09.香鈴
金華は結界を周囲に張り巡らせているが、結界自体はそう大きなものではない。人の住んでいる街の周囲を主に囲い、地域全体が結界でおおわれているわけではないのだ。
結界には起点がいる。金華では、五つの祠に神器を納め、五角形の結界をなしていた。金華に古くから伝わる防御術であるそうだ。
「通常は、修復師が何人かいるんだが、あいにく今は私かランウェンしか神器の修復は不可能だ」
少なくとも半年前、グォシャンが生きていたころは四人いたそうだ。ランウェン、リーリェン、すでに亡くなった老爺と、リーリェンの母クゥイリー。彼女はもともと金華出身の優秀な術師であるとのことだ。当時からリーリェンとはあまり折り合いがよくなかったが、少なくとも夫が生きている間はもう少し落ち着いていたのだそうだ。
というわけで、現在鋭意後継者を育成中らしい。ランウェンが。
森の中を歩くご一行は総勢十名。少なすぎるのも前回のことがあって不安だが、多すぎても機動力が落ちる。ルイシーは胡服姿のリーリェンの隣を陣取っていた。単純に、彼が一番強いからであるが。いざというときは、何が何でもリーリェンを護って金華に戻ってくれ、と言われている。
「なんでそんなにぎりぎりの生活してるんだ、お前」
「何故だろうな」
巨木が倒れていて、先に木の上に上がったルイシーは手を伸ばしてリーリェンの手を取った。彼女も身軽に木の上に上り、ひょい、と反対側に降りる。
「姫様、来ます」
そっとささやいたのはジュカンだ。彼も同行人である。リーリェンはわずかに顔をしかめた。
「もう少しなんだが……足止めできるか? こちらはルイシーを連れて先に行く」
「待って、あたしも行くわ!」
志願したのはシャンリンだ。ルイシーと二人がリーリェンにつくことになったからか、他の同行者たちは三人を前に通した。リーリェンが言った通り、ほどなくして祠が見えてきた。リーリェンが飛びついて祠を開けた。中には神鏡が納められているはずだが、それは真っ二つに割れていた。リーリェンが持っていた荷物の中から代わりの神鏡を取り出して納める。これだけならだれにでもできるが、これだけで終わらないからリーリェンがわざわざやってきたのだ。祠の前に膝をついたリーリェンが呪文を詠唱し始める。シャンリンがルイシーに向かって言った。
「リーリェンの詠唱を止めないようにしてください!」
「わかった」
そのあたりをリーリェンは全く説明しなかったから、シャンリンを連れてきて正解だったのかもしれない。シャンリンがいるから説明しなかった、という可能性もあるが。
ルイシーが魔物を斬り、シャンリンが術を放つ。その間も、リーリェンは周囲のことなど知らない、とばかりに詠唱を続けていた。この胆力はどこから来るのだろう。
妖魔を斬って後ろに下がったところの地面が、何やら発光している。リーリェンの術の範囲内に入ってしまったのだ、と、すぐに気づいた。間髪入れずに飛びのく。飛びのいたのが、リーリェンをはさんでシャンリンの反対側だった。
「シャンリン! 後ろだ!」
はっとシャンリンが振り返る。よけることはできたが、よけたらリーリェンの術式を邪魔してしまう。そう思ったのだろう。シャンリンは妖魔の攻撃を真っ向から受け止めた。肩に長い牙が貫通し、赤い血が彼女の衣装を汚す。すぐにシャンリンの破魔の術で吹っ飛ばされたが、けがは深そうだ。
とはいえ、ルイシーも駆け寄ることができない。妖魔を斬る方が先だからだ。と、不意に熱波を感じた。熱波というか、炎そのものの熱さ。思わず振り返る。
「当たるなよ」
術式を終えたリーリェンが炎をまとっていた。生き物のように伸びた炎が妖魔を焼き尽くす。木に燃え移って火事にならないかといらぬ心配をしてしまったが、大丈夫そうだ。うまくよけている。
周辺の妖魔を一掃した後、リーリェンはシャンリンに駆け寄った。
「シャンリン!」
ルイシーも周囲を警戒しつつ駆け寄る。リーリェンが座り込んでシャンリンを支えていた。
「牙に毒があったのか。今……」
リーリェンの炎は浄化の炎なのだろう。解毒しようと伸ばした手を、シャンリンがつかんだ。
「いいわ……どのみち出血が多すぎるもの」
シャンリンは一般的な女性と同程度の体格だ。確かに、この出血量なら失血死する可能性が高かった。あいにくと、ルイシーは治癒術が使えない。それはリーリェンも同じようだ。傷口を圧迫しながら震える声を上げた。
「馬鹿を言うな」
泣きそうで泣かない少女領主を見上げ、シャンリンは微笑む。
「本当に、いいの。……願わくは、あなたには笑っていてほしいわ……」
リーリェンの頬を撫でたシャンリンの手が力なく落ちる。ごほっと血を吐き、そのままこと切れた。開かれたままの目を、リーリェンがそっと閉じさせた。シャンリンに覆いかぶさるようにぐっとリーリェンが前のめりになる。泣いているのかと思ったが、そうではなかった。ルイシーは彼女の隣にしゃがみこみ、手を伸ばしたが、ふれるのをためらった。代わりにシャンリンの脈を測った。確かに死んでいた。
「姫!」
駆け寄ってきたのは、シンユーだった。リーリェンが顔を上げる。その表情は平常通りに見えた。
「神器は直した。そちらの被害は?」
「……ジュカンが戦死しました」
「……そうか」
リーリェンが目を閉じた。ルイシーも、金華に来て最初に出会った彼がなくなったと聞き、衝撃を受けた。実感がわかない。彼はいつあってもへらりと笑っていたが、実力は確かだった。親切な良い青年だった。
「……長くとどまることもないだろう。シャンリンとジュカンの遺体は連れて戻りたいが、有事の際はこれを優先しない」
何かあったら運んでいる遺体を捨てろ、と言っているのだ。現実的すぎて冷たく聞こえるが、最善の方法であろう。シンユーがシャンリンの遺体を抱えが得た。ルイシーはリーリェンの手を取って立ち上がらせる。顔色が悪いのは、力を使いすぎたせいか、シャンリンたちの死を悲しんでいるからか。
少し戻り、途中で別れた『銀葉』と合流した。シンユーの言う通り、ジュカン以外は怪我があるものの、欠けてはいない。
リーリェンは抱えられているジュカンの頬に触れた。その目が、再び開くことはない。ジュカンの手を取って、リーリェンは己の額に当てる。
「……ありがとう」
小さくつぶやいた後、リーリェンはすっと顔を上げた。
「作戦終了だ。街へ戻るぞ」
そう言って彼女は近くにいた『銀葉』の隊員の背中を叩く。
「いつまでも残っていれば、妖魔の的になるだけだ」
合理的判断に基づく、領主としての判断だった。
「……嘆き悲しむのは、後からでもできる」
「姫」
シンユーが気遣うように顔を覗き込んだが、腕の中のシャンリンを落としそうになって慌てて態勢を直した。リーリェンがさっさと先に行ってしまうので、慌ててついて行く。引き離されてしまったルイシーはリーリェンの斜め後ろに追いつく。ちらりと見える彼女は、いつもと変わらぬ無表情だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
「悲しむことは、後からでもできる」って何かで読んだ気がするんですけど、何だったでしょう?




