31.転機
リーリェンは金華に帰る前にもう一度、リージュに会うことが叶った。そして、やはり彼女の侍女には敵視されている気がした。
「帰ると聞いたわ。気を付けてね」
「ああ、ありがとう。……馬車に長時間揺られるのが憂鬱だけど」
また馬車酔いしながら帰らなければならない。リージュは面白そうにくすくすと笑った。
「昔、京師を出て金華に向かうときもそうだったわ。楽しそうにはしゃいでいたと思ったら、静かになって。到着するころにはお母様の膝の上でぐったりしてたわ」
「……」
六歳も年が違うので、さすがにリージュはよく覚えている。リーリェンは全く覚えていないので、昔からなのか、と思っただけだ。それならば仕方がない。
それに、昔は母に甘えていたのか、とも思った。京師に行く、と言ったらなじられて止められたが、それをうっとおしく思ったほどだ。……なんとなく、心配してくれたのだとは、わかるけれど。
難しい顔をしていたのだろう、「えい」とリージュに眉間を突かれた。後ろにのけぞって眉間を手で覆う。
「何」
「眉間、しわになってたわよ。可愛い顔が台無し」
「身内びいきも甚だしいな」
しれっと言ってお茶をすする。侍女が「昭容の言うことを否定するのか」とばかりににらんでくるが、それにひるむほどの可愛げはリーリェンにはない。
「それが今のあなたなのね……私は、小さい頃のあなたしか覚えていないもの。どこでそんなにひねくれてしまったの?」
「私の人生を振り返ってみて、まっすぐ育てと言う方が難しい話だな」
仲のよかった姉が突然召し上げられ、父も急死して準備が整わない間に領主を引き継ぐしかなかった。病死だったため父の残した役人は丸々残っていたが、最終判断を下すのはリーリェンだ。頼りのはずの母は嘆くばかりで役に立たない……今となっては、もう少し話を聞いてあげてもよかったと思うけど。
「私もなかなかだと思うけどあなたもなかなか波乱万丈よね……」
リージュが笑ってお茶に口をつけた。これでもリーリェンはかなり落ち着いた方だ。一番ひどい時を見ていないので、姉もこれくらいの感想で済ませられるのだろう。
「名残惜しいけれど、お別れね」
「ああ……姉さんと話せてよかった」
別れ際、お互いを抱きしめながら言った。リージュはそのまま、リーリェンの耳元でささやく。
「引き留められないうちに、速く金華へ戻るのよ」
「わかった」
引き留められる……誰に? と聞くほどリーリェンも鈍くはない。この流れで考えれば、スーユェンに、だろう。
「じゃあね。お母様とも仲良くするのよ」
「……善処する」
難しい顔でそう答え、リーリェンはリージュと別れた。もう、一生会えないかもしれない。別れが悲しくないわけではないが、もはや生きる世界が違う。
「よう、リーリェン」
「……何をしているんだ」
後宮の門を出てすぐの待機場所で、ルイシーとヨウリュ、シャオエンが待ち構えていた。ズーランとシンユーは当然のような顔をして三人と話している。思わずリーリェンは額に手をあげた。
「リーリェン様、大丈夫ですか?」
「体調的にはすこぶる元気だ」
慌てて駆け寄ってきたズーランに、リーリェンはそう答える。リーリェンが帰ると言うので、ルイシーたちが見送りに来たのだと言うのはわかるが、仕事はどうした。まあ、金華にいたころのルイシーたちは、リーリェンに対して同じことを思っていそうだが。
「結局ひと月と少しか。もう行くのか?」
「ああ。耳目を集めすぎた」
歩きながらそう言ってのけるリーリェンに、ルイシーは苦笑した。彼女の頭の上から小袋が差し出された。思わず手を差し出すと、掌にその小袋を落とされた。
「何?」
「餞別ではないが、生姜の飴だ。道中になめろ。馬車酔いにいいらしい」
「……そうか。ありがとう」
ありがたくいただいておく。本当に効くかは不明だが、空腹でも満腹でも酔いやすいと聞いたので、持っていて損はないだろう。
「寂しいですねぇ」
シャオエンが言った。リーリェンも寂しくないわけではないが、姉に会えたのでそれなりに満足している。それに、あまり長居すると、本当に後宮の争いに巻き込まれかねない。姉もそんなことは望んでいないので、巻き込まれるくらいなら、彼女はもう京師に来ることはないだろう。姉の口ぶりでは、リーリェンに夫がいたとしても関係がないようだったし。
ルイシーやヨウリュはこのことを知っているのだろう。ヨウリュが笑って提案した。
「休みが取れたら、また金華をうかがいましょうか」
「うわぁ! お待ちしてますね」
ズーランが嬉しそうに言った。彼女も寂しかったらしい。まあ、これだけ仲良くなれば、多少は。リーリェンですらそうなのだ。
「そうだな。歓迎しよう」
「……お前が言うと、ちょっと怖いな」
普通に歓待するつもりで言ったのに疑われ、リーリェンはルイシーをにらんだ。機嫌を損ねたことに気づいたのだろう。悪かった、とルイシーがリーリェンの背中を叩く。
「気を付けて帰れよ」
「そうだな……私は大体寝ているような気がするけど」
「代わりに俺が見ておきますよ」
シンユーが笑ってリーリェンに言った。ズーランは、「そんなことを言うのは珍しいわね」と笑っていた。
禁城から一度宿屋に戻り、留守番だった二人を拾い、荷物もまとめて馬車に乗り込む。一応進行方向に向かって座ったが、あまり意味がないのはわかっている。
ルイシーからもらった飴をひとつ、口に含む。ピリッとした生姜の味と、優しい甘さがした。
急転直下、ではない。半ば予想はしていた。
リーリェンが金華に戻ってひと月。だいぶ暑くなってきたころのことだ。王からの書状が来た。館の一室でそれを読んだリーリェンはため息をついて額を押さえた。
「ついに来ましたか」
同じ書状に目を通したランウェンがおっとりと言った。リーリェンは落ちてきた髪の毛の隙間からランウェンを見る。
「おばば様の中では確定事項だったのか」
「わたくしはリーリェン様より長く生きておりますから、知っていることも多いのですよ。初めから、リージュよりリーリェン様の方が主上の好みに合致しておりました」
「……だから姉さんは何も言わずに後宮に収まったのか……」
リーリェンはため息をついて椅子の背もたれにもたれた。リージュも、リーリェンが年頃になれば王の目に留まる可能性に気づいていたのだ。リーリェンだけだ。気づかなかったのは。
「私がうっかり禁城に行ってしまったせいだな」
「最終的には、避けられないことだったでしょう。リージュの行いはそれを先延ばしにはしましたが、根本的な解決にはなっていません」
それもそうだ。リージュが後宮に入ったのでリーリェンが領主になったが、そうなれば必然的に中央とのつながりができる。リーリェンが見つかる可能性が上がる。根本的な解決にはなっていないのだ。
おそらく、父が生きていればリーリェンが年頃の間に王の耳に入ることはなかっただろう。リージュたちはそれを期待したはずだ。しかし、それは希望的予測であって、絶対の未来ではなかった。
「……今更ながら、守られていたのだと思い知る」
王からの書状には、リーリェンを後宮に誘う文面が書かれていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
リーリェン、選択の時。
もはや(作者が)つらすぎるので、ifで平和な世界線を書こうかなと思っている。
この前『劇場版 ヴァイオ〇ット・エヴァ―〇ーデン』を見てきて、ハッピーエンドの方がいいな、と思ったのもありますけど。京アニさんありがとう。めっちゃ泣いた…。
それでも正史の結末は変わらないんですけど。




