28.逢引き
ルイシーの屋敷とリーリェンが泊まる宿は本当に近かった。通りが一つ違うだけだった。あの後さんざんズーランにからかわれ、シンユーになぜか泣かれながら宿に戻った。
甘味屋に連れて行ってくれる、という約束をしたが、ルイシーは禁軍での職務があるし、リーリェンも京師で調べたいことがあった。やはり、国の中心である京師と辺境にある金華では、情報の集まり方が違う。
「姫、もしかして主上を、むぐっ」
シンユーが決定的なことを言う前に、リーリェンは手で口をふさいだ。シンユーもリーリェンの機嫌を損ねたことに気づき、口を閉ざした。
「うかつなことは言うな、馬鹿者」
「すみません……姫にしては優しい罵倒語ですね」
ほめているのだろうがけなしているようにしか聞こえない言葉に、とりあえず頭をはたいておいた。
ルイシーから、会えないか、と言う手紙が来たのは、姉と面会してから三日後のことだった。リーリェンは決まった予定があるわけではないので、彼女がルイシーに合わせる方が合理的だ。
「ルイシー様が一緒なら、私たちは留守番してます」
ズーランがそう言った。リーリェンは二人のうちどちらかは連れて行くつもりだったのだが。リーリェンも慣れない場所で不安だったのだ。結局、行ってらっしゃいと送り出されたけど。
「ははっ。俺も信用されたものだな」
顛末をルイシーに話すと、彼は面白そうに笑った。まあ信用はされているだろう。おそらく。それに、京師に関してはルイシーの方が詳しい。だが、いつもはついて来ようとするのに、解せぬ。
「まあ確かに、俺が一緒にいる分には守れるからな。離れるなよ」
「わかっている」
人通りが多すぎる。はぐれたら、元の場所に帰れるかも怪しいのだ。リーリェンはルイシーの服の袖のあたりをつかんだ。
「……お前、それは無意識か?」
「は?」
「無意識なんだな……」
真顔で問い返したリーリェンに、ルイシーは苦笑を浮かべた。リーリェンと手をつなぐ。歩きづらかったらしい。失礼した。
目当ての甘味屋らしい店に入ると、店員らしい初老の男性に声をかけられた。
「おや、リ将軍。今日は逢引きですか」
店員じゃなくて店長だろうか。彼の言葉に、ルイシーは軽やかに笑った。
「そんなものだ。奥の席、いいか?」
「ええ。空いていますよ」
店長(おそらく)に案内されて、店の奥の席に着いた。微妙な時間だからか、客はそれほど多くなかった。
「知り合いか?」
「知り合いと言えば知り合いだな。たまに買いに来る」
「なるほど」
リーリェンがうなずいたところで、蜜のかかった団子が運ばれてきた。例の団子がおいしいという店である。まあ、状況だけを見れば逢引きなのだろうな、とリーリェンは照れるでもなく冷静に判断した。京師の団子はさすがにおいしかった。
「おいしい」
「喜んでもらえたなら、連れてきたかいがあったな」
ルイシーはそう言うが、リーリェンは自分の表情筋があまり仕事をしていないことを理解している。ので、首を傾げた。
「見てわかるものか?」
「結構わかるぞ。お前は目に出るな。あと、怒りの感情が一番わかりやすい」
「それは……どうなのだろうな……」
自分のことではあるが、怒っているのが一番わかりやすいってどうなの。はしたないが、唇についた蜜をぺろりと舐める。
「そういえば、お前、この前禁城から私たちを連れて帰ったが、あの後何もなかったのか」
あの時のリーリェンはかなり目立っていたはずだ。役人に女性がいないわけではないが、人数が少ない。女官もいるにはいるが、女の絶対数が少ないので、かなり目立っていたはずだ。しかも、後宮帰りのリーリェンは華やかな格好をしていた。色味は落ち着いていたが、生地自体は高級品だった。
そんな人間を将軍が連れ帰れば、目立たないはずがないのだ。そう思って聞いてみると、「ああ」とルイシーが面白そうに笑った。
「どこの姫君をかどわかしてきたんだと言われたな」
「……」
まあ、格好だけなら姫君だっただろう。実際、一年ほど前までは姫君だったわけだ。今は領主だが。
「それと、俺が主上のために見つけてきた新しい妃嬪候補じゃないか、と言ううわさもあるな」
「…………」
先ほどよりも顔をしかめた。いや、リーリェンがふった話題ではあるが。
「まあ、噂は噂に過ぎない。合理的に考えて、私が後宮に入ることはない。……たぶん」
珍しく言いきれないリーリェンに、ルイシーは「ヤン昭容が全力で阻止するだろ」とささやいた。たぶん、そうだ。先日、リージュがリーリェンをスーユェンから遠ざけようとしていたのには気づいている。リージュも、ルイシーたちと同じく、リーリェンが王に気に入られるだろうと考えているということだ。
「お前がいないと金華がな……というか、今、金華は誰が見てるんだ? ランウェン殿か?」
「いや、ズーヨウに任せてきた」
ズーヨウはリーリェンの母方の従姉の夫である。つまり、クゥイリーの姉の娘の旦那だ。かなり遠縁ではあるが、任せられるのが彼くらいだったのだ。彼が役人である、と言うのもあるが、ヤン家に男の縁者が少ないのである。まあ、ズーヨウに至っては血すらつながっていないが。
「何というか……ちょっと気の毒だな……」
ルイシーはズーヨウと面識があるので、その結論に至ったらしい。まあ、押し付けてきた自覚はある。
「私がいないとだめだという時点で体制に問題があるんだが……」
「一気にいろいろやろうとするなよ。お前、今いい感じなのにまた押し殺さないといけなくなるぞ」
そうルイシーに忠告され、リーリェンは目をしばたたかせた。とりあえず、口の中の団子を飲み込み、お茶を飲む。
「さて。そうなったら、その時はその時だな」
今体制づくりをしているところなので、大丈夫だとは思う。父の死から一年半が過ぎている。やっと、リーリェンにも余裕が出てきたところだった。だからこうして京師に出てくることもできたわけで。
「餡子のやつも食べたい」
「お前、本当によく食べるな……」
ちょっと呆れた風だったが、ルイシーはリーリェンの要望に沿って注文を追加する。自分も胡麻団子を頼んでいた。まあ、ルイシーは体格に見合っているのかもしれないが。
「京師は初めて……ではないのか」
「いや、ほとんど記憶がないからほぼ初めてだな。尤も、覚えていても十年もたっていれば街並みも変わっているだろうな」
「主要な道などは変わらないだろうが、店などは変わっているだろうな。ちなみに、この店は主上が登極する前からあるそうだ」
「……そうか。長いな」
ほかに何を言えばいいかわからず、リーリェンはそう返答した。スーユェンが王になったのは百年近く前の話だ。そのころから続いているのなら、かなりの老舗である。また、ルイシーが『道などは変わらない』と言ったのは、それだけ公共事業が停滞していることを意味する。
リーリェンは考え込むように機能停止した。右手に団子を持ったままである。ちょっと間抜けな自覚はあった。餡子が垂れてきたそれをルイシーが取り上げて皿に戻した。
「考えるか食べるか、どちらかにしろよ。食べないなら俺が食べる」
「あ、だめ。私が食べる」
自分でも子供っぽい言い方だと思った。手を伸ばしたリーリェンに、ルイシーは団子を返す。リーリェンはその団子を口に含んだ。
「食べたら、少し歩かないか。案内する」
ルイシーの申し出に、リーリェンはうなずいた。口の中に団子が入っていたので。
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