特別編:その9
雪かきは、その冬の禁軍の訓練の一つになった。これがなかなかいい訓練になるのだ。全身訓練、と言ったところか。
そんな、年も明けからしばらくたったころの話である。ヨウリュとズーランが連れ立って面会を求めてきた。ルイシーにではない。女王リーリェンに、だ。当然であるが、兵部尚書ヨウリュも、女王の侍女であるズーランも、リーリェンが上司になる。何かをするなら、リーリェンの許可が必要なのだ。例えば。
「ズーランと結婚しようと思うのですが、許可をいただけますか」
こういう時とか。ルイシーは思わず咳き込んだが、リーリェンは先に聞いていたのか、いつも通りの調子で「許可する」と言ってのけた。ついでに咳き込むルイシーの背中をさすってくれた。
「お前にしては急だな」
「リーリェン様は私をなんだと思っているんですか。というか、あっさり許可をくれたことに驚きました」
「お前こそ、私をなんだと思っているんだ。そこまで狭量ではない」
似たようなやり取りをしてリーリェンはヨウリュとズーランを見比べた。
「おめでとう、というべきなのだろうな」
そこに少し複雑な思いを感じ取り、ルイシーは口こそ挟まなかったが、ちらりとリーリェンを見た。その横顔は、いつも通りの静謐さだ。
「う~。ありがとう……でね。もう一つ言わなきゃならないことが……今、妊娠してて」
「それはよりおめでたいな」
「一昨日わかって。四か月で」
「妊娠ってそんなに気づかないものなのか?」
「……リーリェン」
ズーランがちょっとかわいそうになってきたので、ルイシーはリーリェンを止めた。まあ、四か月も気づかないことは珍しいが、全くないわけではない。たぶん。初期症状も軽いのだろう。思い返してみても、具合が悪そうだったり、行動が不振だった記憶はない。
「そうなんだけど~。でね、少なくとも一時的には侍女をやめないといけないと思うの」
「それはそうだな」
ズーランの言葉に、リーリェンはうなずいた。ということは、代わりの侍女が必要だ。ズーランは、ほぼ一手にリーリェンの世話を引き受けていた。
「女官長がいるからある程度は何とかなると思うけど、どっちにしろ、もう一人いた方がいいと思うのよ」
ズーランがやけにきっぱりと言った。リーリェンが少し不安そうに尋ねる。
「負担だったか?」
「んーん。あたしは楽しかったし」
明らかにほっとした様子で、リーリェンは「そうか」と言った。男二人は仲の良い妻(予定)をそれぞれ見つめる。なんだか疎外感。
まあ、人の面倒を見ると言うのは向き不向きがある。例えば、リーリェンの身支度を整えるのが楽しかったと言ったズーランは、侍女にはなれるが官吏にはなれないだろう。逆に、効率に重点を置きがちなリーリェンは恐らく、侍女には向かない。ただ、全く世話ができないわけではないので、教師くらいにはなれるのではないだろうか。
「今は大丈夫だけど、どうしても産むときに離れるのよね……心配!」
ズーランが本気で不安そうに言うので、ルイシーが提案した。
「リーリェンの身支度、俺が手伝ってもいいぞ」
もともと、母の世話をしていたことがある。まあ、ズーランほどうまくはないだろうが、他の女官だっている。何とかならなくはない。いい案だと思ったのだが、リーリェンに却下された。
「寝言は寝てから言え」
「それ、久々に聞いたな……」
だいぶリーリェンの態度も軟化していたのだな、と思った。
どちらにしろ、侍女は必要だ。だが、リーリェンには京師での基盤がない。ルイシーも似たようなもので、正直この女王夫妻は大丈夫なのか、と自分で思った。
結局、ヨウリュの従姉の娘に来てもらうことにした。十五歳のその少女は、メイメイと名乗った。細身の少女で、仕事に問題はない。引き継ぎのためしばらくズーランと一緒に行動しているが、呑み込みも早いようだ。しかし、以上に怖がりで、特にリーリェンを怖がっていた。
がしゃん、と陶器が割れる音がした。メイメイがリーリェンにお茶を出そうとして、謝って床に落としてしまったのだ。
「も、申し訳ありません!」
青ざめたメイメイが割れた茶器を拾おうとしゃがんで手を伸ばす。その手も震えていて指を切った。
「大丈夫か」
リーリェンが驚いて立ち上がり、メイメイに手を伸ばした。彼女は小さく悲鳴を上げて「申し訳ありません!」とその場に膝をつく。熱い茶と陶器の破片がある場所だ。
「違う。怒っていない。とりあえず立ち上がれ。火傷していないか? 片づけは別の者にやってもらおう」
「も、申し訳……っ!」
ちゃんと心配しているのだが、淡々とした口調がメイメイの恐怖をあおってしまったようだ。ルイシーが間に入る。
「リーリェン、お前が先に立て。メイメイは別の女官を呼んできてくれ」
「は、はい……」
ルイシーの指示に適切に従ったメイメイに、リーリェンは釈然としないようだ。
「何故だ……」
「お前の口調がきついんだろ」
「ルイシーだって大して変わらんだろう」
むっとしてリーリェンは言うが、何というのだろうか。抑揚がないのだ、リーリェンの言葉は。しかもきっぱりしているためきつく聞こえる。気の弱いものは怖がるだろう。そして、リーリェンの『冷血女王』という呼び名が先走っているような気がした。
表面だけ見れば、確かにリーリェンはとっつきにくいし『冷血女王』という名称がふさわしく見える。メイメイは先入観が強すぎる気がするが、まあ、おおむねの認識としてそれは間違っていないのだが。
「……まあ、お前が可愛いということは俺たちだけが分かっていればいいとも思うが、これはちょっとな」
女官に茶器を片付けさせ、ルイシーはリーリェンにもやけどなどがないことを確認した。メイメイは戻ってこなかった。まあ、戻ってこられる状況ではないだろう。
「さすがに傷ついたか」
卓子に突っ伏したリーリェンの背中を撫でる。いくら合理主義者で表情筋が仕事を放棄していても、感情がないわけではないのだ。ルイシーたちから見ればかなり表情が柔らかくなったが、他から見ればまだ無表情の域を出ないだろう。最近、可愛いと言っても本気の返答で「可愛くない」と返ってこなくなったので良しとしていたのだが、甘かっただろうか。
消沈しているリーリェンを見て、様子を見に来たズーランは笑った。
「あたしの前では普通ですよ。侍女としては優秀だと思う。これはリーリェン様の問題ですね」
「……」
やはりそうか、とルイシーは苦笑を浮かべたが、リーリェンはため息をついた。こういう面を見せてくれるだけ、かなりましだと思うのだが、それはやはり、リーリェンをよく知っている人間が思うだけなのだろうか。
「一度話してみればいいと思うのですけど?」
「会話にならん」
「でしょうねぇ」
ズーランも苦笑を浮かべた。こればかりは時が解決するのを待つしかない気がする。だって、メイメイのおびえようがすごい。
「あ、ルイシー様に甘えているところを見せつけてみるのはどうでしょう? 刺激が強すぎるかしら」
母となる女は強かった。『冷血女王』と呼ばれる女性に向かって、そんなことを言った。いくら友人とはいえ、気が強い。
「俺は一向にかまわないぞ」
それで状況が改善するとは思えないが、やると言うのなら否やはない。だが、リーリェンからは一言。
「寝言は寝てから言え」
言うと思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
いつか必ず来る話。
IFの話も、あと2話くらいですかねぇ。




