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「お父様、お兄様…」
夕食の後、私は父と兄に呼ばれて父の執務室を訪れる。
今日で王妃の夜会から、三日目の夜だ。
「とりあえず、各々の状況の報告からとしようか」
父の側に控えていた侍従が、書状を3人が囲うテーブルの上に置く。
「まずは、良い報告からだ。今日、見事元老院からナイヴス殿下とキャシーの婚約破棄の許可を得てきた」
得意気に父がニヤリと笑う。
「もうですか!?」
元老院の採決は普通は数ヶ月もかけて審議を経て行われるものだ。
有数な貴族から成る元老院は、そう簡単に動かせるものではない。
「そりゃあ、私が幾度かキャシーと殿下との婚約継続に疑問を呈しておったからな。何かあれば破棄を承認するように予め手を回しておったのだ」
どうだ褒めろと言わんばかりに、父が胸を張る。
「ありがとうございます、お父様!!」
思わず椅子から立って、父の下に駆け寄って抱き着いた。
私自身、何度か父にナイヴスとの婚約について相談していた。
もう無理だと弱音を吐いたこともある。
その度に父は良い反応は返してはくれなかったけど、ちゃんと気にかけてくれていたのだ。
「私の可愛いキャシーがこれ以上苦しむのは、見るに耐えかねんからな!」
父が私の頭を撫でてくれる。
ナイヴスにしょっちゅう浮気されて、蔑ろにされて、それでも将来の妃として勉強したり仕事したりと、辛いことのあった日々。
元老院の許可があれば、王も王妃も婚約破棄を覆すことは難しいだろう。
ずっと気がかりだったけれど、これで安心だ。
「キャシー、僕の話もあるからとりあえず席に座ろうか」
私が父に抱き着いたせいで、ちょっと拗ねてしまったギデオンが私を嗜める。
「とりあえずナイヴス殿下の様子だけど……」
ギデオンの眉間には思っきり皺が寄っている。
「どうやらナイヴス殿下はマデリーン嬢を後宮に入れて、自分の側に置いているようだ」
「なんですって!?」
後宮は王族のプライベートエリアだ。
そのため、後宮に滞在するには特別な理由がいる。
私も後宮に部屋をもらっており出入りできたが、それはナイヴスの婚約者だからだ。
マデリーンはまだ正式な婚約をしていない。
それなのに後宮に住まわすなんて、前代未聞の事態だ。
「王妃様はナイヴス殿下のあまりのやりように、あれから姿を部屋に閉じ籠もってらっしゃるらしい」
「それでは、ナイヴス殿下が好き勝手できてしまうわ」
「まあ、後宮で殿下が好き勝手するのは今更いいさ」
どうやら問題はそこではないらしい。
「ナイヴス殿下が連れてきたマデリーン嬢はスキッペ男爵の娘だから正妃にはできない。そこで、ナイヴス殿下の正妃を狙って、同じ頃の娘を抱えた親がナイヴス殿下へと娘を連れて謁見の列だ」
我が国の法律では、王妃になるには伯爵以上の身分が必要だ。
身分が足りなければ側妃や愛妾となる。
マデリーンではナイヴスが王となった時に王妃にはなれない。
そこで、娘に王妃の座をと企む貴族が連日ナイヴスに娘を紹介しているのだ。
もしナイヴスに気に入られれば、正妃とならずとも甘い汁は吸える。
だから、伯爵家以下の貴族もまた娘を連れてナイヴスの下に来ているらしい。
今王宮は貴族の権力闘争が起きて、まともに仕事もできないらしい。
父も兄も二人揃って渋い顔をしている。
父はフォードム公爵として、また宰相として現状の仕事を捌くのみで、こうなってしまっては王が帰還するしか落ち着くことはないだろう。
「それと、やはり王妃が、というか前ランバルト侯爵がアルマイト殿下の身柄を自分の手の者でどうにかしようとしているようだ」
前ランバルト侯爵アデフトとは王妃と今のランバルト侯爵の父親である。
アデフトは野心家で、国王の側近に納まると次々に身内を要職に付けたり、自分達に都合の良いように王の仕事を側で支えていた。
いや、まだ若かった国王を傀儡としていたのだ。
そして王宮に引き入れる人材は縁故採用が多く、アデフトは好き勝手してきた。
アデフトが気に入らなければ、辞めさせられる。
不正、賄賂、捏造、口利き。
王宮は腐敗していった。
アデフトがランバルト侯爵を息子に譲り、私がナイヴスと婚約することでフォードム公爵家の権勢が戻り、ようやく王宮は正常化してきたところだ。
そこに来て、ナイヴスの婚約破棄騒動。
貴族の中には王家を見放す動きもあるという。
このままでは、この国は空中分解してしまうかもしれない。
そんな危うい中、アルマイトが王太子となって王宮が安定するかといえば難しい。
だからといって、私が再びナイヴスの婚約者となり彼の隣にいるのはもう耐えれない。
「アルマイト殿下は元気そうにしていたか?」
父の憂いの表情に、アルマイトが過ごす屋敷にも襲撃があるのだろうと察する。
ハーディング侯爵家は使用人が少ないため、暗殺者が使用人に紛れることは不可能だ。
そのため、侵入者の警備のために我が家の騎士を派遣している状況だ。
挨拶したハーディング侯爵夫人にも影は見えなかったことから、屋敷の中の安寧は守られているのだろう。
「アルマイト殿下はお変わりなくお過ごしでした」
「彼は特に何か具体的なことは?」
「いえ、何も…。それに、私もそしておそらくアルマイト殿下も、まだ現状を受け止めきれていません」
「まあ、そうだろうな。キャシーにもアルマイト殿下にも、ずっと我慢をさせてきた」
いきなりしがらみが無くなったのだ。
アルマイトも私がナイヴスとの関係が無くなれば、王家から出ることに躊躇うことはないだろう。
様々な問題は置いて、今一番大事なのは私やアルマイトがどうしたいかだろう。
多分、私はアルマイトが好き。
もしかしたら、アルマイトは私が好きかもしれない。
お互い、そう思ってきた。
気持ちを口に出すことが許されなかったから、いざアルマイトを目の前にしても、私は彼に想いを告げる勇気なんてなかった。
「これからどうするか、もう少し時間が欲しいです」
「そうさせたいのは山々だが、陛下が日程を短縮して急ぎお戻りになられるということだ」
ナイヴスの王太子としての資質を問い、彼を王太子になれないようにする。
その線で動きたい父は、それならば王太子となる人物を選ばなければならない。
アルマイトを掲げるなら、彼の婚約者は私だ。
「私達大人がやり残した問題のせいで、キャシーにはしんどい思いをさせてしまっている。それは本当に申し訳なく思う」
父が私に頭を下げた。
「おやめ下さい、お父様。お父様は、腐敗した王宮のために尽力なされてしました。私はそのお姿を見ていたからこそ、王子妃になるべく頑張ってきたのです」
前ランバルト侯爵の行った腐敗政治を少しでも改善するために、ここ数年父は尽力していた。
それは、私がナイヴスの婚約者という立場があったからこそだった。
「ありがとう、私の優しく娘。なるべくキャシーの気持ちに寄り添えるようにするから、何でも話してくれ」
「ありがとうございます、お父様」
父は執事に呼ばれ、話し合いは終わった。
父はまだ仕事が残っているのだろう。
私は兄と二人で、ゆっくりとお茶をする。
「それでお兄様。実際はどうですの?お父様はだいぶ参ってらっしゃるようですが」
本来の仕事に加えて、元老院への調整、派閥の会合、派閥外貴族への働きかけと、休む時間も犠牲にして動いている。
「キャシーが気にすることはない、って言ってもお父様のあの様子じゃ気にしちゃうよね」
ギデオンもギデオンで動いているから疲れが滲み出ている。
「皆好き勝手動いているから、その動向を把握してるけど、陛下がランバルト侯爵連れて帰ってきてくれないと、どうにもね。僕らの年代はアルマイト殿下と交流があるから、アルマイト殿下が立太子するなら支えるくらいの気持ちはある。けれど、爵位を受け継いでる人間が少ないから、発言権はないからその力は微々たるものだ」
「それでも、アルマ様に支持があるのは嬉しいことですわ」
しかし、ギデオンは苦笑いする。
「それがねぇ、純粋なアルマイト殿下支持じゃないんだよ」
はあああと、ギデオンが大きなため息をつく。
「僕に話すのだから、アルマイト殿下を支持する人間はほとんどが婚約者がキャシーであることが前提だ。キャシーはナイヴス殿下がする仕事や公務もやってきていただろ?王宮務めの人間はそれを知ってるから、公務に携わってきてないアルマイト殿下よりもキャシーが今まで通りに王太子候補の婚約者にいることの方が重要なんだ」
王はすでに飾りに近い。
重要な政策は役人達や貴族院と元老院で決定されて遂行されていく。
そこに王の力は必要ない。
王は国民からの支持を集め、税金を収めさせるためのハリボテで十分なのだ。
しかし、ナイヴスはそのハリボテでさえ務めることは難しい。
だったら新たなハリボテをアルマイトにしてもいいのではないのか。
そんな打算を持つ人間が一定数いる。
「いっそ、キャシーが王様になればいいんじゃないかな」
すでに色々とめんどくさくなってしまっているギデオンが、投げやりに言い捨てた。