25.翼
ヨシ、シリアスだな?
クロエちゃんを抱きしめる。
この哀れな姉のために、私はこれから彼女の弟を殺すのだ。
「ごめんね、クロエちゃん。私がロイ君を……解放するよ」
「……っ!」
私の胸に小さな頭をぐいぐいとおしつけ、嗚咽を漏らす小さな女の子。
なぜ彼女たちがこんな悲劇に巻き込まれてしまったのか、今の時点でそのすべてはわからない。ただそれでも、ロイ君が伝えてくれたライアンという名前だけは絶対に忘れない。忘れてはならない。
――いつか全部説明させて、場合によってはきっちり責任取ってもらうからな。
しばらくそうして抱きしめていたクロエちゃんの頭をゆっくりとなで続けていたところ、少しだけ落ち着いたのか、目を真っ赤にした彼女が私を見上げ、震える声で、しかしはっきりとこう言った。
「頼む……弟を……ロイを……楽にしてあげて」
普段であれば多くのプレイヤーたちで活気のあるギルドの受付エリアも、今は無人である。
閑散としたそこを駆け抜けてギルドの外へと出た私とクロエちゃんは、相変わらず上空に浮かび続けるセレグリムをにらみつける。
幸い周囲の避難は済んだようで、遠くから悲鳴や混乱している声が聞こえるものの、このあたりにはNPCもプレイヤーも残っていないようである。
「人がいなくて本当によかった……」
「……?」
今からやることを考えれば、周囲に人の目がある状況は避けたい。
できればクロエちゃんも部屋に残るか避難するかしてほしかったのだが……戦いを見届けたいと言われてしまっては否とは言えなかった。
「それで、どうすんの?」
不安そうにそう聞いてくるクロエちゃん。
今の私たちでは遠く浮かぶセレグリムへの有効な手段はない。どうやって戦うつもりなのかと心配になるのは当然だろう。
だが、アレさえできれば、私はおそらくセレグリムのところまで至れる。
そのために必要なのはまず決意、それと勇気。
隣にクロエちゃんがいることで若干の二の足を踏みながら、やるしかないと覚悟を決める。
「……よし」
大きく息を吸って……。
「……はっ!!」
気合の掛け声とともにジャーンプ!
……からの着地!
「とうっ! てやーっ!!」
掛け声とともにその場でぴょんぴょんとジャンプを繰り返す私。
――隣に立つクロエちゃんの目線が厳しい。
ぐ……! 顔から火が出るほど恥ずかしい。がんばれ私、羞恥心を捨てていけ。
「えっと……何してんの……?」
「飛行魔法! ここからじゃ攻撃が届かないんだから、あいつのところまで飛んでいって直接殴るしかないでしょ?」
問い 遠距離攻撃も魔法も届かないところに浮かんでる敵を倒すにはどうすればいいですか?
答え まっすぐ飛んでいって物理で殴れ。
誤解しないでほしい。私だってやりたくてやってるわけではないのだ。
こんなことならエドガーさんに残ってもらえばよかったと心の底から後悔しているくらいである。
「冗談……じゃなくて……?」
「そう言いたくなる気持ちはすごいわかるけど……残念ながらこれしか方法が思いつかないんだよね」
そういって再び気合とともにジャンプを試みる。
「はっ! ……おおっ!?」
ふわりとした浮遊感。
ほんの一瞬だが、たしかに重力に抗った感覚があった。
クロエちゃんが信じられないものを見たかのように目を見開いている。
「うそだろ……こんなことで魔法が……!? 無茶苦茶だ……!」
本当に私もそう思う。
しかし私がふざけているわけではないと理解してくれたクロエちゃんは、もう何も言わずにじっと私とセレグリムを観察している。
だがこれではまだ足りない。遥か上空のセレグリムまでは届かない。
もどかしさに焦れながら、気合を入れなおして何度も何度も跳躍を繰り返す。
何が足りないのかがわからない。魔力か、練度か、別の何かなのか。
いくらVRのアバターとはいえ、さすがに息が切れてきた。
「はぁ……はぁっ……! 飛んで! 飛べっ! 飛べええええ!!」
顔に熱を感じるのは羞恥のせいか、酸欠か。
いつの間にかクロエちゃんは祈るように両手を組んで私を見つめていた。
「あ……うっ!」
疲労でぱんぱんに腫れた太もものつらさに耐えかねて、着地した身体を支え切れずに思わずお尻から地面に崩れる。
「はぁ……っ! はぁ……っ!」
がくがくと両脚が細かく震え、頬を汗が伝う。
自堕落にお酒を飲むために始めたはずのゲームの中で、なんでこんな筋トレじみたことをしてるんだ私は。
一瞬の現実逃避に、昨晩モチリコちゃんたちと飲んだおいしいお酒が思い起こされる。
――そのとき不意に、昨夜のエドガーさんとの会話が記憶によみがえった。
『命名を疎かにするな! 力強い響きにこそ、真の魔力が宿るのだ!』
どうせエドガーさんのようにいちいち名前を叫ぶことはしないし、名前なんてなんでもいいじゃないかと私たちが適当にあしらったときに彼が力説していた言葉だ。
その言葉と連鎖するように一つの可能性が脳裏に閃く。いや、まさかそんな……でももしかして……。
「ああもうっ! もし違ったら恨むからね!」
ていうかこれが正解だとしても、それはそれでこんなバカ仕様にした開発を恨むぞ!
限界を主張する下半身に喝を入れて立ち上がると、思いっきり息を吸い込み、ぐぐっと膝に力をためてから、気合のジャンプとともにやけくそ気味にその名前を叫ぶ。
「エーテル……ウィーーーングッ!!」
いい年をした成人の女が本気で魔法の名前を絶叫するという羞恥プレイの見返りは、人生で初めて空中を自由に飛びまわる感覚と、地上に暮らす者には決して見ることのできない、空の世界からの雄大な眺めであった。
次話、決着!
いつ魔法の名前決まってたっけ?という方は22話をご覧ください