10.秘密
表情をどこかに落としてきたようなリーリェンであるが、感情がないわけではない。ランウェンが『リーリェンはよく笑い、よく泣く子』だったと言っていた。そのころの彼女を領民たちも知っているので、だからこれほど無表情でも彼女は慕われている。
「表情がないのに、悼んでるのがわかる……」
「心優しい女性なのは間違いないですからね」
死者に祈りをささげるリーリェンを見て、シャオエンとヨウリュが言った。お留守番だったヨウリュによると、変事は特になかったらしい。
このあたりは土葬が主である。ランウェンに祈りをささげられた二人の遺体は、近くの墓地に埋葬された。その間、リーリェンは一滴も涙を流さなかった。表情さえ変わらない。
悲しむことは後からでもできる、と彼女は言った。本当に、後から一人で悼むつもりなのかもしれない。
二人が亡くなっても、日常は大きく変わらなかった。そもそも、妖魔退治のおひざ元である金華だ。人が命を落とすことは、そう稀ではない。
仕事は無事に終えたが、なんとなく後味悪い。それでも日常を送っていると、慌てたようにズーランがやってきた。
「もし。すみません。うちの姫様を知りませんか?」
そちらの姫君は今度はどこへ行ったんだ。金華は自分の領地だ、どこに行こうと自分の自由だ、と豪語するリーリェンではあるが、その所在が完全に不明になることは今までなかった。ふらっと出かけても街で団子を食べているなど、見つけることはたやすい。なのにズーランがわざわざ聞きに来るということは、見つかっていないのだ。
「いや、あいにく知らんな。俺の方でも探してみよう」
「そうしていただけると助かります。もう、どこに行ったのかしら」
ズーランが心配そうな表情でため息をついた。丁寧に頭を下げて、捜索に戻って行く。ヨウリュがぽつりと言った。
「けろっとしてひょっこり帰ってきそうな気もしますが」
「……否定はできんな」
三か月ほどの付き合いだが、なんとなくリーリェンの性格はわかる。基本的に合理主義者、発言は冷酷ともとれる。しかしそれは領主としての彼女で、本来の性格は押し隠しているのだろう。ヨウリュが言ったように、『あやうい』。
「ヨウリュ、シャオエン。後は任せていいか? 俺も探しに行ってくる」
ズーランやシンユーが見つけられないのなら、人海戦術になるだろう。リーリェンが本気で隠れているということだからだ。まさか、金華を抜け出したりはしないだろうが。責任感も強い女だ。その責任感が、彼女を押しつぶしそうになっているのかもしれないが。
心当たりとなる場所は、おおむね探されているだろう。ならば、ルイシーは思いもよらないところを探さなければならない。リーリェンの身体能力なら、木の上などに上っていても不思議ではない。
結局、ルイシーが発見したのはシンユーだった。
「何してるんだ?」
こっそりうかがうように木の合間から川岸を覗いているシンユーに、ルイシーは何気なく声をかけた。途端に、「しーっ」と静かにするように身振りをされた。なので静かにのぞき込むと、川岸でリーリェンがなぜか石を積み上げていた。黒い喪服姿で、はっきり言って、意味不明すぎて怖い。
ルイシーはシンユーと顔を見合わせた。一応、リーリェンを見つけたので、彼女の気のすむまで見守ることはできる。できるが。
ルイシーは木の陰から出て川岸へ向かった。川といっても、そんなに大きな川ではなく、水深は浅い。万が一川に落ちても、おぼれることはないだろう。
「何してるんだ」
さすがに笑いかけられなかったが、穏やかに聞いたつもりだ。リーリェンが顔を上げる。泣いてはいなかった。
「この状況で声をかけるか、普通?」
まともなツッコミが入った。思ったより落ち込んでいないのか、そう見せているだけか。
「石積んでどうするんだ」
リーリェンが平たい石に腰かけているので、近くの少し大きめの石にルイシーも腰かけた。立ち去る気がないと悟ったリーリェンはおとなしく答える。
「東の島国には、川岸で石を積んで供養する方法があるそうだ。詳しいことは覚えていないが」
ルイシーは、「へえ」とだけ答えた。彼女がしているのは真似事だけだろう。要するに自分の心の整理をつけるために、こうして手慰みに石を積んでいたいのだ。
「みんな心配していた」
「だろうな」
確信犯だった。当然か。彼女は領主で、その自覚もある。だからこんなところで一人、二人の死を悼んでいるのだ。彼女は領主として領民たちを導かなければならない。自分が未熟であることを知っているから、人に弱った姿を見せたくないのだ。その気持ちは、ルイシーにも覚えがあった。
「……連れ戻しに来たわけではないのか」
何も言わずにリーリェンを眺めているルイシーに、彼女は尋ねた。見つめられていることではなく、何も行動を起こさないことに疑問を持ったらしい。わかっていたが、ちょっとずれている。
「姿が見えないから探しただけだ。気が済むまでそうしていればいい」
「……そうか」
リーリェンは膝を抱えてぼんやりと川を眺めている。決して小柄なわけではないが、そうしていると小さく見える。金華という一地方を背負う小さな背中。縮こまっている姿が寂しそうで、無性に抱きしめたくなった。
「……泣いてもいいぞ」
見て見ぬ振りもできるし、慰めることもできる。リーリェンはルイシーの言葉に、顔を上げずに言った。
「泣く、か。しばらく泣いていないな」
父が死んだときも泣けなかった、とリーリェンは言った。その肩に降りかかる責任の重さに耐えかね、泣けなかった。
「……ルイシーは、死にたいと思ったことはある?」
「ああ。ある」
うなずいたルイシーに、リーリェンは尋ねた。
「それは、生まれに関係がある?」
ふと見ると、リーリェンはルイシーの方を見ていた。彼女の言葉は疑問ではなく、確認だ。彼女は知っているのだ。
「……そうだ。お前、どこで気づいた?」
「もしかしてと思ったのは初めて会った時だ。噂には聞いていたし、年頃もあうと思った。でも、確信したのは、先日母がお前につかみかかったときだな」
あれのどこに確信に至る要素があったのだろうか、と考えていると、リーリェンは「母は骨相ができるんだ」と言った。
「ああ……だからつかみかかられたのか」
少々錯乱気味とはいえ、まっすぐにルイシーに向かってきた。あれは、ルイシーが娘を奪った男の血縁だとわかったからなのだ。ルイシーの父は、国王ワン・スーユェンだった。
子供のできにくい『旧き友』から生まれた子であるルイシーだ。ルイシーのほかにも王に子供はいたことがあるらしいが、それが本当に王の子なのかわからない。ルイシーの母も、密通を疑われて後宮から出された。放逐されただけで済んだのは僥倖だと思う。そして、王は側近として侍っていたルイシーが、自分の子だとは知らない。
だが、クゥイリーにはわかったのだ。リーリェンも核心に迫っていた。それでも。
「言わないでいてくれたんだな」
「何故ここでそういう反応になるんだ」
リーリェンが不可解そうに眉を顰める。表情に乏しい彼女にしては珍しい表情の変化。ルイシーは笑った。
「優しいな、リーリェンは」
ルイシーの笑顔を見て、リーリェンは何度か瞬きすると、ふいっと顔をそらした。膝を抱えた腕に顔を埋める。
「優しくなんかない。いつも独りよがりで、身勝手だ」
ずっと言えなかったのだろう心情を吐露する彼女に、ルイシーは耐えきれなくなった。彼女の側に膝をつき、その背中を撫でる。
「お前が死にたくても死なななかったのは、自分に領民の未来がかかっていることがわかっていたからだろう。みんなのために、生きなければと思ったのだろう。だとしたら、お前はやはり優しい。優しすぎるくらいだ。お前はもっとわがままになってもいいんだ」
返事はなかった。顔も上げなかった。それでも、彼女が泣いているのが分かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ルイシーは王の息子。でも、王はそのことを知りません。リーリェンの母は骨相ができるため、一目でわかった。リーリェンは状況証拠からそうなのだろうと思っていて、母の反応で確信を得た感じですね。リーリェンも母の能力は信用しています。
ルイシーはリーリェンにとって姉を奪った男の息子になるわけです。




