34.そして
最終話。
前は歩いて入った後宮の門を、今度は輿に乗ってくぐる。リーリェンが通されたのは、内宮だった。一応、リージュと対面させようという気づかいらしいが、激しく余計なお世話だし、リージュに至っては怒っているだろう。おとなしく妃嬪に納まるつもりはないとはいえ、ちょっと気まずい。
だが……おそらく、後から聞いた話を総合すると、その事件はほぼ同時に起きた。
まず、リーリェンが通された謁見室では、リージュが床に倒れていた。さしものリーリェンも悲鳴をあげる。
「姉さん!」
駆け寄って抱き上げ、脈を確認すると、気を失っているだけだった。ほっと息をついたリーリェンの頭上に影が差した。リーリェンはリージュを抱きしめて顔を上げる。
ふっと笑ったのはこの部屋の主であるスーユェンだった。にらみつけるリーリェンに、「怖い顔だ」をあざ笑うように言う。
「私に襲い掛かってきたのでな。命を奪っていないんだ。優しいだろう?」
「……」
リーリェンは無言でこの国の王をにらみつける。王は不自然に置かれていた卓につく。
「妹を召し上げてくれるなと訴えてきたな。麗しい姉妹愛だな」
リーリェンは黙ってスーユェンをにらむ。完全に初動に失敗した今、次の手を考えねばならない。
「お前も私を討ちに来たんだろう」
そう言われて表情を変えるほど、リーリェンも落ちていない。スーユェンは卓に頬杖をついて笑った。
「なるほどな。姉の方はそう言うと顔色を変えたが。面白い。座れ。少し話をしよう」
これは提案ではなく、命令だ。リーリェン一人ならともかく、リージュもいる。リーリェンは長椅子に姉を寝かせて羽織っていた褙子をリージュにかけると、スーユェンから目をそらさずに向かい側に座った。
「若いのに、大した胆力だ。外ではルイシーが反乱を起こした。自分が王の息子だとな」
禁城の奥にあるこの場所では、外はうかがい知れない。だが、ルイシーが乱を起こしたのは本当だろうと思われた。本人がそう言っていたのだから。
「お前のために二人の人間が命をかけるか。罪な娘だ」
ふっと笑ってそう言ったスーユェンに、リーリェンは突然ピンときた。目を見開いてスーユェンを見る。
「お前か」
「うん?」
半笑いでスーユェンがリーリェンを見た。間違いない。この男だ。
リーリェンも、ルイシーも、誰かに踊らされているのだと感じていた。明らかに、誰かの筋書きの通りに動かされているのだと。
こいつだ。この男だ。この筋書きを用意したのは。
「あなたは何がしたい。姉さんやルイシーに自分を狙わせて。死にたいとでもいうのか」
彼女にしては珍しいほど感情のにじんだ声音だったが、はたから聞けばそれほど感情の揺れが見られるほどではない。それをもってスーユェンも「大した胆力」と称したのだろう。
リーリェンの追及に、王は軽く笑う。
「焦点はお前だ」
「そう言う話ではない!」
これは怒りだ。利用されたことに、激しい怒りを覚えた。
ルイシーを、姉を、リーリェンを利用したことが許せない。いや、リーリェンのことはいいのだ。結局、後宮に召し上げられるという話がなくても、いずれこうなっていた気がする。
どこからがどこまでがこの男の筋書きなのだろう。ルイシーが一度、禁軍から追放されたところから? それとも、もっと前……リージュが召し上げられたところ……いや、グォシャンが追放されたところからか?
少なくとも、身ごもったルイシーの母を追い出したこの男は、ルイシーの母・リ氏が身ごもった子は自分の子だと認識していたはずだ。そう言う力があるのかもしれない。そして、気づいていないふりをしていた。
と言うことは、リージュやリーリェンが、自分が追い出したグォシャンの娘だと気づいていたのだろう。むしろ、知っていて後宮に召し上げたと考えるほうが自然だ。
それが。
それが、意味することは。
スーユェンは「リーリェンが焦点」だと言った。彼はわかっていたのだ。リージュが、妹をかばうために後宮に召し上げられたこと。ルイシーが、リーリェンのためになら、王にも歯向かうだろうこと。……リーリェンが、結局金華を見捨てられずに行動を起こすこと。確かに、自分が焦点であることを認めざるを得ない。
「私を召し上げると言えば、姉さんはあなたに止めてくれと訴えるだろう」
春に訪れた際に、そのことはわかっただろう。リージュは明らかにリーリェンをかばう風だった。
「……ルイシーは、あなたの子供だと知られても、それだけなら自分が消えるだけですませたはずだ。けれど、そこに私が召し上げられると聞けば……うぬぼれでなければ、私を救おうとするだろう」
本当にそうなるかは賭けに近い。だが、スーユェンはどちらでもよかったのだ。行動を起こされてもいいし、何もなく終わってもよい。その結果、自分が死んでも構わないし、相手が死んでも構わない。スーユェンが低く笑う。
「いい洞察力だ。百年前なら部下に欲しかったな……」
「百年前でも、部下にはならないだろうな」
自分でも自尊心が強い自覚がある。小さな自尊心であるが、何が起こってもこの男の下につくことはない。結局は、そう言うことなのだ。
「そうだな。お前は部下や妃で収まるような女ではない。王の器と言うやつか」
同じことを、ルイシーにも言われた。リーリェンはそんなたいそうな女ではない。わがまま身勝手で、何もできないただの女だ。ちょっとばかり責任感は強いかもしれないが。
「だが、姉よりお前の方が好みではあるな。そんな女を屈服させるのは悪くない」
「……っ、下種がっ!」
一瞬動きを止めたリーリェンは、次いで勢いよく立ち上がって身を引いた。理性より先に体が危機を訴えて距離を取ろうとしたのだ。スーユェンはリーリェンの反応に笑う。
「立派な領主でも、男に手を出されるのは怖いか。後宮に入るとは、そう言うことだぞ」
手首と顎をつかまれる。払いのけようとするが、力の差でそれができない。
「殺されてもいいと思っているのに、そんなことを言うのか」
「ルイシーでは、ここまでたどりつけまい」
「妹から離れて!」
いつの間にか起き上がっていたリージュがスーユェンに向かって簪を振り上げた。
「姉さん!」
リージュはスーユェンが無造作に振り払った腕にあえなくはじかれた。床に倒れこむリージュを助けようと、リーリェンはスーユェンを振り払おうとする。空いているほうの手で簪を抜いて振り上げる。リージュのものは普通の簪だったが、リーリェンのものは暗器だ。ある程度の訓練を受けているリーリェンが振り上げた暗器は、スーユェンの首に刺さった。解放されたリーリェンはリージュの側に膝をついた。
「姉さん!」
肩を叩き、頬も叩くが、反応がない。口元に手を当てると、息をしていなかった。脈も感じられない。おそらく、倒れたときに頭を打ったのだろう。おそらく、即死だったのではないだろうか。
「……」
姉の目を閉じさせて、はじかれたようにスーユェンを見る。彼も横たわった真ま動いていなかった。しゃがみ込んで確認すると、彼も息がなかった。リーリェンは震える手で口元を押さえる。
こんなに、こんなにあっけなく、人は死ぬ。わかっていたのに。
これからどうなる。いや、考えなかったわけではない。政治を行ってはいなかったが、スーユェンが『王』として存在していたことで、僑は成り立っていた。それがいなくなった今、誰かがこの国を束ねなければならない。かなり、もめるだろう。だって、誰も考えていなかったはずだ。スーユェンが死ぬなんて。
このままリーリェンも命を終えるのだろうか、と考えていた時、肩を叩かれた。
「リーリェン様」
「……ヨウリュ」
リーリェンの肩を叩いたのはヨウリュだった。座り込んでいたリーリェンは、ヨウリュの方へ顔を向ける。
「これはリーリェン様が?」
「……そうなるな」
いっそ潔く彼女は言った。今は呆然としている場合ではないと立ち上がる。
「宮廷内は?」
「ルイシー様の兵を動かし、制圧しました。各省庁長官も拘束しました」
「……そうか。外の様子は?」
内側が制圧されたのなら、外も落ち着いているだろう。ルイシーは自分が外でおとりになり、内側からヨウリュに禁城を制圧させたのだ。
「おおむね落ち着いておりますね。民間人にも被害は出ていません。抵抗するものは拘束しておりますが」
「禁城の中にも、主上に翻意を抱く者がいたのか」
禁軍の場合は単純に将軍であるルイシーに従っただけの可能性もあるが、深く考えないことにする。今は状況を収集するのが先だ。
「まず、最高責任者を決めなければ」
そう言ったリーリェンに、ヨウリュは「落ち着いていますね」と浮かない顔で言った。
「リーリェン様。あなたが女王になるべきです」
「そうだろうか。ワン・スーユェンを殺したのは私だが、王の子であるルイシーの方が、民も納得するのではないか」
「……いえ」
珍しく歯切れの悪いヨウリュに、リーリェンは首を傾げた。
「はっきり言え」
ヨウリュは「倒れないでくださいね」と言った後に、一呼吸おいてから答えた。
「ルイシー様は、亡くなられました」
「……は?」
「よって、リーリェン様が最もふさわしいかと思います」
とっさに判断ができなかった。ただ、驚愕の表情を浮かべて、口を開けた。
「え……?」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ナレ死するルイシー氏…。たとえ生きていたとしても、リーリェンが女王になる運命は変えられませんが。
もう1話、終章を投稿して、本編終了とします。
お付き合いくださった皆様、ありがとうございます!




