28.帰ってきた日常
「「「かんぱーい!」」」
木製のビアマグ同士が打ち付けられ、銀龍の鱗亭に気持ちのいい音が響き渡る。
「んん……はぁー……!」
乾いた喉と疲れきった全身へ冷たいビールが染み渡る。
「あれぇ、ミスカちゃん今日はいつもみたいに『あ゛ァぁーー!』ってやらないんですかー?」
「そこまでおっさんくさい飲み方してないでしょ!? ……してないよね?」
まるで以前断り切れずに付き合った会社のお酒の席で、めずらしくご機嫌だった上司(40代・男性)が飲んでいたときのような声である。
「俺としてはそんなミスカちゃんの見た目とのギャップが逆にありになってきたぜ」
「だからしてないってば!」
前回の反省をいかし、イングベルトさんたち男性陣もいるということで、今日はおしとやかに飲もうとひっそり意識しているのだ。
とはいえ男性陣の誰と比べても、飲むペースが私だけ明らかに早いので、どれだけそう見せることができているのかは不明であるが。
しかしこれは、もはやいちいちおかわりを頼むまでもなく、マグが空になると同時におかわりを持ってくるソフィアちゃんの給仕スキルが高すぎるせいでもあると思う。
人は目の前に冷えたビールがあれば飲んでしまう生き物なのだ。
「いやぁ、しかしまさか俺らが戻ってくる前にミスカちゃん一人であいつを倒し切ってるとは思わなかったぜ」
「うむ……遅くなってすまなかった」
「ミスカちゃんは私が育てましたぁー!」
おい、最後の奴。
セレグリムとの戦いの後、なぜか泣いている私を慰めるクロエちゃんという我ながら謎の構図の中、住民たちの避難誘導を終えてモチリコちゃんたちが戻ってきた。
号泣する私にはてなマークを浮かべた彼女たちであったが、すでにセレグリムを討伐したことを伝えると、それはもうたいそう驚かれた。
どうやって戦ったのかと聞かれたので、飛行魔法を習得したことを伝えると、エドガーさんがやたらと嬉しそうに褒めちぎってくれたのだが、習得方法を詳しく聞かれたときには本当に困ってしまった。
なぜ魔法の名前をわざわざ叫ばないといけなかったのか、このゲームの仕様にはいまだに納得できていない。あの辱めは忘れないぞ。
そこがいいのではないか、とエドガーさんには力説されたが、一体何がいいのか相変わらず私にはさっぱりである。
習得度があがっていけば念じるだけでも発動できるようにはなるらしいので、人がいないときにひっそりと練習しておこうと思う。いざというときに飛べたら便利だろうし。
その後クロエちゃんの身柄は一度冒険者ギルドが預かるという話だったので、くれぐれもよろしくと職員さんに念押ししてから、銀龍の鱗亭での打ち上げと相成った次第である。
「なんにしてもユニーククエストは無事クリアできたことですしぃ、イルメナの被害も最小限で、めでたしめでたしですねー」
「だね、住人たちに被害がでなくて本当によかったよ……」
それもこれもリリアさんやモチリコちゃんたちによる迅速な避難誘導のおかげである。
そういって改めてみんなにお礼を言って頭を下げると、モチリコちゃんは少しばつが悪そうに笑ってこう付け加えた。
「優しいミスカちゃんにとってはぁ、シンプルに住人の被害が出たかどうかの話なんでしょうけどぉ……実は私たちにとっては別の意味もあるんですよー」
「別の意味?」
「これは推測でしかないんですけどぉ、今回のクエスト評価といいますかー……どれだけ完璧に達成したかっていうゲーム的なリザルトですねー。ここにおそらく住人の被害者数が入ってたんじゃないかなぁっていうのが私たち4人の見立てですー」
それを受けたイングベルトさんたちがやや真剣な表情で頷いている。
ふむ? ちょっとそのあたりの感覚はわからないが、まあ仮にもプロゲーマー4人が揃ってそう言うのだ。おそらくその見立ての信ぴょう性は高いのだろう。
「今回のユニーククエストの最終評価は最高のSランクでしたー。めったに受けることができない貴重なユニーククエストでSを取った……つまり報酬の取りこぼしをしなかったというのはぁ、私たちにとってはとても大きな意味があるんですよー。Sの下のA報酬じゃ一番の目玉アイテムが含まれていなかったりしますからぁ」
ちなみに今回みんなが受け取った報酬は、私のMVP報酬を除き、全員一律で『悪夢の記憶』という素材アイテムであった。強力な装備を作ることのできる、とても貴重なものらしい。
なんだかあのセレグリムから出てきた素材をつかったら呪いの装備的なものが出来上がりそうで若干の不安を感じなくもないのだが。
「だから俺たちにとってNPCたちを避難させることは自分らのためであって、ミスカちゃんみたいな純粋な気持ちじゃないっつうかなんつうか……」
モチリコちゃんの後を継いでそういいながら、照れ隠しのようにぐいっとビールをあおるイングベルトさん。顔が赤いのは酔いのせいにしておいてあげよう。
「まあゲームの目的はそれぞれだし、それはいいんじゃない?」
別に私が聖人君子というわけでもなんでもないし。結局のところ私がそうしたいと思ったことをしただけである。
アヴァオンがMMORPGである以上、人より強くなったり、貴重なアイテムを目的に動くというのは当然のことだ。それがプロゲーマーという人種であればなおさらというものであろう。
どちらかといえばそういった面にあまり頓着していない私のようなプレイヤーのほうが少数派なのだろうと思う。
だがモチリコちゃんやイングベルトさんたちの狙いがどこにあれ、今回は皆が協力しあってイルメナの住民たちを助けることができたのだ。
町と銀龍の鱗亭を守ることができたおかげで、こうして今日もおいしいお酒が飲めている。私にとってはそれで充分である。
「お待たせしましたー!」
声のした方へ振り向くと、思わずぎょっとするような、とんでもない料理が運ばれてきた。
お肉のサイズが大きすぎて、お皿を持っているソフィアちゃんの上半身が完全に隠れてしまっている。
「本日のメインディッシュ『恐竜肉のこんがり焼き』です!」
どどーんとテーブルの真ん中に置かれた巨大な骨付き肉の存在感に全員から歓声があがる。
「うひゃああああぁぁぁー! おっきなお肉ですぅぅぅぅ!!」
自分の身体ほどのサイズのあるお肉を目にして興奮しすぎたモチリコちゃんは特にテンションがおかしなことになっている。
実は今回の食材はクロエちゃんの召喚した恐竜型モンスターを倒した時のドロップアイテムである骨付き恐竜肉である。
モチリコちゃんがどうしても食べたいと言い出し、せっかくだしみんなで食べられないかとソフィアちゃんに相談してみたところ、快く本日のメインディッシュとして使ってもらえることになったのだ。
さっそく手を伸ばして切り取ってみると、お肉はそのワイルドな見た目に反してとても柔らかく、ナイフを差した隙間からほわりと立ちのぼる湯気とともに鼻腔を刺激する香ばしい匂いが、取り分けているだけでも私たちの期待を膨らませる。
牛肉に近いような肉質なのだろうか、しっかりと旨味のつまっていそうな赤身に対して、絶妙な割合で差し込まれた脂が金色に輝いている。
焼き加減はミディアムレア。料理の名前通りにこんがりと焼きあがった外側から、徐々に朱に染まっていき、中央部は絶妙な鴇色である。
小さく切ったお肉をぱくりといただくと、口のなかでぷりぷりと繊維がほどける心地よい食感に感動する間もなく、舌から脳まで痺れるほどの芳醇な旨味が広がっていく。味付けはシンプルな岩塩のみなのだが、素材のうまみと舌の上で混ざり合ったそれは、驚くほどに複雑な味わいを感じさせてくれた。
「ンま! なんだこれンま!」
「あ゛ぁあぁぁぁぁあ゛あ゛あ……」
男性陣が全員ガツガツとものすごい勢いで恐竜肉にかぶりつく横で、一口齧ったモチリコちゃんがR15ではちょっと表現できないような蕩けきった顔になっている。大丈夫だろうか。
私はお酒はともかく、食事に関してはそこまで量を食べるほうではないのだが、これはビールとも相性がよすぎて、いくらでもいけてしまいそうである。まさか恐竜肉がここまでおいしいものだとは……。
贅沢な味わいを満喫しながらビールをあおったところで、お店の入り口からカウベルの音が響いてきた。
「いらっしゃいませー! ……ってあら?」
すっかり元気の戻ったソフィアちゃんの声が店内に響く。
なんとはなしに店の入り口に目をやると、そこにはリリアさんに手を引かれた、酒場には不似合いな小さな女の子……クロエちゃんの姿があった。





