03.主上
金華の街に到着してから三日。その日も、ルイシーたちは街に出ていた。生活するにあたって物が必要なのである。物件も、いくつか空き家があるはずだから覗いてくるといい、とランウェンが教えてくれた。彼女の慣れた様子から見ると、流れ着いて住み着くやつが一定数いるようだ。
小さな都市にしては、物資も充実している。通商がしっかりしているのだろう。おそらく、先代領主のグォシャンが整えたのだろうが、半年たった今でもちゃんと維持できているということは、リーリェンにもそれなりに能力があるということだろう。
着物や消耗品などを買いそろえ、物件を見て回っていた時だった。ぐにゃり、と何かがゆがむ気配を感じた。ランウェンによると、金華には結界が張られているらしいので、それがゆがんだのだろうと思われた。
「だれか、『銀葉』の人呼んで来い!」
「おばば様、おばば様!」
金華の人たちが逃げ惑い、逆に人の流れに逆らい、現場と思われる方へ向かっていくのが『銀葉』の剣士たちだろう。いや、剣士じゃなくて射手もいるかもしれないが。弓を持っている。
なんとなく三人顔を見合わせ、ルイシーたちもそちらへ向かった。妖魔が結界を突破してきてしまったらしい。しかし、そこは妖魔退治のおひざ元。さっくりと退治されていた。ルイシーたちも駆けつけたが、最後に向かってきた妖魔を一体切り捨てただけだった。
「……強ぇえ」
つぶやいたのはシャオエンだった。荷物を押し付けられたヨウリュは遅れてやってきて、「どちらかというと、連携がしっかりしている気がします」と言った。それぞれ役目が決まっていて、その役に徹しているから切りあうことがないのだろう、というのがヨウリュの意見だった。なるほど。
なんとなくそのまま去るのも気が引けて、何か手伝えることはないかと尋ねた。ほとんどの者がルイシーたちが、ジュカンに連れられてやってきた外の人だと知っていて、ひとまず片づけをお願いされた。
「おい! お前ら、何食わぬ顔で参加してんじゃねぇよ!」
怒鳴ってきたのはルイシーと変わらないくらいの年齢に見える青年だった。帯刀しているから『銀葉』の一人なのだろう。おい、と呼び止められているが、青年は止まらなかった。
「お前らが連れ込んだんじゃねぇのか、ああ!? 俺はずっとここに暮らしてるが、妖魔が入り込んでくることなんてめったにねぇんだよ!」
ルイシーの胸倉をつかみ上げる。ヨウリュが反論しようと口を開きかけ、シャオエンがルイシーを護ろうと剣の柄に手をかける。すわ乱闘になるかとみんな身構えたとき、鋭い声が飛んだ。
「お止め!!」
一斉に声のした方を見る。そこにいたのは、肩で息をした少女だった。黒い袍をまとい、男の格好をしているが、明らかに美しい少女とわかった。顔の半分が白い包帯に覆われ、左腕も固定されてつられている。足も怪我をしているのか、右手で杖をついていた。
「娘娘」
慌てたように領民の一人が少女に駆け寄る。娘娘は身分の高い女性に対する呼びかけだ。王妃などに使うことが多いが、一地方とはいえ領主である女性に使うのは、珍しいがありえない話ではない。
彼女が、金華の現領主ヤン・リーリェンなのだ。
「妖魔が入ってきたのは、私の力が揺らいだためだ。彼らのせいではない。おばば様も、ジュカンも、彼らが滞在しても問題ないと判断したのだろう。なら、お前たちが異議を唱えることはない。もし問題があれば、ここに来たことを後悔させて私が放り出してやる」
ここまで一息で言い切ったが、彼女は咳き込んだ。娘娘、と肩を支えていた男が彼女の体に手を回す。そうしないと支え切れないのだ。それを見ていたルイシーの胸倉をつかんだ青年は、気まずそうにそろそろと手をほどいた。ひとまず、シャオエンも臨戦態勢を解く。
「姫ぇ!」
二十歳ばかりの青年がかけてきた。宮の中で見たことのある青年だ。てっきり巫覡の一人かと思っていたが、違うらしい。胡服に身を包み、帯刀していた。
「シンユー! どこ行ってたんだお前娘娘の護衛だろ!」
「俺たちが目を離したすきにいなくなっちゃったの! 行動力ありすぎなのこの人!」
「シンユー……うるさい」
迎えに来たのにリーリェンにまで苦情を言われて、シンユー、半泣きである。ヨウリュが「愉快な人たちですね……」とちょっとあきれていた。
「とにかく、帰りますよ。ほら」
リーリェンを抱き上げたシンユーは、すみませんでしたぁ! と声を反響させて去って行った。再びリーリェンに「揺れて苦しい」と苦情を言われている。なんなのだろう、あの主従。ヨウリュがリーリェンを助けていた男に声をかける。
「あの、今の女性が」
「ああ。金華の女領主ヤン・リーリェン様だ」
「ですよね……」
ヨウリュがため息をついた。
「改めまして、ス・シンユーと申します。ご迷惑をおかけしました……」
領主の護衛シンユーが、宮に戻ってきたルイシーたちに頭を下げた。いや、監視していなかったのは彼らの責任かもしれないが、重症なのに出てきてしまったリーリェンが一番悪いだろう。
彼が宮にいる理由は簡単で、リーリェンが宮で療養していたからだ。領主館に誰もいないわけではないが、そちらで暮らしている母親とそりがよくないらしい。そう言っていたわけではないが、なんとなく言葉尻からそう察した。
「なかなか愉快な領主様ですけど、彼女、慕われていますね」
彼女の一喝で状況が収まるということは、そういうことだ。ルイシーもうなずいた。
「ああ。上に立つ者の品格がある」
ここで療養していたことをランウェンたちが言わなかったのは、言う必要がない、と判断したからだ。隠していたわけではない。らしい。
「ていうか、顔半分でしたけど、かわいかったですね」
顔に傷が残らないといいけど、とシャオエンが言う。確かに、彼の言う通りかわいらしい……というか、きれいな娘だった。姉のヤン昭容がルイシーと変わらないくらいの年なので、リーリェンは二十歳前後と思われるが、もしかしたらまだ十代かもしれない。
「……主上に知られれば、妹の方も召し上げるかもしれないな」
「……」
ヨウリュも、シャオエンですら顔をしかめた。二人とも、ありえる、と思ったのだろう。ヤン昭容が後宮に召し上げられたのは今から五年前。とすれば、リーリェンはまだ本の小娘で、王の目に留まらなかったのだろう。成長した今ならば、わからない。気が強そうだが、王は珍しいものや新しいものが好きだ。長すぎる生に空いているのだろう、と誰かが言っていた。
僑国の国王ワン・スーユェンは英雄だ。ただし、百年前の。この国の国王は年を取らない、不老長寿の『旧き友』なのだ。このあたりでは、単純に仙人と呼ばれることもある。国王は、百年もの間僑国に君臨していた。
戦火にあれる僑をまとめ上げた英雄だった。決して、暗君ではなかった。頭脳明晰で人柄もよく、世の中がよくなっていくのが分かったそうだ。こんな時代がずっと続くと、当時の人たちはそう思っていた。
だが、長い時は彼を変えた。上に立つ素質がなかったわけではない。だが、確かに、確実に変わっていった。その変化は緩やかで、今、こんなに人々が苦しめられるなんて、誰が思っただろう。
税が特別高いわけではない。払えないほどではない。しかし、払ってしまうとぎりぎり食えるほどしか残らない。崩れた堤がそのままだ。妖魔が出ても対応しない。邪な官吏が好き勝手しだす。そんな国だ、ここは。いうなれば、法がない。秩序がない。曲がりなりにも守っていたグォシャンやルイシーは追い出された。
王は国を治めることには飽いたようだが、通常ならば来るはずの寿命がなかなか来ない。あと百年は居座るだろう。このままなら。
どうにかしたい、と思っているわけではない。しかし、このままこの国はどこへ行くのだろうか、とは思う。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
長寿のものが国を治めたら、と言う話。十二〇記に近いですが、こちらには天はいませんからね……でも、『旧き友』なので、あと百年くらいで寿命は来る。