04.領主
風呂上がりに、庭の池の側でリーリェンを見た。大きめの岩に腰かけていて、ゆったりした着物を着ていた。顔の包帯はそのままだが、腕を固定していた三角巾は外れている。ルイシーは持ち前の意思疎通能力で話しかけた。
「こんばんは。お隣、よろしいか」
ゆっくりと片目だけの顔が上げられた。どうぞ、と抑揚のない声が言う。隣の大きな岩に半分腰を掛けるように座った。寄りかかっている、のほうが近いか。
「俺はリ・ルイシー。数日前からこの宮で世話になっている。よろしく」
「領主のヤン・リーリェンだ。こちらこそ、もてなしもできず申し訳ない」
やはり、かなりしっかりした娘だ。そう思うと、気さくに話しかけるのはまずいか、と思い始める。
「領主殿にこの口調は失礼でしたね」
リーリェンは横目でルイシーを見上げると言った。
「別にかまわん。禁軍の将だったのだろう。地位は私とそう変わらないはずだ」
「そうか。では遠慮なく」
ころっと対応を変えると、流石になんだこいつ、みたいな目で見られた。表情の変化がないので、なんとなくの雰囲気だが。
「今更だが、出歩いてていいのか? 怪我は?」
先日も護衛のシンユーが回収しに来ていたが、流石に夜に護衛の彼は彼女の部屋に入れないだろう。そのすきをついて抜け出してきたらしい。
「見た目ほど怪我はひどくない。みんなが気にしすぎなだけだ」
「だが、三日以上意識がなかったんだろう」
「よく知っているな」
少し、怪しむように見られた。ほぼ初対面の男とこれだけ会話が続くことにも驚く。人見知りのない性格なのかもしれない。だが、ちゃんと警戒心もある。リーリェンがルイシーを『何もしてこない』と判断しているのだろうし、何かがあってもい逃げられる自信があるのだろう。
「そもそも、ズーユンを外で助けて、ジュカンと出会ったからな」
そう言ってルイシーが肩をすくめると、「ああ……」とリーリェンはうなずいた。納得したらしい。
「どうして怪我をしたのか、聞いてもいいか?」
「……どうということはない。妖魔退治に出て、負傷した。神官見習いを一人死なせてしまった……」
見る限り表情の変化が皆無な彼女だが、今は少し瞳が揺れた気がした。感情がないわけではなく、それが表に出てきていないだけなのだろう。神官見習い……ルイシーが巫覡だと判断した者たちは、神官だったわけだ。一人死なせてしまったと言ったが、彼女は恐らくズーユンをかばっている。かばって重傷を負ったから、ズーユンが気に病んだのだろう。推測だし、聞かないけど。
「君たちは何故金華に来た。領主が代わったことを知らなかったそうだが」
「ああ……グォシャン殿を頼ってきたのは確かだ。面識はないが」
「それは当てが外れて申し訳なかった」
リーリェンが鼻で笑うような調子で言った。それはルイシーを笑っているというより、自嘲しているようだった。ルイシーはふっと笑う。
「確かに当ては外れたのだろうが、リーリェンに会えたことは悪くないと思っているぞ」
京師にはいない種類の女だ。話していて気持ちがよかった。
「さすがにそろそろ戻ったほうがいいのではないか?」
夜も遅い。さすがにそろそろリーリェンがいないことがばれるのではないだろうか。この場面も、見つかったらまずい。主にルイシーが。そう思って立ち上がったのだが、袖をつかまれた。
「待って。……一つ、教えてほしい」
「何?」
リーリェンは片方しか見えない瞳をさまよわせた。それからおずおずと見上げられる。
「ルイシーは禁軍の将だったのだろう。私の姉に会ったことはあるか? 元気だろうか?」
たぶん、これが聞きたかったのだろうとルイシーは察した。だから、彼の話に付き合ったのだ。
「俺が最後にお会いしたのは三か月ほど前だな。見た限りでは元気だったぞ」
「そうか……」
どこかほっとしたようなリーリェンに、ルイシーはその先の言葉を飲み込んだ。リーリェンの姉リージュは王のお気に入りで、後宮内では女の争いが絶えない。自殺者も多いし、刃傷沙汰も絶えない。リーリェンなら察しているだろうし、あえて言うことではないと思った。
「……文のやり取りなどはしていないのか」
「父が生きていたころは、していたな。だが、文面ではわからない。姉は自分が不調でも笑って『大丈夫よ』という人だった」
なるほど、とルイシーは思う。見たところおっとりした姉と気の強い妹、という感じだが、根本的なところは似た者姉妹のような気がするルイシーである。
それにしても、父が生きていたころは、と彼女は言った。彼女の父が亡くなったのは半年前の話である。今はどうしているのだろう。
「グォシャン殿が亡くなってからは?」
「文を出しても、返ってこない」
「……そうか」
実績のあったグォシャンではなく、突然出てきた娘が領主名で文を出すため、どこかで握りつぶされているのかもしれない。
さすがのルイシーも何といえばいいかわからず口をつぐむと、リーリェンはするりと岩から降りた。ルイシーは慌てて手を差し出す。彼女はふらつくことなく地面に足を付けた。
「ああ、ありがとう」
「い、いや。大丈夫だったな」
一応礼を言ってくれたリーリェンにルイシーは半笑いで言った。リーリェンは相変わらず表情が動かない。
「送ろうか?」
「いや、抜け出したことがばれるからいい」
やっぱりこっそり出てきていた。ルイシーは肩をすくめてリーリェンを見送る。杖は必要なくなったようだが、まだ足を若干引きずっていた。
「おい、お前も何してる」
「あ、ばれてました?」
ひょこっと顔を出したのはシャオエンだ。
「ヨウリュさんに見て来いって言われて」
「別に平気だがな」
そう言って肩をすくめるルイシーに、でも丸腰でしょう、とシャオエンは笑った。
「リーリェン様、大丈夫ですかね」
「思ったよりは元気そうだったな」
初見でかわいい、というだけあり、シャオエンはリーリェンのような顔立ちが好みなのだろうか。
「……お前、ああいう顔が好みなのか」
「え!? いや、好きかと聞かれれば好きですけど」
「そうなのか……」
「あ、大丈夫ですよ。俺はルイシー様について行きます!」
「そういう意味じゃない」
別にリーリェンにつられて金華に根付きそうだとか思ったわけではない。自分でもなぜそんなことを聞いたのかわからないが。
「とにかく、戻りましょう。ヨウリュさんに怒られちゃう」
「……あいつ、俺たちの母親なのかって気がしてくるよな」
「ああ~。なんとなくわからいます」
そんな阿呆な会話をしながら、二人はあてがわれた部屋に戻り、仲良くヨウリュに叱られた。
療養を終えたリーリェンが自分の館に戻るころ、ルイシーたちも宮を出て借りた家に移り住んだ。男三人のむさくるしい暮らしだが、三人とも身の回りのことはできるので意外と不便はない。
街の住民たちも親切だった。どうやら、あの日、リーリェンが啖呵を斬ったのが効いたらしい。領民たち曰く、うちの姫様は見る目が確か、なのだそうだ。それにしても、領主ではなく『姫様』なのだな、と思った。
その姫領主は領民に愛されていた。驚くほど表情に変化がないが、優しく、気が利き、土地を治めることだってちゃんとわかっている。ふらっと街に降りてきて茶屋で団子を食べているところを迎えに来たシンユーに連れ帰られることもあるし、その辺の道で子供たちに文字を教えていたりした。つまるところは変人の天然ボケであるらしい。ルイシーが話した限りでは、しっかりした印象だったので少し意外だ。
そして、彼女は確かに茶屋で一人でぼーっとお茶を飲んでいた。
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金華はめちゃめちゃ治安がいい。