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45.地下バーで乾杯


「お待たせしましたぁー」


 そういってモチリコちゃんがビールジョッキを二つと、冷たいミルクを器用に運んできてくれた。


「バーにいったらカクテルを。もしビールを飲むのであればビアカクテルを」とはよく言われることであるし、実際に私も普段はそうすることが多いのだが、今日はどうしてもビールで乾杯したい気分であった。


 そもそも敢えてバーに行こうと考えているような日は、ビールをがぶ飲みしたいというより、おいしいカクテルをしっとり飲みたいという気分の日である。


 さんざん歩き回って疲れた一日の最後、見つけた酒場がたまたまバーだっただけなのだ。

 一杯目くらいはビールを飲ませてもらってもバチは当たらないだろう。


 言い訳がましくそんなことを考えている間に、ジョッキたちがテーブルに並べられる。

 薄暗い空間の中で橙色の照明に照らされ、黄金色に浮かび上がるグラスは、まるで古代遺跡の奥深くで誰かに発見されることをじっと待つ金銀財宝のようである。

 宝箱のふたに手をかけるがごとく慎重に、私はジョッキへと手を添える。


 冷たい。しっかりと握りまで冷えている。


 これは、とお店の評価を一つ上方修正するとともに、私は把手(とって)をつかんでいた指を一度解き放つ。


 握りの輪を通すように四本の指を通し、ジョッキのボディを直接握りしめるように掴む。

 キンキンに冷やされたビールの心地よい存在感が手の平越しに伝わってくる。

 

 ごくり、と喉が鳴る。


 その味を、喉越しを、腹に届く熱量を想像するだけで、全身の細胞がまだかまだかとざわつきだす。

 一つモチリコちゃんと目線をかわし、お互い、この尊きものを受け入れる準備はできたと頷きで示しあう。


「ではではぁ……今日も一日お疲れさまでしたぁー。かんぱぁーい!」


 モチリコちゃんの音頭で私たち女子三人がジョッキとグラスを掲げ、各々の口元へ運ぶ。


 …………。


「ぷっ…………はああああああああっっっ!!!!」


 ああああああ!!!! これぞ労働のあとのビール! んんんまああああああ!!

 一息にジョッキを傾けきり、喉の奥をしゅわしゅわと流れていく炭酸の刺激に思わず目を細める。


「ちょっ……えっ……!? ジョッキ空!? 今乾杯したのになんで!?」


 ドン、とテーブルに置かれた空のジョッキと私の顔を数度往復し、みゃあらちゃんが目を見開いている。

 わずかに残った泡沫が、黄金の輝きの残滓となって滴っている。


 ふぅー……と零れた溜め息にのって、全身の疲れが抜け出していく。緊張のスイッチが完全にオフへと切り替わるのを心地よく感じながら、みゃあらちゃんと顔を見合わせる。


「ええと……? なんでって何が?」


「だから! なんで今口付けたばっかのジョッキが空なワケ!?」


「んん…………???」


「いや! 不思議そうな顔すんな! 小首傾げてもかわいくねーし! つか口元に泡ついてんじゃん! 拭け!」


 いや、なんでもなにもないだろう。

 そこにビールがあったから飲んだ、あるだけ飲んだ。THAT'S ITである。


 一杯目を飲んだことでようやく少しだけ気持ちが落ち着いてきた。二杯目を飲んで楽しくなろう。

 私はごしごしと口元をぬぐい、おかわりを注文するべく立ち上がる。


 現実世界でも同様なのだが、個人でやってるバーはマスターの個性や独特の雰囲気がお洒落で楽しい反面、カウンターに座らない限りはいちいち注文に行かないといけないのが少しだけ面倒である。


 ウェイトレスさんがいる場合には気を利かせてくれることも多いのだが、私の行きつけのお店の大半はマスターが一人でやっているタイプなので、コミュニケーションと横着を兼ね、遊びに行くときはできるだけカウンターに座ることにしている。基本的にどうせいつも一人だし。


 最近はアヴァオンに夢中だったので、久しくバー巡りもしていないとふと思いだす。そのうち余裕ができたらまたふらりと顔を出してみるのも悪くないだろう。



「どうぞ」


 マスターがカウンター越しに丁寧にパイントグラスを置く。

 先ほど私が飲み切って返したジョッキよりも一回り大きい。


 こういう抜け目のなさがアヴァオンNPCたちの愛しいところである。


 せっかくバーに来たのであれば改めてマスターに挨拶しておこうと思い、顔を上げる。

 四十から五十といった年齢のようではあるが、丁寧に撫で付けられた真っ赤な頭髪は若々しく、細長いスクエアフレームの眼鏡の奥には、ニコニコと愛想のよさそうな笑顔が浮かんでいる。

 貧民街に店を構えているにしてはやや不似合いな、きっちりとしたスリーピースのスーツを細身の身体に着こなし、手には黒いグローブを身に着けている。


 一つ一つのパーツは問題ないのだが、全体的にいかにもすぎて、結果的にどことなく得体の知れない雰囲気が感じられる人だ。

 団長さんといい、今日はイケオジキャラによく出会う日である。


「ありがとうございます。町中大変な状況ですけど、お店やっててくださって助かりました」


「はは、大変だからといって働かなくてもいいような人間はこの貧民街にはいませんよ」


 明日の食い扶持を稼がないといけませんからね、とにこやかに冗談を告げるマスター。


 どう返していいのかわからず、私は不慣れな愛想笑いを浮かべる。

 社会人になってから仕方なしに身に着けた技術ではあるが、上手く使いこなせる日はまだまだ遠そうである。


 とはいえ、失礼ながら開いていただけ客が入るような類いのバーだとも思えないのだが……。

 現に今も客は私たちだけである。


 これはもちろん店が悪いという意味では全くない。単に立地条件の問題である。


 メニューを見ていないので正確なところはわからないし、もしかすると相場よりは安いのかもしれないが、お酒にはお酒なりの値段がついているはずである。

 貧民街というエリアで、嗜好品であるお酒にそこまでのお金を払える人々がそれほど多く住んでいるとは考えにくい。


 もちろん表の町の人々がわざわざここまで足を運ぶこともないだろう。貧民街を歩くことも、入り口の地下階段を降りることも、一般的なNPCであれば避けるに違いない。


「ふふ、こんなところに客なんてそうそう来ないだろう、そう思われますか?」


 考えが顔に出てしまっていたのだろうか。マスターが一層笑みを深くした。


 失礼に思われてしまったかと一瞬ドキリとしたものの、マスターがどこか面白そうな表情を覗かせていることで、冗談の続きかと納得する。

 であれば、少しだけその冗談に付き合わせてもらおう。マスターとの付き合いもバーの醍醐味である。


「なぜここでお店を?」


 私の疑問に、マスターがなんてことのない話のように口を開く。


「お恥ずかしながら昔はちょっとした荒事をしていましてね。第一線からは足を洗ったものの、当時の伝手を使える場所がこのあたりだけだったんですよ」


 お、なんか不穏なこと言い出したぞ。

 まぁわざわざこんなところで店を構えるくらいだし、堅気ではないということか。どうやらこの人もなかなかにキャラが立っているようである。


「ということは、当時のお付き合いの人たちが今でもよくお店に?」


「こんな場所で水商売なんてものをやっていますとね、自然といろいろな情報が集まるんですよ。お客様のお話にお付き合いさせていただくのが好きなものですから、ついそこらで聞きかじったことをお話させていただくこともございます」


 ――お礼にと、少しばかり多めのお代を支払ってくださる方もいらっしゃいます。


 そういってマスターは意味ありげに目を細めたのであった。



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