5
再びハーディング侯爵家。
明日にはもう国王とランバルト侯爵の一行がこの王都に戻ってくる。
それに合わせて、アルマイトも王宮に戻らなくてはならない。
「そんな不安そうな顔をしないで、キャシー」
アルマイトが手を伸ばしてきて、私の頬に触れる。
「だって、連日襲撃があったって……」
ハーディング侯爵家に詰めていた警備担当者に問い詰めれば、やはり連日連夜暗殺者が屋敷に侵入を試みていたらしい。
一人でも屋敷に入れば、アルマイトの生命は奪われてしまっていたかもしれない。
「後宮に戻れば、アルマ様はもっと危険に晒されますわ…」
アルマイトの母マリーナは、このまま後宮に留まるのは良くないと、王都の外れにある離宮へと御身は移された。
表向きは静養だ。
あのまま後宮に留まれば、マリーナは王妃の憂さ晴らしに何をされるかわかったものではなかった。
マリーナは王妃に殺されはしないが、ずっとイジメを受けていた。
しかし、王妃は国王の寵愛を受けているマリーナを殺すことはできない。
そうすれば、今度は王妃の立場が脅かされるからだ。
それはランバルト侯爵家の人間として許されない。
だから王妃はマリーナではなくアルマイトを幾度と命の危険に晒してきた。
今、もし王妃が自暴自棄になればマリーナを手にかけてしまうかもしれない。
そこまで行かなくても、似たようなことになるだろう。
そうすれば、アルマイトは完璧に後ろ盾を失う。
アルマイトを亡き者にできないのだからそうするしかない。
「僕は自分の身は自分で守れる。だから、安心して」
「でも、今まで大丈夫だったからってっ」
アルマイトが後宮に戻れば、飲水一つ、お茶の一杯にさえ毒の混入を疑わねばならない日々となるだろう。
私がナイヴスの婚約者として王妃に大人しく従っていれば、アルマイトに毒を盛られるような事態は起こらなかった。
王妃とナイヴスが好きにする今の後宮に、アルマイトの安全は無い。
それでも大丈夫だからとアルマイトは首を横に振る。
「今回のことで、思い知ったよ。僕には何にも力がないって……」
「そんなことっ…」
「王宮から出るのも、こうしてここに安全に過ごすのも、僕一人の力ではできない。自力で君に会いに行くことすら叶わないんだよ?」
見上げるアルマイトの目が辛そうに眇められる。
「僕が力を手に入れるためには王になるしかない。でも、それは多分、ナイヴスがやっていることと同じように横暴なことだろう」
アルマイトが震える手を握り締める。
何も自力で掴むことが許されぬ手だ。
「なんでそんなこと言うんですか!?あなたはこの国の王子です。ナイヴス殿下以外にアルマ様しか国王になれる方はいらっしゃいませんっ」
「そうだね…そうなんだけど……」
アルマイトが国王へなる道は困難を極める。
まずは貴族の支持を集めるところからだ。
貴族との社交を禁じられてきたアルマイトには、貴族のツテが少ない。
何もないところからアルマイトは始めなければならない。
それは途方もない道筋で、一朝一夕でできるものではないのだ。
「私がいるではないですか。あなたが国王となるなら、私は隣で支えますっ!」
私の方を見ないアルマイトに不安を覚え、彼の腕を掴み、その体を揺さぶる。
「アルマ様には私は必要ないのですか!?私を利用すればいいじゃないですかっ」
「それだけはしないっ!」
私の手を外したアルマイトに、私は抱きすくめられる。
「君と共にいるには国王になるしかないのはわかってる。でも、君の力を借りて王になるのは違うだろう…そんなの誰も認めやしない」
アルマイトは王族が担う仕事は一切させてもらえてない。
ただの婚約者である私でさえ、王族と同等に仕事をしているのに、だ。
今のアルマイトは宰相付きの政務室で仕事の手伝いをさせてもらっているくらい。
以前、ナイヴスの仕事を押し付けられた私は、アルマイトにやらせてはどうかと提案したが、周りの大人に渋い顔をされただけだった。
「このまま爵位を貰っても、伯爵位くらいしかもらえない。それじゃ、君との結婚なんか認められない。でも……でも……どうやっても自分が王になる未来は描けないんだ…」
王妃を始めとするランバルト侯爵派閥によって、アルマイトは王族としての矜持を悉く折られてしまっていたのだ。
私が想像していた以上に、アルマイトの王子としての絶望は深いなんて。
「こんな…お飾りの王はいらないだろ…」
アルマイトの体が私を抱き締めながら震えている。
泣いているのかと見上げてみるが、ただ苦しそうに目を引き絞っていた。
「このまま君が僕の側にいても、君は幸せにはなれない…」
「なんでそんなことおっしゃいますの!?私はこうしてアルマ様の側にいて、お話しできるだけでも幸せなのに……」
何も自分の思い通りのことはさせてもらえなかったアルマイト。
そのせいで、彼自身に自信も王族としての誇りも、何も身に着けてないのかもしれない。
王妃によって、アルマイトは王子であるはずなのに不当に扱われてきた。
手を伸ばせば、アルマイトは王太子という地位が手に入る。
そんな野心を抱くことさえ、アルマイトに躊躇わせてしまう。
王妃とランバルト侯爵達のやった行いに、怒りを感じずにはいられない。
「なんで……なんでアルマ様は……」
「泣かないで、キャシー。こんな僕でごめん…」
怒りや悔しさ、不条理。
色んな感情か混ざり合って、感情を制御できなくて、私はポロポロと目から涙を落としていた。
「アルマ様は…何も悪くないです。だから謝らないでください」
アルマイトの素質を曇らせ、私にはさんざん我慢を強いてきた。
ナイヴスだけじゃなくて、王妃までも、私に仕事を押し付けてきた。
王は我が子の境遇には見て見ぬふり、自分の妃の行いにも興味を示さなかった。
そんな人間がこの国の頂点にいることは、受け入れ難い。
もう、そんな人達はいらないのではないのか。
振り切った考えが過ぎる。
私もアルマイトも、そしてこの国にも、最適な方法がある。
そこに必要なのは、きっと私の気持ち一つだ。
「ねぇ、アルマ様。私とあなたが共にいれる方法が一つあります」
私は涙を拭い、アルマイトを見上げた。
アルマイトは何かを察したようだった。
「いいよ、キャシー。僕の望みは、ただ君の隣にいることだけだ。それが叶うなら、僕は他に何も望まない」
「アルマ様…」
私の頬に触れるアルマイトの手に顔を寄せる。
これまでも、私を支えてくれたのはこの温もりだった。
この温もりさえあれば、私はどんな荒波だって乗り切ってみせる。
「好きだよ、キャシー。僕が今持ってるのは君への想いだけだ」
「それだけで、私は十分ですわ」
私だって辛い王宮での日々の支えはアルマイトだった。
妃教育や王族でも無いのに王族の仕事を振られてたとか、公務にも一人で出てたとか。
そこら辺は周囲乗助けがあったから良かったのだけれども。
公務などで後宮に泊まることになった時が大変だった。
後宮の侍女達がナイヴスの婚約者の私を邪険にしていたのだ。
彼女達はナイヴスの機嫌を取り、媚を売り、ナイヴスの愛を分け与えて貰おうとしていた。
その一方で私のあることないことを悪し様にナイヴスに告げ口して、評価を落としていた。
ナイヴスが私を自分の婚約者には相応しくないと判断したのは、彼女達の仕業だ。
後宮での生活に慣れるためとかいって、後宮には私の家から侍女を連れて行けなかったから本当に辛かった。
これがこの国の最高峰の侍女と言われる後宮侍女のすることか、と呆れて物も言えなかった。
あんまりにもひどくて、マリーナ側妃のところに逃げ込んだこともあったほどだ。
自分がナイヴスと結婚して、後宮のことを任されるようになったら、まずは侍女の規範の一新だと心に誓った。
アルマイトがこっそりフォローしてくれなかったら、もっと早い段階で私は耐えられなくなっていた。
「ねぇ、アルマ様」
私がアルマイトと共に幸せになる方法は一つしかない。
「それでも、私と共に歩んでくれますか?」
「当然だ。僕が頼りないばかりに君の歩む道が険しくなるんだ。隣で支えさせて欲しい」
私の決断に、アルマイト話寄り添って支えてくれるという。
それなら、私は奮起しなければならない。
その日、私はフォードム家に戻ると、父と兄に相談があるから時間を取ってくれ、と頼んだ。
そして、私は決断したことを兄は天井を仰ぎ、父は腕を組んで考えこんでしまった。
「すべて丸くおさめるには、この方法しかないと思うんです」
「ああ、キャシーが言わなくてもわかってるんだ」
畳み掛ける私に、ギデオンが手で制す。
「わかってて、不甲斐ない自分を責めているから、もうちょっと待って……」
そう言って、ギデオンは両腕で顔を隠してしまった。
「お父様……」
「お前には、我々の世代でやり残した宿題を背負わせてしまう。だが、悪しき時代を終わらすためには、この方法しかないのだろう」
父が私の目の前にやってきて、跪く。
そして、私の手を取り、自分の額に持ってくる。
「今まで苦労をかけて、さらに困難な道へ、娘を送り出す、こんな父であって申し訳ない。できる限りのことはしよう、キャシー、可愛い私の娘」
「お父様…そんな顔をお上げ下さい…」
「すまないな…」
顔を上げた父の瞳の端に、光るものを見てしまった。