05.王の器
金華の民は、たとえ領主が一人で茶屋でお茶を飲んで団子を食べていても気にしない。それは風景の一部だ。よくある光景なのである。もうすぐ、彼女の護衛が迎えに来るだろう。
「話には聞いていたが、本当に一人か」
黒曜石の瞳がルイシーを見上げた。その顔に、相変わらず何の感情も見られない。
「そういうお前も一人か。ヨウリュとシャオエンだったか。二人はどうした」
「ヨウリュは買い出し中だ。シャオエンは『銀葉』の方にいるぞ」
「そうか」
勝手に隣に座り、自分もお茶と饅頭を注文する。リーリェンは何も言わなかった。
「地方の領主というのは、リーリェンのように気さくな人間ばかりなのか?」
京師で王という支配者を見て育ったルイシーは、茶と饅頭を受け取りながら何気なく聞いた。リーリェンは「さあな」と茶器をもてあそびながら答える。
「私も、金華以外を知るわけではない。ただ、父もよく街に出る人だった」
「生まれは京師なんじゃないか?」
十数年前まで、グォシャンは中央官吏だった。リーリェンも生まれは京師のはずだ。
「そうだな。だが、私が京師を離れたのは四つのころだ。ほとんど覚えていない」
そう返されて、ルイシーはむ、と眉をひそめた。
「すまん。女性に対して失礼なことを聞くが、リーリェンはいくつなんだ?」
「確かに面と向かってさわやかに聞くことではないな。今年、十七になったばかりだ」
ルイシーが禁軍を追放されたのが年明け。それから二か月ほど経ち、今は初春である。ちょっと前まで、リーリェンは十六歳の小娘だったわけだ。
「……二十歳くらいだと思っていた。大人びているな」
「誉め言葉だと思っておく」
すまし顔で彼女はそう答えた。改めてみると、包帯を解いて素顔をさらしたリーリェンは、言動よりも幼げな顔立ちをしている。十七歳とわかれば、むしろ大人びているほうだろう。
「京師はどんなところなんだ?」
珍しくリーリェンからの質問だ。たぶん、姉に関係することだから知りたいのだろうと思った。饅頭を飲み込み、口を開いた。
「華やかなところだな。政治は停滞しているが、経済は回っているな。異国のものも多いし、人も多い。同じだけ、犯罪率も高いな。金華の治安が良くて驚いた」
金華は法整備がしっかりしている。そのため、犯罪が少ない。何か起これば領主自ら殴りに行きそうだ。
「小さな領地だからな。目が行き届くということだろう」
そろそろ謙遜なのか自虐なのかわからない。ルイシーは饅頭を食べきると、お茶を飲んだ。足を組んで頬杖をつく。リーリェンはまだもぐもぐと団子を食べていた。彼女は美しく優秀だが、自己評価が低い。そんな気がした。
「いた! 姫様!」
「ああ、シンユー」
リーリェンは駆け寄ってきた自分の護衛を見て軽く手を挙げた。もう片方の手には相変わらず団子の串がある。自由だな……。
シンユーはルイシーに「どうも」と頭を下げると、自分の主に向かって言った。
「勝手に館を出ないでくださいよ! ズーランがかんかんです」
「それは恐ろしいな」
お茶をすすりながらリーリェンがさほど恐ろしくなさそうに言った。ズーランとはリーリェンの身の回りの世話をする侍女だ。ルイシーたちが初めて金華に来て、宮を訪れたとき出迎えてくれたのは彼女だ。あの時、リーリェンが宮で療養をしていたから、ズーランも一緒にいたのだ。
「ルイシーさんも、姫の相手をさせてしまってすみません」
「いや、俺は楽しかったからな。話しているとわかるが、リーリェンは頭がいいな」
にこやかにそういうと、シンユーが「頭がいいなら抜け出したりしないでください!」と半泣きに叫ぶ。そこに、別の声が混じった。
「リーリェン! あなたまた脱走してきたの!?」
「脱走言うな。ご苦労だな、シャンリン。待っていた」
「待ちなさい。そんなこと言ったらあたしのせいであなたが脱走してきたみたいじゃない。やめなさい」
「閉じ込められていたわけではないから脱走したわけではない。金華は私の街だ。私がどこにいようが、誰にもとがめることはできないはずだ」
かなりの極論であるが、確かにそのとおりである。リーリェンは金華の領主だ。金華の土地は、彼女の庭である。
「屁理屈!」
シンユーがツッコミを入れる。団子を食べ終えたリーリェンが立ち上がった。シンユーが剣を差し出した。
「抜け出すなら、せめて剣を持って行ってください」
「……持っていてもいなくても、そんなに変わらない」
「それでも、です!」
シンユーはリーリェンに剣を押し付ける。無表情のままそれを受け取り、リーリェンは帯剣した。その間にルイシーは茶屋に金を払い、戻ってきた。
「私の分は?」
気づいたリーリェンに尋ねられ、「払ってきた」と答える。領主だからと踏み倒したりしないらしい。リーリェンは自分の分の代金を返そうとしてくるが、ルイシーは断った。大した額ではないし、それに。
「なら、館まで同行させてくれ」
リーリェンの顔がゆがんだ。そんな表情でも、彼女は美人だった。シンユーはリーリェンが怒っている、と震えている。巫女のシャンリンは面白そうにルイシーとリーリェンを見比べた。
「……わかった。禁軍の出なら、腕もたつだろう」
何やら巻き込まれようとしているが、ルイシーにとっては期待していたことでもあるので、異論はない。妙な四人組は領主館に向かって歩き出した。
「時にシャンリン。祠はどうだった?」
祠? と思ったが、口を挟まないで置く。どうやら、シャンリンは数名の剣士とともにその祠を見に行っていたようだ。
「あー、駄目ね。修復が必要。でも、あたしたちじゃ神器に触れないわ」
「では、やはり私が行くしかないな」
「やめてくださいよ……それでこの前も重傷だったんでしょ」
シンユーが本当に嫌そうに言った。シャンリンも「それはちょっとねぇ」と渋面だ。リーリェンだけは表情が変わらないのでわからない。
「それでも行くしかないだろう。ほかに任せられるなら、私だって任せている」
おばば様を行かせるわけにはいかないだろう、とリーリェン。正確な年は聞いたことがないが、おばば様ことランウェンは相当の高齢だ。どこに行かせるのかはわからないが、長距離を歩くのは難しいだろうと思われた。
「私だってわかっている。前回は運がよかっただけだ。そして、私がいなくなれば、金華にはあとがない。どうあっても、私は死ぬわけにはいかない。それを踏まえて、私はやはり行かなければならない。結界が崩れることは、結局、金華が滅ぶも同義だからな。領主として、やることはやらないと」
「リーリェン……」
シャンリンが困ったように眉をひそめた。リーリェンの言うことは、まぎれもなく正しい。どこかの王にも聞かせてやりたい。
「同行者は選別する。できれば、ルイシーにも来てほしい」
「え? ああ」
軽く意識を別のところに飛ばしていたルイシーは慌ててうなずいた。主の決定にシンユーが眉をひそめた。
「ルイシーさんたちを信用してないわけではないけど、祠に行かせて大丈夫なんですか」
「もうここまで話した。かまわん。それに、前回、不測の事態があったとはいえ、事実として私は重傷を負った。あの時以上の手が必要だ。ルイシーは禁軍出身なのだから、護衛には慣れているだろう」
「まあ、本分は戦うことだけどな」
ルイシーが肯定すると、シャンリンがうなずいた。
「リーリェンの言うことは正しいわ。正しすぎてむかつくけど」
そういうのはリーリェンを心配しているからだ。シャンリンにまでそう言われ、シンユーもあきらめがついたようだ。
「わかりました」
本当はシンユーは、リーリェンを行かせたくないのだろう。そう思った。
「リーリェンは『王の器』だな」
館の前で別れるとき、ルイシーはおもむろに言った。リーリェンは直球に「意味が分からん。わかるように話せ」と言ってのけた。シャンリンが「リーリェン」と咎めるように名を呼んだ。
「言葉のままだな。リーリェンには主君たる資格があると思う。全体をよく見て、必要なことを理解し、行うという実行力がある。よい領主だと思うぞ、リーリェンは」
ちょっと自分に自信がなさそうだったので、そう言ったのだが、リーリェンは何度か目をしばたたかせた後、ふいっと顔をそむけた。
「……私は、そんな立派なものではない」
気に障るようなことを言ってしまっただろうか。ルイシーはシンユーとシャンリンを見たが、二人とも首をかしげていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
リーリェンは超自由人。