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27.ログNo.00859 『クロエ』 2

この投稿分より、クロエの一人称を『私』から『あたし』に変更しました。

(幸いあまりありませんが)過去に出てきた部分も修正済みとなります。キャラクターのイメージに大きくかかわる部分への変更となったことをお詫びいたします。

ストーリー展開についての変更はありませんので、特に過去部分の読み直しは不要かと思います。


――リクエスト番号00859

――個体名『クロエ』のログを出力します



◇ 捕虜・クロエ


 あたしたちは帝都ヴァスシュヴァラの貧民街に暮らす、ありふれた姉弟だった。


 父親の顔は一度も見たことがないし、母親はあたしが八歳の頃知らない男とふらっと出ていったきり何年も音信不通だ。

 今頃生きているのか死んでいるのかもわからない。


 母親が蒸発し、親というものはいてもいなくても生活に支障はないということを学んだ。

 むしろ一人分の食事の用意の手間が減り、楽になったほどである。


 あたしはそれまでと変わらず、小遣い稼ぎやゴミ拾い、時には盗みなどを繰り返し、なんとか自分と弟の食べ物を得る。そんな暮らしを続けていた。

 食べるために生きるのか、生きるために食べるのか、そんなことを考える余裕さえなかった。


 あたしが十歳になったころ、弟のロイが突然行方不明になった。

 当時まだ七歳だったはずだ。


 あたしは必死になって町中を駆けまわり、弟を探した。

 大人たちにも助けを求めたが、貧民街の孤児が消えるなど珍しいことではなく、誰もまともにとりあってはくれなかった。ろくな見返りが得られないとわかりきっていたこともその原因の一つだったのだろう。

 薄汚れたあたしの姿など見たくもないというように、話もさせてもらえずに追い返されたりもした。


 子供一人がいくら必死になって探したところで、弟の手がかりを見つけることはできなかった。失意のどん底にいたあたしの目の前にあの男が現れたのは、弟の失踪から数週間が過ぎたころだった。


 その男、ライアンはあの王立魔法研究所アグラアンナから来たという。

 当時のあたしにとってアグラアンナなど雲の上の存在であり、もしも自分のような小汚い孤児が足を踏み入れようものなら、問答無用で殺されてもおかしくないとすら思っていた。


 そこからきたという身なりのいい男が、あたしなどを相手に膝を折り、対等な目線で優しく声をかけてくれている。


 話している内容は難しくてよくわからないことも多かったが、とにかくライアンは魔法の才能がある者を広く求めていると言っていた。そしてあたしにはその才能がある、とも。


『私とともにアグラアンナへ来ないかね?』

 

 男の誘い文句を聞いたあたしは、子供ながらにこれが最後のチャンスだと思った。

 無我夢中でロイのことを説明し、あたしがライアンのいうことを聞く代わりに、なんとか弟を探してもらえないかと頼み込んだ。王立魔法研究所の力を借りることができればきっとロイを見つけ出すことができる。そう信じていた。

 

 ライアンは事情を聞くと深く同情を示し、すぐにでも弟の行方を調べ始めると約束してくれた。

 安心した。これで弟にもう一度会えると。

 その後のあたしはライアンの手となり足となり、言われるがままに数々の実験や研究を手伝った。時には自身が実験体となるようなものであっても、弟のためであればとすべてを受け入れた。


 だが……ライアンはロイの捜索などしていなかった。


 それどころか弟の失踪はライアン自身が仕組んだものだったのだ。

 今となればわかるが、あたしたち姉弟は生まれつきマナの保有量が多く、身寄りもいないという点で、魔法研究の実験体として非常に好ましかったのだろう。

 弟をだまし、あたしをだまし、多くの人々をだまし続け、ライアンは自身のための研究に明け暮れていたのだ。


 そして、ついにやつは禁忌を犯した。


 いつの間にか人体実験による魔法生物……セレグリムを作り出していたのだ。


 しかし、あたしも参加していた基礎理論研究の時点では、セレグリムはモンスターや魔法生物のみで合成される想定だったはずだ。

 実際の実験段階には参加していなかったが、どこかのタイミングでライアンが手を加え、人体実験を含むようにしたのかもしれない。


 指示されたこととは言え、セレグリムの基礎理論研究に加担していた自分が許せない。あたし自身が弟の命と尊厳を奪う研究に加担していたなんて。


 弟があたしにとってそうだったように、ロイ以外の実験体にされた人々にも、それぞれに大切な人がいて、誰かにとってのかけがえのない存在だったはずだ。


 あたしたちが、彼らの人生を奪ってしまったのだ。


 アグラアンナはなんという化け物を作り出してしまったのか……。

 なぜこうなってしまうまでライアンの狂気に気が付けなかったのか……。


 



『オォォォォォオォオオォォオォオォ……!!』



 セレグリムの断末魔が響き渡り、ミスカという女冒険者が空から戻ってくる。

 

 天上から差す光を背に受けながら地上へと舞い降りる姿は、まるで神話の世界の女神のように美しい。

 弟を苦しみから解き放ってくれた、その神々しい存在を見つめていたあたしの視界が不意に滲んで歪む。


 ふざけるな。あまえるな。あたしに泣く資格なんてない。

 そんな無責任なことは許されない。

 弟を探すという目的以外には目を向けようともせず、善悪を見誤り、ただただライアンに言われるがままに動いてきた愚か者にふさわしい罰を受けなければいけない。


 だから、勝手に涙を流して悲劇ぶってるんじゃない……!


 硬く目を閉じ、必死に気を張って、勝手に溢れ出ようとする涙を抑えていると、不意に全身がぎゅうっとぬくもりに包まれた。


「なに……?」


 目をひらけば、地上へと降り立ったミスカがあたしを抱きしめている。

 痛いほど強くそうされているのにも関わらず、それが不思議と心地よい。


「うっ……ぐすっ……うぅぅぅぅ!!」


 ミスカはこのまま身体が一つになってしまうんじゃないかと思うほど全身をあたしに押し付けながら、イルメナを救った英雄にしては小さすぎるその肩を震わせていた。


 その美しい姿に似合わず、鼻をすすり、嗚咽を漏らし、外聞も気にせず思い切り咽び泣くその様子は、先ほど感じた神々しさよりも慈悲深く、ずっとこの人の本質を表しているように見えた。


「ひぐっ! うぅっ……クロエちゃん……! ロイくん……! ごめん、ごめんね……! ぐしゅっ……!」


「ははっ……なんであんたが泣いてんの。……意味わかんない」


 涙を絞りつくさんばかりに泣き続けてる目の前の女を見ているうち、気づけばあたしの涙は止まっていた。





 あたしには、誰かのためや、ましてや自分のために泣く資格などない。


 それでも、こんなあたしのために涙を流してくれる人がいてくれるのは、なんとなく救われることのような気がした。



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[一言] 鼻の奥がツンとしました。 哭きたい年頃のジジイより
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