「もう、恥ずかしいことを言うの禁止ですー」

「えー、ズルいわ」

「ズルくないです!」

「茜さんの顔がいい方がズルいわよ」

「その──そんなに私の顔が好きなんですか?」

「好きよ」

 おおう、即答。

「じゃあ、私と同じ顔の人だったら別人でもいいんですか?」

「その質問はナンセンスね。今、私の目の前にいるのはあなただもの。高咲茜に私は出逢ってしまったのだもの。だからその質問は無意味よ」

「むー」

 流石法学部、口が回る。

「それに付き合いは少なくとも、茜さんが善人であると私は思うわ。そして私好みの性格であることもね」

 またウィンクされる。

「お手上げ、お手上げですよー。どうぞ好きなだけ見つめて下さいー」

 完敗だった。

「ふふふ、遠慮なく──」

 ニコニコと微笑みながら千夏先輩に見つめられる。

 お返しとばかりに私も千夏先輩を見つめる。

 くそう、やっぱり美人で顔がいい。

 まつ毛長いし、瞳もキラキラしてるし、鼻筋も整っている。

 黒髪がツヤツヤしていて癖一つない。

 絶対モテるだろうに。

 いや、モテてるか。

 なんで私なんか好きなんだろう?

 こんな平凡で並の女なのに。

 エリ先輩も千夏先輩も私を好いてくれている。

 それが不思議でたまらない。

「千夏先輩」

「なに?」

「なんで千夏先輩もエリ先輩も私の事が、その──好きなんでしょう? 全然実感が無くて」

「そんなの簡単よ。恋に理由なんて必要ないのよ。たまたま私もエリもあの瞬間に同じ人を好きになってしまったんだもの。何故はいらないのよ。ただ好きになったという結果だけが存在するの」

「そういうものなんでしょうか?」

「そういうものよ。あなたが私かエリか──それとも別の誰かか、とにかくいつか誰かを好きになれば分かるわよ。私とエリの気持ちがね」

「──はい。分かりました。難しいですね、恋って」

「そんなことないわよ。恋は落ちるものだからね。気が付いたら恋してる。そして苦しい時もあるけど楽しいわよ。私、茜さんに会えるの楽しみでドキドキするもの。恋の力って凄いんだからね」

「あはは、そんなにですか?」

「そんなによ」

 そんな鮮烈で甘い恋を私はまだ知らない。

「十七番でお待ちのお客様──」

「あっ、私の番号です」

「行ってらっしゃい」

 アツアツの焼きカレーを受け取って席に戻る。

「じゃあ、食べましょうか」

「はい。いただきます」

「いただきます」

 二人で手を合わせていただきますをする。

 焼きカレーで舌をやけどしない様にフーフーと息をかけながら少しずつ食べていく。

「美味しいですね」

「ええ。うちの大学の学食は美味しくて安くて学生の味方なのよね」

「千夏先輩は基本的に学食なんですよね?」

「ええ、自炊は本当に出来ないから」

「包丁が使えないんですか?」

「一応果物くらいなら何とかなるわよ。たぶん、うん、たまにりんご食べるし」

「じゃあ、きっと料理できますよ。慣れですよ」

「でも面倒でね。その分を読書する時間に当てた方がいい気がしてしまうのよ」

「あー、料理が楽しいって思えないとそうなりますよねー」

「茜さんは料理好きなのよね」

「まあ、めちゃくちゃ好きかって言うとそこまででもないですけど、好きな方だと思います。美味しくできると嬉しいですし、誰かに食べてもらって美味しいって言ってもらえると嬉しいんですよねー」

「そうなんだ。いいわね」

 千夏先輩の目が泳いでいる。

 なんとなく千夏先輩が何を考えているか分かってきた気がする。

「食べたいですか?」

「えっ?」

「私の料理、食べたいですか?」

「──いいの?」

「いいですよ」

「本当に?」

「はい」

「本当の本当に?」

「はい。いいですよ」

「見返りは一体なにを──」

「いりませんってば。まあ材料費を少し頂ければと思います」

「ありがとう、嬉しいわ。大好き、愛してる」

「あはは、そんなに喜んでもらえるなんて嬉しいです」

「その、あの──二人きりでもいい?」

「えー、どうしようかなー。やっぱりエリ先輩も呼んだ方がいいかなーって思うんですけど」

「お願い! 何でもするから!」

 目の前で頭を下げる千夏先輩の姿に驚く。

 そんなに私の手料理が食べたいのかこの人は──。

「じゃあ──美味しいお菓子と紅茶の茶葉をお願いします。ティーポットはうちにあるので」

「任せて!」

「いつにしましょう?」

「今週末の金曜日とかどうかしら?」

「いいですよ」

「じゃあ決まりね。ふふっ、楽しみだわ」

 千夏先輩が笑顔でご飯を食べ進める。

 家に誰かを上げるなんて初めてだなあ──。

 なに作ろう?

 少しソワソワして、ドキドキして、楽しみになってきたのだった。


   §


「えー!! 茜ちゃん、千夏を家に呼んでご飯食べるのー!? ずーるーいー。私も行きたいー」

 翌日の講義でエリ先輩に昨日の話をするとこうだった。

「ずーるーいー。ずるーいー。抗議します! 断固抗議します!!」

「ほら、先生来ましたよ。真面目に抗議受けましょうよ」

「ずーるーいー」

 声のトーンを下げてるけど、ずるいコールは鳴りやみそうにない。

「じゃあ、先輩も今度別の日に来てくださいよ。料理ごちそうしますから」

「むー、そういう問題じゃなくて仲間外れにされたのがいーやーなのー」

「だからすみませんって。千夏先輩が言うと断り切れなくって──」

「むー、リードされてるなー。じゃあ、茜ちゃん。今度の土曜日は空いてる?」

「空いてますよ」

「じゃあ、うちにおいでよ。料理食べさせて上げるからさ」

「私が作るんじゃなくて?」

「千夏じゃ出来ないところをアピールしなくちゃね。美味しい料理でもてなしてあげるよ」

 エリ先輩がにこやかにウィンクする。

 千夏先輩がキラキラしたウィンクならエリ先輩はピカピカしたウィンクだった。

 なんかギラギラしてる。

「じゃあ、その──よろしくお願いします」

「オッケー。嫌いな食べ物ある?」

「特には──あっ、しいたけとホヤは苦手です」

「はーい。了解! ふふふ、楽しみ~」

「はい。楽しみです!」

 そうして講義を受けるのだった。


   §


「じゃーねー。夜に部室で」

「はい」

 一限の講義が終わって二限の講義を受けに自転車に乗る。

 今度は一般教養の講義なので中央棟に行くことになる。

 慣れてきたとはいえやっぱり広いなーと毎度思う。

 桜はとっくに散ってしまい、新緑が生い茂っていた。

 学内に緑が多いとなんとなく癒される。

 根が田舎者なんだろうなーと思う。

 大学を選ぶときに関東も悩んだけど人混みに耐えられなさそうでやめた。

 本当にこっちを選んで良かった。

 星が綺麗だし、千夏先輩やエリ先輩に会えたし──。


「やっほー。茜!」


 琴葉にも出逢えたし。

 自転車置き場で琴葉に声をかけられる。

「やっほー。琴葉」

「英語の課題やってきた?」

「うん、やってきたよ。琴葉は?」

「うーん、かろうじて出来たけど自信ないかな? 難しいよー。それにテニス部が忙しくてさー」

 琴葉と中央棟の講義室に向かって歩きながら雑談をする。

「相変わらず忙しいの?」

「うん。毎日朝練あるし講義終わった後もあるからさー。高校の頃よりハードな気がするわ」

「うひゃー、大変だねー」

「でもテニスは好きだからねー。練習無い日も自主練したりトレーニングしたりしてるんだ。レギュラーなりたいし」

「琴葉なら絶対なれるよ」

「ふふふ、ありがとう。茜は部活の方どう?」

「うん、望遠鏡の扱いにも慣れてきたし、星とか神話も覚えられるようになってきたよ」

「へー」

 千夏先輩とエリ先輩に好かれていることは隠そうと思った。

「千夏先輩どう? 上手くやってる?」

「うん、よくしてくれてるよ。今度お家で料理ご馳走することになったんだ」

「えー、いいなあ。私、まだ茜の家に行ったこと無いのにー。それに手料理も食べたことないんだよー」

「えー、じゃあ今度うち来る?」

「うん! いくいく! 週末は大会も練習試合も入ってないからフリーだよ」

 なんだか週末の予定がどんどん埋まっていく。

「えーと、じゃあ日曜日においで」

「やったー!!」

 講義室に到着すると、人がまあまあ埋まっていた。

 中ほどの席を確保して先生が来るのを待つ。

「琴葉、ダメな食べ物ある? あとは食べたいものとかは?」

「うーん、ナマコとかは苦手かなあ」

「大丈夫、ナマコは普段食べるようなものじゃないから」

「じゃあ、あとは大丈夫。しいていうなら肉が好き」

 琴葉は肉食系女子だった。

「うん。お肉多めにしておくね」

「サンキュー!!」

 そうこうしている内に教授がやってきた。

 この先生、話し方がゆっくりで眠くなるんだよなあ。

 そんな事を思いながら講義を受ける──。


   §


「琴葉って彼氏いるの?」

 二限の講義が終わって中食でご飯を食べながら雑談をする。

「今はいないよ」

「えー、琴葉モテそうなのに」

 琴葉はスポーツ少女だけど服とかにもこだわっている。

 セミロングヘアーはサラサラのストレートで癖がなく、ほっそりとした顔つきにクリっとした瞳は快活さと淑やかさを両立している。

「テニス部が忙しいからさ。今はいいや」

「でもせっかくの大学生だよ。恋愛するなら今しか無いんじゃない?」

「そういう茜はどうなのさ? 浮いた話の一つくらいあるの?」

「いや、まあ──うん、ないけどさあ」

「そこはあるんじゃないの?」

 千夏先輩とエリ先輩の事を喋るか悩んだけど、少しデリケートな話題化もなあとか思ったのでやっぱり秘密にした。

「んー、ないんだなあ」

「なんだつまんないのー」

「むー、悪かったわね。だから琴葉に話振ったんじゃない」

「それもそうか。お互い様だね」

 あははと笑いあう。

 そっかー、琴葉も彼氏いないんだー。千夏先輩にエリ先輩もだけどみんなモテそうなのになあ。まあ、千夏先輩はモテてるけどフッてるのかな? 贅沢だなあ。

 そんな自分も贅沢なのかもしれない。

 千夏先輩とエリ先輩の二人に好かれていると言うのは中々にない贅沢な悩みなのではないだろうか?

 一生に一度のモテ期なのかもしれない。

 でも──私は恋愛がよくわかっていない。

 しかも相手は女性だ。

 未知過ぎる。

 そんなふらふらした状態で選んでしまっていいんだろうか?

 千夏先輩にもエリ先輩にも悪いんじゃないか?

 そう思えてくる。

「ねえ、琴葉は今まで誰かと付き合ったことある?」

「うん。高校の時は彼氏いたよ。まあ、部活が忙しくてデートも殆どできなくて別れちゃったけど」

「そっか。なんかごめんね」

「ううん。いいんだよ、私が悪かったんだし」

「ちなみにどんな感じで付き合ったの?」

「放課後に呼び出されて告白されるってベタな流れだよ。結構好みの顔だったし、悪いうわさも聞いてなかったから付き合おうかなーって思ってさ。でもテニス部の練習とか試合で碌にデートも出来なくて、なんやかんや半年くらいで私の方からこのままじゃ悪いから別れるってなった感じなんだよねー。大学も別々になったから今では全然連絡もしてないな」

「琴葉は優しい子だね」

「優しくなんてないよ。部活にかまけて恋人を構うことも出来なかったんだから。だからもうちょい恋愛はおやすみ。私にはテニスがあるからさ」

「だれかいい人いたら紹介するね」

「テニスに負けないくらいの人が居たらよろしくね」

「ハードル高いなあ」

「それだけテニスが好きなのです」

 琴葉がウィンクする。

 琴葉のウィンクはキラっとしてる。

 私はウィンクがヘタなので羨ましい。

「あっ、そういえば三週間後の土曜日に春の星を見る会ってやつがあるから琴葉も良ければ来てよ。晴れてたら月とか木星とか春の星座も見れるよ」

「三週間後の土曜日? えーっとちょっと待ってね──。昼間は練習試合あるけど──うん、夜なら大丈夫だと思うよ。何時から?」

「夜の七時から八時までやってるから」

「分かった」

「よろしくー」

「了解ー」

 そうしてご飯を食べて午後の講義を受けるのだった──。


   §


 四限を終えて部室に向かう。

「こんにちはー」

「やっほー。茜ちゃん、おつかれー」

 エリ先輩が部室で雑誌を読んでいた。

「お疲れ様です。千夏先輩はまだみたいですね」

「うん。お昼食べた時に聞いたら今日は図書館寄ってから来るから少し遅れるって言ってたよ」

「なるほど」

「そう言えば聞いたよ、茜ちゃん。あのプラネタリウムのドームを作るんでしょ?」

「あっ、千夏先輩から聞きました?」

「うん。でね! さっきの講義中に考えてたんだよね。見てちょうだい」

 エリ先輩がノートを開いて見せる。

「これは──」

 そこには半球型のドームと、その展開図、そして計算式が書かれている。

「ざっくりだけどエアドームの設計図を考えてみたんだ。布の重量次第だけど、送風機を買えば作れると思うよ」

「凄いです! 流石工学部!」

「ふふふ、建築学科だからねー。もっと褒めてよ茜ちゃん」

「本当に凄いです。これなら雨が降っても大丈夫ですね」

「まあ、今から作って間に合うか微妙なのが難点だけどね。最悪、間に合わなかったら次回以降かな使うのは」

「そうですね。ちょっと間に合うか微妙ですね。でも夏の星を見る会には間に合いますしそれでオーケーとしましょう」

「うん、そうだね。千夏が来たら提案してみよう!」

 ガチャリ──。

 その時、部室のドアが開いた。

「お疲れ様」

「おつかれー」

「お疲れ様です。千夏先輩」

 千夏先輩がやってきた。

「千夏先輩! エリ先輩がプラネタリウムのドームの設計図を書いてくれたんです!」

「えっ、もう書いたの?」

「へへーん。午後の講義中にがんばったんだよ。褒めて褒めてー」

「真面目に講義を受けなさいって言いたいけど偉いわ。褒めてあげる──よしよし、いい子いい子」

 千夏先輩がエリ先輩の頭を優しく撫でる。

 ちょっとだけ羨ましく思ってしまい、複雑な気持ちになったのだった。

「春の星を見る会に間に合うかは微妙だけど、夏の星を見る会までには間に合うだろうから作る価値はあると思うよ」

「はい。私もそう思います」

 千夏先輩が少し考え込むが頷く。

「うん、部費も余ってるし作っちゃいましょう。材料の発注は私がしておくから。あっ、でも送風機はエリが選んでちょうだい」

「ラジャー」

「型紙を作って、布が届いたらひたすら切って縫い合わせる作業ね。茜さん縫物は得意?」

「人並みですけど、出来ると思います!」

「当てにしてるからね」

「はい! がんばります!」

 お裁縫箱、実家から持ってきていて良かったー。

 ミシンは流石に持ってないけど。


 そうしてプラネタリウムドーム作成が始まった──。


   §


 講義の合間に部室に来て型紙をエリ先輩の設計図通りに二等辺三角形に切っていき、それを布にあてて裁断していく。そして黒い布と白い布を縫い合わせて一枚の布にしたらひたすらそれをドーム型になるようにつなぎ合わせていく──。

 根気のいる作業だった。

 でも千夏先輩もエリ先輩も空いた時間は部室に来て籠りっきりで作業をしていた。

 おかげで一週目の終わりには白い布と黒い布を半分程つなぎ合わせるところまで終わった。


 そして週末がやってくる──。


   §


 土曜日の日中、布の縫い合わせ作業を黙々とする。

 私と千夏先輩とエリ先輩の三人でひたすらに縫い合わせていく。

 チクチク、チクチク、チクチク──。

「あー、目が疲れる。手が疲れる。っていうか飽きるね、これ」

 エリ先輩が弱音を吐く。

「がんばりましょう。このペースなら再来週の星を見る会に間に合いそうですもん」

「そうよ。みんなでがんばって間に合わせましょう。まだ天気予報は出てないけど、もしかしたら曇るかもしれないんだから」

「はーい。分かりましたよー。そういえば送風機買ったからお金後でちょうだいね。領収書挟んでおいたから」

「ええ、分かったわ」

「本当に出来そうですね。プラネタリウム──」

「茜さんのおかげよ」

「いいえ、私なんて全然。エリ先輩が設計図書いてくれたおかげですよ」

「でもきっかけは茜ちゃんだからね! 星の説明がんばってね!」

「はい。がんばります!」

 そしてまた黙々と縫い続ける。

 ミシンを手芸部から借りる案もあったのだけれど細かい部分が多いのと曲線が多いことから手縫いになった。まあ、慣れないミシンだと失敗するかもという懸念もあったし。

 それにこういう作業は苦手ではない。

 黙々と地道な作業は好きな方だ。

 なんか落ち着くし。

 そしてこうやってみんなで和気あいあいと作業してると文化系の部活に入って良かったなあと感じる。

 卓球部も好きだったし青春の一ページだけど、どうしても私は争いごとや競争と名前が付くものが苦手らしい。

 誰かと競うよりも己と向き合っていた方が性に合っている。

 それに気が付いたのは卓球部を引退してからだったけれど──。

 天文部は本当に素敵だ。

 アットホームで先輩は優しいし──好意を持たれ過ぎてるのは少し困ってしまうけれど。

 入ってよかった。

 出来れば琴葉にも入ってほしいな。

 先輩はいい人だけれど、同期も欲しい。

 少し欲張りになってしまうのだった。

 春の星を見る会で入部希望者が増えたりしないかなー。

 そうしたら先輩たちも喜ぶかな?

「いたっ──」

「大丈夫!? 茜さん──」

「茜ちゃん針刺しちゃった?」

「あはは、ぼーっと考え事しながらやってたら刺しちゃいました」

 左手の人差し指から針を引き抜く。

 ほつれない様に太めの糸を縫うために太い針を使っていたのが災いした。

 じんわりとした鈍い痛みと共に僅かに血が浮き上がってきていた。

「茜さん。絆創膏持ってるから指を出して」

「あはは、大丈夫ですよ。そんなに痛くないですし」

「だめよ。ちゃんと手を洗って絆創膏貼りましょう。もしも化膿したらいけないわ」

「茜ちゃん。千夏の言うとおりにしなよー。大丈夫だとは思うけどもしもってこともあるしさ。それに千夏は心配性だから付き合ってあげて」

「エリ、黙ってなさい。ほら、流し台に行きましょう」

「──はい。じゃあ、行きます」

「うん。二人とも行っておいで」

 エリ先輩に見送られながら千夏先輩と一緒に部室を出て共用の流し台に向かう。

 付き添われながらとぼとぼと歩いていく。

 二階から吹奏楽部の練習音が聴こえてくる。

 あれはチューバかな?

「痛くない?」

 千夏先輩に心配される。

「大丈夫です。大したことないですよ」

「でも結構針太かったでしょ? 本当は痛いんじゃない?」

「──あはは、実はちょっぴり痛いです」

「もう、嘘はつかないで」

「すみません」

「謝らなくていいのよ。ただ、心配なだけ。ほら手を洗いましょう」

 流し台に到着する。

「はい」

 蛇口の水で手を洗い流す。

 石鹸を泡立てて恐る恐る傷口を洗う。

 切り傷じゃなくて刺し傷だからかそこまで傷口は沁みなかった。

 よく泡を洗い流して、ハンカチで拭く。

「はい、じゃあ絆創膏を貼るわね」

「はい、お願いします」

 人差し指を千夏先輩の目の前に差し出す。

 千夏先輩がポーチから取り出したのはテディベアの描かれた少しファンシーな絆創膏だった。

「柄じゃないって思ったでしょ」

「いえっ、そんな全然──」

「良いのよ。自分でも意外だと思ってるから」

「そんなことないです可愛いくて良いと思います!」

「ふふふっ、ありがとう。じゃあ、貼るわね」

 千夏先輩が優しく絆創膏を巻いてくれる。

「痛いの痛いのとんでけー」

 千夏先輩が真剣な顔でおまじないをかけてくれる。

 なんだか少しおかしかった

「ふふっ、千夏先輩可愛いですね」

「今は褒められてもあんまり嬉しくない。でも嬉しい──。大丈夫? 絆創膏きつくない?」

「ええ、大丈夫です」

 鼓動を打つとともにじんわりとした痛みが来るけれど血が滲んできている気はしないからそこまで深くは無かったのだろう。

「本当に大丈夫? 痛くない? 痛いよね──」

 絆創膏が巻かれた指を千夏先輩が優しく包み込む。

「ごめんね。無理させちゃった」

「無理なんてそんな。私がうっかりしていただけです。その──春の星を見る会でお客さんがいっぱい来たら部員も増えるかな? そうしたら千夏先輩にエリ先輩も喜んでくれるかなーとか考えていたら手元が疎かになっちゃって」

「茜さんは優しいのね──」

「あっ──」

 千夏先輩に頭を撫でられる。

 千夏先輩の暖かさが伝わるようだった。

「いい子。いい子。茜さんはいい子だね」

「あのっ、千夏先輩。誰かに見られたら恥ずかしいです──」

「いいのよ。見せつければ。だってこんなにいい子なんだもん」

「理由になってないです。それ──」

 でも、嫌な気はしなかった。

 むしろ嬉しかった。

 私に尻尾がついてなくて良かったと思う。

 だってそうしたら全身で喜んでるって伝わっちゃうから。

 それは少しもどかしくて、恥ずかしくて、複雑な気分だった。

「じゃあ。戻ろうか」

 少しの名残惜しさと共に千夏先輩の声にしたがってついていく。

 もう少しだけ──なでなでして欲しかったな。

 そんなことを思うのだった。


   §


 それから少し作業をして、今日はお開きとなった。

 厳密には千夏先輩とは夜にまた会うのだけど。


『浮気は許さないからねー。茜ちゃん』

『茜さんはエリのものじゃないから』


 そんな会話が別れ際にあった──。

「私はまだ誰のものでもない──」

 そう、まだ誰とも付き合ったことがない。

 でも、いつかは誰かと付き合うのだろう。たぶん。

 それは男の子だと思っていた。

 出来ればそこそこ顔の整っていて、優しくて、浮気しないで、私の事を大切に思ってくれる人が良いなあなんて漠然と思っていた。

 でも現実は予想の斜め上を突き進もうとしている。

 私、女の子と付き合えるのかな?

 そんな心配が付きまとう。

 友達でも無くて。

 先輩でもなくて。

 恋人として──。

 そんなことが出来るんだろうか?

 千夏先輩は私の気持ちが追いつく日を待っていると言ってくれた。

 私の気持ちは何処にあるんだろう?

 何処に行きたいんだろう?

 心の声に耳を傾けながら、私はポトフを煮込んでいた。

 煮込み料理はいい。

 雑念もコトコト溶かして煮込んでくれるような気がする。

 骨付きの豚スペアリブを下茹でしてから深鍋でコトコト煮込む。切れ目を入れた玉ねぎ、丸ごとのトマト、ゴロゴロに切ったジャガイモ、セロリ、ウィンナー、厚切りのベーコン──。

 たくさんの具材を愛情を込めて煮込んでいく。

 美味しくなーれ。

 美味しくなーれ。

 美味しくなーれ。

 料理は技術と愛情で出来ている。

 技術も大切だけど食べてくれる人の事を考えて作った料理の方がいいと私は思う。

 だから千夏先輩の事を思いながら料理をする。

 千夏先輩、美味しいって言ってくれるかな?

 喜んでくれるかな?

 そう思いながら食材に火が通るのを待つ。

 ふふふっ、楽しみだな──。

 人差し指の痛みはすっかり引いていた。

 けれど記念にこの絆創膏は今日くらいつけておこうかなって思った。

 千夏先輩。そろそろ来るかな?

 時刻は午後の六時。そろそろ迎えに行こうかな。

 コンロの火を止めて顆粒のコンソメスープを入れてからひと混ぜして味見をする。

 うん、こんなものでしょう。

 ポトフの出来に満足して出かける準備をする。

 上着を羽織って、財布を持って、玄関の鍵を閉める。

「よし──」

 自転車で待ち合わせのスーパーまで向かう。


   §


「こんばんは。茜さん」

 夜風に流される髪の毛を押さえつける姿が様になっていた。

「こんばんは。千夏先輩、ちょっと待たせちゃいましたかね? すみません」

「いいのよ。私が楽しみで早く来ただけなんだから」

「あはは、じゃあ早速お買い物しちゃいましょう」

「お金は私が全部出すから遠慮なく買ってね」

「まあ、メインはもう作ってあるから。そんなに買うものは無いですよ。鶏むね肉、水菜、枝豆、玉ねぎ──くらいですかね。あとは飲み物。千夏先輩はお酒飲みますか?」

「うーん。茜さんが許してくれるんなら飲みたいかな。瓶は持ち帰るから」

「はーい。今日の料理だとたぶん白ワインとかが合う気がします」

「メニューはなに?」

「具だくさんのポトフ、ローストチキンと水菜のサラダ、トマトとベーコンのリゾットですね」

「確かに白ワインね。じゃあ、小瓶を一本だけ」

 千夏先輩が白ワインのボトルをかごに入れる。

「あっ、かご持ちますよ」

「いいわよ。これくらい。それに茜さんケガしてるんだし」

「あれならもう全然大丈夫ですよ」

「でも持たせてちょうだい」

「はい、じゃあお願いします」

 千夏先輩の持つかごに材料を入れていく。

「手慣れているわね。買い物に迷いない」

「普段使ってるスーパーですからね」

「私も料理出来たらこうなるのかな?」

「そうですねー。あっ、今日ちょっとだけ手伝ってみるのはどうですか? 簡単な所だけ」

「私に出来るかしら?」

「大丈夫ですよ。私がついていますから」

「じゃあ。少しだけ」

「はい!」

 お会計を済ませてアパートへ戻る。


   §


「お邪魔します。茜さん」

「ようこそ。わが家へ」

 玄関先で千夏先輩が靴を脱ぐ。

 初めて人をアパートにあげた。

 まさかそれが千夏先輩になるとは思わなかった。

「千夏先輩が我が家に来たお客さん第一号ですよ」

「ふふっ、それは光栄ね」

 荷物を整理し始めると千夏先輩から小箱を渡される。

「駅地下のタルト屋さんでフルーツタルトを買ってきたの。食後のデザートにしましょう」

「はい! ありがとうございます」

 タルトを冷蔵庫に入れる。

「じゃあ、料理をします。まずは手を洗いましょう」

「ええ」

 二人で手を洗ってキッチンペーパーで水気をふき取る。

「手を洗ったら枝豆を剥いてこのボウルに入れて下さい。ごみはこの袋に」

「分かったわ」

 千夏先輩が枝豆を剥いている間に私は鶏むね肉に塩を振ってからガスコンロのグリルでローストチキンを作っていく。

 料理は手際が大事。鶏むね肉をグリルに入れて弱火でじっくり焼けるのを待つ間にリゾットの準備をする。玉ねぎ一玉をみじん切りにしていく。

「茜さん。枝豆終わったわ」

「じゃあ、水菜を切りましょう」

「水菜ね」

 千夏先輩が水菜を取り出す。

「根元を切ってから水で洗って下さい。キッチンペーパーで軽く水気を拭いたら四センチくらいに切って下さい」

「なるほど──ちょっと難しくなったわね」

「あはは、包丁怖かったら言って下さい」

「頑張ってみるわ」

 千夏先輩が水菜を洗っている間にオリーブオイルを入れたフライパンにみじん切りにした玉ねぎを投入して火にかける。

 軽く塩を振りかけて水分を飛ばしやすいようにして弱火でじっくり炒めていく。

「このくらいの長さ?」

「もう少し短い方がいいですね。このくらい──」

 千夏先輩の脇に立って包丁を握る手に己のものを重ねる。

 そして千夏先輩の手を握った状態で包丁を使い、水菜を切っていく。

 ザクッ、ザクッ、ザクッ──。

 小気味よい音が室内に響いていく。

「どうです? 分かりました?」

「えっ、ええ──大丈夫」

「千夏先輩?」

「ちょっとその、動揺してしまったのよ。茜さんに手を握られて」

 かわいい──。

 なんか、こう、胸がキュンキュンする。

 よく見れば顔が少し赤くなってる気がする。

 照れてるんだ。

 手を握ったくらいで──。

 なんだかこっちまで恥ずかしくなってきて、でも少しうれしいなあと思った。

 胸がポカポカする。

「かわいいですね。千夏先輩」

「うー、これくらいで照れるなんて──」

「わっ、包丁振り回しちゃ危ないですよ~」

 恥ずかしさのあまり動揺して包丁を持ったまま手をブンブンと動かす千夏先輩を宥める。

「ごめん。つい──」

「よかった。ケガしなくて。じゃあ、切り終わった水菜をボウルに入れましょう」

「ええ」

 ボウルに水菜を入れる。

「じゃあ、次はプチトマトのヘタをとって洗ってから半分に切ってボウルに入れてください」

「分かったわ」

 千夏先輩がトマトのヘタをとっている間にフライパンに米を一合入れて透き通るまで炒めていく。米粒を飛ばさないように丁寧に木べらで炒めていく。

「茜さんは本当にお料理上手なのね。私に教えながら自分の料理も進めていけるなんて」

「慣れですよ。慣れちゃえば流れ作業で出来ます。いつか千夏先輩も出来るようになりますよ。大丈夫です」

「そうかしら?」

「そうですよ」

 しばらく無言で料理を続ける。

 フライパンでの炒める音と、少しぎこちない包丁の音がリンクしていく。

「切り終わったわ」

「はーい。ちょっと待って下さい」

 刻んだベーコンと千夏先輩が切ったプチトマトを何個かフライパンに入れる。

 軽くなじむまで炒めたら水と顆粒のコンソメスープを入れて弱火にする。

「じゃあ、サラダに味付けしちゃいましょう」

 冷蔵庫からイタリアンドレッシングを取り出す。

「千夏先輩。ボトルをよく振って下さい」

「分かったわ」

 その間に、ローストチキンをグリルから取り出す。

 皮目がパリパリに焼けていい感じ。

「ドレッシングをボウルの上からひと回しかけてください」

「うん」

 アツアツのローストチキンを包丁で一口大に切っていく。

 それをボウルに入れてトングでざっくりかき混ぜる。

「はい。ローストチキンと水菜のサラダ完成です!」

「おー、出来たわね。私、少しだけお料理したわよね? ねっ?」

「はい! 千夏先輩と私の合作です」

「ふふふっ、嬉しいわ」

「じゃあ、ボウルをテーブルまでお願いします」

「ええ」

 千夏先輩にボウルを任せて再びフライパンに目をやる。

 お米がだいぶ水分を吸ってきた感じだ。

 スプーンでとって味見をする。

 お米の芯がまだ少し残っている。

「もうちょい水足そうかな」

 少しだけ水を足して木べらでかき混ぜる。

「リゾットって作れるのね」

 千夏先輩が戻ってきた。

「簡単ですよ。焦がさなければいいだけなので。それに味付けも迷ったらレトルトのパスタソースとか使えばいいですからね」

「なるほど。パスタソースなら家にあるわ」

「お米を研がずにそのままバターかオリーブオイルで炒めて透明になったら水を入れて焦がさないように炒めて、味付けすれば完成です。慣れたら具材を入れてみればいいですし」

「なんだか茜さんに言われると凄く簡単に思えてくるわ」

「今度お家でやってみてください。意外と簡単に出来ちゃいますから」

「分かったわ」

 クツクツとリゾットが煮上がってきた。

 もう少しで出来そうだ。

 ポトフの鍋を火にかける。

 いったん台所から離れて取り皿などをテーブルに並べていく。

「ちゃんと二人分食器を持ってきているのね」

「はい。お母さんが来客用に食器は多めに持っていきなさいって言ってくれて」

「私の家、食器一組しかないわね。しかも外食が多いから殆ど使ってないし」

「あはは。まあ料理しないなら仕方がないですよ」

 台所に戻ってリゾットを味見する。

 うん。いい感じ。

 仕上げにバターを入れて溶かし混ぜる。

「完成!」

「お疲れ様。茜さん」

 パチパチと拍手してくれる。

「いえいえー。じゃあ食べちゃいましょうか」

「ええ」

 リゾットをココットに取り分けて粉チーズをかける。

 ポトフをシチュー皿に取り分ける。

 それらを千夏先輩と一緒に運んでいく。


   §


「じゃあ。いただきます」

「いただきます。茜さんの手料理楽しみだわ」

「えへへ──」


 時刻は夜の七時過ぎ。

 ゴールデンタイムのテレビ番組を流しながら、私と千夏先輩の夕食が始まった。

「うん、このサラダ美味しいわ。鶏むね肉も皮がパリパリで身はしっとりとしている。本当に美味しい」

「良かったです。うん、ポトフもいい感じですよ」

 コトコト煮込んだポトフは野菜とベーコン、豚スペアリブの旨味がギュッと詰まっている。トマトを潰して食べるといいアクセントになる。身も心もホッコリする味だ。

「うん、リゾットも美味しい。白ワインにぴったり──」

 あいにくワイングラスは無いのでプラコップだけれど満足してくれているようで何よりだ。

 今度、千夏先輩用にワイングラス買っておこうかな?

 そんなことを思うのだった。

「本当に美味しいわ。大好きよ、茜さん」

「えっ、その──ありがとうございます」

 ドキリとする。

「茜さんは、まだ私かエリか決められない?」

「えーっと、その──」

「ごめん、急かしちゃってるわね。いけないいけない──」

「千夏先輩も、エリ先輩も、どちらも素敵な先輩で本当に天文部に入ってよかったと思うんです。私、この大学に来て良かったと思います」

「うん」

「でも、恋愛は本当に経験が無いから、どっちつかずなのは良くないなってわかっているんですけど、決め切れなくて──ごめんさない」

「ううん、良いのよ。ちょっとだけ酔ったのかしら? 忘れてちょうだい。いつまでも待つから。でも選ばなくても、私が茜さんを好きってことは覚えていてちょうだい。私、茜さんが大好き。茜さんと出会ってから私の毎日はキラキラしてる。毎日朝起きるたびに茜さんに会えるのが楽しみな自分がいる。茜さんを視線で探してしまう。茜さんに会えると嬉しさで心の尻尾がブンブン振り回されていくのを感じるの。私に尻尾があればなって思うわ。そうすればこの嬉しさをあなたに伝えられるのに──茜さん、あなたが大好きよ」

 じっと瞳で見つめ合う。

 吸い込まれそうな瞳だった。

 キラキラ、キラキラ──。

 お星さまみたい。

 でも──怖い。

 今の関係性を壊すのが怖い。

 こんなに真摯な告白をしてくれているのに。

 自己嫌悪に陥る。

 なあなあで済ませたいと思っている自分に嫌気が差す。

「千夏先輩──私、怖いです。今の関係性が壊れていくのが怖い。もしもどちらかを選んだら、選ばなかった先輩とは今みたいに接することが出来ないかもしれない。それが怖いんです。でも千夏先輩はこんなにはっきり告白してくれているのにちゃんと返事が出来ない自分も嫌になっちゃいます──」

「茜さんにとっては初めての事だもの。仕方がないわ。でも大丈夫、関係性が変わっても天文部で仲良くやっていけるはずよ──あのね。私とエリって実は半年くらい付き合っていたの」

 んっ? んんんんんんんっ!?

「えっ? 千夏先輩とエリ先輩が!? 付き合っていたんですか!?」

「うん。まあ、友達としては良かったんだけど恋人としてはあんまり相性よくなかったから結局別れちゃったんだけどね、でも今でもこうやって仲良くやってるわ。だから大丈夫。変化を恐れないで。私もエリも大丈夫なはずだから」

 自分の悩みよりも千夏先輩とエリ先輩が恋人同士だった方に驚いて上手く頭が回らない。

 でも──。

「はい。いつか、ちゃんと決めますから」

「ありがとう。茜さん」

「ちなみに、その──どっちから告白したんですか?」

「うーん、流れでかな? 一応エリからよ。大学の新歓で仲良くなって、食事とか一緒にするようになって、お家に遊びに行ったりしていくうちに自然にね。あとは、酔ったエリに絡まれて、流れで身を預けたりして──そのまま付き合おうかってなったのよ」

 身を預けるってつまりは、その──大人のあれだ。

 女の人同士ってどうやるんだろう?

 いや、でも聞いて良いのかな?

 別れているのに?

 でも今でも仲いいし?

 気にしてないのかな?

「そのー。どうして別れたんですか?」

「なんだか相性が良くなかったのよね。遊ぶにはいいけど一緒には住めないタイプと言うか。細かいところがすれ違っていくというか掛け違っていくというか──まあ、身体の相性もあんまりよくなかったしね」

「なっ、なるほど──」

 顔が火照ってくるのが分かる。

 少し刺激が強すぎる。

「茜さん? なんだか顔が赤いわよ?」

「その、大人だなあって──」

 私の表情を見て千夏先輩が察する。

「あっ、でも殆どしてないからね。清らかよ。だから安心して! ねっ、茜さん──」

 裸の千夏先輩がエリ先輩とその──シテるのを想像する。

 私の想像力が未熟だからどのような感じなのかは分からないが千夏先輩もエリ先輩もスタイルがいいから、その、刺激的な光景が目に浮かぶ。

「ねえ、茜さん? 聞いてる? エリとはそんなにしてないからね。安心してね!」

 揺さぶられる。

 胸も揺れるのかな?

 千夏先輩おっぱい大きいし──。

「ねえ、茜さんってば──私を見てよ」

「ひゃい──」

 千夏先輩にほっぺを両手で挟まれて見つめられる。

 このままキスしちゃいそうな感じだ。

「リピートアフターミー。私の身体は清らか。オーケー?」

「千夏先輩の身体は清らか──」

「オーケー」

 両手を離される。

 煩悩を少し飛ばすことが出来た。

「さあ、冷めないうちに食べちゃいましょう。デザートもあるんだし」

「そうですね」

 すっかり聴こえなくなっていたテレビに耳を傾けながら、千夏先輩と一緒に夕ご飯を食べるのだった。


   §


「茜さんはどっちのタルトがいい? フランボワーズ? ブルーベリー?」

 夕食後に食器を洗い終えると、千夏先輩が冷蔵庫からタルトを取り出す。

 ふたを開けると、どちらもかわいらしいタルトだった。

 悩ましい。

 これは悩ましいなあ。

「フランボワーズが好きですけどブルーベリーも食べたい。一口交換しませんか?」

「そうね!」

 ニコニコと上機嫌な千夏先輩にこちらも嬉しくなってくる。

 そうだ紅茶のお湯を沸かさないと。

 電気ポットでお湯を沸騰させる。

 ティーポット、ティーポット──。

 食器棚からティーポットを探し出す。

 一度も使ってない新品のティーポットを見つけ出す。

「千夏先輩、これでいいですか?」

「ええ、大丈夫。スプーン貸してもらえる?」

「はい」

 スプーンを手渡す。

「今日はセイロンティーにしたの。すっきりとしていて飲みやすいと思うわ」

「千夏先輩って紅茶の茶葉、何種類くらい家に置いてるんですか?」

「うーん、十種類くらいかしらね。時々入れ替えしながら気分で楽しんでる感じ」

「十種類──。凄いですねー。お茶を十種類常備してるなんて」

「一杯当たりで考えれば安い趣味よ。それよりも一緒に食べるお菓子の方がお金かかるわね」

「駅地下のタルト屋さん気になっていたんですよねー。楽しみです!」

「美味しいわよ。気に入る事間違いないわ」

 ポットのお湯が沸いた。

 紅茶缶から茶葉を三杯入れて、お湯を注ぎ込む。

 千夏先輩がスマフォを取り出す。

「あとは三分待てばオーケーよ」

 その間にタルトを皿に乗せてフォークを添える。

「ふふふっ、このタルト可愛いです!」

 タルトの写真を撮る。

 ピピピ──。ピピピ──。

 そうこうしている内にタイマーが鳴る。

「じゃあ、いただきましょうか」

「はい!」

 テーブルに座り、紅茶の香りを楽しむ。

「いい香り──」

「飲んでみてちょうだい」

「はい」

 一口紅茶を飲む。

 口の中に穏やかな渋みと華やかな香りが舞い散る。

「うん。美味しいです!」

「よかったわ」

「じゃあ、タルトもいただきますね」

「ええ」

 フランボワーズのタルトをフォークで崩しながら食べる。

 口の中にフランボワーズの甘酸っぱさとピスタチオクリームの濃厚で滑らかな甘さが広がる。

「美味しいです!」

 一口分フォークに乗せる。

「千夏先輩も食べてみてください! 絶対に気に入りますよ」

「ふふっ、ありがとう」

 黒髪をかき分けながら、私のフォークからタルトを食べる。

「うん──、甘酸っぱくてピスタチオの風味も濃厚でとっても美味しい」

「ですよねー!! すっごく美味しいです」

「私のブルーベリーのタルトもどうぞ」

「はい」

 差し出されたフォークに口を持っていきブルーベリーのタルトを口にする。

 こっちもブルーベリーのはじける果肉感と生クリームの軽やかさがとってもいい。

「うん。こっちもすっごく美味しいです!」

「良かった──。ふふっ、間接キスね」

「あっ──、そうですね。あはは──」

 千夏先輩の口元に目が行く。

 ツヤツヤしたリップ──千夏先輩と間接キスしちゃった。

 また顔が赤くなっていくのを感じる。

 隠す様に紅茶を一口飲み込む。

 美味しい──。

 いつも飲むティーバッグとは全然違う。

 千夏先輩の淹れる紅茶に慣れると前まで飲んでいたティーバッグでは物足りなくなってくる。

「本当に美味しいです。タルトも紅茶も。千夏先輩、ありがとうございます」

 ぺこりとお礼をする。

「いいのよ。むしろ頭を下げるのは私だわ。美味しい料理をありがとう。また食べさせてくれると嬉しいわ」

「はい! 千夏先輩なら歓迎です。食材余らせたら誘いますね」

「うん。とっても楽しみにしてるわ」


 それからなんてことのない会話をして、食器を洗って、別れの時間がやってきてしまった。


「今日はありがとう。本当に楽しかったわ」

「私も楽しかったです」

「今度は三人で。でも、たまには二人きりでお食事出来たら嬉しいな」

「──はい。そうですね。そうしましょう」

「じゃあね。茜さん」

「はい、千夏先輩、お気をつけて──」

 千夏先輩の漕ぐ自転車を見送る。

「──楽しかったなあ」

 夜空を見上げながら一人呟く──。

 半分の月がのぼる空だった。

「綺麗──」

 そのまま少しだけ月光浴をしたのだった。

 名残惜しさを捨てきれずに──。


   §


 翌日。

「こんばんはー」

「こんばんは。エリ先輩」

 エリ先輩の家の近くのスーパーで待ち合わせする。

 普段は使わないスーパーだ。

「昨日は楽しかった? 指大丈夫?」

「はい。とっても楽しかったです!」

「言うねえー。でも今日も楽しいからね?」

「ふふふ、楽しみにしてます」

 スーパーの店内に入る。

 わー、少し雰囲気が違う。

 なんだか初めて行くスーパーってワクワクする。

「とは言ってももう料理は殆ど出来てるから飲み物買うくらいなんだ」

「えっ? そうなんですか?」

「うん、茜ちゃんとお料理するのもいいなーと考えたんだけど今日は私の手料理を食べてもらいたくてね。だからお料理会はまた今度ね」

「はい!」

「緑茶は淹れられるけど他に何か欲しい?」

「じゃあ。オレンジジュースをお願いします」

「はーい」

 エリ先輩がオレンジジュースを棚からカゴに入れる。

「食後のデザートは何にする? アイスとか買う?」

「いいですねえ」

 アイスコーナーに向かう。

「何にしようかなー」

「悩みますよねー」

 ワッフルコーンのアイスも気になるし、定番のカップアイスもいい。でもフルーツバーもいいなあ。あっ、新作のフレーバーもある。クッキー&チョコチップかあ──。

 一通り見て悩んで結局ド定番のバニラアイスにした。

「じゃあ、会計しよっか」

「あっ、出しますよ。食材費も払ってませんし」

「じゃあ、食材費はいいからここの代金お願いしてもいいかな? それでチャラでいいからさ」

「えっ、いいんですか? 私、全然お料理のお手伝いもなさそうなのに」

「いいから、いいから、先輩に任せなさい!」

「じゃあ、すみません。甘えますね」

「うんうん、お姉さんに甘えちゃいな」

 会計を済ませてスーパーを出る。

 今日は月が出ていなかった。

 曇り空の曇天が広がっていて少し残念だった。

「行こうか」

「はい」

 自転車でエリ先輩のアパートまで向かう。

 知らない道だ。

 自転車で五分くらいでエリ先輩がブレーキをかける。

「ここがあたしのアパート」

「ここに住んでるんですねー」

 二階建ての小綺麗なアパートの一階に住んでいるらしい。

「ただいまー」

「お邪魔しまーす」

「ようこそ。茜ちゃん!」

 部屋に入ると良い匂いが漂っていた。

 これは美味しそうな予感!

「あとは魚焼くだけなんだよねー。ちょちょいのちょいだからちょっと待っててね」

「はい。でも見てていいですか?」

「もちろん!」

 冷蔵庫から取り出したのは鯖? いや鰆とかかな?

「今日は鰆の柚庵焼きでーす」

「わーい鰆大好きです。春って感じがしますよね」

「だよねー。半日漬けにしておいたからよく馴染んでるはずだよー」

 フライパンにクッキングシートをひいて鰆を乗せて火をかける。

 弱火でじっくりと焼かれていき、チリチリとタレの香ばしい匂いが広がっていく。

 フライパンで蒸し焼きにして火を通したらひっくり返して片面を焼き上げていく。

「良い匂い~」

「ねー」

 ピー、ピー、ピー。

 ブザーが鳴る。

「ご飯も炊きあがったみたいだね。ちょっとかき混ぜてくるから」

「はい」

 ジリジリと焼き上がっていく鰆を眺める。

 もういい頃合いかな?

 コンロの火を止める。

「あっ、火止めてくれたんだ。サンキュー」

「いえいえ」

「あとは豚汁を温めなおせば完成だよ」

 豚汁の入った鍋の火をかける。

 まだ暖かかった豚汁はあっという間に沸いた。

「茜ちゃん。ご飯どのくらいよそう?」

「うーん、並盛くらいで」

「よし、少し多めにしよう」

「えっ?」

「茜ちゃん瘦せ型だからもうちょい食べたほうがいいよ?」

「そうですかねえ。まあ食べれるとは思いますが」

「うんうん、たくさん食べる茜ちゃんが大好きだよ」

「えへへ」

 ご飯を盛り付け、おかずをテーブルへと並べて座る。

「じゃあ、いただきます」

「はい。いただきます」

 炊き立ての白米がツヤツヤしている。

「秋田の実家から送ってもらってるお米だから美味しいよ」

「そうなんですね。では──」

 ぱくりと一口食べる。

 うん、ご飯の旨味と甘味がしっかりしているし食感もしっかりとしていて美味しいお米だ。

「美味しいです!」

「うんうん、おかずも力作だから食べてよ」

「はい!」

 テーブルに並ぶおかずは鰆の柚庵焼き、肉じゃが、ほうれん草とカニカマのおひたし、カブの浅漬け、そして具だくさんの豚汁だった。

 まずは焼きたての鰆を食べる。

「うん、美味しい──」

 甘じょっぱいシンプルな漬けダレと鰆の脂がよくマッチしている。

 脂ののった鰆はそくそくとした歯触りでしっとりとした旨味を内包していてご飯によく合う。

「美味しいです!」

「でしょー」

 肉じゃがは牛肉の旨味がジャガイモに沁み込んでいてホックリとしたジャガイモが絶妙に甘辛く仕上げられている。箸休めのほうれん草とカニカマのおひたしは白出汁の風味がほうれん草の甘味とマッチしているし、カブの浅漬けは柚子の風味がサッパリとさせる。

「茜ちゃん。ご飯、少しお代わりする?」

「んーっと。はい、少し──」

「よしよし、よく食べな」

 エリ先輩にお茶碗を渡す。

 本当にどれも美味しい。

 全部温かみのある味だ。

 食べてもらう人の事を考えて作った料理の味がする。

「はい、ご飯。あと〆に梅干しと焼き海苔持ってきた。おいしいよー」

「わー、絶対に美味しい奴ですね!」

 テレビのお笑い番組をBGMにしながらご飯をもぐもぐと食べていく──。


   §


「うんうん、茜ちゃんが満足してくれたようで何よりだなあ」

「本当に美味しかったです」

 結局、もうちょっとだけお代わりした。

 食後の緑茶を飲んで一息つく。

「エリ先輩、本当にお料理上手なんですね! いっぱい食べちゃいました」

「昔から家の手伝いしてたからね。和食は結構得意なんだー」

 確かに今日は和食だったな。

「凄いですねー。私は洋食得意な方ですけど和食は少し苦手で」

「慣れれば簡単だよ」

「そうなんですよね。慣れればいいんですけど、つい洋食ばっかり作っちゃうんですよねー」

「まー、私も気持ちは分かるけどね、つい和食ばっかり作って洋食はあんまり作らないし」

「ですよねー」

「だよねえ」

 お茶を飲みながら微笑み合う。

「アイス食べようか。あと、ジュースも飲んじゃおう」

「はい」

 冷凍庫からアイスを取り出して、冷蔵庫からジュースを取り出す。

「ジュースに氷いる?」

「いえ、結構です」

「りょうかーい」

 アイスのふたを開ける。

 まだカチンコチンなのでスプーンがあんまり入っていかない。

「ねえ、茜ちゃん。茜ちゃんは恋人いたことないの?」

 その質問にドキリとする。

「──そうですね。恋人は今までいませんでした」

「ぶっちゃけ、私と千夏ならどっちがあり? どっちも無し?」

「それは、その──まだ、分かりません。恋をしたことがないんです。いままでずっと──。だから誰かを好きになることをよく分からないし、悩んでいます。ずっと、悩んでいます」

 本当に悩んでいる。

「恋なんてインスピレーションでいいと思うんだけどなあ。合わなかったら別れればいいんだし。別れても仲良くなっていけるんだよ?」


 これって千夏先輩の事かな──?


「それって、千夏先輩の事ですか?」

 勇気を出して聞いてみる。

「あっ──千夏のやつ喋ったんだなー。あいつめー」

「すっ、すみません。昨日、話の流れで」

「茜ちゃんは悪くないんだよ。千夏も悪くない、私も悪くない。だって恋愛に別れは付き物だもの、よくある話。ちょっと相性が悪かっただけだよ」

「相性ですか?」

「そう、相性。結局なんで好きなのかは後付けなんだよ。その時好きになって、そこに理由が必要になってくる。そして相性が良ければ上手く付き合えるの。覚えておくといいよ。茜ちゃん──ちなみに私は茜ちゃんと相性抜群だと嬉しいな。えへへ──」

 じっと見つめられる。

 キリっとした瞳に見つめられる。

 やっぱりキラキラと言うよりピカピカしてる。

 眼力が強い。

「千夏先輩もですけどエリ先輩もどうしてそんなに私の事が好きなんですか?」

「だから言ってるでしょう。理由なんて後付けだよ。私も、千夏も、あの日出逢った瞬間に一目惚れしちゃったんだからどうしようもないよね。あはは。そこは私と千夏、友達として相性抜群だから、おんなじ人を好きになっちゃったんだろうねえ」

「そういうものですか?」

「そういうもの。ほら、アイス溶けちゃうよ。食べちゃおう」

 確かにアイスは食べごろになっていた。

 バニラアイスが甘くて、冷たくて、美味しい。

 無言でアイスを食べ続けた。

 理由なんて後付け──かあ。

 そのままジュースを飲んで、ダラダラおしゃべりをしていった──。


   §


「じゃあ、今日はありがとうございました」

「ううん。いいんだよ。またいつでもおいで」

 玄関の外で見送られる。

「茜ちゃん──」

「なんですか?」

「茜ちゃん。大好きだよ──本当に大好き」

 エリ先輩に肩を掴まれて、そのまま抱きしめられる。

「エリ先輩!?」

「好きに理由なんてない。ただ好きなだけ。でも好きなのは嬉しくて苦しいんだ──茜ちゃん。私じゃダメ? 千夏より甲斐性あるよ。料理も出来る。エッチも──たぶん上手だよ」

 ギュッと抱きしめる力が強くて少し痛いくらいだった。

「エリ先輩──ちょっと苦しい、です」

「お願い。私を選んで──」

「えっ、ちょっと、待って──エリ先、ぱい」

 生暖かな感触が唇に入ってくる。

 えっ──?

 いま、なにされてる?

 わたし、なにされてる?

 ぬらぬらとした粘性の刺激が舌を襲う。

 息が苦しい。

 力が抜けそう。

 もしかして──。

「けほっ──」

 力任せにエリ先輩をつき飛ばす。

 エリ先輩はバランスを崩して後ろにたたらを踏む。

「今、キス──なんで、エリ先輩──」

「好きだから。我慢できなかった」

「なんで──」

 唇を拭う。

 とてつもない罪悪感が湧いてきた。

 泣きそう──。

 いや、実際に涙がポロポロ零れ落ちてくる。

「あっ、茜ちゃん。ごめん、そんなに嫌だった? ごめん──ごめんなさい」

 エリ先輩が泣きそうな顔をしている。

 でも、私にはエリ先輩に構う余裕はなかった。

「ごめんなさい。帰ります──」

「ごめん! ごめんね、茜ちゃん──ごめんなさい」

 振り返ることなく、自転車を漕ぎだす。

 夜空は曇ったままだった。

 曇天の中を走り出す。

 私のファーストキスはバニラアイスと仄かにタバコの香りがするキスだった──。


   §


 その日の夜はしばらく眠れなかった。

 悲しくて、でも何が悲しいのかが分からなくて、でも涙は止まらなかった。

 酷い罪悪感が私を襲っていた。

 それも誰に対する罪悪感は朧気で、ただ、ひたすらにごめんなさいという気持ちが湧いてきた。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい──。

 でも、エリ先輩への嫌悪感は湧かなかった。

 キスへの拒否反応はあったのに──。

 ビックリしただけかな?

 でも、理性じゃないところが訴えかけている。

 このキスは望んでいなかったと──。

 分からないことがいっぱいで頭がぐるぐるしてる。

 眠りは浅くて、全然眠れた気がしなかった──。


   §


「──という事がありました」

「その、なんていうか、お疲れ様──茜」

 翌日、琴葉を家に招いての食事会は私が気分じゃなかったので断ろうとしたら琴葉が異変を察知して事情聴取が始まり、結局昨日の事を殆ど報告することになった。

 最初はメッセージだったけど、足りなくて最終的には通話での報告会になった。

「ほら、取り敢えず肉食べよう。もう、そっち焼けるよ?」

 結局、近所の焼肉屋に集合してランチになった。

「ねえ、なんで私、キスが嫌だったんだろう?」

「そんなのエリ先輩が好みじゃなかったに決まってるじゃない」

「でもエリ先輩いい人だよ」

「いい人は無理やりキスしたりしない」

「でっ、でも、ご飯美味しいし、優しいし──とにかくいい人なの!」

 琴葉がカルビをひっくり返す。

「ほら、落ち着きなさい。取り敢えずお肉食べる」

「はーい」

 琴葉が焼いたカルビを頂く。

「美味しい」

「でしょー。ここの焼肉屋さん美味しいんだー。テニス部でよく使ってるの」

「へー」

 肉を食べて、盛岡冷麺も食べる。琴葉は最初から辛みを入れるタイプだけど、私は辛みは入れないで食べるタイプだ。透き通ったスープが美味しい。

「茜はさあ。もう好きな人がいるんだよ」

「えっ?」

「だからさあ、もう好きな人がいるからエリ先輩にキスされて──ファーストキスを奪われて泣くほどショックだったんだよ」

「私が好きな人──」

「そんなの決まってるじゃない。千夏先輩でしょ?」

「えっ、ええええええええええええええ!?」

 店内にガチめの大声が響く。

「お客様!?」

「あっ、すみません。こっちの子がビックリしただけでーす。大丈夫でーす」

 琴葉が慌ててやってきた店員さんを帰す。

 いや、それよりも──。

「こ、琴葉。何言ってるの?」

「茜ってば鈍感すぎ──千夏先輩との思い出を聞いてたら誰だって分かるよ。だって瞳がお星さまみたいにキラキラして見えたんでしょ? 触れられてドキドキしたんでしょ? もっとなでなでして欲しかったんでしょ? それって好きってことじゃん。ちゃんと考えてみなよ」

 千夏先輩の事を考えてみる。

 初めて会った時の事を、星見に行ったことを、マニキュアの塗り方を教えてもらったことを、一緒に話したことを、笑う顔が綺麗なことを、瞳が吸い込まれそうなことを、なでなでされたことを──。

 胸がドキドキする。

 そして胸の奥が苦しいのに気が付く。

 そっか、私──恋していたんだ。

 千夏先輩に恋していたんだ。

「琴葉──今日は私の驕りで食べていいよ」

「良いの? サンキュー」

「ふふふっ、ありがとう琴葉。琴葉は最高の友達だよ──」

 大切な私の恋心に気が付かせてくれた最高の友達なんだから。


   §


 その日の夜、千夏先輩からメッセージが届く。

 なんだろう?

 ワクワクしながらメッセージを確認すると、大切な話があるから部室に来て欲しいと言う内容だった。

 急いで出かける準備をする。

 もしかして──告白!?

 とか思ってるけど冷静に考えたらもう告白はされている。

 あとはオーケーを出すだけだ。

 でも、こういうのはムードが大切かなー?

 自転車を漕いで部室棟へと向かう。

 空は薄っすらと月明かりが漏れ出ていた──。


   §


「お疲れ様でーす──」

 部室に入ると、千夏先輩に──エリ先輩がいた。

「こんばんは。茜さん」

「こ、こんばんは。千夏先輩」

 なんか、千夏先輩ピリピリしてる?

 それに、エリ先輩の左のほっぺたが不自然に赤い──まるでビンタされたみたいに。

「エリから話を聞きました」

「えっと、その──」

「ごめんなさい。茜ちゃん!」

 黙っていたエリ先輩が急に立ち上がって私に頭を下げる。

「ごめん。私、自分の事しか考えてなかった──茜ちゃんにキスしちゃった。茜ちゃんを傷つけちゃった。本当にごめんなさい」

「あっ、頭を上げて下さい。私、キスにビックリしたのは本当ですけどエリ先輩を嫌いになったわけじゃないですから」

「茜さん。茜さんは優しすぎるわ。エリがやったことは本当にいけない事よ。ちゃんとその認識は持っておいてちょうだい」

「はい──でも、エリ先輩をあんまり怒らないでください。私も悪いので」

「茜ちゃんは悪くないよ。無神経な私が悪かった」

「エリはよく反省する事。あと私も悪かったわ。本当にごめん」

 千夏先輩が頭を下げる。

「千夏先輩も頭を上げてください!? 私が悪かったんですから」

「茜さんは悪くないわ。私達が茜さんの事を考えずに好意をぶつけ続けていたことが原因なんだから私とエリが悪いわ──だから私もエリも茜さんからは手を引くから」

「えっ──!?」 

「茜さんにはもっと素敵な人が見つかるわ。だから私たちは茜さんを諦める」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。急に何言ってるんですか?」

「うん。千夏と話し合ったんだよね。まあ、私はもうとっくに資格がないけどね」

「茜さん。茜さんは私達に初めてできた大切な後輩なの。だからやめないで欲しい。これからも天文部にいて欲しい。それには私達の愛情は重荷になってしまう。今回エリが暴走したみたいに私もいつか暴走しちゃうかもしれない。だから諦めるわ。お願い、後輩でいて」

「後輩でいてってなんですか? あんなに好き好き言ってたじゃないですか!」

「もうおしまいよ。きれいさっぱり諦められるわ」

「諦められるって何言ってるんですか? そんなもんなんですか? 千夏先輩の愛は──」

「あなたの為よ」

「あなたの為ってなんですか! 散々人を振り回しておいて、飽きたらポイなんですか?」

「そんなことない!」

「そんなことあります!」

「そんなことないって言ってるでしょ!」

「うっさい! 先輩のバカ──!!」

「茜ちゃん──!?」

 千夏先輩もエリ先輩も置いてけぼりで部室を出て走り出す。

 バカバカ千夏先輩のバカ──。

 自転車で駈け出す。

 月明かりは見えなくなっていた。

 曇天の下をひたすらに走っていった──。


   §


 それから私は天文部には近寄らなくなった。

 千夏先輩からメッセージが来ていたけど無視していた。

 琴葉には事情を深く話さず。上手くいかなかった事だけを話した。

 琴葉は驚いたけれど、深入りはしないでくれた。

 それがありがたかった。

 毎朝朝食を食べて身支度を整えて講義を受けて、琴葉と昼食を食べて、講義を受けて、まっすぐ帰って、夕ご飯を食べて、お風呂に入って、寝て──そんな生活を繰り返していた。

 講義が終わってからまっすぐ帰るから夕方には家につく。

 本を読む気も勉強をする気も起きなくてダラダラとテレビを見る毎日だった。

 千夏先輩のバカ──。

 なんで諦めちゃうんだ。

 私のバカ。

 なんで逃げたんだ──。

 モヤモヤを抱えて日々を過ごしていた。

 そんなある日。

 講義を終えて帰宅して、ぼんやりと夕方の情報番組を見ると突然見知った顔が映る。

 地元の情報番組のレポーターの隣で千夏先輩とエリ先輩が立っている。

「今日は近隣の大学から天文部のお二人に来ていただいております。それでは坂本千夏さん、よろしくお願いします」

 レポーターからマイクを手渡された千夏先輩が口を開く。

「こんばんは。天文部の部長をしている坂本千夏と言います。今週の土曜日、夜七時から八時まで春の星を見る会を行います。春の星座や月、木星などが楽しめます。現在プラネタリウムを作成中なので曇りでも楽しめると思います。ぜひお時間あればよろしくお願いします」

 千夏先輩とエリ先輩がお辞儀をする。

「はい。今日は天文部のお二人からお知らせでした。続いては──」

 情報番組は天気予報に切り替わる。

「千夏先輩──」

 プラネタリウム、作成中って言ってたけど間に合うのかな?

 もう三日前なのに。

 いや、今更何を心配しているんだろう。

 天文部をほったらかしにして逃げた私が──。

 でも──胸がズキンと痛む。

 ズキン、ズキン、ズキン──。

 ああ──。

「千夏先輩。好きだよ──」

 千夏先輩の悲しむ姿は見たくない。

 千夏先輩、千夏先輩、千夏先輩──。

 やっぱり千夏先輩が好きだ。

 私の初恋を無かった事にしたくない。

 それに困ってる千夏先輩とエリ先輩を助けたい。

 プラネタリウム制作。手伝おう。

 スマフォを取り出す。

 千夏先輩に謝罪のメッセージを送る。

 そしてプラネタリウム制作を手伝いたいとも伝えた。

 返信は来ないことも覚悟した。

 けれど数分と待たずにメッセージが帰ってくる。

「明日。講義が終わったら部室に来て──」

 良かった──。

 取り敢えずは拒否されなかった。

 絶対に行きますと返信する。

 明日、先輩になんて言おう。

 なんて告白しよう。

 ドキドキしながら眠りについた──。


   §


 翌日、天気は生憎の雨模様だった。

 講義を終えて急いで部室棟へと向かう。

 傘を差して歩く速度が徐々に早くなっていく。

 鼓動が跳ね上がっていく。

 どうしよう。

 一晩考えたけどどうやって告白するか思いつかなかった。

 まあ、今日は出て行ってごめんなさいだけでもいいかな──いやいや、そんな弱気じゃだめだ。がんばれ私。

 そんなことを考えていると部室棟に到着する。

 雨脚はどんどん強くなっていってる。

 本番の日は晴れると良いなあ。

 傘の水滴を払ってから閉じる。

 どうやら誰かは来ているらしい。

 鍵置き場から鍵が持っていかれている。

 千夏先輩だろうか? エリ先輩だろうか?

 部室の前に辿り着く。

 唾をごくりと飲み込む。

 緊張するなあ──。

 しかし意を決してドアを開けた。

「──お疲れ様。茜さん」

「──お疲れ様です。千夏先輩」

 千夏先輩が一人でプラネタリウムのドームを縫い付けていた。

「あの──すみませんでした! いきなり飛び出して、しかも無断でずっと部室にも行かないで、本当にすみませんでした!」

 千夏先輩の前で頭を下げる。

「──頭を上げて。茜さん」

「はい」

「悪いのは私だから。茜さん、帰ってきてくれて本当にありがとう。良かったら手伝ってくれないかしら?」

「──はいっ!」

 カバンを脇に置いて裁縫箱を取り出して縫物の手伝いをする。

 ドームは完成に近づいていた。

 大きな二つの半円を縫い付けていけば完成の段階だった。

 私がいなくても、コツコツ準備していたんだ。

 千夏先輩の反対方向から縫い合わせていく。

 チクチク、チクチク、チクチク──。

 無心で縫物をする。

 お客さん。いっぱい来るといいな。

 琴葉も来ればいいな。

 晴れるといいな。

 でも、プラネタリウムも使いたいな。

 縫い始めて三十分くらいたって、千夏先輩の縫い糸と私の縫い糸がぶつかる。

 ドームが完成した──。

「──完成ね」

「はい。出来ましたね」

「使ってみましょうか」

「今日ですか?」

「だってテストしないと。本番で使えるか分からないし」

「そうですね。何処でします?」

「ここじゃ狭すぎて無理だから第二体育館に行きましょう。今日はどの部も使う予定ないし、本番も第二体育館で使うからね」

「そうですね。じゃあ、持っていきましょうか」

「そこに台車があるからそれを使いましょう」

「はい」

 台車にドームの布、送風機、プラネタリウム、延長コードを積んで外に出る。

「雨、止んだみたいね」

「ですね」

 湿度を持った空気が新緑を濡らしてむせかえるような香りを放っていた。

「あっ、千夏先輩! 虹です!」

 夕焼けに照らされて虹がかかっていた。

「綺麗──」

 そうつぶやく千夏先輩の姿はとっても綺麗で、胸がトクンと疼くのを感じる。

 これだ──好きになるってこういう事なんだ。

「千夏先輩」

 今しかない。

 今を逃したらチャンスはない。

 私の好きは、私の恋は、私の愛はここにある。

「千夏先輩──私の事、好きですか?」

 千夏先輩は私の言葉に少し驚いたのかクリっとした瞳を僅かに大きくさせる。

 風が千夏先輩の艶めかしい黒髪をなびかせる。

「──ええ。まだ好きよ」

 少しだけ暗い表情でそう言った。

「先輩、諦めないでください」

「えっ──?」

「先輩言ってましたよね。私の好きっていう気持ちが千夏先輩に追いつく日を待ってるって。追いつきました。追いついたんですよ! 千夏先輩の気持ちが分かりました。私、初めて恋をしました。千夏先輩に恋をしたんです。だから諦めないでください。私、千夏先輩が大好きなんです──」

「茜さん──」

「大好きです。何で大好きかは分かりません。でも恋に理由はいらないみたいです。そしてはっきりと分かることがあります。私は千夏先輩に恋をしました。アイラブユーってやつです」

「そんな。でも──私でいいの?」

「千夏先輩がいいんです」

「私、エリみたく料理できないよ?」

「私が作ります。それか一緒にお勉強しましょう」

「私、エリみたく友達多くないよ?」

「私も友達は少ないです。似たもの同士ですね」

「私、エリみたく甲斐性ないかもよ」

「大丈夫です。私が好きになったのは千夏先輩です。エリ先輩じゃないです。他の誰でもないあなたが好きになったんです」

「私、私──」

「大好きですよ。千夏先輩──」

 横に並ぶ千夏先輩に抱きつく。

「本当に私でいいの?」

「はい」

 ぎこちない様子で千夏先輩が私を抱きしめ返してくれる。

「大好きです。千夏先輩」

「私も大好き。茜さん」

 雨上がりの人通りの少ない通路で、私たちは暫く抱きしめあった──。


   §


 それから第二体育館に荷物を搬入して、ドームの組み立てを行う。

「エリはもう少ししたら来れるそうよ。先に試運転してて良いって」

「じゃあ、送風機オンしますよ」

「お願い」

 送風機のスイッチをオンにすると力強いファンの音が聴こえる。

 お願い──膨らんで。

 願いがかなったのか、エリ先輩の計算通りと言うべきかプラネタリウムドームはしっかりと膨らんでドーム状になった。

「先輩! 膨らみました!」

「やったわね」

「電気消してきますね」

「ええ」

 体育館の電気を消す。

「うわっ、くらいなあ──」

 スマフォの灯りをもとにドームへと辿り着く。

「茜さん。先にドームに入ってるから中においで」

「はーい」

 かがんだ体勢でドームの中に入る。

「じゃあ、プラネタリウムの灯りをつけるわよ」

「はい!」

「三、二、一──点灯」

「わあ──」

 一面の星空が広がっていた。

 部室で見た時のようなゆがんだ星空じゃない。

 ちゃんと春の星空が映っていた。

「あそこに北斗七星があります!」

「ふふふ、じゃあその先は?」

「はい──おおぐま座の一部の北斗七星。それは柄杓にも見立てられています。その柄杓の取っ手からカーブを描くようにしてうしかい座のアークトゥルス、更に伸ばしていっておとめ座のスピカをつないだ曲線を春の大曲線と言います」

「ふふっ、正解。よくできました、茜さん」

 千夏先輩に頭を撫でられる。

 胸がトクンと疼いて、鼓動が跳ね上がる。

「綺麗ですね。プラネタリウム」

「ええ、綺麗ね──」

 千夏先輩の肩に身を預ける。

 千夏先輩も私の肩に身を預けてくれる。

 あと、何十回、何千時間一緒に居たらこれがいつも通りになるんだろう?

 そんなことを思った。

「茜さん」

「なんですか? 千夏先輩」

「その──キス、しない?」

「──はい」

 プラネタリウムの灯りの中で、千夏先輩の方を向く。

 やっぱり綺麗だ──。

 薄明りの中でも千夏先輩はキラキラしてる。世界で一番綺麗だ──。

「大好きです。千夏先輩」

「大好きよ──茜」

 星空の中で私はセカンドキスを迎える。

 セカンドキスは紅茶の味とカサブランカの甘い香りがするキスだった──。

 触れ合わせるようなキスを一回、二回、三回──。

 何度もした。

 ああ、幸せだ。

 人を愛するのってこんなに幸せなんだ──。


   §


 その後到着したエリ先輩と三人で星空を眺め続けた。

 守衛さんが体育館の鍵を閉めるまでずっと星の話をしたのだった。


   §


 そして迎えた春の星を見る会当日。

 天気は晴れ時々曇り。

 星空指数は七十パーセントとまずまずだが気が抜けない。


「こんばんは、茜さん」

「はい。こんばんは、千夏先輩」

「こんばんはー。茜ちゃん」

「こんばんは。エリ先輩」

 望遠鏡を組み立てて、準備はバッチリだ。

 ちょっと雲が出てきて春の大曲線を横断しているけど、なんとか月と木星は見えている。

「こんばんはー」

「こんばんは!」

 時間になると少しづつお客さんが入ってくる。

 二台の望遠鏡を三人で操作したり、解説したりする。

 やっぱりスマフォで月を取ってあげると喜ばれる。

 木星の縞模様に興奮する小学生を見て和んだり、付近の高校生に星について質問されてしどろもどろになりながらも答えたり、大忙しだった。

「やっほー、茜ー」

「琴葉! 来てくれたんだね!」

「約束したからねー。ちょっと雲が出てるのが残念だね」

「でも月とか木星は見えるよ。今入れるから待ってて──」

 望遠鏡を操作して月を入れる。

「ほら、月だよ!」

「おお、月だー。凄い凄い!」

「スマフォで写真も撮れるよ。どう?」

「お願い!」

「はーい」

 琴葉からスマフォを借りて写真を撮る。

 もう今日は何回も写真を撮ったからだいぶコツが掴めていた。

 手際よく写真を撮る。

「はい!」

「わー!! 月だー。おっきいー!!」

「えへへ、次は木星だよ」

「わーい!」

 木星を探す。

 もうファインダーがなくても大体の勘で入れられるようになった。

 あっという間に木星を入れる。

「どうぞ」

「はいはい──おー、縞々模様だ」

「えへへ、綺麗でしょ?」

「うん、とっても綺麗」

「あの雲が無ければなー」

 望遠鏡から目を離すと雲が大きくなっていた。かろうじて北斗七星が見えるくらいだった。

「あれは知ってるよ。北斗七星でしょ?」

「そう。あとはその先にうしかい座っていうのとかおとめ座があったりするんだけど見えないねえ」

ちょっと厳しいかもしれない。

「エリ、茜さん。雲が広がってきたからあとはプラネタリウムにしましょう!」

 千夏先輩に呼び止められる。

「はい! みなさーん。第二体育館でプラネタリウムを上映します。お時間ある方はそちらもぜひどうぞー」

 お客さんに声をかける。

 エリ先輩にグラウンドは預けて、千夏先輩と私はプラネタリウムに移動して解説をしていった。最初は千夏先輩に任せていたけれど、私も解説をたどたどしくもやったのだった。


 こうして春の星を見る会は無事に終わったのだった──。


   §


「おつかれー」

「お疲れ様」

「お疲れ様です」

 グラウンドの望遠鏡や体育館のプラネタリウムを片づけて三人で打ち上げに焼肉屋さんに来た。琴葉と一緒に行った焼肉屋さんだ。

 千夏先輩とエリ先輩はビール、私はウーロン茶を飲みながら肉を焼いては食べを繰り返していた。肉、肉、野菜、肉、肉、野菜──時々冷麺。

「そういや千夏。誕生日おめでとう」

「そうです! お誕生日おめでとうございます!」

 そうだった。今日は千夏先輩の誕生日だった。

「はい。プレゼントのマニキュア」

「ありがとう。エリ、大切に使わせてもらうわ」

「うん、千夏に似合うと思うよ」

「すみません──プレゼント無いです。今度準備します」

「いいのよ、茜さん。そう言えばエリ。報告があるの」

「なに? 千夏」

「ごめん。私、茜さんと付き合うことになったから」

 えっ──!?

 今言うの!?

 唐突な発言に思考がフリーズする。

 どうしよう──?

 エリ先輩怒る?

 修羅場?

 それとも泣いちゃう?

 どうなる──?

 当のエリ先輩はと言うと。

「そっかー。まあ、千夏なら仕方がないね──」

 至って平静? に見える。

「その、エリ先輩怒らないんですか?」

 焼き上がったロースを食べながらエリさんが口を開く。

「もともと茜ちゃんは千夏が好きだなあって気が付いていたから先に仕掛けたわけだしね。仕方がない。仕方がない。あはは──」

「ごめんね。エリ」

「いいよ元カノのよしみで許してあげる──その代わり、茜ちゃんを泣かせたら今度は私がビンタするからね。ちゃんと覚えておくように」

「うん。分かってる」

 やっぱりあの時、エリ先輩のほっぺたが赤かったのって千夏先輩がビンタしたからなんだ。

「茜ちゃん」

「はい」

「私は千夏の元カノなので先に言っておくけど千夏は結構面倒くさい女です」

「はい」

「キスもその先も私が先に済ませてます」

「──はい」

「でも──そんなの気にしないで楽しみなさい」

「はいっ?」

「茜ちゃん、初恋なんでしょ? 一生に一度の大イベントだよ。これを楽しまなきゃ人生損しちゃうよ。だから楽しみなさい。惚れた女を見つめるのは最高に幸せだから──いいかい?」

「はい! ありがとうございます。エリ先輩!」

「よーし、今日はお祝いだ! もっと肉食べよう! もちろん部費で」

「全額は出せないわよ」

「えー、千夏のケチ」

「春の星を見る会が終わっても合宿、夏の星を見る会、秋の星を見る会、文化祭──イベントはいっぱいあるんだから」

「へいへーい」

「千夏先輩、エリ先輩」

「なに?」

「なーに?」

「私、天文部に入ってよかったです。本当によかったです」

「ふふふ、ありがとう」

「よーし、もっと肉食べな茜ちゃん」


 そうして打ち上げは終わっていく──。


   §


「じゃーねー。千夏、茜ちゃん──」

 焼肉屋から出て、酔っぱらってへべれけのエリ先輩が帰っていく。

「気を付けるのよー」

「大丈夫ですかね? エリ先輩」

「エリは泥酔しても家まではしっかり帰れるから大丈夫よ」

 私達も家に帰ろうとする。

「あっ、また月が出てきましたよ。千夏先輩」

「そうね」

「本当に綺麗──」

「ねえ──茜」

「あっ、また呼び捨てしてくれましたね! プラネタリウムの時だけだったから私の聞き違いかなーって思ってましたよ」

「エリがいる時は恥ずかしくてね──二人っきりの時は茜って呼んでもいいかしら」

「はい! もちろんです──」

 胸がトクンと疼く。

 好きで、好きで、たまらない。

 千夏先輩が好きって気持ちが溢れかえって止まらない。

「千夏先輩──大好きですよ」

 千夏先輩に抱きつく。

「うん、私も大好きよ──茜」

 千夏先輩が抱きしめ返してくれる。

「ふふふ──」

「ふふっ──」

 顔を上げて見つめ合う。

 好きと言いあって見つめ合うだけで世界はこんなにも輝いて見えるのだろうか。

 キラキラしてる。

 そのキラキラの中心には千夏先輩の姿がある。

「千夏先輩の大好きに私の好きは追いつきましたか?」

「ふふふっ、まだまだかもね。だって私、めちゃくちゃ茜の事が好きだから」

「ふふっ、負けませんよ。いつか追いつきますからね。待っていてくださいね」

「うん、今度は逃げないで待ってる。大丈夫だよ、茜」

「はい。大好きです──千夏先輩!」

「ありがとう。茜」

「千夏先輩。誕生日プレゼント買いに、明日デートしませんか?」

「いいわね。ふふっ、茜とのデートとっても楽しみだわ」

「はい! 私も楽しみです」


 そうして月夜の下を歩き出す──。


 これは、私が二人の女性から告白されて、どちらか一人を選ぶ物語。

 これは、私が恋を知る物語。

 これは、私が愛を知る物語。

 

 かくして私の恋路は走り始めたのだった──。

初めて書いた一次創作です。

どうかお楽しみください。

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