21.国軍
総じて、女性の身支度と言うのは時間がかかるものだ。リーリェンも例外ではない。年頃の女性として、それなりにお洒落には興味があるらしい。本人の弁なので、あまり信用できないが。いつもは面倒くささと機能性優先が勝つのだ、と主張していた。
結局、昼を越えた。昼を幾分過ぎてから、憮然としたリーリェンが姿を現した。背後にはやり切った感のあるズーラン。おお、と思わず歓声が上がる。
さわやかな青の襦裙。長い裳が動くたびにはためいている。それに白い褙子を合わせていて、ともすれば地味に見えるかもしれない。しかし、よく見れば細やかな刺繍がなされていて、よい生地なのだということがわかる。黙っていれば静謐な印象を与えるリーリェンには、派手な模様よりこうした繊細な意匠のほうが似合っている。
化粧もされたようで、額に花鈿が描かれていた。髪も結われ、花簪を差されていた。すっきりとまとめられているが、これは間違いなくお姫様である。
「どうよ。もっと派手なやつを着せたかったんだけど、あんまり似合わないのよね……あと、目の化粧もきつく見えるからやめたんだけど」
「こんな格好、祭祀の時ぐらいしかしないんだが」
リーリェンがお姫様的な格好にあるまじき表情で言った。ズーランが「普段からこれくらい着てもいいと思いますけどねぇ」と苦笑する。
「とりあえず、私は楽しかった!」
「そうか」
「うん!」
リーリェンはため息をついてから言った。
「これで問題ないなら、行こう」
「あ、まだあります」
「なんだ」
ヨウリュの待ったに、リーリェンが眉を顰める。せっかくきれいなのだから、その表情をやめればいいのに。
「その話し方、もう少し何とかなりませんか」
ヨウリュ、要求が厳しい。リーリェンが黙っていることも手の一つだが、彼女は領主だ。まさかずっと黙っているわけにはいかない。もう少し、格好に見合った口調で話してくれと言うことだろう。普段のリーリェンの口調はかなりきつい。はっきりと言い切るためだが、ヨウリュの言いたいこともなんとなく理解できる。
「……できるかと言われればできるけれど、途中でぼろが出そうな気がするわ」
いつもより若干高めの声で言われ、感動よりも鳥肌が立った。いや、外見には見合っているのだが。
「リーリェン様のそんな口調、初めて聞いたかもしれないわ……」
ズーランが両腕をさすりながら言った。リーリェンは「ふん」と鼻を鳴らす。
「お前たちの精神衛生上のためにもやめておいた方がいいと思うが、まあ、軍が相手だ。せいぜい丁寧にもてなすさ」
なんだろう。いつも通りの無表情に、いつも通りの淡々とした口調なのに、いつもより怖かった。
国軍の十二人を受け入れた。金華への入り方は術で惑わせてもらった。そのあたりはリーリェンが担当した。軍人たちは彼女が領主だと聞いて驚いていた。無理もない。大人びて見えるとはいえ、二十歳前後にしか見えない、しかも美しい少女が領主をしているのだ。しかし、外見に騙されてはならない。この娘はこの国では珍しいほど領主らしい領主なのだ。
リーリェンはあまり口を開かなかった。一応敬語だと、彼女のきつめの口調も緩和される。
軍人たちは彫刻師が使っていた家を見分した。鍛冶職人たちが不安げに遠くから眺めていたが、リーリェンが軽くうなずくと彼らは数人を残して仕事に戻って行く。正直、贋金関係よりも鍛冶場が見つかる方が問題な気がする。いや、ただ鍛冶職人がいるだけならともかく、金華の鍛冶場はそれなりの規模だ。妖魔退治を大義名分としているとはいえ、武器を作れるのは確かなのだ。謀反を疑われる。
だが、見る限り、軍人たちは形式として臨検を行っているだけのように見える。リーリェンもそう感じたのだろう。ヨウリュに小声で尋ねていた。
「軍と言うのはこんなものなのか?」
「やる気がない、と言う意味なのなら、私たちがいたころよりひどいですね」
確かに。とりあえず、軍としての機能は失っていないようだが、これは国の瓦解も目の前か? そうなっても、金華は独立国として成立できそうだ。
それはともかく。臨検自体は警戒するほどでもなかった。しかし、リーリェンがいなければそれはそれで領主を出せ、と言われただろうから、彼女を連れてきたことは間違っていない。と、思う。
何度か軍人がリーリェンに声をかけようとしたが、その前にルイシーやヨウリュが割って入る、と言うことを繰り返していたら、嫌味を言われた。
「主上を裏切った将軍が、ここではずいぶん信用されているようですね」
禁軍を追放されたためにそんなことを言われたのだろうが、ルイシーは低く笑って答えた。
「裏切ったつもりはないな。確かに主上の勘気を被り放逐されたが、俺は初志をひるがえしたわけではない」
笑ってそう言うと、軍人たちは舌打ちしてそれ以上は追及しなかった。ここで、「あの」と手を挙げたのはリーリェンだ。
「見分はもうよろしいのでしょうか」
「あ、ええ、もう結構です。リーリェン姫、ありがとうございました」
姫と呼ばれたことはリーリェンにとって不本意かもしれないが、現在、よく知らないものから見ればどこからどう見ても姫君なので仕方がない。
「そうですか。こちらこそ、お手数をおかけいたしました。これから京師に戻られるのですよね。何かご入用のものは?」
「食料と油を分けていただけると助かります」
「わかりました。届けさせましょう」
とにかくリーリェンは早く軍人たちを追い出したいのだな、とルイシーたちにはわかったが、彼らにはわからなかったようだ。生真面目にうなずいた彼女に気をよくしたのか朗らかに話しかける。
「いや、お若いのにしっかりしていらっしゃる。しかもお美しい。姉君のように後宮にいらっしゃれば、一・二を争う華になれるでしょうね」
「……お褒めいただき、ありがとうございます」
さすがのリーリェンも返答に困ったらしく、歯切れが悪かった。姉を奪われたと思っている彼女には、その褒められ方はうれしくなかっただろうな、と思う。
「こんな片田舎ではなく、華やかな都に連れて行きたいですよ」
「……」
リーリェンが困惑したようにルイシーとヨウリュを見上げたが、これは怒っているな、と察しがついた。彼らにそんな気はないのだろうが、これは金華の領主であるリーリェンを馬鹿にしている。リーリェン自身のことを全く顧みていない。軍人たちはどちらかと言うと元禁軍のルイシーたちに敵愾心があるようなので、リーリェンにはあまり構わないと思ったのだが、とばっちりだった。
「リーリェン様。とりあえず、戻りませんか。皆さんが心配していますよ」
ヨウリュがリーリェンに話しかけた。リーリェンも「そうだな」などと言い出すので、この頭のいい二人は早々にルイシーを人身御供に差しだすことにしたらしい。確かに、リーリェンは連れて行ってほしい。
「ルイシー、私は先に戻る。ヨウリュを借りる」
「ああ、わかった。気を付けて戻れ」
ヨウリュと護衛を一人引き連れ、リーリェンは本当に街に戻って行く。残ったのはルイシーとシャオエン、それから『銀葉』の剣士と役人が数名。ルイシーが笑った。
「あまり時間はありませんが、せっかくなので手合わせでもしますか」
ルイシーの提案に、『銀葉』もやる気だ。リーリェンとひと悶着あったものの、彼女が本当に姫君のころから知っている仲だ。腹立たしいものもあるのだろう。
軍人たちは引いていた。気持ちはわからないでもないが、金華の怒りを買ったら恐ろしいのだ。
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