大嫌いと言われました
今日はアベルにとって最高の一日となるはずだった。
待ちに待った卒業パーティーを前に、彼の調子と機嫌は最高潮まで昇っていた。
(やっと彼女と結ばれる日がきたんだ!)
アベルは二年間告げずにいた想いを、今日この日に伝えると以前より決めていた。
新調した衣装を身にまとい、付き人で親友でもあるルイスに頼み、最高のシチュエーションを用意してもらったところまでは完璧だった。
階段下、大ホールでもいちばん目立つ中心部で待つ彼女の前に姿を現せたアベルは、はやる気持ちを抑えながらも着実に、彼女――リオノーラへの歩みを進めていった。
その間もずっとあらゆる令嬢たちから期待や好意の眼差しを向けられるが、アベルはそれに答えられない。なぜなら彼には心に決めた、たったひとりの女性がいるからだ。
距離が縮むたび、らしくもなくアベルの鼓動は速まった。しかし冷静さを保ち、余裕のある立ち振る舞いを心がける。
アベルはリオノーラの目の前までくると立ち止まった。その姿は、さながら姫を迎えにきた王子のよう。
(目を丸くしている君さえ愛おしい。俺だけの姫、リオノーラ)
ドレス姿のリオノーラにアベルはおもわず見惚れてしまう。ほかの令嬢たちよりシンプルで控えめなドレスアップ姿は、儚い中に微かに潜む色気が感じられた。
「リオノーラ、君が好きだ。君を俺の妻として、イースデイル公爵家に迎え入れたい」
アベルはそう言って、優しくリオノーラに微笑みかける。
――決まった。完璧に。アベルは心の中でそう思った。
「……はい?」
一方姫ことリオノーラはというと、気の抜けた声を出し頭にハテナマークを浮かべている。
彼女にとっては当然の反応だった。なぜならアベルは彼女にとって、いつも自分をいじめてくる相手。そんなことを繰り返されれば、当たり前に嫌われていると思っていた。そんな相手が自分を妻にしたいなど、冗談にもほどがある。
だが、アベルはリオノーラの思いなど知るはずもなかった。
この時彼の頭の中では、リオノーラと自分は両想いだという謎の自信しかなかったのだ。
敢えて今日この日に大勢の前で告白したのは、アベルなりに理由があった。
それはひとりでも多くの人に記念すべき瞬間を祝福してもらうため。そしてなにより〝リオノーラは俺のものであり、俺はリオノーラのものである〟と、一瞬にして周囲に知らしめるため。
(俺はピュアで初心な君と二年の間、陰ながら愛を育みここまできたんだ。この告白は君にとって、学園生活最高の思い出となることだろう)
俯いて肩を震わせるリオノーラを見て、アベルの口元は緩みまくる。彼女は想像していなかったサプライズに感動し、必死に涙をこらえている。少なくともアベルにはそう見えていた――この時までは。
「ありえません」
「……え?」
なにがありえないのか、アベルは理解に苦しんだ。自信たっぷりの顔は僅かに歪み、リオノーラはそんなアベルにきっぱりと、思いのたけをぶちまける。
「私、あなたのことが世界一嫌いです。大嫌いです。妻になるなんて死んでもお断りいたします」
「……!」
(え? 今なんて? 世界一好き……とは言っていなかったような、でも俺の聞き間違いのような)
信じがたい言葉にアベルの思考回路は正常な動作をしなくなっていた。
「それでは、永遠にさようなら」
リオノーラは笑った。こんなふうに笑う彼女をアベルはこの二年間、一度も見たことがなかった。
最初はその微笑みに釘付けとなっていたアベルだったが、次第にリオノーラが自分に向けた言葉を一字一句鮮明に思い出していく。
するとアベルは石のように固まった。時が止まったかのような静けさのなか、彼女が去って行くヒール音だけが鳴り響く。カツカツと音が鳴るたびに、頭を一発ずつ殴られているかのような感覚がアベルを襲った。
(ま、待ってくれリオノーラ! どういうことだ!)
声がうまく出ない。アベルは去りゆく背中に手を伸ばすものの、その手は空を切りだらりと垂れ下がる。
予想だにしない事態に頭の整理が追い付かず、目の前がぐるぐると回り始めた。アベルはその場にふらりと倒れ込む。
「アベル様!」
親友の叫び声と微かなリオノーラの残り香を感じながら、アベルは意識を失った。
* * *
イースデイルの屋敷に戻ったアベルは、ルイスに体を支えられて自室に辿り着いた。意識は取り戻しているものの、まだふらふらとした状態だ。
「いったい俺の身になにが起こったんだ……ルイス」
時間が経っても、アベルはさっきの出来事が現実だと思えなかった。部屋に着くなりルイスに縋りつき説明を求める。
「公衆の面前で大振られという大恥をかきました。あのままですとイースデイル公爵家の名に傷がつくと思いましたので、あの場は私がなんとか誤魔化しておきました。〝これは卒業する皆様を笑わせるための大がかりな演出である〟と。苦し紛れの言い訳ではありましたがなんとか納得していただけたのでご安心を――」
「そうじゃない! ……彼女は、なんと言った?」
淡々と説明するルイスにアベルは叫んだ。アベルにとって重要なのはそこじゃない。恥をかいたことも公爵家の名に傷をつけたことも正直どうでもいい。
「アベル様のことが世界一嫌いです、と」
「うわあああああ!」
アベルは頭を抱えて膝から崩れ落ちる。
「あれはなんだ!? 演出なのか!? お前、彼女を呼びにいった時に打ち合わせでもしたのか!?」
「してません。演出は建前。現実逃避はやめてください。彼女の本心でしょう」
「本心……」
あれは悪夢ではなく現実だったことを、改めてルイスに突きつけられる。
「どうして俺はリオノーラに嫌われているんだ?」
未だリオノーラに振られたことに納得がいかないアベルは本気で疑問に思っていた。真っすぐな瞳で問いかけるアベルを見て、ルイスは〝こいつマジか〟と冷静に驚いた。
「……アベル様、口出ししないようにしておりましたが逆にお聞きいたします。なぜ彼女と両想いだと思っていたのですか?」
二年間、ルイスはずっとそれが疑問だった。卒業パーティーで告白すると言い出した時から、ルイスは内心不安を抱えていたのだ。その自信はどこからやってくるのかと。
「なぜって? ……だって俺はこの二年間ずっと、彼女だけを特別扱いしてきたんだ!」
アベルは下からルイスを見上げてキッと鋭い目つきで睨みつける。驚愕して言葉も出ないルイスに、アベルはこの二年間に行ったリオノーラへの〝特別扱い〟についてつらつらと話し始めた。
「この二年間、ずっと彼女にだけは自分から話しかけ、ほかの令嬢たちみたいに笑顔を振り撒かずクールな男らしさを見せていた……!」
アベルの父親は『男は好きな人をいじめてしまう生き物だ。私も昔はそうだった』と言っていた。それに対し母親は『最初は嫌だったんだけど、ちょっかいかけられていたらいつの間にか気になっちゃって』とのろけていた。
「意図的ではないが、俺は父親に似たのか想い人であるリオノーラを見るとどうにか会話をしたくて……でもできなくて、ついいじわるをしてしまったこともある」
しかしそれは、好きだから故のいじわるだったとアベルは主張する。
リオノーラはアベルから見るとあまりに可愛すぎたのだ。いじめられた時に無意識に瞳をうるませる姿を見ると、アベルはどうにかなりそうだった。ほかの令嬢たちはみんな同じ顔に見えたのでなにも感じることはなかったが、リオノーラの前ではアベルもただの恋する男に成り下がってしまう。
入学して初めて目が合った時、アベルはリオノーラの姿があまりに眩しくて目を逸らし、どうしてあんなにも彼女は魅力的なのかと顔をしかめた
初めて声をかけた時もアベルは緊張していた。手を触れられるとカッと全身が熱くなって反射的に引っ込めてしまった。同時に誰にでもすぐこうやって手を触れるのかと思うと嫉妬すら覚えた。だけどこんな本音をリオノーラに知られるわけにはいかない――好きな人の前では、かっこつけていたかったから。
「……そんな俺を、微笑ましく見守ってくれていたと思っていたんだ」
「つまり、好きすぎていじめてしまったと? アベル様からしたら、それは特別扱いだったと?」
アベルは大きく頷いた。
「俺がいじわるをするのはリオノーラだけなのだから。これが特別扱いでなくなんになる」
「馬鹿なんですか?」
「なっ!?」
少しの揺らぎもない主の真摯な瞳を見て、ルイスは後悔した。こんなに恋愛下手の馬鹿令息だと知っていたら、自分が助言してあげられたのにと。
「あなたがここまで馬鹿とは思いませんでした。……最初からおかしいと思ったのです。マーシア様のお茶会で一目惚れしたリオノーラ嬢とどうにか婚約するために何度もイースデイル主催のお茶会の招待状を送るも会えず、最終手段と言って王家に頼んですべてを負担して学園へ入学させたというのに……」
そう、アベルはマーシアに呼ばれたお茶会でリオノーラを見て、一瞬で心を奪われていた。その後何度も接触を試みたが、リオノーラがお茶会にくることはなかった。彼女は王都から離れた田舎に住んでおり、社交界にもほとんど顔を出さないと聞いたアベルは、自分が通うラスタ王立学園にリオノーラを入学させようと考える。
彼女の兄、ユエンが隣国に留学しているという情報を得ると、隣国の友人にユエンについてさぐりを入れた。そしてアベルはユエンの学園での評価を聞くと、それを若干都合のいい情報に変えてなんとか王家を言いくるめた。
学費と寮費は完全免除となったが、食堂食べ放題カードの支払いはすべてイースデイル公爵家が負担していた。アベルはリオノーラがそれを使うたび、自分は彼女の役に立てていると嬉しくなっていた。
巷では将来性のある結婚したい男ナンバーワンとも言われていたアベルが、ひとりの女のためにここまでしたというのに――。
「それなのに毎日リオノーラ嬢に冷たい態度をとり、アベル様はなにがしたいのかと。十年ぶりに会うと好みでなかったから、その腹いせに嫌がらせをしているのかと思っていました」
「好みでないわけがないだろう! むしろ想像以上だ! 彼女はどんな女性より美しい!」
怒りを露にしてアベルは立ち上がり、前のめりでルイスの言葉に噛みついた。
「なぜそれを本人に言ってあげなかったのですか」
「い、言えるわけないだろう……! 恥ずかしくて」
「ほかの令嬢には甘い言葉なんてすぐ言えるのに?」
「それはなんとも思ってないからだ。無感情の相手には恥もクソもないからな」
リオノーラのことになると恋愛偏差値ゼロになるのに、ほかの令嬢相手だとクズのチャラ男みたいな発言をするアベルにルイスは失笑する。
「……しかし、アベル様がそんなに恥ずかしがりやだと彼女は知らないでしょう? 彼女からすれば自分にだけ冷たいあなたは、自分を嫌っていると思っていたのでは?」
「……!」
ルイスの言っていることは至極全うであった。現にリオノーラはアベルの不器用を通り越した好意に気づくはずなく、自分は貧乏だから嫌われて、馬鹿にされていると思い込んでいる。
「そ、そうか。だからリオノーラは……俺の気持ちに気づいていなかったのか……」
「……情けなすぎて泣けてきますね」
衝撃的事実に体をピクピクと小刻みに震わせるアベルを見て、ルイスは右手を額にあてて呆れている。
「し、しかし! 俺が話しかけるといつもリオノーラは笑っていただろう!」
「ええ。それはそれは仮面のような感情のない素晴らしい笑顔でしたね」
「……あれは偽りだったのか!?」
自分も無感情で令嬢たちに適当な愛想を振り撒いておきながら、リオノーラにまったく同じことをされていたことにアベルは気づいていなかった。生まれてこの方、美貌と地位で異性からちやほやされることが当たり前だったアベルは、まさか自分に話しかけられて嫌だと思う女性がいるなどという考え自体が頭になかったのだ。
「マーシアにリオノーラについて相談した時は、今のままでバッチリだと言われたぞ!?リオノーラが暗い顔をしていたことに俺が悩んでいたら、恋しているから不安になっているだけとも言われた。後半はマーシアのアドバイス通り、押すのをやめて引いてみる作戦も実行したし――」
「アベル様はマーシア様に騙されたのですよ。マーシア様はアベル様を狙っていましたからね。リオノーラ嬢に嫌われるよう嘘のアドバイスをしていたのでしょう」
「なんだと……!」
「本当にバカ令息ですね……ふっ……」
一周二週回って愛おしくなるほどの純粋な不器用さに、ルイスはおもわず笑ってしまい緩んだ口元を手で覆い隠す。
「……俺はどうすればいいんだ。リオノーラは永遠にさようならと言っていた。もう俺は彼女に会えないというのか……」
王都から離れた場所に住んでいるリオノーラに自分から会いに行くのは可能だが、行ったとしても会ってくれるかはわからない。
「どうするかはアベル様、あなたの気持ち次第ですよ。これで諦めるなら諦めたらいいのでは? 彼女には嫌われてしまったのですから。無理にいばらの道に飛び込まなくたって、あなたを愛してくれる令嬢はたくさんいます」
「嫌だ。俺はリオノーラ以外考えられない」
アベルは即答する。やれやれどうしたものかとルイスが肩をすくめていると、扉をノックする音が聞こえた。
「失礼します。アベル様、エドウズ伯爵家から便りが届きました」
「私が代わりに受け取ります」
扉の近くにいたルイスが使用人が持ってきた封筒を受け取る。
「エドウズ伯爵家って――リオノーラ嬢の家ですよね? なぜ手紙が?」
「ああ……今朝、俺が先に手紙を送ったんだ。そちらのリオノーラ嬢を妻としてイースデイル公爵家に迎え入れる承認をくれと」
「いつの間に……」
絶対に告白が成功すると思っていたアベルは、勝手にエドウズ伯爵家に手紙を送っていたのだ。こんな結果になるとは夢にも思わずに。
「私が返信を読み上げましょうか?」
「どっちでもいい。答えはわかっている。なんなら見ずに破り捨ててくれていいぞ」
そうは言われても一応きちんと確認はしておきたい。ルイスはぺりっとシールを剥がし封を開けると、中に入っていたメッセージカードを見て動きを停止した。
「……どうした?」
なにも言わないルイスを不思議に思い、アベルはルイスのほうを見る。
「アベル様……これ」
ルイスに渡されたカードには、たしかにこう書いてあった。
〝エドウズ伯爵家、長女リオノーラ・エドウズはイースデイル公爵家、アベル・イースデイル様からの結婚の申し込みを承認いたします〟と――。