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なろうの海に呑まれて揉まれて浜辺にザーンと打ち上げられ、現在ワカメまみれになっているチナッティの物語です。
コンテストに参加してみたら何も起こらず、旧名義になってるのも忘れ完全放置してました。テヘ。
いつものBLじゃないけど夏だしいいじゃん!読んでくれお嬢さん!
「えー、無理。夏休みは漁があるから」
──にべもなく断られた。
漁ってなんだよ。あれか、ビーチでマッチョなメンズハンティングか。君なら陸でも入れ食いだろう。
「今回は1ヶ月ちょいかなー。課題あるし。でもいっぱい捕れる感じだったら夏休み丸々居るかもしんない」
──え??
木陰になったベンチで彼女はショートパンツに包まれた脚を投げ出している。もう初夏だ。日焼けし始めた美脚が眩しい。
大学の長い夏休みを、彼女へのアピールタイムに利用したかった俺は虚を突かれた。漁ってあれか。つなぎを着て捻り鉢巻きのおっさんがやるやつか。マジの漁か。
「マジ漁じゃなくてアジ漁。夏だからマダイとかノドグロとか」
魚の姿が全然思い出せない。俺は魚に詳しくない。クイズ番組で魚の名前を当てるコーナーでは大体正解率20%くらい行けばいい方…それはどうでも良くて。
彼女は美容院行っとかなきゃー、と言いながらアッシュブラウンのゆるく巻いた髪を弄っている。
美人だなあ。本当はつけまつげなんて要らないであろう長い睫毛。『目に何か入れんの怖いんだよねー』と素のままの明るい瞳。通った鼻筋。ベージュピンクの唇。
最初講堂で出会ったとき、彼女は遠くに座っていた。ギャルがいるな、とだけ思っていた。
何となく気になり次の日、少し近くの席に座ってみると、俺の好みドストライクの美人であることに気がついた。
彼女はいつもひとりで居たが、誰かと喋りもせず講義は真面目に聴いていて、ノートもしっかり取っていた。そんな面を見て好感度が爆上がりしたが、孤独に強い一匹狼な印象も持ったため、軽く見られるのが怖くて声をかけづらくなってしまった。
初めて見た友達らしき女の子が、ちなっちゃーん、と彼女に声をかけなければ、俺は彼女の名前すら知らないままだったかもしれない。
「蓮のくせに珍しい。随分頑張るじゃん。ああいうのが好みだったかぁ」
「ジャンル分けすんなよ。千夏ちゃんは千夏ちゃんでしかねーよ」
遊ぶなら今のうち、と合コンにばかり誘ってくる友達がからかってきた。今まで清楚系の子を集めた場にしか行かなかったから、俺の好みはバレている。
しかしそんな奴が急にギャル系の子に感心を持った。何の心境の変化なのか気にはなるだろう。
彼女の装いは、彼女にとても似合っている。もうちょっと露出は減らして欲しいが。でもきっと、薄いメイクでシンプルな服を着ても絶対に似合う。あんなに綺麗なんだから。黒目がちな明るい色の瞳を、真っ直ぐこちらに向けてくれる彼女を俺は想像した。勝手に。
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「最近あのアイス売ってなくない? こっち来たとき買おうと思って楽しみにしてたのにさー、めっちゃショックだったんだけど」
──気がついたら、俺は新幹線に乗っていた。
あーあの凄いカチカチのやつでしょ、と返事を返した。
こんなに長く一緒にいるのも、会話するのも多分初めてだ。カワイイ千夏ちゃんを独り占めである。本当に楽しいし、ケラケラ笑う千夏ちゃんが見られると天にも登る気持ちになるのだが、頭の隅にある不安が消えない。
「向こう着いたらまた電車乗るから。駅着いたらお母さんが迎えにきてくれるからー、車でウチ行って、早めにご飯食べたらお風呂入って寝といて。明日三時起きだかんね」
そう、俺は千夏ちゃんの家に行く。しかも泊まらせてもらう。残念ながらお嬢さんを僕に下さいとかじゃない。強いていえば、お父さんの船に乗せて下さいの方だ。
千夏ちゃんは美人だ。俺がいいと思うんだ、他にもいいと思っている男は山ほどいる。彼女は気づいているのかわからないが、目線で追われていたり、イヤラシイ目で見ている男がよくいるからだ。
千夏ちゃんは、休みのときくらい手伝わないとさー人手不足で困ってんだよねー、と言った。俺はそこに食いついた。
じゃあ俺バイトする、千夏ちゃんと一緒に行って帰りたいと食いつく俺に、いや初めてだから一週間くらいにしときなよ、と彼女は俺の身体を気遣ってくれた。
俺はそこをじゃあ二週間、じゃあ二十日、と引き伸ばした。
結局二十日で話がついた。上手いこと戦力になれたらもっと長く居られるかも、という下心が入っている。
しかし、いくら一緒にいたいから、繋がりを持ちたいからといって彼女の実家に長く居座るのは如何なものか。宿を取ろうと考えていると言ったら、彼女の方からいいよーお金もったいないからやめときなー、と言われた。本当にいいのか?
車両が短い電車に乗り、駅に迎えに来てくれたお母様に初めまして、とご挨拶したら『ちーちゃん、あたしお母様やって!! キャハー』と爆笑され、その元気なお母様に家へと連れて行っていただいた。
なるほどー。こりゃ納得。一人増えたところでどうしたって感じの規模だ。
家がでっかい。その分外壁もぐるりと長く、門がある。立派な庭もある。
部屋数いくつあるの、と千夏ちゃんに訊いたら『えー、なんかいっぱい』と言っていた。
ちなみに部屋の場所は千夏ちゃんの部屋から随分遠かった。そりゃそうか。
外に出掛けていたらしいお父様にご挨拶をしたら、じっと俺を観察した後、ニャッと笑って『まあ頑張ってみろ』という、多分そういう意味の激励を受けた。みんな方言で喋るから毎回予想を立てるしかない。おじい様とおばあ様もいらしたが、こちらは千夏ちゃんに翻訳してもらわないと本当に何を喋っているか皆目見当もつかなかった。
「冷たい綺麗な海水入れるから。そのホース持って」
「初めてっしょ? 走ってるときは座っといた方がいーよ」
「波の方見たらだめだよ。空でも見ときなー」
予想はしていたが俺はグロッキーになった。船酔いだ。三半規管にはわりと自信があったのに。
つなぎを着込んでもこもこの可愛いシルエットになった千夏ちゃんと、可愛いくないおっさん達は平気な顔して立ったり座ったりしている。何故身体が揺れていないんだ。さっきから船があっちこっちに傾いているというのに。
バッシャンと船体を叩きつけてくる波の方をつい見てしまい、頭の中で脳みそがぐるりと回り出すような感覚に翻弄されて時が過ぎた。耐えられず一回吐いた。
定置網漁と言うらしい。網で海中に仕掛けを作り、そこに迷い込んだ魚を一網打尽にする。環境に優しいやり方なのだと千夏ちゃんが言っていた。
どこがどう優しいのかはわからない。というか考える余裕のない俺は消え入るような声で、そうなんだ…としか言えなかった。
帰りたい、という心と、ここで帰るもんか、という心が船の揺れと連動しているかのように交互にやってくる。
美しくない俺を美しい朝日が照らし出す。
海と空以外何もない空間というのは、都会のビルと看板だらけの中で過ごすのが当たり前だった俺に、新しい刺激を与えてくれた。
端的に言えば、非常に感動した。大パノラマ、という言葉があるが、まさにその通りだった。取り立てて海に行きたい、山に行きたいと思ったことはないが、この視界いっぱいに優しい色が帯状に広がる景色の開放感。4Kだろうが8Kだろうが敵わない。生の景色は贅沢に、匂いも空気もついてくる。
確かに現地に来ないと見られない。わざわざ苦労をして足を運ぶ人達の気持ちが初めてわかった。
着いても船は揺れ続ける。そこに立って、網を引いてと千夏ちゃんに言われるが、まず立つのが怖い。ろくな手摺りがないからだ。ちょっと身体が傾いたらドボンじゃないか。
なんとか網を手繰り寄せるが、ものすごく重い。取り落としたりして無様な姿を見せたくないと、なけなしのプライドを発揮した俺は、今年一番頑張ったと思う。
二艘の船を近づけて網を絞ったあとは水揚げだ。機械で持ち上げた網のひとつを船上に下ろす。当たり前だが水切りなんかしない。フードを被っているが、頭からバシャバシャと落ちてくる海水を浴びまくった。
船中の水槽に売り物になる魚を選別して入れるのだが、下ろされた魚の中によくわからない生き物や、サメが多く混じっているのには驚いた。
うわサメだ、と口に出した俺に千夏ちゃんは、要らないやつは海に捨ててーとサメをひっつかんで後ろ手に投げた。思ったよりワイルドなやり方だったが、周りのおっさんも同じようにポイポイ手早く不要な魚を投げている。
要不要がわからない俺は必死で見て聞いて覚えた。おっさん達にはそんなこともわかんねえのかと怒鳴られるかと思ったが、愛想はないが案外丁寧に、俺でもわかりやすいように教えてくれた。しかしスピード勝負。揺れる船上。それは試験勉強より大変だった。
「疲れたっしょー。帰ったら朝ご飯出るから。美味いよ」
──疲れた。まだ気持ち悪い。ご飯、食べられるかなあ。
結果から言うと、めちゃくちゃ美味しかった。
海の幸がいっぱい、というわけではない。魚のアラが入った味噌汁はあるが、味海苔、出汁巻き玉子、白米などの普通の朝ご飯。
これが異様に美味いのだ。魚の旨味が濃いし、玉子は塩味の効き方が抜群にいいし、ご飯は米の味がしっかりしている。口に入れた瞬間カッと目が開いた。こんなに美味い米は初めてだ。
美味しい、すごいと感動しながら食べる俺を見て、千夏ちゃんはフフンと笑いながら言った。
「労働したからじゃん? 空腹はサイコーのスパイスな」
──間違いないです千夏様。
これだけ食事で心が満たされたことが今まであっただろうか。まだ船に乗っているような身体の感覚を捉えながら考えたが、俺はひとつも思い出せなかった。
食事が終わったら漁に使う網の修理だ。これを朝十時くらいまで続けるという。
船から逃れられたのに、今度は睡魔に襲われて船を漕いでいる。陸にいるのに船はもういいよ。
千夏ちゃんはため息ひとつ吐かず、黙々と手を動かしている。
今まで会話のチャンスはあった。俺は薄い顔だがそこそこの容姿なので、女の子は最初からちょっと興味を持ってはくれる。そのあとの会話で親しくなる戦法を取っている。
しかし、あの楽しい会話どころじゃない現場を乗り越え陸に戻ってきたのに、疲れて眠くて何も思い浮かばない。
船上でも倒れる気配すらない千夏ちゃんの横に、まずは平気な顔をして並べるようにならないと、おそらく物理的にも心理的にも話にならない。
別に勤勉なタイプじゃないはずだった俺は、珍しく真面目な方面に頭を切り替え、目の前の作業に集中した。どうしても眠気は覚めなかったが。
帰ると沼に沈むように眠り、ぐわんぐわんと眠気の覚めない頭を抱えて船に乗る。
それを何日か繰り返して気づいた。
俺、結構慣れてきたぞ。考えてみたら、船に乗って網を引っ張り、魚を仕分けて陸に戻る。網を直す。これだけなのだ。
そりゃ体力的にはハードだ。そして油断すると転落する危険や、網を引き込む機械に巻き込まれる危険もある。でも指示通り手足を動かすだけだ。
バイトでクレームを受けたときのことを思い出した。どうしてくれるんだ、と意味不明の理論で怒鳴り散らす男。ネチネチと理詰めにしているようで、やはりただの我が儘を通そうと粘る女。そんな奴らが船上にはいないのだ。
もっと怒鳴られて、使えないなんて言われるかと思っていた。そう思われているのかもしれないが、実際は言われたりしない。みんなさほどお喋りではないが優しい。
そこにいて構わない、それで構わないと言外に言われているような優しさを確かに感じるのだ。