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短編

ある選手の引退までの流れ

作者: 猫宮蒼



 世界中が熱狂する競技、マジカルアーツ。

 かつて魔物が跋扈していた時代は魔法を魔物退治に使っていたが、魔物もすっかり退治され平和な世界が訪れた。だがしかし、魔法の力は残っている。魔力は定期的に消耗させないと体内に留まり続け、熱を出したり関節の節々が痛くなったりと良い事はない。

 それに、魔物を倒すために鍛錬をしていた者たちも急に戦わなくてもよい、となってもどうにも今までの訓練だとかが日課になりすぎていて、身体を動かす機会を欲していた。


 そういったあれこれを解決させるために、魔法を用いた格闘技が流行り始めたのがマジカルアーツの起源である。


 とはいえ魔物と違い対戦相手を殺すわけにもいかない。

 技術は進化して、今では登録者の魔力と身体を駆使して使える魔導人形を操る事となった。

 魔導人形といっても登録者の魔力に反応するとたちまちその魔力の持ち主と同じ姿をとるため、動かすのは登録者本人だがダメージは人形が請け負うといったものだ。


 流石に観客の前で登録者が人形を動かす光景は若干……いや、かなりシュールなのでリングの上では魔導人形だけが上がり、それらを操る選手は結界の張られた特殊な部屋で戦う事になっている。痛み以外の感覚は魔導人形と共有しているので昔と比べればこれでも随分と進歩したのだ。

 傍から見ればやたら激しいシャドーボクシングとかに近い。


 試合中、魔導人形と登録者は肉体的なダメージ以外はシンクロしているので、試合中選手は無音声というわけでもない。人形の口をかりて選手同士の煽りあいだってある。

 魔導人形には選手の魔力とフィジカルが忠実にトレースされるので、戦うのが人形とはいえその迫力は凄まじく、それ故に世界中が熱狂しているといっても過言ではなかった。



 さて、そんなマジカルアーツの選手として近年注目されていた選手がいた。


 スオウ・ヒイラギ。


 彼はまだ若く十代後半でマジカルアーツの選手としてデビューを果たし、初戦で当時の花形スターであったジャンジャック・バルデルをノーダメージで打ち倒すという鮮烈な勝利を飾った。


 まだ幼い顔立ちの到底戦いとは無縁そうな少年の、しかし試合中の苛烈な攻め、攻めるだけではなく冷静に立ち回り相手の攻撃を回避するその動きもまた華麗。世界中にファンができるまでにそう時間はかからなかった。


 体術と魔法を使った戦いはいくら魔導人形がダメージを請け負うとはいえ、一戦行うだけでも選手の消耗は激しい。一日一戦しか行わないという選手もいるくらいだ。

 だがしかしスオウは一日に連戦試合を行い、またそれら全てに勝利してみせたという事もあって今もっとも熱い選手として世界中が注目していた。


 彼ならばいずれマジカルアーツの頂点に君臨するかもしれない。

 そんな風に思われていたし、期待も背負っていたと思う。


 だがしかし、ある日突然彼は引退した。


 まだまだ全盛期といっても過言ではないし、怪我や病気をしたというわけでもない。故にその引退宣言はあまりにも突然であった。


 選手として活躍する者たちの大半は、事務所に所属している。そうして事務所が組んだ試合に出るのだがスオウはフリーの選手として特にどこの事務所にも所属していなかった。

 スポンサーは実力を見せた事でそれなりの数ついたが、もしそうでなければフリーでやっていくというのはかなり大変だ。スオウがジャンジャックと戦う事になったのはある意味で運が良かったが、そうでなければ無名の選手が有名選手と戦える機会というのはそれこそ試合を何度も勝ち抜いて実力を示したあたりから。デビュー戦から有名選手と戦うなどという無謀な事は滅多にない。これで負けていたならスオウが選手として芽吹くことはなかっただろう。



 彼のスポンサーになりたいという企業は多く存在した。

 実際企業の商品のCMにスオウが出てくれれば、それだけで商品は大量に売れた。


 スオウが試合後に使っているタオルは同じデザインのものが飛ぶように売れたし、彼が企業CMに出て飲んだスポーツ飲料も一時期在庫がなくなるまでに売れて、生産が追い付かない程だった。


 年若く幼い顔立ちからは想像できないくらいの戦いを見せるスオウはまさに企業からすれば金の卵で、ファンの中には彼に恋する者だって大勢いたのだ。普段は穏やかで優しげな表情のスオウは、しかし試合になれば圧倒するような迫力と共に思わず呼吸を忘れそうな戦いを魅せてくれる。そのギャップがいいのだ、というファンもまた大勢いたのだ。



「えぇと、ホントに引退するの?」

「そうだけど」


 スオウ・ヒイラギ選手突然の引退宣言、とかいうニュースを眺めながら、ユヅルは確認するように問いかけた。対するスオウは当たり前だろ、みたいな顔をしてさらっとこたえた。


 ユヅルはスオウの恋人である。

 別段マジカルアーツの選手としてのスオウを支えるマネージャーだとか、スポンサーに関係している人間だとかではない。単純に幼馴染で家が隣同士というだけの関係だった。

 家が違うだけの家族、みたいな認識ですくすくと育っていたのだが、ある日突然スオウが告白してきたのだ。中学に入って間もなくの頃だった。

 普段はぽやんとしているくせに、告白してきた時の真剣な眼差しは決して冗談だと言わせてくれず、ユヅルは大いに戸惑った。

 家族としてしか見ていないつもりだった。

 だが、告白されたその時、嫌だとは思わなかった。

 少し考えさせてほしい、と言って落ち着いて考えるつもりだったのだが、スオウはそれすら許してくれずそのままガンガン口説いてきた。アンタ一体どこでそんな口説き文句覚えてきたの!? ともういいと叫んだのは今でも鮮やかに思い出せる。人生で初めて恥ずか死するかと思った。


 多分、スオウは気付いていた。

 あのままユヅルに時間を与えていたら告白を断っていた事を。

 そうして今までのように家族のような距離感で、家族のように付き合っていくだけなのだと。

 だがしかし、それで満足する男ではなかったのがスオウだ。

 彼の勝負に関する読みは、こんな所でも発揮されていた。


 ユヅルはマジカルアーツに使うような魔法を使えない。精々がちょっとした怪我を治したりする程度だ。

 だから最初はそういう方面でのサポートをしようかと思っていたのだが、それはスオウに止められた。

 専属でやっていくには色々な資格が存在するし、その資格を取る途中で研修みたいに他の選手と関わる事もある。それを知っていたスオウは、そういうのいいからずっと俺だけ見ててと言い張ったのである。



「正直贅沢しなきゃ一生暮らしていく程度には稼いだから。選手は引退したけど、マジカルアーツの試合の解説だとか、他の選手の育成に関わるだとか、それ以外の仕事も選ばなきゃあるし、仕事はおいおい探す」

「贅沢しなきゃ一生暮らしていけるのに?」

「ある日突然税金が十倍になったとか、物価が上がって今の百倍になったら流石にそんな事言えなくなるだろ」

「そもそもなるかなぁ……そんな突然馬鹿みたいに上がったら、国民黙ってないでしょ流石に」


 最初は元の値から一割とかそこら辺から徐々に上げていくのではないだろうか。いきなり十倍だの百倍だの、間違いなく暴動が起きるわとユヅルは思う。


「まぁ流石にないとは思うけど、世の中何が起きるかわからないし働けるうちは働くし、稼げるうちに稼いでおこうとは思う」

「うーん、とても頼もしい」


 テレビではとある企業の男がボロクソ叩かれている。

 ゼニゲバール・ブーラクーン。

 いかにも成金です、みたいな雰囲気がプンプンする中年男性だった。


 高校卒業後、スオウはマジカルアーツの世界に単身飛び込んでいった。一応学校でもソレ関係の部活に入っていたから、伝手が全くなかったわけじゃない。

 ユヅルはスオウがマジカルアーツに関わって欲しくなさそうだったので、普通に大学にいった。そうしてそこで勉強とバイトをしながら、試合に出るスオウを応援していた。


 スオウは普段から自分のプライベートを明かすタイプじゃなかったし、ユヅルもわざわざ今をときめく有名人みたいなスオウが恋人だなんて言わなかった。

 そもそも言ったとして信じてもらえるかは別の話だ。

 下手をすると妄想だと思われて痛い女扱いされてもおかしくはない。


 そろそろ結婚しようか、とかスオウが言い出して、えっ、いいの大丈夫? と選手生命とかそこら辺を考えて思わず心配したユヅルだったが。

 スオウは何も問題ないと言い切った。


 成人してるのにも関わらず、スオウは童顔気味だったので実年齢よりも若く見られる。それもあってだろうか。女性のファンが多かった。


 えっ、結婚相手が一般女性とかって、何かこう、大丈夫? ユヅルの中ではスポーツ選手は大抵女子アナか女優と結婚すると相場が決まっていた。下手に情報漏れたら私ファンに殺されたりしない? きょどるユヅルにスオウは殺させるわけないじゃん、と頼もしく笑った。


 いよいよ囲い込みにきたな……! とユヅルが思ったのはある意味で当然だった。

 なにせこの男、少し前の誕生日に何か欲しいものある? とユヅルが聞いた時に、

「ユヅルが」

「私が?」

「俺無しじゃ生きていけないようになってほしい」

「色んな意味で重ッた! てかそれプレゼントじゃないから! そういうの受け付けてません!」

 なんてやりとりをしたばかりだ。

 好かれているのは有難いが、何というか色んな意味で重たい。

 まぁ、嫌じゃないんだけど。でもマトモに人間としての生活ができる程度には自由が欲しい。


 ところがだ。

 そんな付き合ったのは中学からでもそれ以前から親しい付き合いをしていた二人の間に割り込む者がいた。


 それが、今しがたテレビでそりゃもうボロクソに叩かれていたゼニゲバールである。


 彼は少し前までスオウのスポンサーにもなっていた男であった。

 そして彼はどう調べたのか、ユヅルに連絡を取ってきた。


 スポーツ選手にスポンサーは付き物である。何故ってなんだかんだ金がかかるから。スオウだってそれをわかっているからこそ、あまり興味のないCMに出たりもしていたのだ。あと別に趣味じゃないけど企業の商品を使って広告塔の役目を果たしたり。


 だからこそ、スポンサーが下りるとなると新たなスポンサーを探さねばならない。支援金もなしに自腹でやっていける程甘くはないので。ファイトマネーはがっぽり入るにしても、それは選手生命が終わった後の生活などで大体消費されるので、稼いだ金をそこから自分の支援金として使うような選手はまずいなかった。


 ゼニゲバールはユヅルに言った。

 彼のスポンサーを下りてほしくなければ、スオウと別れろと。

 彼は今最も注目を浴びている選手で、彼に相応しい女性は他にいる。お前のような何のとりえもない女がいていいはずがない。


 マジカルフォンの向こう側で、ゼニゲバールはそれはもう自信たっぷりに言ってのけたのだ。

 確かに、自分はマネージャーとかでもないし、彼のために何ができるでもない。

 スオウは世界的に有名な選手になってしまったし、それを考えるとあまりにも住む世界が違いすぎる。

 時々ユヅルだって思っていたのだ。

 自分がスオウの隣にいて本当にいいのだろうか、と。

 けれどもスオウが構わないと言うものだから。

 だから、彼に甘えていたのかもしれない。

 ユヅルはユヅルなりにスオウの事を好きだと言えるし、愛していると言えなくもない。

 だから、もしも自分がスオウの邪魔になるようであれば身を引く覚悟もしていた。


 別れる時は彼のメンタルに影響を与えないようにうまくやりたまえよ、と大層上から目線のお言葉でもって、ゼニゲバールはマジカルフォンを切った。



 さて、これである日突然ユヅルがスオウに私たち、別れましょうというフラグが立ってしまったわけだが。

 ユヅルはこれが恋愛漫画なら、そうやってすれ違ったりする王道展開なんだろうな、なんて完全に他人事のように考えていた。


 というかだ。

 スオウがうちのマジカルフォンの番号を勝手に教えたりはしないだろうし、という事はあの男が勝手に我が家の番号を調べてきたに違いない。

 うわこわストーカーかよ……なんて口に出しつつユヅルはとりあえず夕飯の支度にとりかかった。

 今日は早めに帰ってくるから、といっていたスオウの好物を作る予定でもあった。彼はセキュリティがそこそこの部屋を借りて、それよりももっとガッチガチなセキュリティの物件を用意してそちらにユヅルを住まわせていた。そこそこのセキュリティのところはスオウが暮らしている事になっているが、実際はほぼ同棲なのでそちらの家に何かあっても特に被害はない。



 そうして夕飯の準備を終えてそろそろかな、と思ったあたりでスオウが帰ってきた。

 スオウと一緒に夕飯を食べて、食後は普段何となく二人でくっついて映画を見たりお互い興味のある事をやったり、意味もなくイチャついたりと実にその日の気分次第と言えるのだが、この日は違った。


「あのねスオウ。話があるの……」


 ユヅルはあえて深刻そうな表情を浮かべてそう切り出した。




 並居るライバルを蹴散らして、今世間でもっとも注目を集めているマジカルアーツの選手であるスオウのスポンサーについたゼニゲバールは己の作戦が順調であるとそれはもうご満悦に笑いを浮かべていた。

 ゼニゲバールには娘が一人いる。

 自分に似ず母に似た美しい娘だ。少々我儘なのが玉に瑕ではあるもののゼニゲバールからすれば充分に可愛い娘である。そんな娘がスオウのファンという事もあって、彼は娘とスオウをくっつけようと画策していた。娘とスオウが結婚すれば、うちの企業はスオウが自然と広告塔になってそれはもう有名になるんじゃないか。今だってかなり名が売れてきたけれど、今以上に有名になれば世界中の誰もが知る企業にだってなるかもしれない。

 そんな風に考えていた。


 娘は常々結婚するならスオウみたいな人がいいと言っていたので、もし結婚できるとなればきっと父親である自分を尊敬するだろう。

 輝かしい未来がある事を信じて疑っていなかった。

 だが念の為確認してみれば、スオウの身近に女の影。調べてみれば何と恋人である。

 大っぴらに宣言していないから注目されていないけれど、娘に比べれば美人でもないし、ましてや生まれは一般家庭。後援としてスオウを支えられる財力があるわけでもないし、調べてみれば普通に大学に通う学生である。スオウのためになるような特技があるでもなく、本当に調べれば調べる程ただの一般人。


 こんなのがスオウの近くにいるなんて、なんて不釣り合いな。

 スオウにはやはりうちの娘のような華のある存在こそが相応しいだろう。

 きっとスオウはこの女にまとわりつかれて迷惑しているに違いない。

 幼馴染らしいけれど、それ故にそれを盾に纏わりつかれているんだろう。なんて女だ。


 そう、事実とは全く異なる妄想を繰り広げてゼニゲバールは邪魔な女にまずは身の程というものを教えて、自主的に立ち去るように伝えた。もしこれでもまだ付きまとっているようなら、裏からでも手を回して女を遠ざけるしかない。何、多少後ろ暗い事であろうとも、金さえ出せばそういったものは案外どうにでもなる。

 ゼニゲバールはそう考えて、仄暗い笑みを浮かべる。

 スオウが自分をお義父さんと呼ぶのもそう遠い未来の話ではない……!!



 などと思っていたのだが。


 大きな試合のあと、スオウはインタビューにこう答えた。


「俺、今日で引退するんで」


 あまりにも淡々とした言葉に、一瞬何の冗談かと思った程だ。だからこそインタビューした者もなんとか微妙になった空気を持ち直そうとしたのだが。


「いえ、ホントに引退します。脅されたんで」

 スオウは更なる爆弾を投下した。

「えっ、脅されて!?」

「はい。今俺のスポンサーをしている企業の社長に脅されて」

「えぇと、今のスオウ選手のスポンサー企業というと……えっ、あのゼニゲバールさんに!?」

「そうです。流石に怖くなって。それなりに稼いだから当面の生活費は問題ないし、とにかく引退します」


 真顔のままこたえるスオウに、流石に冗談ではないなとその場の空気が緊迫したものに変わっていく。


「こんな形で引退する事になるとは思いませんでしたけど、応援してくれた皆さん、今までありがとうございました」

 そう言ってぺこりと頭を下げるスオウに、静まり返ってなんとも言えない微妙な空気は未だ漂ったままである。


「えっ、あの、引退したらスオウ選手はどうするんですか!?」

 記者も混乱しているらしく、違う、そうじゃないと思いながらもなんとかスオウからもうちょっと話を聞きだそうとしてよくわからない質問をしてしまった。

 どうもこうも選手引退したら普通の人に戻るだけだろ、と思わなくもないが、スオウは真顔のままとりあえずこたえた。


「そうですね、しばらくは妻と一緒に新婚生活を満喫して、次の仕事はそれから考えようと思います」

「えぇっ!? スオウ選手結婚成されてたんですか!?」

「えぇ、少し前に籍を入れました。ご報告が遅れた事、お詫び申し上げます」

「いえ、その、お幸せに。お相手は、その」

「昔からずっと付き合っていた人です」

 真顔だった表情が、その時だけふわりとしたものに変わって、彼を見ていたファンは思わず息を飲んだ。だってあまりにも愛しそうな表情を浮かべていたのだ。


「えっ、でもそれでは余計に引退は」

「妻は」

「はい」

「俺が選手だろうとそうじゃなくても構わないと言ってくれました。どんな俺でも愛してくれると。俺も、妻を愛しています」

 直後、試合を見に来ていた女性のファンたちからきゃーっという悲鳴が上がった。

 スオウ選手にそこまで言われてみてぇなぁという層と、そんな相手いたの誰よその女というガチ恋勢だった。えぇ、何それカッコイイ、という意味合いの黄色い悲鳴と、まさかとっくにお相手がいたなんてという絶望的な悲鳴とが混じりあっている。男性のファンに至ってはヒューと口笛を吹いたりして盛り上がっていた。


 試合が放送されていたのは世界的にであった。

 それ故に、この放送は全世界に満遍なく放送されてスオウ選手の引退と、引退する事にした事情はあっという間に世界に轟いたのである。


 かくして、ゼニゲバールの目論見はまんまと失敗し、世界中に名が知られたが結果としてマジカルアーツの有能な選手を一人引退に追い込んだとして世界中からバッシングを受ける事となったのである。

 ゼニゲバールの企業の株価は一夜にして大暴落した。

 当然だろう。怪我や病気でもう選手としてやっていけない、というのならともかくまだまだ現役でいけた選手が引退となれば、しかもよりによってスポンサーでありながら選手を脅したというのだからそりゃあバッシングされても仕方がない。


 マジカルアーツなどのスポーツの試合で魔法を使う分には問題ないが、それ以外の場所で生身の人間に魔法を、それも攻撃系の魔法を使うのは当然犯罪である。魔導人形がダメージを肩代わりしてくれるマジカルアーツですら、魔導人形が壊れて動けなくなる事なんて当たり前にあるのだ。生身の人間に魔法をぶつければ良くて傷害罪悪くて殺人である。

 だからこそ、たとえ脅されていて身の危険を感じたとしてもスオウがゼニゲバールに魔法を使うわけにもいかない。状況が状況なら正当防衛もありえるが、それでもやはりスポーツ選手として優れたフィジカルと魔法を持つ者が護身のためとはいえそれを駆使すれば、過剰防衛にもなりかねないのだ。


 だからこそ、スオウはゼニゲバールに手を出せない。


 それ故に、舞台を下りる事を選んだのだろう。


 それが、世間の認識だった。


 実際のところスオウの言葉にはいくつか足りない言葉が含まれている。

 真実としてはこうだ。


 いえ、ホントに引退します妻が脅されたんで。

 はい。今俺のスポンサーをしている企業の社長に妻が脅されて。

 そうです。流石に妻に何かあったらと怖くなって。それなりに稼いだから当面の生活費は問題ないし、とにかく脅してくるようなクソスポンサーと縁を切りたいから引退します。


 もしこれをこのまま言っていたら、流石にスオウの口の悪さに一部が眉を顰めただろうし、そうなればゼニゲバールも思った程叩かれる事はなかったかもしれない。いやそれでも脅しているのでバッシングは免れないが。だがしかし、一部のスオウアンチもきっともっと盛り上がって世間がスオウの味方に傾く勢いはもうちょっと緩やかになっていたかもしれないのだ。


 スポンサーであることを盾に選手を脅す。

 そんな卑劣な行為に他の選手たちも声をあげた。

 確かにスポンサーは選手からして切っても切れない関係だけれど、けれどもある意味で対等な関係だ。選手が支えてくれるサポーターやスポンサーを蔑ろにしていい理由はどこにもないし、またスポンサーが選手の人生を好き勝手する事も許されるものではない。

 ゼニゲバールのやった事は、他の選手とスポンサーとの関係に亀裂を入れかねない行為でもあったのだ。

 スオウ程の選手がそうなったのだ。それ以外のもっと立場の弱い選手は、今はまだしもいずれ自分もそうなるかもしれなかったのでは……? と疑いを持つようになってしまった。

 スポンサーとの関係が良好なところはともかく、ちょっと方向性の違いですれ違いかけているようなところは特に。


 これには他のスポンサー企業も慌てた。

 だってそんなつもりはないのに、まるでこちらまで選手の人権を無視して踏みにじるような企業だなんて噂を流されてみろ。イメージ大幅ダウンである。ブラック企業だとかが近年取りざたされているが、うちの企業はクリーンなホワイト運営を目指し実行しています! そう宣言しても一度流された悪評は中々消えてはくれないのだ。


 それ故に、だからこそ。

 ゼニゲバールはそりゃもう連日ニュース番組で取り上げられてはバッシングされ、企業の株価が暴落した情報もお茶の間に流され、更にどうしてこんなことをしたのか、という記者の問いに、娘の結婚相手にと思っていた。そのため彼女には身を引いてもらおうと思っていた、などとしどろもどろに言う場面などが取り上げられた。


 ゼニゲバールが彼女に別れろと言った時、確かにまだ彼女は恋人という関係であった。だが実はその当日、籍を入れて妻となっていたのだ。


 時系列的にはゼニゲバールのマジカルフォンを受けた時はまだ恋人。

 だが式とか後回しでいいからとにかくさっさと夫婦になりたかったスオウの後押しで、とっくに書類だけは書いてあって、そうして仕事に行くついでにスオウが役所に提出していたのだ。本当は朝一で書類を出したかったのだけれど、色々あって出すのは夕方、役所が閉まる間近になってしまったが。

 ユヅルに別れろとか言い出した後、マジカルフォンが切れた頃には既にスオウの手によって二人は夫婦になっていた。

 ゼニゲバールがそれを知らずとも、彼はスオウの奥さんを脅迫し離婚しろと迫ったも同然であったのだ。

 恋人と妻なら流石に妻を脅す方が色んな意味で問題が出てくる。恋人ならくっつくも別れるもお互い納得していれば気軽なものだが、夫婦となったなら別れる時は恋人より簡単という事もない。

 しかもこの場合別れる事にスオウは納得しないだろうからそうなると泥沼離婚裁判の始まりにもなりかねなかった。


 離婚理由に某企業の社長に別れろと言われて……なんて妻だった女が言えば、どのみち結果は同じ事になっていただろう。それどころか離婚裁判までさせたなら、もっと酷いことになったかもしれない。


 勿論最初、ゼニゲバールは脅してなどいないと言ったのだ。だがその直後、スオウから提出された音声データがゼニゲバールの証言を覆した。


 ユヅルは何となく企業の社長からという事で、スオウに何か重要な要件でもあるのかと思っていたのだ。

 本来ならば携帯でスオウ個人へかけてもおかしくないが、あえて家のマジカルフォンにとなると外では聞かせられない案件の可能性もある。そう考えて速やかにユヅルは録音ボタンを押していた。

 だからこそ、最初から最後まで上から目線で何のとりえもない女にご高説を垂れ流すゼニゲバールの一言一句、すべてが余すところなくデータに残っていたのである。


 その後帰って来たスオウにユヅルはこんな事言われたんだけど、婚姻届けもう出してきちゃった? と確認した。勿論出してきたし、このスポンサーの社長のお嬢さんとか顔も合わせた覚えがないから言う事聞く必要ないよとスオウは即答した。

 それからこの件に関しては自分が対処するからユヅルは何もしなくて大丈夫とも。



 そしてその結果が、突然の引退宣言である。


 本来ならば、そんな簡単に引退します、で引退できるはずもない。それなりにスポンサーとの話し合いもあるだろうし、各所に通達しなければならない事だってある。

 だがしかし、そのスポンサーに脅されているのだ。時は一刻を争う。本来ならばこんな突然の引退、違約金だって発生しそうなものだがいかんせんそのスポンサーが脅したという事実もあって逆にゼニゲバールが慰謝料を支払う事となった。だがしかしそこに和解金は含まれていない。何故ってスオウが辞退したから。


 仮に和解できたとしてもそちらのスポンサーとやってくことはもう無理です。

 きっぱりとそう言ってのけたのである。


 では他のスポンサーとなら、と他企業が名乗りをあげたもののスオウの引退の意志は固かった。


 それもあって、連日のバッシングと相成ったというのもあった。もしスオウが引退せず他企業をスポンサーとしていたならもうちょっとバッシングも少なかったかもしれない。だが、世界的に名のあるマジカルアーツの選手を引退に追い込んだという事もあって、ゼニゲバール叩きは一向に収まる様子がなかったのだ。


 流石に追い詰めすぎじゃないか? と思ったユヅルが本当に引退するのかと問いかけてもスオウはそのつもりだとしか言わなかった。


「いいんだよ。元々そんな長くやってくつもりなかったし。それに、今は割と世界最強の選手の一角みたいな扱いだけど数年したらあっという間に追い越される。今やめた方が色々と伝説になれるからね」


 そんなユヅルにスオウはしれっとこう言ってのけたのである。

 ゼニゲバールがちょっかいかけてきた事すら、きっとスオウにとっては丁度いいという程度のものだったのかもしれない。一体どこまでが彼の計算のうちなんだろう、とユヅルは思った。



 ちなみに、当初はでっぷりと肥え太ったゼニゲバールは連日のバッシングにより、一月後には見る影もなくやせ細っていた。無理もない。何せ己の企業の社員たちにまでボロクソ言われる始末だったのだ。

 あのスオウのスポンサーになった! と喜んでいた彼のファンだった社員たちも、まさか社長のやらかしでこんな事になるなんて、と思ったし挙句世間からはお前らも同罪だとばかりに叩かれるようになっていたし。

 いっそこの会社辞めてやろうかと思った一部の社員がテレビに目線だけ入れてもらって、自分たちも被害者だと切々と語ったりもした。だってファンだった。応援していた。それなのに、社長のせいでその選手が引退を決めたのだというのだ。もう彼の試合を見る事はない、それがどれだけ辛くて悲しいか!

 同じファンという事もあって、巻き添えを食った社員たちに世間の目は怒りから一転同情するものへと変わっていって、それが余計にゼニゲバールを集中砲火でバッシングする流れになったのである。


 世間にゼニゲバールの味方はいなかった。


 こんな事を仕出かす原因となった彼の娘はというと、むしろ真っ先にゼニゲバールにブチ切れたのが彼女である。

 彼女は確かに結婚するならスオウ選手みたいな人がいい、とは言った。けれどもスオウ本人と結婚したいと言った事はない。

 彼女の好みは普段は穏やかで、でもいざという時にバシッと決めてくれるタイプであった。それを簡単に説明するのに最適だったのがスオウ・ヒイラギというマジカルアーツの選手であったに過ぎないのだ。

 彼女にとってスオウという存在は、マジカルアーツの選手であり己は彼の熱狂的なファンである、という事だけだった。


 スポンサーとなった事で、顔を合わせる機会は増えるかもしれない、そんな風に期待した事もあったけど、実際顔を合わせたのは企業のパーティーに参加した一度きりである。だからこそ、試合に出る彼の姿を――実際試合してるのは彼の姿をしているだけの魔導人形であるのだけれど――関係者席などを駆使してそりゃもう舐めるように見ていたのだが。


 自分の父親のせいでその彼が引退。


 引退という事はつまりもう選手として活動しないという事。


 まだまだ現役なのに、試合だってこれから一杯出るはずだったのに。

 その試合が、今後一切ないのだ。引退するから。


 娘はそりゃもうブチ切れた。

 スオウに恋人がいた? そりゃいるでしょあんな素敵な人なんだから。マジカルアーツ一筋でストイックに人間関係も希薄とかならまだしも、生きてる限り誰かしらと接点あるのは当然なんだし恋人がいてもおかしくはない。その女が誰から見てもクズとかならボロクソ罵るかもしれないけど、そうじゃないなら別に嫉妬だってするわけでもない。何故ってファンではあるけどガチ恋勢ではないので。

 ただただ彼の戦う姿に見惚れていただけに過ぎない。高いフィジカル、繊細な魔法コントロール。生きた芸術を見ているような気持ちだったのだ。


 ゼニゲバールが自分とスオウを結婚させようと思ったからこそ恋人を脅したという話が出た時、娘はまっさきに父の自室に乗り込んでその顔面をぶん殴った。

 ふっざけんな! アンタのせいでスオウ選手が引退したの私が原因みたいじゃん!

 そう吼えたのは言うまでもない。


 娘はそうして即座に自らのマジカルネットワークのアカウントでSNSに今回の事を上げた。

 父の暴走に巻き込まれた事。

 確かにスオウ選手のファンだけど、結婚するなら彼みたいな人と言った事もあるけれど、スオウ選手本人と結婚したいわけではない事。

 自分はただのファンで、彼の試合をこれからもずっと見ていくのが楽しみだったこと。

 けれどもそれが父のせいで叶わなくなったこと。

 父親ぶん殴ったという画像をアップして、ついでにスオウ選手愛を熱く語る動画も載せた。


 これがあるまで世間では父親のみならず、我儘娘も関わってるのでは? という疑いがあったので彼女も短い間とはいえ相当に肩身の狭い思いをしたのだ。


 ちなみに彼女はスオウ選手の結婚に関して好意的なコメントも残していたので、あぁこりゃガチ恋勢ではないなと大半から判断された。何せ世間のガチ恋勢は顔も知らぬスオウの妻を勝手な妄想でボロクソ叩いたりしていたので。

 スオウの結婚に関してお幸せに、とコメントを残せるだけの余裕がある娘は本当に純粋にただのファンなのだな、と見なされたのだ。その直後にでもやっぱり引退は悲しい~~~~!! というコメントもあって、ファンたちはそれな、と頷いたという。



 肥え太っていたはずのゼニゲバールが憔悴しすっかりやせ細って別人になったあたりで、そりゃもう哀れを誘うような姿になってひたすら謝罪を繰り返す会見を繰り広げたあたりで、流石にこれ以上叩くのは……という民衆の心理も働いたのか、バッシングは二か月ほどで落ち着くようになった。

 というか、その頃には会社の社長を退いてもらって娘が跡を継ぐ事となったというのもあったのだろう。


 スオウも選手を引退したとはいえ、悪いのは脅してきた社長であって娘さんは別に、というコメントを残していたのも大きかった。


 企業は大分縮小する形になってしまったけれど、ゼニゲバールが社長から退き一切関わらなくなったという事でようやく世間は落ち着きを見せたのである。

 未だスオウが引退した事に関しては嘆かれていたけれど、そこから更に一月後に選手として活動はしないけど選手の育成に今後は力を入れようと思う、などと言いトレーナーとして活動し、そうして彼に育てられた選手たちがデビューを果たし、彼らが活躍するようになった頃に。


 ゼニゲバールの名は世間から完全に忘れ去られていた。





 ――ここまで長かったな、とスオウは思った。

 彼は何度もこの人生を繰り返していた。


 最初はマジカルアーツだって、大した選手じゃなかったのだ。

 魔法の扱いも下手で、選手としてデビューしてもパッとしない本当に下層の選手だった。スオウ? そんな選手いた? とか言われるくらいに知名度は低い。

 けれども努力して、コツコツと研鑽を積み重ねていくうちにどうにかそれなりの知名度を得る事ができるくらいにはなったのだ。

 一度目の人生はそうして次の試合に勝ったらユヅルに告白しようと思っていた。

 この時のスオウはまだユヅルと恋人ですらなかった。ただの仲のいい幼馴染。

 お互いの時間が合った時に顔を合わせて食事をしたり近況報告をしあう程度の仲。


 次の試合が終わったら、伝えたい事があるんだ。

 そう言ったスオウに、ユヅルも何かを感じ取ったのだろう。わかった、と少しだけ目元を緩ませてこたえた。


 試合にはボロ負けした。

 こんなんで告白なんてできるはずがない。

 失意のままユヅルに合わせる顔がない、と思っていたスオウは家に帰るのも億劫でしばらくは適当な場所をぶらぶらしていたのだが。

 居眠り運転していたらしき車にはねられて――


 気付いたら、人生をやり直す形になっていた。転生というよりは逆行。再び自分は自分として生をやり直す事となったのだ。

 二度目の人生では後悔しないようにと前回失敗したあれこれを事前に対策したりして、ユヅルとは高校に入ったあたりで告白して、マジカルアーツも選手として、前回の経験もあった事で前よりは戦績もマシなものを叩きだしていた。


 前よりも順風満帆な人生に、スオウはそれでも満足していたのだ。

 一体どうしてこんなことになったかはわからなくても、それでもやり直す機会が与えられたのであればそれを無駄にするはずもない。

 前に比べれば選手としても知名度はあがり、これならユヅルと結婚しても生活に困る事はないだろう。そう思っていた。


 次の対戦相手のスポンサーに八百長試合を持ち掛けられたのは、前回ではなかった事だった。

 どうにかしてでも彼を売り出したいらしく、試合はどちらが勝つかわからないギリギリの戦いを繰り広げた後逆転勝利をさせるというシナリオを考えていたようだ。

 圧倒的な力でねじ伏せる戦いも確かに盛り上がるが、そういった最後の最後まで目が離せない戦いというのも観客は熱狂するものである。

 だがしかし、ヤラセというのはいただけない。


 スオウは自分はそんなことをするつもりはないと突っぱねた。

 相手は報酬は弾むと言い募った。

 だがしかし、八百長試合がバレた場合、どちらにとっても益はないのだ。

 バレるまでにかかった時間が長ければ長いだけ、今までの試合もそうだったのではないかという疑いだって向く。


 だからこそ断ったというのに。


 そのスポンサーは諦めきれなかったのだろう。

 スオウが八百長試合に了承しないのであれば、彼女がどうなるかわからないと脅してきた。

 ただの脅し、実際にやらかしたりはしないだろう。そう思っていたのが仇となった。

 ユヅルは、信号待ちをしていたところを誰かに後ろから突き飛ばされてそのまま突っ込んできたトラックにはねられた。即死だった。


 その後の事はあまり覚えていないが、ユヅルがいなくなった悲しみをばねにひたすらマジカルアーツの鍛錬に励んでいたと思う。何かをしていないとユヅルの事ばかり考えてしまって、自分も後を追ってしまいそうだった。そうして身体を壊して選手生命が絶たれるまで、スオウはどこまでもストイックな選手として名を残した。



 三度目の人生は、ユヅルが死なないように立ち回った。

 二度目と違い八百長試合を持ち掛けられないようにも立ち回ったが、前回とは別の企業からその話を持ち掛けられた。前の企業よりも大きなところで、下手に断ればどうなるかわからない。しかもそいつもユヅルの事を掴んでいて、尚且つ既に身柄を拘束していたのだ。

 断ればユヅルの命が危ない。

 だからこそ、スオウはしぶしぶ八百長試合に臨んだ。


 その後の事は酷いものだった。

 八百長である事は早々にバレ、世間からは大バッシング。世界的に熱狂しているスポーツだ。小さな国でだけ盛り上がっているようなマイナースポーツじゃない。ファンは世界中どこにでもいるし、それ故に非難は一人一人の声が小さかろうとも世界中ともなれば巨大なものになっていく。


 持ち掛けてきた企業はさもスオウがそれを実行したかのような言い方をして、こちらに全てをかぶせてきた。一個人の選手の言葉よりも、大企業の権力を持った人間の言葉の方が圧倒的に信じられてしまい、スオウはマジカルアーツの選手として表舞台には立てなくなった。


 非合法な、それこそ魔導人形を使わず生身で行う闇試合というものもあるが、流れ流れてスオウはそちらで日銭を稼ぐようになってしまった。ダメージを魔導人形が請け負うのではなく、直接己の身で受ける。それ故に、非合法な試合での選手生命など花の命よりも短かった。

 あっという間に使い物にならなくなったスオウは、闇組織と言っても過言ではない連中から余計なことを言わないように散々痛めつけられ路地裏に捨てられ――そうして死んだ。



 その後も何がどうなっているかはわからないが、スオウは人生を何度もやり直した。


 前の失敗を繰り返さないように何度も何度も。

 しかしその結果はいずれも不幸な結末としか言いようがなく、スオウの心は擦り切れていっそもう繰り返すのは嫌だとすら思い始めていた。何をどうしたって最後は不幸な結末なのだ。それでも心が折れなかったのは、何度繰り返す人生の中でもユヅルが支えになっていたから。


 ユヅルがマジカルアーツの選手としてのスオウを支えたいと言ってトレーナーの道へ進んだ事もあった。

 けれども研修で他の選手と関わった時に、そいつが性質の悪い男でユヅルは目をつけられてある日家に押しかけられて無理矢理……という事にもなってしまった。

 スオウ、ごめん。

 そう言い残して自ら命を絶ったユヅルを責められなかった。だが、ユヅルを追い詰めた選手はボコボコに叩きのめした。


 何度も何度も繰り返していくうちに、自分が不幸になる転機点とでも言おうか、そういったものがようやく見えてくるようになってきた。


 とある大企業。その社長の名をゼニゲバールという。


 八百長を持ち掛けてきた企業はゼニゲバールと直接の関係はなかったが、そこの選手はゼニゲバールの娘がファンであったらしく、その選手を華々しく活躍させるためにとゼニゲバールとその企業の代表とが裏で結託したものだった。踏み台になる選手はそこそこ名前が知られてて実力もそれなり。あまりに大スターで実力差もありすぎればヤラセとバレる可能性は高い。あくまでもそこそこの知名度の選手が八百長試合での踏み台として目をつけられていたのだ。


 ふざけるな、と思った。

 一度目の人生はパッとしない選手だったから目をつけられなかった。

 けれども二度目以降は今までの経験を確かに覚えていたこともあって、魔力こそそこまで高くなくとも魔法の扱いは精密・繊細でそれ故に上り詰める形となっていた。それがこんな不幸をもたらすとは思っていなかったが、調べていくうちに一度目の自分を轢いた車がゼニゲバールの企業の人間の車であるという事を知ってしまった。奴は社員を酷使して、そうしてその結果車の運転中にあらがえない眠気に陥りそうしてスオウを跳ね飛ばす事になってしまったのである。



 こいつが、元凶――


 スオウはそう確信した。

 こいつをどうにかしない限り、きっと自分は何度だってこの人生を繰り返すのではないか。

 根拠はない。けれどもまるでパズルのピースがかちりとはまるように、そう感じたのである。


 兎にも角にも中途半端な実力と名声では面倒な話を持ち掛けられる。必死に鍛錬を積んで鍛え、八百長などを持ち掛けられないよう早急に上に行く必要があった。

 そうしてスポンサーとしてゼニゲバールの企業がスオウにつく事になった。

 こいつがスポンサーというのは気に食わないが、しかし自分がスポンサーやってる選手まで潰すような事はしないだろう、そう思っていた。

 だがしかし、ゼニゲバールはユヅルを脅し別れるように言い、ユヅルはそれを受け入れてしまった。

 突然別れを告げられたスオウは何のために生きてきたのかもわからなくなり、一時期選手としてのパフォーマンスもがっくりと落ちた。

 そんな心の隙間を狙ったかのようにゼニゲバールは勧めてきたのだ。

 ゼニゲバールの娘との結婚を。


 ユヅルがいないんじゃどうでもいい。

 そう思って自棄になっていた部分はある。

 投げやりに結婚したが、結婚生活は最初こそマトモであったように思うがやる気のないスオウをどう思ったかはわからないが、娘――いや、この時点では妻か――は他の男のもとへ行くようになった。冷え切った夫婦仲。最終的に他の男との結婚を妻が望んだ事で、スオウはやってもいないDVをでっちあげられ有責での離婚を言い渡された。



 何度も人生を繰り返していたが、何となくそれもそろそろ終わるんじゃないか……漠然とスオウはそう感じるようになっていた。何度も繰り返していて、そういった勘は何故だかやたらと当たるようになっていた。

 だからこそ、スオウは全てに決着をつけてやろうと思って、まずはしっかりとユヅルを捕まえておくために今までの人生の中で最速で告白した。あまりに早い段階の告白にユヅルは考える時間が欲しいと言っていたが、きっと時間を与えては断られる。そう思ったからこそ今までの人生の分も含めてガンガンに愛の告白をした。攻め一択である。こういう時は引いたら逆に相手に余裕を与えてしまってこちらが不利になりかねない。


 あまりにも熱い告白に、ユヅルの顔はおろか耳まで真っ赤に染まっていたが、ユヅルはスオウの恋人である事を受け入れてくれた。


 その後、マジカルアーツの選手としてデビューする時に、いっそ八百長試合など持ち掛けられようもない程鮮烈に名を知られる必要があると考えたスオウは、最初の頃なら絶対に試合も組まれない程有名な選手との試合を組むべく奔走した。

 といっても、その花形スターとなりつつあった選手の事は前の人生で何度か試合もしていたのでよく知っていたから取引を持ち掛けるのは容易だった。

 彼は結婚していたにも関わらず不倫をして、そのことを奥さんにばらさないかわりに一度、試合をしてほしいと言えば簡単に応じてくれた。

 実力的に新人が大口をたたいているとでも思ったのだろう。不倫を黙っているかわりに、と言っているがそれだけで信用できるはずもない。試合の中でボコボコに叩きのめして余計な事が言えないようにしてやろうとでも思っていたのかもしれない。いや、実際にそう思っていたのだろう。


 だがしかし、以前の人生で何度も戦ってきた相手だ。

 得意な攻撃、戦法そういったものは全てわかっている。だからこそ選んだのだ。己の名を広めるための踏み台に。それについては少し申し訳ないと思っていたが、八百長試合を持ち掛けたわけじゃない。そこまで心は痛まなかった。



 そうして華々しいデビューをして、試合の数を増やしてどんどん観客を熱狂させていく。

 自分のスポンサーになりたいという企業は今までの人生の中で最も多く、スオウはその中からいくつかのスポンサーと短期契約を結び、そうして企業の広告塔などをして更に世間に名を広めていき――いよいよゼニゲバールの企業が己のスポンサーとなった。


 この頃にはユヅルにもいくつか言い含めてあったので、もし企業の人から家にマジカルフォンがかかってきたらどんな内容かもわからないし、常に内容は録音しておいてほしいと言っておいた。

 ついでに前の人生でそろそろゼニゲバールがユヅルに別れろと言いそうな頃合いを察知して、事前に婚姻届けを出しておいた。これで別れようなんて言われても、それを了承する気のないスオウは離婚裁判を起こすつもりで。

 まぁユヅルがそう言わなければ裁判なんておおごとにはならないだろう。それに何より、今までの人生で失敗してきたからこそ、今度こそはとできる事はやってきたし打てる手段も思いつく限り打っておいた。

 これでダメならいっそ今回の人生は首でも吊るか……とまで思っていたくらいだ。



 もしここで離婚する事になって別れた後、もしかしたらまたゼニゲバールは自分の娘を再婚相手として紹介してくるかもしれない。そう思ったからこそ、絶対に別れない意志をもっていた。

 あの男を潰すにはどうするべきか。

 考えた末に出した結論は、選手をやめればいい。これに尽きた。だってもう何度も繰り返した人生で一生分マジカルアーツの選手としてやってきたようなものだし。いい加減他の道を歩んだっていいじゃないか。そう思ったのも事実である。一度目の人生でこうも華々しく注目を浴びていたら、きっとこんなあっさり引退しようとは思わなかっただろう。けれども、表舞台も非合法な舞台でもマジカルアーツの選手として散々やってきたのだ。未練はなかった。



 そうして行われたのが試合終了後のインタビューでの電撃引退宣言である。

 結果は言わずもがな。世界中を巻き込んで、ゼニゲバールは大バッシングを受け彼は社会的立場を失って、彼の育ててきた企業は娘に後を譲り大分小さくなってしまった。

 その後スオウが一切世間に出てこなければもう少しバッシングは長引いたかもしれない。けれども、もう二度と表舞台にでてこないだろうと判断した事で。

 スオウは選手以外の形としてマジカルアーツに関わる事にしたのである。


 彼が育成をした選手がデビュー戦を見事勝利で飾った後、ふとスオウの耳元で声が聞こえた。

「もう次はないよ」

 すぐ近くには誰もいない。スオウに育てられている選手たちは、試合に勝った兄弟子に思い思いに声をかけている。そもそも今聞こえた声は――


「……おばあちゃん……?」


 年老いた、女の声であった。


 スオウの祖母は、何度人生を繰り返してもスオウが幼い頃に亡くなっている。

 彼女は圧倒的な魔力量を持っていたがその魔力を内包する身体が弱く、いつも臥せっているような人だった。

 若い頃に身体をもう少し鍛える事ができていたら、マジカルアーツの女性選手として活躍できたかもしれない。けれども、身体を鍛えようにもそれすら難しかったのだ。

 体内で暴れる魔力をどうにか抑えるだけで精一杯。

 そんな祖母は、幼い頃から既にユヅルの事が好きなスオウの事を微笑ましく見守ってくれていた。


「ユヅルちゃんに好きって言わなくていいの?」

「はずかしい。それに断られたらヤダ」

「あら、断られるの前提? 好きになってもらおうって思わないの?」

「好きになってもらうの頑張る。でも、今すぐ好きっていうのはヤダ」

「そう。でもいいの? そんな事言ってるうちに他の子にユヅルちゃんとられちゃうかもしれないのに?」

「それもやだ。おばあちゃんなんでそんな事言うの。ぼくユヅルに好きって思ってもらえるように頑張ってるのに」

「あらあらごめんなさいね。ね、スオウ。一度や二度の失敗で諦めたりするんじゃないよ?」

「うん、ユヅルが本当に嫌がったら諦めるけど、そうじゃなかったらずっと頑張る」

「あらあら熱烈ねぇ。そう、それじゃ、おばあちゃんが上手くいくためのおまじないをしておいてあげようね。スオウがユヅルちゃんを諦めない限りずっと続くおまじない。うまくいったらそこでおしまい」


 幼いスオウと祖母のやりとり。記憶の中の祖母はいつも優しく微笑んでいた。


 一度目の人生ではあまり覚えていないけれど、いつからだろう。祖母が死ぬ間際、スオウに向かって、

「諦めるんじゃないよ」

 そう言い残すようになったのは。

「あんたのユヅルちゃんへの想いが続く限りは、いくらだってやり直せるから」

 そうも言っていた。


 そこでようやく理解した。

 この何度も繰り返した人生は。

 どうして何度も同じ人生を繰り返していたのか。


 祖母の命をかけた魔法だったのだ。


 以前の人生でユヅル以外の女と結婚しても、ユヅルへの想いは消えた事がなかった。だがもし、本心から他の女に乗り換えていたのであれば、きっとそこで人生を繰り返す事はなくなっていたかもしれない。

 祖母の魔力は膨大で、だからこそ人生の最後でそんな大博打みたいな魔法を使ったとしてもおかしくはない。


 孫の初恋成就させるためにそこまでするか? と思ったが、それでもスオウにとってはそのやり直しでようやくつかんだ幸せである。

 ふ、と口元が緩むのを感じた。



 そうだ。今度の休み、ユヅルと二人で墓参りにでも行こう。

 今までの人生、祖母が死んだ後はあまりそんな機会もなかったけれど、今回はそうじゃない。

 荒唐無稽な話と思われるかもしれないけれど、その時に今までの話もユヅルに聞いてもらおうか。


 少し先の未来を想像して浮かべたスオウの笑みは。



 勝利した兄弟子を讃えていたはずの他の弟子や兄弟子が思わず動きを止めて凝視してしまうくらい。


 とても、柔らかなものだった。

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― 新着の感想 ―
社員も娘さんもそれぞれ一回だけ加害者になってるから企業ダメージ無視したのか······ 「情状酌量の余地はあるけど俺の中で無罪ではない」みたいなカウントで
[一言] 主人公に、お疲れ様、奥さんと幸せにと言いたいねぇ。
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