29.これからのこと
私たちのテーブルへとやってくるなり深く頭を下げたクロエちゃんは、長いことそのまま動かなかった。
「……迷惑かけて、ごめん」
全員がじっと言葉を待つ中、それだけ発し、再度頭を下げる。
いやぁ……お酒飲んで全員いい感じに酔っ払ってる大人たちが、その場で唯一の子供に頭を下げさせてるってシチュエーション、やばくない?
リアルなら一発で児童相談所の人たちが飛んできそうな構図である。
一歩間違えればイルメナ中を巻き込む大災害となっていたかもしれない事件に関わりはしたものの、情状酌量の余地が大いにある子供という判断の難しい相手に対して、それぞれ反応に困っているのか、なぜかみんなの視線が私に集中している。
これだけ多く陽の者たちがいる中であえて陰属性の私に仕切れというのか。解せぬ。
「ま、まぁまぁ……クロエちゃん、まずは頭あげて、そこ座って。リリアさんもぜひご一緒に」
「はい、お言葉に甘えて。……ほら、クロエちゃん」
「…………ん」
しかし席についてもクロエちゃんはうつむいたまま、謝罪以外には何も言葉を発しようとはしなかった。
まぁ無理もないだろう。今までの数年間信じていた相手に騙されていたと知り、目の前で弟の最期を見届けたばかりなのだから。
こんな年端もいかない少女が背負うにはその運命は過酷すぎる。
「んーと……とりあえず一つだけ聞きたいんだけど、クロエちゃんはもうアレ……ドグラマグラ?的なところに戻るつもりはないんだよね?」
「ミスカちゃん、それ多分アグラアンナー」
「そうそれ、アグラアンナ」
少しばかりの逡巡の末、小さくうなずいたクロエちゃんはこう続けた。
「戻る気は……ない。けど、あの男には借りを返す」
あの男……ライアンか。
それについては私も同感である。ロイくんたちとの約束もあるし。
あれ、そういえばクロエちゃんの処遇はどうなったんだろう。議会へ引き渡すとかなんとか言っていたような……。
「あのー……リリアさん、クロエちゃんってその……」
恐る恐るリリアさんへお伺いをたてる。クロエちゃん本人がいる前であまりはっきりとした言葉には出しにくいため、非常にぼんやりとした問いかけであったが、聡明な彼女はしっかりとこちらの言いたいことを察してくれた。
「ご安心ください。クロエちゃんの背景に斟酌の余地があること、セレグリムへの対応について貴重な助言をしてくれたこと、何よりイルメナを救った英雄たっての希望ということで、今回は放免となりました。イルメナからの追放という条件はついてしまいましたが、まぁ……形式的なものと捉えていただいて結構です」
「リリアさん……ありがとうございます! よかったね、クロエちゃん!」
「本当にいいのか……? あんなに迷惑をかけたのに……」
その場にいた全員が気にするなと声をかけて笑う。
クロエちゃん自身が一番罪を感じ、後悔しているのだ。今回はそれで充分だろう。
一安心していると、モチリコちゃんが思い出したように口を開いた。
「そういえばぁ、あのセレグリムっていうのはクロエちゃんが呼び出したわけじゃないんですよねぇ?」
「ああ、あたしじゃない。おそらく以前からアグラアンナのスパイが潜りこんでいたんだろう」
「その足取りなんかはぁ……」
モチリコちゃんの疑問に対し、残念ながら、とリリアさんが首を振る。
たしかに実行犯を逃がしてしまったのは悔しいが、あの混乱した状況下では仕方あるまい。
イルメナの人々に被害者を出さないという、最も重要な点をやり遂げただけでも良しとすべきだろう。
「改めて、みんなありがとう……。あたしは明日にでもイルメナを出るよ」
「あ、帝国に戻るんだよね? 私も一緒に行きたいんだけどいいかな?」
ライアンとかいうやつを一発殴ってやらねばならない。
それを聞いたクロエちゃんは驚いた顔を見せたものの、否とは言わなかった。
「とはいえ……たしかに帝国との国交は少しずつ行われるようにはなってきていますが、誰にでも使えるような移動手段はまだありません。どうやって帝国側へ入国するんですか?」
リリアさんの疑問は全員共通のものだったらしい。モチリコちゃんたちがしきりに肯いている。
攻略組のプレイヤーとしては、帝国へのアクセス方法に興味津々といった様子である。
「イルメナの西の街道をまっすぐいって山を越える方法と、ここから一度南の港町まで行ってから運河を伝っていく方法がある」
クロエちゃんの答えに攻略組たちが唸る。
「山越えですかぁ……たしか西の山脈ってすごい高レベルのモンスターがいたようなー?」
「うむ、我々のレベルではまだ厳しいだろう」
「なるほどなぁ、あの山脈の先かよぉ……。道理でやみくもに西に進んでも見つからないわけだぜ」
ふむ。しかしいくらあの恐竜型モンスターを召喚できるとはいえ、モチリコちゃんたちが四人でも超えられないルートを使って、クロエちゃん単身で山越えしてきたということもないだろう。となれば必然……。
「それに比べれば海路は安全。帝国への出入りには身分証が必要になるけど」
「はー、なるほどぉ……。正直まさかこんな序盤から海路が必要だとは思いませんでしたねー」
想定外でしたーと言いながら肉じゃがのお肉だけをぱくつくモチリコちゃん。お芋も食べなさい、お芋も。
一瞬ちらりと物欲しそうな顔で恐竜肉を見ていたが、あれを食べてしまうとシリアスできなくなってしまうことはさすがに自覚しているのだろう。
まぁたしかにRPGであれば海路とか空路なんていうのはなんとなく中盤以降に出てくるイメージである。
だがよくよく考えてみればスタート地点を新大陸にした人たちなどは最初からそれらが使えている可能性もあるのだし、この世界にはすでに存在している手段なのであれば、序盤は陸路と決めつけていたのはただの思い込みだったのかもしれない。
「意外な形で帝国への行き方が判明したな。だが身分証か……」
「あたしが同行していれば入国自体は大丈夫だけど。ただ……一度帝国へ入ったら、しばらくは出られなくなる可能性がある」
「え、なんで?」
私の問いに対して少しだけ顔を曇らせるクロエちゃん。
「もともとあたしは貧民街出身のただの孤児だから……帝国民としての国民証を与えられていないんだ。ライアンに逆らうことで、アグラアンナから発給されてる身分証の効果を停止されたら面倒なことになるかもしれない」
なるほど、アグラアンナに所属する間だけは身元が保証されていると。現実世界でいうところの外国人労働者に対する労働ビザのようなものだろうか。
個人的には貧民街出身というだけで、まるで自国民ではないような扱いをするのはどうかとも思うが、今回はさすがに帝国の政治事情についてまで口を出すべきではないだろう。目的はあくまでライアンにけじめをつけさせることだ。
ここまでの話を総合し、私は改めて自分の気持ちを表明する。
「私は行くつもりだけど、モチリコちゃんたちは――」
「もぉー、ここで行かないなんて言うわけないじゃないですかぁ。お話的にもぉ、攻略的にもー」
「目指せ! イルメナ組で最初の帝国入り、ってな!」
食い気味でいわれた。皆聞くまでもないというほどの即答である。
頼りっぱなしで申し訳ないが、同行するパーティーとしてはこれ以上望むべくもない。
心強い返事に思わず頬が緩む。
ともあれ、そうとなればやることは一つである。
私たちは顔を見合わせ、以心伝心といった様子で全員がうなずく。
「ソフィアちゃん、ビールお替り! あとクロエちゃんに果実ジュースをー!」
「私もー」
「俺も俺も! っつうかもう全員分でいいだろ!」
「うふふ。ソフィアー、私ももらえるかしらー?」
「はーい! すぐにー! ……えっ!? お姉ちゃんも!? 手伝ってくれないの!? 飲むの!?」
しばらく戻ってこれなくなるかもしれないのであれば、今日は銀龍の鱗亭の料理とお酒を余すことなく堪能しなければ!
きょとんとしているクロエちゃんにも運ばれてきたジュースのグラスを持たせ、私たちは本日何度目かの乾杯を行う。
待ってましたとばかりに再び恐竜肉へ飛びつくモチリコちゃんたちを横目に、私はずっと気になっていた物についてクロエちゃんに尋ねることにした。
「そういえばこれ、見覚えあるかな?」
セレグリム戦のMVP報酬で手に入れた「ぼろぼろのハンカチ」なるアイテムをインベントリから取り出し、クロエちゃんに渡す。
「え……これ……!? どこで……!?」
よかった、やはりクロエちゃん関係のものだったか。
セレグリムとの戦いで手に入れたこと、よかったらそのままクロエちゃんに持っていてほしいことを告げると、彼女はそのハンカチをぎゅっと胸元に抱きしめ、祈るように目を閉じた。
「昔、あいつの誕生日にあげたんだ……。ははっ……こんなになるまで使わなくてもいいのに……」
顔を上げたクロエちゃんが万感の思いを込めるように口を開く。
「ミスカ、本当に……ありがとう」
初めて見せてくれたクロエちゃんの笑顔は、まるでそこに一輪の花が咲いたように輝いていて、私はそれを、何かとても尊いもののように感じたのだった。
――『ぼろぼろのハンカチ』を失いました。
――イレギュラーレポート発行
――………………
――…………
――……
――承認
――特別報酬『遠き日の記憶』を獲得しました。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ひとまずここで第一部が完となります。
幕間等を挟みつつ、第二部の準備をしてまいりますので、どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
6/5 しゅげみみ様よりクロエちゃんのイラストをいただきました!! 尊い…





