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「ついに時堂さんも冒険者ですね! おめでとうございます!」
冒険者ギルドのカウンター。
そこにいた顔馴染みの受付嬢が笑顔で祝ってくれる。
「桃井さんのお陰ですよ」
ありがとうございます、と俺は同い年くらいの女性に軽く頭を下げる。
くすっ、と彼女は眼鏡の奥の瞳を細めた。
ギルド職員の制服のせいもあってか、お堅い大企業の受付嬢といった印象だが、笑うと親しみを感じさせる。
営業スマイルなのだろうが、笑顔がまぶしい。
「そう言われましても……私は特に何もしてませんよ?」
「初めてチュートリアルダンジョンに挑んだ時、大怪我したのを助けてくれたじゃないですか」
彼女は笑みを大きくした。
「助けたのは救助の方ですし、治療したのはお医者様でしょう?」
「いえ。もし桃井さんが救助を要請し、すぐ救急車を呼んでくれなければ、もっと酷いことになってたと思います」
「そんなことは……」
彼女の顔から笑みが消える。
チュートリアルダンジョンで病院送りになる。
そんな前代未聞の珍事をやらかした俺に対して、大半のギルド職員も冒険者も冷淡だった。
迅速に助けてくれたかどうかは疑わしい。
『チュートリアルで病院送りになった男』
そんな不名誉なあだ名が退院時には広まっていたことからも明らかだろう。
「だから桃井さんには感謝してるんです。……あっ、すみません、お忙しいのに。今日は魔石の買い取りをお願いしようと思って――」
魔石の入った革袋をカウンターに置くと、桃井が手に取った。
「拝見させていただきますね。それにしても運が良かったですね。5匹討伐しても必ず魔石が手に入るとは限りませんから」
ゴブリンの魔石はドロップ率20パーセントだ。
チュートリアルのゴブリン5匹組を倒して1個手に入るくらいの確率だ。
俺が革袋を置いたことで複数の魔石を手に入れられたと考えたのだろう。
それは間違っていない。
が――
「えっ!?」
いくつも魔石が出てきて、彼女は眼鏡の奥の目を丸くした。
「凄い……! ずいぶんたくさん討伐されたみたいですね!」
「ええ、まあ……」
(やっぱ【オートバトルモード】のことは黙ってた方がいいよな……)
もし話すにしても周囲に人がいないときにすべきだろう。
「11個も手に入れたなんて……!」
感心する彼女に、俺は小首をかしげる。
「F級の魔石ならそう珍しくないんじゃないですか?」
「確かに希少価値という点ではそうです。しかし冒険者になった初日にこれだけの数を手に入れたのはギルド初だと思いますよ?」
彼女は胸ポケットから片眼鏡を取り出す。
(淡い靄のようなものをまとってる……ってことはアレ、マジックアイテムか)
「鑑定しますので、少々お待ちくださいね」
彼女は片眼鏡越しに魔石を観察し始めた。
(鑑定が必要ってことか。そりゃそうか、俺の持ち込んだ魔石はどれもほとんど靄が見えないもんな)
あの靄は魔力なんだそうだ。
そのためマジックアイテムや魔石などにはそれが見えることがある。
内包する魔力が弱いものだと見えない。
俺が持ち込んだのはどれも小指の先程度の小粒。
込められた魔力の純度の悪い魔石にありがちなくすんだ色だ。
一見するとただの小石にしか見えない。
「お待たせしました。確認終わりました」
桃井は片眼鏡を胸元のポケットにしまう。
「Fランクのゴブリンの魔石が11個ですね」
「ゴブリンの魔石ってたしか買い取り価格って3000円でしたよね?」
「いいえ」
彼女が気の毒そうな顔で首を横に振る。
「もしかして値下がりして……」
ショックを受ける俺に、彼女は茶目っ気たっぷりに答えた。
「ゴブリンの魔石は1個4500円に上がりましたよ! 最近、すべての魔石の需要が増えてますから、値上がりする傾向にありますね。マジックアイテムを作るのに必須ですから」
「はぁ~~~」
俺は長いため息をついた。
カウンターにちょっと突っ伏しそうだ。
くすくす、と笑う彼女は続ける。
「すみません。ついからかいたくなっちゃって」
「人が悪いですよー、桃井さぁん」
「そんなにお金が入り用なんですか?」
ちょっと心配そうな顔を向けられてしまった。
一瞬、なんて返していいのか迷う。
そのわずかな逡巡を見て、桃井は頭を下げた。
「すみません。ギルド職員でしかないのに立ち入ったことを聞いてしまって――」
「いいえ。頭を下げないでください。――ただ臨時収入で妹にプレゼントを買おうと思ってただけですから」
半分本当で、半分嘘だ。
妹に臨時収入で何かプレゼントを買おうとはなんとなく考えていた。
(だけど、ほんとに必要なのは生活費や妹の入院費なんだよな……)
暗くなりかけるが、
「それでは49500円になります」
並べられたお札を見て、少しだけ気分が軽くなる。
(プレゼントは何にしようかな?)
生活に余裕があるわけではないので、予算は1000円くらいだ。
(やっぱ妹へのプレゼントならあれかな? 冒険者ギルドに所属してるから割引も受けられるし、あとはどのモンスターがいいか……)
◇
冒険者ギルドが運営する巨大な総合病院のひとつ。
ここは、一般的な医療の分野である内科や外科を扱う南棟だけでなく、モンスターによる状態異常を扱う西棟、入院病棟である北棟、隔離病棟である東棟で構成されている。
各棟の大きさは南棟と西棟が最も大きい。
だが最も目を引くのは東棟だろう。
黒い石板のようにも見えるそれは、古典的なSF映画にでも出てきそうな異質な存在感を放っている。
まず窓が一切ない。次に魔法的な効果を期待した塗装が施されている。一般には明かされていないが、魔石を使ったなんらかのマジックアイテムに加工してあるというのが通説だった。
そんな一般的な病院とは違うここだが、入院病棟の廊下にまで入ってしまえば、なんら変わらない。
よくある病院の廊下だ。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、前方から男たちが少し言い争うような口調で話すのが聞こえた。
ストレッチャーを押した医師と看護師の一団だ。ローブを羽織った魔法使いのような女が異彩を放っている。その顔には心配そうな表情が浮かんでいる。
「こっちじゃないと言っただろ! 念のため隔離病棟に運び込め」
医師は看護師を叱りつけている。
「一応、医師の手当てと診断は受けて――」
「確かに出血は止まっているようだが、ゾンビ映画よろしく暴れ出すかもしれないだろ? 私のような医者ではなく、神官を呼べ!」
平謝りしだした看護師に、医者はぶつくさと文句を言っている。
「……だいたいなんだ、『ゾンビに噛まれた』って! いつからこの世界はゾンビ映画の世界になったんだ!」
そんな一団とすれ違った。
すれ違う瞬間、ストレッチャーに乗せられた男の首元に噛み傷らしきものがあるのが見えた。革鎧を着用していたし、おそらく冒険者だろう。
しばらく歩くと、突き当りに見慣れた病室のプレートが見えた。
『時堂綾芽』
血の繋がらない妹が暮らしている個室だ。
俺はノックした。
「はい」
聞き慣れた少女の声が中から聞こえてきた。
声。
何か記憶に触れるものがある。
(……なんだ?)
病室内からの少しくぐもった声だって何度も聞いている。
(なのになんで今さら妹の声を聞いて、不思議な感覚を味わってるんだ……?)
まったく心当たりがない。
しかし気のせいとも思えない。
(……なんだろ? なにか忘れてる……いや、全然違う場所で、もっと違う声のトーンで――)
「――お兄ちゃん?」
病室から不安そうな声がした。
「ああ。悪い悪い……」
俺は思考を打ち切り、慌ててドアに手を伸ばした。